第3怪 レディ・ルナティックご乱心 ―八尺様―
近所迷惑(住んでる人がいるかわからないけど)もいいところな叫声をあげて、八尺様はついに倒れた。
あ、身体も縮み始めているね?
「お嬢。終わったンなら褒美寄越せ」
「あー、はいはい……」
自分はさも関係ないと言わんばかりのネーベルは、私が撫でてあげるたびに喉をゴロゴロ鳴らしている。ネーベルのご褒美タイムを初めて目の当たりにしたヒノリは、ちょっと引き気味だ。
「キャス・パ・リーグの褒美って、」
「なでなでタイムとおいしいご飯」
「そんなんでいいのかよ?」
「いいんだってさ」
しかもこれ、契約を紡ぐ時にネーベルが私に提示してきたんだからね? いまのヒノリみたいに呆れられたってネーベルは気にしない。だって猫だもん。ちなみに、好きな食べ物はチュー●だ。
「なあ、八尺様消えてなくねーか」
「ああ……本当だ。力が足りなかったか?」
いつもだったら綺麗に消えるはずが、八尺様の死体はまだ地面に臥したまま残っていた。うーん? 魔術で造られたモノだから、呪術は相性悪いのかな。
「あたしがやってみよっか? 魔法だったら綺麗に消せるかも」
「頼む。流石に疲れた……」
ヒノリにとっては、仕事をこなしてからの八尺様祓除 だもんね。お疲れ様です。
気を遣ってくれたのか、「乗れ」と促されてネーベルの背中にヒノリと一緒に跨った。そして、ネーベルはベランダからふわりと跳び降りる。優しい風が3階からの着地の衝撃を和らげてくれた。風を使うのが上手いんだよなあ、ネーベルは。
「アシュ、魔法使うの? 見たい――」
グレンの声が、右手に持ったスマホから聞こえてきたその時だ。
――いままで死んだかのように静かだった八尺様が、突如上半身を起こした。
「あ、」
赤い目をギラつかせながら、掌を私に向けている。そのシーンが、なぜかスローモーションでもかかっているかのように見えた。やばい! 殺される――!
建物に叩きつけられるか、叩き殺されるのか、わからなかったからとりあえず全方位に魔法障壁 を張った刹那、私に向かって振り上げられた手が、頭上から降りてきた誰かの足に踏んづけられた。
「えっ?」
ギッ……グェッ!
そして、今度は誰かの拳が上体を起こした八尺様に容赦なく振り下ろされる。拳が八尺様を殴った瞬間、ピキピキッとなにかにヒビが走ったような音が聞こえて――八尺様が、呆気なく砕けてしまった。
細かい破片になった彼女を、私を追い越していった女が念入りに踏み砕いている……。
「――は、」
「ハッシャクサマ⁈」
誰が喋ったのかはわからない。ただ、その声でやっと私は助けてくれた相手を認識した。
ついさっき粉々に砕けた八尺様と全く同じ姿の、白い帽子に白いワンピースを纏った清楚な感じの巨女――八尺様だった。
「よぉ、ホンモノ。ニセモノに我慢できずに飛び出してきたか」
ネーベルは呑気に喋り出した。え、ホンモノ? このタイミングでホンモノが来ちゃったの⁈
八尺様がネーベルに答えることはなかったが、じっと私を見て来た。
「お嬢を取り殺すってンなら容赦はしねェぞ。止めとけ。アンタにゃ手に負えねェよ」
「ぽ、」
あ、鳴いた。伝承通りの鳴き声だ。いや、鳴き声って言い方であってるのか??
喋っているのはネーベルばかりで、慌てて破魔矢を構えたヒノリも、窓から見下ろしているヤシャとグレンも、誰も言葉を紡げなかった。本物に怖気づいたというよりも、なんて言っていいのかがわからなくて言葉を探しているような……そんな沈黙が続く。
「あ、ありがとうございました」
だが、ニセモノから助けてくれたお礼は言わなきゃいけない、と私は口を動かしてた。
真っ暗闇を思わせるようなどこまでも黒くて底が見えない目は、なにを考えているのかが全然わからない。ああ、ホンモノは赤い目じゃないんだな――
「ぽ、」
次の瞬間、八尺様はニセモノを粉砕した手で私の頭を撫でてきた。
「「え??」」
近くで見ていたヒノリも、当の私もそれしか声が出なかった。
八尺様は、今度は探偵局の2階を見上げた。視線の先はグレン……ってあいつ、八尺様に見られて大丈夫か⁈
警戒して邪眼を発動しかけたヤシャを気にすることなく、八尺様は徐に喉元に手を当てた。
「これをお礼ということにさせてくれ、少年」
見た目に反した男の声で、八尺様は間違いなくグレンに向かってそう言った。
「え……」
思わず息を呑んだ。内容に対してじゃない。八尺様の声に対してだ。
その声でグレンに語りかけること以前に、まさかここでこの声を聞くことになるなんて誰が思っただろう?
