第4怪 きさらぎアバンチュール ―きさらぎ駅―
いきなり身の上話なんだけど、私は、セト先生の研究室で月に一度ワンツーマンの魔術レッスンを受けている。「たとえ魔術が使えなくても、知識として知っておいた方がいいヨ」っていう副局長 の助言を経て、3年前からレッスンをお願いしているんだ。だから、セト“先生”。
レッスンのお礼として、今度は私がセト先生に魔法を見せる。セト先生、魔法を魔術に変換できないかって個人で研究しているんだって。
魔術は魔法の模倣――最初に魔法があって、そこから魔術が生まれた。この基盤を作ったのが、あのアーサー王を栄光に導いた大魔術師アンブローズ・マーリンだ。だが、彼を以ってしても魔法の全てを魔術に変換することはできなかった。【ブロセリアンドの森】に幽閉されちゃったからね。もし、マーリンが最期まで生きて研究していれば、もっといろんな魔術が生まれていたかもしれない。そうなっていたら、私はめずらしい魔法師のタマゴでもなんでもなくって、セト先生との師弟関係なんてなかったかもしれないね……。
「スコットランドの食べ物?」
10月中旬に前倒しされたレッスンの日。セト先生の質問に驚いた。私も知らない魔法――ではなく、明後日から向かうスコットランドのグルメ情報を教えてほしいって言う。
「来週からしばらく滞在することになってね」
「あ、それでレッスンを前倒しにしてくれたんですね。ありがとうございます」
「どういたしまして。助手 も一緒に行くんだけど、スコットランドは初めてらしくてね。観光地へ行かせてやれないから、せめて名物でもと思ってさ」
ところが、セト先生は食に興味がないから、スコットランド名物がよくわからない。だから、手っ取り早く私に聞いてみたという訳だ。
「スコットランド料理の代表格って言ったら、ハギスがありますけど」
「女の子がしていい顔じゃないよ、アシュ。もしかして嫌い?」
「レバー嫌いからすれば悪魔の食べ物ですよ! あたしは二度と食べたくないです」
いわゆる羊の臓物ミンチ詰め。なぜ臓物をミンチしようと思った? なぜ胃袋に見立てて作ろうと思った⁈ ハギスはスコットランドのみならずこの連合王国のメシマズ料理の代表格でもあり、実は外交問題の火種になったこともあるぐらいにはアレだ。
「でも、先生とヒノリちゃんは好きかもしれませんし、1回食べてみてもいいと思いますよ。シャオおすすめのレストラン、あとで教えますね」
「ありがとう。食べたら感想を送るよ」
「お待ちしてます!」
つまり、また会おうってことですよね⁈ すごく嬉しい。セト先生とはなかなかふたりっきりになれないから、このレッスンは貴重な時間だし、私にとってはなによりも特別な瞬間なのだ。
「でも、なんでスコットランドへ出張になったんですか?」
現地の審査官っていなかったっけ? イングランド専属のセト先生たちが行くことは滅多にないはず……。
「海坊主 の監視及び撃退を頼まれてね。あっち、人手不足なんだって」
「よりによってナックラヴィーですか……」
スコットランドに棲みつく正真正銘の悪しき妖精 の任務なんて、想像するだけでも骨が折れそうだ。
ナックラヴィーはデカくて強い。見た目はグロくて、執念深い性格の厄介極まりない存在。海から来るこの悪夢は大地に不作や干魃をもたらすだけでなく、撃退方法を間違えると馬に不治の病をかけてくる。だからこそ、ヤツが悪さをしないように毎年誰かがぎせ……違う、審査官が対処するようになった、と元審査官のシャオから聞いたことがある。
あ、審査官っていうのはね、簡単に言うと悪いことをした魔術師や妖精たちを取り締まる魔術師のことだ。エリート中のエリート職で、誰彼となれるものではない。
「実はあたし、シャオに付き合ってやったネッシー・ウォッチングの帰りに、一度だけ遭ったことがありまして」
「ネッシー・ウォッチングに突っ込みたいところだけど、アシュが目をつけられたってかなりまずいじゃないか。よく無事だったね?」
セト先生の反応も尤もだ。なにせあたしの天然バフ盛り体質のせいで、シャオだけじゃなくてナックラヴィー側の能力値も上がるから。そのせいで、私は力をつけたい良からぬモノに狙われることがいまでも多い。この体質のせいで「長くはない」とも言われている。
バフ増し増しのナックラヴィーに追いかけられたあの時は、死さえ覚悟したけど――
「いきなり雨が降ったおかげで命拾いしたんです。雨の予報なんてなかったんですけどね?」
「それはラッキーだったね。アシュの日頃の行いのおかげかな」
そこでシャオが出ないのは流石だ。
あの時のことはよく覚えている。にわか雨が降り出した途端、ナックラヴィーが慌てて海に戻っていったんだよね。唯一の弱点が真水だってことは知っていたが、まさか雨も適用されるとは思ってもいなかった。おまけにそのにわか雨、ナックラヴィーが姿を消した途端にピタリと止んだから、もう神がかりとしか言えない。あのシャオが「奇跡だ」って呟いたの、これから一生ないと思う。
「都合よく雨が降ってくれるといいんだが」
セト先生が窓の向こう――どんよりとした空を見やる。そう呟く割には天気にあまり期待してなさそうだ。
「気をつけて行ってくださいね」
「ありがとう、アシュ」
「絶対帰って来てくださいよ」
「心配してくれるの? 優しいね」
そりゃあ、ずっと片想いしてるぐらいに好きですから……なんて口が裂けても言えない。
12歳も離れてるんだもん。恋が叶う訳ないじゃんか。
†
「アシュー? ソウルケーキはまだかい?」
「もうおじいちゃん、さっき焼き上がったの置いたでしょ」
「グレンとシャオが食べちゃったヨ」
「ま??」
あの食いしん坊コンビ、私がどんな意味で大量生産しているかも知らないで……。
盛大な溜め息を吐こうとしたら、アンブローズ探偵局のドアベルがけたたましく鳴り響いた。
「ヒノリチャン、もう帰ってたのか。おかえり」
のんきに紅茶を飲むシャオには目もくれず、ヒノリは事務所をキョロキョロと見渡した。なんか焦ってるな?
「どうした?」
「あの、セトさんは来てませんか? 連絡とか着てないですか⁈」
「私に逐一連絡すると思うか? スコットランド行きもアシュから聞いたからな」
「お土産渡すタイミングを聞かれてからはなんにも……」
いやな予感がする。のんきにソウルケーキを頬張っていたグレンも、鼻眼鏡でハロウィンのコスプレをしたつもりのエムリスも、ヒノリの纏う雰囲気を敏感に察していた。
「セトさんが……電車の中から消えたんです」
「「えぇ⁈」」
素っ頓狂な声を上げたのは私とグレンだけだった。
「使い魔 クンは? 彼ならセトクンの気配を辿れるだろう」
そう尋ねたエムリスは落ち着き払っている。そもそも動じる人じゃないか。
「途中でぷっつりと途切れて辿れなくなるみたいで、お手上げって言ってました」
「マジ? 非常事態じゃん」
シャオも、口調こそいつもと同じだったが居住いを正し、ヒノリにソファーへ座るように促した。
ヒノリの話をまとめると、2週間程スコットランドに滞在し、ナックラヴィーはなんとか撃退できたという。だから、昨日、スコットランドから竜動 に戻ってきた……はずだった。
「電車を使ったんです。それが一番早いって言われたので」
スコットランドの首都エディンバラ駅とイングランドのパディントン駅は、片道でざっと4時間。誰がなんと言おうとこれが最短です。
ヒノリとセト先生と使い魔のテオは同じ電車に乗り、同じコンパーメントに座った。エディンバラを出発して1時間が経つ頃、ヒノリがお手洗いで席を立つ。