――生きていたんだ。しかも、私たちの知らないところで、この八尺様となにか関係が生まれたらしい。生存確認できたけど、全然嬉しくない。むしろ、複雑。
「お礼って、もしかして観覧車の……」
ああ、グレンは声に対してなにも疑問に思わなかったらしい。八尺様は小さく頷いた後、さっぱりしたような雰囲気で数歩進み、踵を返して再び私たちの方を向いた。今度はなんだ?
「ぽぽぽ」
お手本になりそうなぐらいに綺麗なお辞儀をして、再び踵を返し、軽やかな足取りで行ってしまった……。
「ずいぶん律儀だなぁ……」
八尺様に遭う日が来るとも思っていなかったけど、まさか頭を撫でられてお辞儀されるなんて。グレン、観覧車で八尺様になにをしたんだ? グレンが八尺様に対して親切なことをしたから、ついでに私を助けてくれたってことだよね?
「――アシュ。一生の頼みだ。ネーベルを貸してくれ」
ああ、八尺様との遭遇以上にまずいことが起こっている……。そうだよね。八尺様があの声で喋った時点で、こうなることは覚悟するべきだった。
「追いかけても無駄だと思うよ、ヒノリちゃん」
「あの女、絶対アイツと知り合いだろ! 追いかける! 追いかけてあいつがどこにいるか聞き出すっ!」
「はァ? めんどくせェからヤだ」
ネーベルがこんな性格でよかった! ヒノリだったら、地の果てでも追いかけるって言いかねないもん。
「ヤシャ、これは……どういう状況?」
唯一事態を把握できていないグレンは、とりあえずヤシャに訊ねることにしたようだ。うんうん、そうだね。いまここでヒノリ本人に話を振ったら、火に油を注ぐようなものだからね。私に聞いたら、八尺様を追いかけようとする彼女を抑えられなくなるからね!
「ヒノがイノに過剰反応してるだけだ」
「イノって誰?」
「あ、聞いてねーのか。ヒノの双子の兄貴だよ」
「ヒノリってきょうだいいたんだ。しかも双子、」
そうなんだよ。実はヒノリも双子だし、お兄ちゃんがいるんだ。
ところが、「イノ」ことイノリは、4年前に竜動 で行方不明になってしまった。ヒノリが渡英した一番の理由は、彼を探すためでもあるんだが……。
「今回のニセモノは十中八九あいつの仕業だろ! なぁ⁈」
「ちょっとなに言ってるかわかんないですネー……」
「ヒノリ……ずいぶん殺気立ってない?」
「ヒノがイノ大っ嫌いだからな。4分の3殺しにしないと気が済まないってよく言ってるぜ」
「いや、ほとんど死んでる。それはほとんど殺してる」
ヤシャは全然説明する気がなさそうだ。まあ、物語の尺的にもあんまり掘り下げて語る余裕もないし? 強いて言えば、実の妹がそこまでの殺意を抱くようなことを散々してきたんだよ、イノリは。あえてしらばっくれたけど、彼ならニセ八尺様の目をわざと私に似せることぐらいは平気でする。というか、ニセモノを魔術で作り出すこともできる……。
「ヒノリちゃんごめんね!」
「あぐっ」
疲れ果ててもうなにもかもめんどくさくなったから、無理やりヒノリを気絶させて終わりにした。
†
「なんでまた男女で別れて寝てんだ? 野郎ども、ヒノリチャンにベッド譲ってやれよ。仕事帰りで来てくれたんだから」
「あたしは⁈」
「お前は床でも平気だろ」
疲れ切った私は2階に行くのも諦めて1階で就寝、ヤシャとグレンは部屋でそのまま眠ったという。ああ、気絶させたヒノリはちゃんとベッドに寝かせたよ。
目を覚ましたらすっかりお昼を回った頃だった。しかも、シャオが帰ってきている。そんなに私たちと遊びたかったのか?