その数分後、席に戻ったらテオしかいない。
「セトさんは?」
「トイレに行った」
「せめてお手洗いって言ってくれ」
入れ違いか、とヒノリは気にしていなかった。もちろんテオも。その後、ヒノリは疲労もあって終点のパディントン駅までぐっすり眠っていたと言う。テオも気を遣って起こさなかったようだ。
そして、ヒノリが起きた直後、焦った表情のテオと車掌に聞かされたんだって。セト先生がいないって。
「その車掌と乗客の何人かが見てたんだが、セトさん、お手洗いの前で誰かと話し込んでたらしい」
ただ、誰一人として相手の顔は「わからない」「見ていない」。どういう恰好をしていたかさえも覚えてないなんて怪しすぎる……。
もしや自分たちに連絡もせずに途中下車したのかと考えたヒノリは、審査官助手の権限を使ってあれこれ調べてもらった。セト先生の切符はエディンバラ駅以降どこの改札も通っていないことが判明する。
つまり、
「セトさんは電車のなかでいなくなったとしか考えられないんだ……」
当然、列車内も隈なく探したが、セト先生は見つからず。スマートフォンは置き去りの荷物の中になかったので、おそらく本人が持っているものと見做して何度もかけたが、一度も通じず。
「審査官の仕事上、いきなり任務が入って急に連絡を断つこともあるってことは聞います。でも、セトさんに限って、私はともかくテオになにも言わずに連絡しないってことが考えられなくて……」
翌日――つまり今日、一縷の望みを懸けてアンブローズ探偵局に来たという。だが、セト先生はいない。教え子の私さえ、「明日帰るよ」と連絡をもらってそれっきりだ。
「ヒノリチャン。電車使ったって言ったよな?」
シャオはなにかわかったみたいだ。
「はい。往復電車です」
「今日がなんの日か知ってる?」
「ハロウィン……ですよね?」
「うん。たぶんって言うか、ほぼ確信なんだが。セトの奴、異界駅に迷い込んだんじゃないか?」
「異界駅?」
グレンが首を傾げているが、別に解説を挟むほどでもない。読んで字の如く、私たちがいる世界と異なる世界にある駅だ。
「【きさらぎ駅】とかですよね?」
「おっ、ヒノリチャンが知ってんのめずらしいな」
「きっかけは忘れましたけど、読んだことがあって。よりによって実話系怪談なんですか、あれ……」
「んー? まあ、全部が全部実話とは私も思ってないけどな。きさらぎ駅って名前じゃないが、竜動にも異界駅があるって前々から言われてるぞ。ちょうどパディントン駅とエディンバラ駅のあいだがアクセススポットなんだよ。私も最近お邪魔した」
「まさか……」
そうだよ、グレン。私たちとヤシャの3人で幽霊屋敷を調査していた裏で、シャオがちゃっかり潜入した場所こそが異界駅だ。部下に仕事を丸投げしてなにやってんだ、このロクデナシ。
「前々から考察されてたんだよ。ハロウィンシーズンが一番行きやすいんじゃないかって」
「なんでハロウィン?」
シャオは丁寧に説明しない気がしたので、ここは私が引き受けよう。
「ハロウィンが日本でいうところのお盆だってことは、ヒノリちゃんも知ってるよね?」
「ああ……。死者が帰ってくるから、襲われないように仮装するんだろ」
「そうそう・あくまでも考察なんだけど、異界駅の『異界』は死者の世界そのものか、生者の世界と死者の世界の【あいだ】を指してるんじゃないかって考えられるんだ。
きさらぎ駅の名前自体はひらがな表記だけど、漢字を当てはめるなら『鬼』じゃないかって言われてるし、あたしもそうだと思ってる。『地獄の獄卒』とか『幽霊』って意味ならなおさら『死』に縁が深くなるから。
あと、きさらぎ駅のほかに日本だと【やみ駅】と【かたす駅】もあるけど、こっちは【黄泉国 】と【根の堅洲国】っていう日本神話の死者の世界を……」
「ストップ! 考察厨ストップ!」
慌てたヒノリに待ったを掛けられた。
「死者の世界もヒノリちゃんはNG?」
「お前がノンストップで語り出したのにビビったわ! 手加減しろ! 怪談苦手だっつの!」
「ここの関係者ではめずらしいよネ、ヒノリクンみたいな子は」
エムリスの言うとおり、関係者のなかでホラーを苦手と公言しているのはヒノリだけだ。これについては仕方ないところもあるんだが。
「異界駅とかそういう場所って、電話とかSNSは繋がるみたいだけど……」
電話は駄目だった、ってヒノリが言ってたね。全部がそうとは限らないのか。シャオが迷い込んだあの時こそ、電話が通じなくなってほしかったなぁ。
「マクスウェルさん。この後どうしたらいいんでしょう?」
「私は自力で戻れたけど、セトは迎えに行ったほうがいいかもな。今日はハロウィン当日だし、簡単に異界駅に迷い込めるんじゃないか?」
「あーもう! わかりましたよ! 行きますよ!」
「もたもたしてる場合じゃないよ。ハロウィンが終わる前に乗り込まなきゃ」
「は? お前も行くの⁈」
私、なんでシャオに驚かれるんだ?
「当たり前でしょ。あたしの触媒体質、いかにもお誂え向きじゃん。シャオがあたしをネス湖に毎月連れてくの、異界駅に迷い込むチャンスを作ろうとしてたんでしょ。知ってんだからね」
「なんだ。バレてたのか」
おいこらロクデナシ、せめて隠そうとしろっ!
シャオが迷い込んだなら清々しく見送るんだが、セト先生は違う。あの人は放っておいちゃだめだ。――好きだからとかじゃなくて。
「シャオ。アシュは行かせるべきだヨ。失せ物探しが得意なのは知ってるだろう?」
「たしかに。アシュが探すと、無くしたと思ってたものがすぐ見つかる」
それ、単純に勘が鋭いってだけじゃない? 私は自画自賛しないぞ。
「グレンクンも行くだろう?」
「うん。人手は多い方がいいんじゃないの? こういうのって」
「……さすがは私が見込んだメンツだ。そうだよな。私たちは怪奇専門の探偵だもんな! さて、言いたいことはわかるだろ、ヒノリチャン」
「『依頼と金を寄越せ』?」
「異界駅なら喜んで行くってことだよ。私のイメージひどくね⁈」
レッスンのお礼として、今度は私がセト先生に魔法を見せる。セト先生、魔法を魔術に変換できないかって個人で研究しているんだって。
魔術は魔法の模倣――最初に魔法があって、そこから魔術が生まれた。この基盤を作ったのが、あのアーサー王を栄光に導いた大魔術師アンブローズ・マーリンだ。だが、彼を以ってしても魔法の全てを魔術に変換することはできなかった。【ブロセリアンドの森】に幽閉されちゃったからね。もし、マーリンが最期まで生きて研究していれば、もっといろんな魔術が生まれていたかもしれない。そうなっていたら、私はめずらしい魔法師のタマゴでもなんでもなくって、セト先生との師弟関係なんてなかったかもしれないね……。
「スコットランドの食べ物?」
10月中旬に前倒しされたレッスンの日。セト先生の質問に驚いた。私も知らない魔法――ではなく、明後日から向かうスコットランドのグルメ情報を教えてほしいって言う。
「来週からしばらく滞在することになってね」
「あ、それでレッスンを前倒しにしてくれたんですね。ありがとうございます」
「どういたしまして。
ところが、セト先生は食に興味がないから、スコットランド名物がよくわからない。だから、手っ取り早く私に聞いてみたという訳だ。
「スコットランド料理の代表格って言ったら、ハギスがありますけど」
「女の子がしていい顔じゃないよ、アシュ。もしかして嫌い?」
「レバー嫌いからすれば悪魔の食べ物ですよ! あたしは二度と食べたくないです」