「帰ってくる途中で、ハッシャクサマっぽいモノを見たぜ。なんで竜動にいるんだろうな」
シャオのその言葉に、私たちは過剰に反応せざるを得なかった。ちなみに、シャオが見た八尺様は、竜動名物の2階建てバスと背比べをしていたらしい。
そして、この日以来、竜動のあちこちで身長2メートル超えの清楚系巨女が観光を楽しんでいるというホラーな噂が聞こえてくるようになったのだった……。
あ、身体も縮み始めているね?
「お嬢。終わったンなら褒美寄越せ」
「あー、はいはい……」
自分はさも関係ないと言わんばかりのネーベルは、私が撫でてあげるたびに喉をゴロゴロ鳴らしている。ネーベルのご褒美タイムを初めて目の当たりにしたヒノリは、ちょっと引き気味だ。
「キャス・パ・リーグの褒美って、」
「なでなでタイムとおいしいご飯」
「そんなんでいいのかよ?」
「いいんだってさ」
しかもこれ、契約を紡ぐ時にネーベルが私に提示してきたんだからね? いまのヒノリみたいに呆れられたってネーベルは気にしない。だって猫だもん。ちなみに、好きな食べ物はチュー●だ。
「なあ、八尺様消えてなくねーか」
「ああ……本当だ。力が足りなかったか?」
いつもだったら綺麗に消えるはずが、八尺様の死体はまだ地面に臥したまま残っていた。うーん? 魔術で造られたモノだから、呪術は相性悪いのかな。
「あたしがやってみよっか? 魔法だったら綺麗に消せるかも」
「頼む。流石に疲れた……」
ヒノリにとっては、仕事をこなしてからの八尺様
気を遣ってくれたのか、「乗れ」と促されてネーベルの背中にヒノリと一緒に跨った。そして、ネーベルはベランダからふわりと跳び降りる。優しい風が3階からの着地の衝撃を和らげてくれた。風を使うのが上手いんだよなあ、ネーベルは。
「アシュ、魔法使うの? 見たい――」
グレンの声が、右手に持ったスマホから聞こえてきたその時だ。
――いままで死んだかのように静かだった八尺様が、突如上半身を起こした。
「あ、」
赤い目をギラつかせながら、掌を私に向けている。そのシーンが、なぜかスローモーションでもかかっているかのように見えた。やばい! 殺される――!
建物に叩きつけられるか、叩き殺されるのか、わからなかったからとりあえず全方位に
「えっ?」
ギッ……グェッ!
そして、今度は誰かの拳が上体を起こした八尺様に容赦なく振り下ろされる。拳が八尺様を殴った瞬間、ピキピキッとなにかにヒビが走ったような音が聞こえて――八尺様が、呆気なく砕けてしまった。
細かい破片になった彼女を、私を追い越していった女が念入りに踏み砕いている……。
「――は、」
「ハッシャクサマ⁈」
誰が喋ったのかはわからない。ただ、その声でやっと私は助けてくれた相手を認識した。
ついさっき粉々に砕けた八尺様と全く同じ姿の、白い帽子に白いワンピースを纏った清楚な感じの巨女――八尺様だった。
「よぉ、ホンモノ。ニセモノに我慢できずに飛び出してきたか」
ネーベルは呑気に喋り出した。え、ホンモノ? このタイミングでホンモノが来ちゃったの⁈
八尺様がネーベルに答えることはなかったが、じっと私を見て来た。
「お嬢を取り殺すってンなら容赦はしねェぞ。止めとけ。アンタにゃ手に負えねェよ」
「ぽ、」
あ、鳴いた。伝承通りの鳴き声だ。いや、鳴き声って言い方であってるのか??
喋っているのはネーベルばかりで、慌てて破魔矢を構えたヒノリも、窓から見下ろしているヤシャとグレンも、誰も言葉を紡げなかった。本物に怖気づいたというよりも、なんて言っていいのかがわからなくて言葉を探しているような……そんな沈黙が続く。
「あ、ありがとうございました」
だが、ニセモノから助けてくれたお礼は言わなきゃいけない、と私は口を動かしてた。
真っ暗闇を思わせるようなどこまでも黒くて底が見えない目は、なにを考えているのかが全然わからない。ああ、ホンモノは赤い目じゃないんだな――
「ぽ、」
次の瞬間、八尺様はニセモノを粉砕した手で私の頭を撫でてきた。
「「え??」」
近くで見ていたヒノリも、当の私もそれしか声が出なかった。
八尺様は、今度は探偵局の2階を見上げた。視線の先はグレン……ってあいつ、八尺様に見られて大丈夫か⁈
警戒して邪眼を発動しかけたヤシャを気にすることなく、八尺様は徐に喉元に手を当てた。
「これをお礼ということにさせてくれ、少年」
見た目に反した男の声で、八尺様は間違いなくグレンに向かってそう言った。
「え……」
思わず息を呑んだ。内容に対してじゃない。八尺様の声に対してだ。
その声でグレンに語りかけること以前に、まさかここでこの声を聞くことになるなんて誰が思っただろう?
――生きていたんだ。しかも、私たちの知らないところで、この八尺様となにか関係が生まれたらしい。生存確認できたけど、全然嬉しくない。むしろ、複雑。
「お礼って、もしかして観覧車の……」
ああ、グレンは声に対してなにも疑問に思わなかったらしい。八尺様は小さく頷いた後、さっぱりしたような雰囲気で数歩進み、踵を返して再び私たちの方を向いた。今度はなんだ?
「ぽぽぽ」
お手本になりそうなぐらいに綺麗なお辞儀をして、再び踵を返し、軽やかな足取りで行ってしまった……。
「ずいぶん律儀だなぁ……」
八尺様に遭う日が来るとも思っていなかったけど、まさか頭を撫でられてお辞儀されるなんて。グレン、観覧車で八尺様になにをしたんだ? グレンが八尺様に対して親切なことをしたから、ついでに私を助けてくれたってことだよね?
「――アシュ。一生の頼みだ。ネーベルを貸してくれ」
ああ、八尺様との遭遇以上にまずいことが起こっている……。そうだよね。八尺様があの声で喋った時点で、こうなることは覚悟するべきだった。
「追いかけても無駄だと思うよ、ヒノリちゃん」
「あの女、絶対アイツと知り合いだろ! 追いかける! 追いかけてあいつがどこにいるか聞き出すっ!」
「はァ? めんどくせェからヤだ」
ネーベルがこんな性格でよかった! ヒノリだったら、地の果てでも追いかけるって言いかねないもん。
「ヤシャ、これは……どういう状況?」
唯一事態を把握できていないグレンは、とりあえずヤシャに訊ねることにしたようだ。うんうん、そうだね。いまここでヒノリ本人に話を振ったら、火に油を注ぐようなものだからね。私に聞いたら、八尺様を追いかけようとする彼女を抑えられなくなるからね!
「ヒノがイノに過剰反応してるだけだ」
「イノって誰?」
「あ、聞いてねーのか。ヒノの双子の兄貴だよ」
「ヒノリってきょうだいいたんだ。しかも双子、」
そうなんだよ。実はヒノリも双子だし、お兄ちゃんがいるんだ。
ところが、「イノ」ことイノリは、4年前に
「今回のニセモノは十中八九あいつの仕業だろ! なぁ⁈」
「ちょっとなに言ってるかわかんないですネー……」
「ヒノリ……ずいぶん殺気立ってない?」
「ヒノがイノ大っ嫌いだからな。4分の3殺しにしないと気が済まないってよく言ってるぜ」
「いや、ほとんど死んでる。それはほとんど殺してる」
ヤシャは全然説明する気がなさそうだ。まあ、物語の尺的にもあんまり掘り下げて語る余裕もないし? 強いて言えば、実の妹がそこまでの殺意を抱くようなことを散々してきたんだよ、イノリは。あえてしらばっくれたけど、彼ならニセ八尺様の目をわざと私に似せることぐらいは平気でする。というか、ニセモノを魔術で作り出すこともできる……。
「ヒノリちゃんごめんね!」
「あぐっ」
疲れ果ててもうなにもかもめんどくさくなったから、無理やりヒノリを気絶させて終わりにした。
†
「なんでまた男女で別れて寝てんだ? 野郎ども、ヒノリチャンにベッド譲ってやれよ。仕事帰りで来てくれたんだから」
「あたしは⁈」
「お前は床でも平気だろ」
疲れ切った私は2階に行くのも諦めて1階で就寝、ヤシャとグレンは部屋でそのまま眠ったという。ああ、気絶させたヒノリはちゃんとベッドに寝かせたよ。
目を覚ましたらすっかりお昼を回った頃だった。しかも、シャオが帰ってきている。そんなに私たちと遊びたかったのか?
「帰ってくる途中で、ハッシャクサマっぽいモノを見たぜ。なんで竜動にいるんだろうな」
シャオのその言葉に、私たちは過剰に反応せざるを得なかった。ちなみに、シャオが見た八尺様は、竜動名物の2階建てバスと背比べをしていたらしい。
そして、この日以来、竜動のあちこちで身長2メートル超えの清楚系巨女が観光を楽しんでいるというホラーな噂が聞こえてくるようになったのだった……。