いわゆる羊の臓物ミンチ詰め。なぜ臓物をミンチしようと思った? なぜ胃袋に見立てて作ろうと思った⁈ ハギスはスコットランドのみならずこの連合王国のメシマズ料理の代表格でもあり、実は外交問題の火種になったこともあるぐらいにはアレだ。
「でも、先生とヒノリちゃんは好きかもしれませんし、1回食べてみてもいいと思いますよ。シャオおすすめのレストラン、あとで教えますね」
「ありがとう。食べたら感想を送るよ」
「お待ちしてます!」
つまり、また会おうってことですよね⁈ すごく嬉しい。セト先生とはなかなかふたりっきりになれないから、このレッスンは貴重な時間だし、私にとってはなによりも特別な瞬間なのだ。
「でも、なんでスコットランドへ出張になったんですか?」
現地の審査官っていなかったっけ? イングランド専属のセト先生たちが行くことは滅多にないはず……。
「
「よりによってナックラヴィーですか……」
スコットランドに棲みつく正真正銘の
ナックラヴィーはデカくて強い。見た目はグロくて、執念深い性格の厄介極まりない存在。海から来るこの悪夢は大地に不作や干魃をもたらすだけでなく、撃退方法を間違えると馬に不治の病をかけてくる。だからこそ、ヤツが悪さをしないように毎年誰かがぎせ……違う、審査官が対処するようになった、と元審査官のシャオから聞いたことがある。
あ、審査官っていうのはね、簡単に言うと悪いことをした魔術師や妖精たちを取り締まる魔術師のことだ。エリート中のエリート職で、誰彼となれるものではない。
「実はあたし、シャオに付き合ってやったネッシー・ウォッチングの帰りに、一度だけ遭ったことがありまして」
「ネッシー・ウォッチングに突っ込みたいところだけど、アシュが目をつけられたってかなりまずいじゃないか。よく無事だったね?」
セト先生の反応も尤もだ。なにせあたしの天然バフ盛り体質のせいで、シャオだけじゃなくてナックラヴィー側の能力値も上がるから。そのせいで、私は力をつけたい良からぬモノに狙われることがいまでも多い。この体質のせいで「長くはない」とも言われている。
バフ増し増しのナックラヴィーに追いかけられたあの時は、死さえ覚悟したけど――
「いきなり雨が降ったおかげで命拾いしたんです。雨の予報なんてなかったんですけどね?」
「それはラッキーだったね。アシュの日頃の行いのおかげかな」
そこでシャオが出ないのは流石だ。
あの時のことはよく覚えている。にわか雨が降り出した途端、ナックラヴィーが慌てて海に戻っていったんだよね。唯一の弱点が真水だってことは知っていたが、まさか雨も適用されるとは思ってもいなかった。おまけにそのにわか雨、ナックラヴィーが姿を消した途端にピタリと止んだから、もう神がかりとしか言えない。あのシャオが「奇跡だ」って呟いたの、これから一生ないと思う。
「都合よく雨が降ってくれるといいんだが」
セト先生が窓の向こう――どんよりとした空を見やる。そう呟く割には天気にあまり期待してなさそうだ。
「気をつけて行ってくださいね」
「ありがとう、アシュ」
「絶対帰って来てくださいよ」
「心配してくれるの? 優しいね」
そりゃあ、ずっと片想いしてるぐらいに好きですから……なんて口が裂けても言えない。
12歳も離れてるんだもん。恋が叶う訳ないじゃんか。
†
「アシュー? ソウルケーキはまだかい?」
「もうおじいちゃん、さっき焼き上がったの置いたでしょ」
「グレンとシャオが食べちゃったヨ」
「ま??」
あの食いしん坊コンビ、私がどんな意味で大量生産しているかも知らないで……。
盛大な溜め息を吐こうとしたら、アンブローズ探偵局のドアベルがけたたましく鳴り響いた。
「ヒノリチャン、もう帰ってたのか。おかえり」
のんきに紅茶を飲むシャオには目もくれず、ヒノリは事務所をキョロキョロと見渡した。なんか焦ってるな?
「どうした?」
「あの、セトさんは来てませんか? 連絡とか着てないですか⁈」
「私に逐一連絡すると思うか? スコットランド行きもアシュから聞いたからな」
「お土産渡すタイミングを聞かれてからはなんにも……」
いやな予感がする。のんきにソウルケーキを頬張っていたグレンも、鼻眼鏡でハロウィンのコスプレをしたつもりのエムリスも、ヒノリの纏う雰囲気を敏感に察していた。
「セトさんが……電車の中から消えたんです」
「「えぇ⁈」」
素っ頓狂な声を上げたのは私とグレンだけだった。
「
そう尋ねたエムリスは落ち着き払っている。そもそも動じる人じゃないか。
「途中でぷっつりと途切れて辿れなくなるみたいで、お手上げって言ってました」
「マジ? 非常事態じゃん」
シャオも、口調こそいつもと同じだったが居住いを正し、ヒノリにソファーへ座るように促した。
ヒノリの話をまとめると、2週間程スコットランドに滞在し、ナックラヴィーはなんとか撃退できたという。だから、昨日、スコットランドから
「電車を使ったんです。それが一番早いって言われたので」
スコットランドの首都エディンバラ駅とイングランドのパディントン駅は、片道でざっと4時間。誰がなんと言おうとこれが最短です。
ヒノリとセト先生と使い魔のテオは同じ電車に乗り、同じコンパーメントに座った。エディンバラを出発して1時間が経つ頃、ヒノリがお手洗いで席を立つ。
その数分後、席に戻ったらテオしかいない。
「セトさんは?」
「トイレに行った」
「せめてお手洗いって言ってくれ」
入れ違いか、とヒノリは気にしていなかった。もちろんテオも。その後、ヒノリは疲労もあって終点のパディントン駅までぐっすり眠っていたと言う。テオも気を遣って起こさなかったようだ。
そして、ヒノリが起きた直後、焦った表情のテオと車掌に聞かされたんだって。セト先生がいないって。
「その車掌と乗客の何人かが見てたんだが、セトさん、お手洗いの前で誰かと話し込んでたらしい」
ただ、誰一人として相手の顔は「わからない」「見ていない」。どういう恰好をしていたかさえも覚えてないなんて怪しすぎる……。
もしや自分たちに連絡もせずに途中下車したのかと考えたヒノリは、審査官助手の権限を使ってあれこれ調べてもらった。セト先生の切符はエディンバラ駅以降どこの改札も通っていないことが判明する。
つまり、
「セトさんは電車のなかでいなくなったとしか考えられないんだ……」
当然、列車内も隈なく探したが、セト先生は見つからず。スマートフォンは置き去りの荷物の中になかったので、おそらく本人が持っているものと見做して何度もかけたが、一度も通じず。
「審査官の仕事上、いきなり任務が入って急に連絡を断つこともあるってことは聞います。でも、セトさんに限って、私はともかくテオになにも言わずに連絡しないってことが考えられなくて……」
翌日――つまり今日、一縷の望みを懸けてアンブローズ探偵局に来たという。だが、セト先生はいない。教え子の私さえ、「明日帰るよ」と連絡をもらってそれっきりだ。
「ヒノリチャン。電車使ったって言ったよな?」
シャオはなにかわかったみたいだ。
「はい。往復電車です」
「今日がなんの日か知ってる?」
「ハロウィン……ですよね?」
「うん。たぶんって言うか、ほぼ確信なんだが。セトの奴、異界駅に迷い込んだんじゃないか?」
「異界駅?」
グレンが首を傾げているが、別に解説を挟むほどでもない。読んで字の如く、私たちがいる世界と異なる世界にある駅だ。
「【きさらぎ駅】とかですよね?」
「おっ、ヒノリチャンが知ってんのめずらしいな」
「きっかけは忘れましたけど、読んだことがあって。よりによって実話系怪談なんですか、あれ……」
「んー? まあ、全部が全部実話とは私も思ってないけどな。きさらぎ駅って名前じゃないが、竜動にも異界駅があるって前々から言われてるぞ。ちょうどパディントン駅とエディンバラ駅のあいだがアクセススポットなんだよ。私も最近お邪魔した」
「まさか……」
そうだよ、グレン。私たちとヤシャの3人で幽霊屋敷を調査していた裏で、シャオがちゃっかり潜入した場所こそが異界駅だ。部下に仕事を丸投げしてなにやってんだ、このロクデナシ。
「前々から考察されてたんだよ。ハロウィンシーズンが一番行きやすいんじゃないかって」
「なんでハロウィン?」
シャオは丁寧に説明しない気がしたので、ここは私が引き受けよう。
「ハロウィンが日本でいうところのお盆だってことは、ヒノリちゃんも知ってるよね?」
「ああ……。死者が帰ってくるから、襲われないように仮装するんだろ」
「そうそう・あくまでも考察なんだけど、異界駅の『異界』は死者の世界そのものか、生者の世界と死者の世界の【あいだ】を指してるんじゃないかって考えられるんだ。
きさらぎ駅の名前自体はひらがな表記だけど、漢字を当てはめるなら『鬼』じゃないかって言われてるし、あたしもそうだと思ってる。『地獄の獄卒』とか『幽霊』って意味ならなおさら『死』に縁が深くなるから。
あと、きさらぎ駅のほかに日本だと【やみ駅】と【かたす駅】もあるけど、こっちは【
「ストップ! 考察厨ストップ!」
慌てたヒノリに待ったを掛けられた。
「死者の世界もヒノリちゃんはNG?」
「お前がノンストップで語り出したのにビビったわ! 手加減しろ! 怪談苦手だっつの!」
「ここの関係者ではめずらしいよネ、ヒノリクンみたいな子は」
エムリスの言うとおり、関係者のなかでホラーを苦手と公言しているのはヒノリだけだ。これについては仕方ないところもあるんだが。
「異界駅とかそういう場所って、電話とかSNSは繋がるみたいだけど……」
電話は駄目だった、ってヒノリが言ってたね。全部がそうとは限らないのか。シャオが迷い込んだあの時こそ、電話が通じなくなってほしかったなぁ。
「マクスウェルさん。この後どうしたらいいんでしょう?」
「私は自力で戻れたけど、セトは迎えに行ったほうがいいかもな。今日はハロウィン当日だし、簡単に異界駅に迷い込めるんじゃないか?」
「あーもう! わかりましたよ! 行きますよ!」
「もたもたしてる場合じゃないよ。ハロウィンが終わる前に乗り込まなきゃ」
「は? お前も行くの⁈」
私、なんでシャオに驚かれるんだ?
「当たり前でしょ。あたしの触媒体質、いかにもお誂え向きじゃん。シャオがあたしをネス湖に毎月連れてくの、異界駅に迷い込むチャンスを作ろうとしてたんでしょ。知ってんだからね」
「なんだ。バレてたのか」
おいこらロクデナシ、せめて隠そうとしろっ!
シャオが迷い込んだなら清々しく見送るんだが、セト先生は違う。あの人は放っておいちゃだめだ。――好きだからとかじゃなくて。
「シャオ。アシュは行かせるべきだヨ。失せ物探しが得意なのは知ってるだろう?」
「たしかに。アシュが探すと、無くしたと思ってたものがすぐ見つかる」
それ、単純に勘が鋭いってだけじゃない? 私は自画自賛しないぞ。
「グレンクンも行くだろう?」
「うん。人手は多い方がいいんじゃないの? こういうのって」
「……さすがは私が見込んだメンツだ。そうだよな。私たちは怪奇専門の探偵だもんな! さて、言いたいことはわかるだろ、ヒノリチャン」
「『依頼と金を寄越せ』?」
「異界駅なら喜んで行くってことだよ。私のイメージひどくね⁈」