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尾形
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Q./尾形
とある夏の暑い日。通勤中の私は突然遠い昔の記憶を思い出した。
その記憶は本当に朧気で、聞いたことあるような、ないようなただ不思議な響きだけが頭にこだましている。
なんで急に思い出したんだろう。いや、なんで忘れていたのだろう。私だけの大切な記憶だったはずなのに。
いてもたってもいられない気持ちになった。行かなくちゃ。
そもそもこんな衝動的なことを思うのはおかしいと自分でも思う。普段の私は積極的な方ではなく、むしろ周りに溶け込んで目立たなく生きていくスタンスで、こっそりと周囲を観察するのが趣味だった。忙しそうにしている人、最高に楽しそうな人、何か悩んでいるような人……そんな人々を遠くから見ているのが好きな、物静かな人間である。根暗とも言う。
いつもの通勤電車の中で、高速で過ぎ去っていく街並みが視界に入る。
社会人生活が長くなると子供の頃のような万能感は消え去る。あっという間に時間は過ぎるし、人とのふれあい方や距離感を覚えてどこか冷めるのだ。楽しいこともストレスも、何もかも色んなことを諦めてやり過ごして生活しているような気がしていた。
不思議な感覚に戸惑っている間にちょうど電車が止まった。まだ目的地ではない。でも、「ここだ」と直感で思った。なぜだか無性に降りなくちゃいけないような気がした。
私は吸い込まれるように立ち上がり開くドアの前に近づく。扉が開いても一歩踏み出すのをちょっとだけ躊躇った。いつもの自分ならこんなバカげた衝動を諦めることは簡単だった。しかし今日に限ってそれができず、私はまるで高い壁を飛び越えるように電車を降りた。そして走り出した。向かうのは、遠い昔のあの夏「彼」と会った場所。
あの夏に出会ったのは不思議な少年だった。
お盆の時期だったと思う。親戚のお墓参りに行ったお寺で、彼に出会った。
お墓の掃除をしている大人たちと一緒にいたが退屈してしまった私は、広い墓場を歩き回った。形状も素材も様々で個性的な建造物が並ぶその場所は、幼い私にはまるで探検ダンジョンのようなものだった。
小さい頃の私はそれなりに好奇心というものを持っていた。だからきっと大人たちから遠く離れたところまで歩いて行ってしまったのだと思う。
坊主頭で和服を着た彼が、お墓の前で墓を囲む低い塀に腰かけていた。私と同い年くらいだと思った。こちらに気付いて塀から降りて立ち上がった彼と、ちょうど目線が同じくらいだったから。
私は彼に話しかけた。「こんにちは」とかそんなありきたりなものだったと思う。彼は無言でじっとこちらを見てきた。彼の瞳は暗く、寂しげな印象を受けた。
そこからどうやって仲良くなったのかは覚えていない。でもお寺が比較的家から近かった私は、それから夏休みの間、毎日のようにその寺に入り込んで彼と話していた。
彼の名前は「尾形百之助」。基本的に無口で物静かな百之助の口癖は「愛されたい」だった。今思えば強烈な口癖だ。とても子供が言うことではない。しかし幼い私はそんな彼に動じることなく、毎回違う言葉をプレゼントしていた。
ある時いつものように「愛されたい」とつぶやいた彼に私は「私たちはさ、これから何にだってなれるんだよ」と答えた。
彼はいつも通りの暗い目だけを動かして横目でこちらをじっと見た。
「なんにでも?」
「そう。これからがんばって勉強して、お友達たくさん作って、いっぱいいっぱい色んなことを経験したら、いつか何か凄い人になれてるかもしれないよ!」
「……凄い人って何」
「たとえば~私はね、ケーキ屋さんかお花屋さんになりたいの。あ!あとね、可愛いお嫁さんとかもいいなぁ!」
「……ふぅん」
百之助は私の言葉を聞いた後はいつものようにお墓の塀に腰掛けてぼんやりと遠くをみつめる。私はそんな彼を気にすることなく、地面に石でお絵かきを始めた。
ある日私が寺に向かうと、いつもの場所に百之助の姿はなかった。お昼まで待ったけど、誰もいなくて静かで不気味だったのを覚えている。
諦めて帰ろうとしたとき、いつもとは少し離れたお墓の前で彼を見つけた。百之助は知らない大人たちに囲まれていた。今思えば旧日本軍の軍服だったのではないかと思うが、当時の私には見たこともない制服のようなものを着ている青年や、身なりの良い着物姿の女性、格式高そうな服を着たおじさんだったりと普段街では見かけない奇妙な格好をしている大人がまず目に付いた。他にも紺色の制服を着た大勢の男の人たちや、くたびれた着物を着た老夫婦、割烹着姿の女性もいた。
私はお墓の陰からなんとなく見つからないように隠れて様子を窺った。大人たちの声は不思議とほとんど聞こえなかったが、仕草やぼんやりと見える表情からは百之助を責め立てていることがわかった。意味はわからなくても、およそ幼い子供に投げかけるものではない辛辣な言葉が百之助ひとりに向かって浴びせられているのは理解できた。子供の心は柔らかく敏感だ。良いことも悪いことも大きく響いてしまう。同じ子供だったからかもしれないが、無責任にも酷い言葉を浴びせている大人たちが許せなかった。
百之助はいつも「愛されたい」と言っていた。何度も言い過ぎてもはや歌うような滑らかさを帯びていた。それでも彼が言い続けたのは誰かが振り返って自分に応えてくれるのを待っていたのだろう。
たまらなくなった私はバッと墓石の影から飛び出すと「百之助!」と叫んだ。周りの大人たちがギクッとしたように固まったのを視界に入れながら、私は強引に百之助の腕を掴んで大人たちの輪から走り出した。今思えば、墓場の中でひしめき合っていた大人たちの間を小さな身体で縫って入ったわけではなく、大人たちそのものの体をすり抜けて行ったような気がする。
「[#da=1#]……」
戸惑ったような百之助の声が後ろから聞こえていたが、私は前だけを見て走った。今、百之助の顔を見てしまったら泣いてしまいそうだったから。
「[#da=1#]、……[#da=1#]」
何度も私の名前を呼ぶ百之助。その声は今にも泣き出しそうだった。
「私が愛すから」
振り返らない代わりに一言だけ伝える。それだけですべて伝わったのだろう、百之助は安堵したような声で「ありがとう」と呟いたあと、消えてしまった。
百之助の腕の感覚が突然なくなって驚いた私は立ち止まって振り返る。百之助がいない。暑い夏の昼下がり、私の手には冷たい百之助の腕の感覚だけが残っていた。
百之助は愛情が欲しかった。ただそれだけ。
今となっては幻だったと思うが、あの日百之助の周りを取り囲んだ大人たちはなんだったのか。少しくらい愛情を分け与えてあげたって良かったのではないか。
彼らが百之助とどんな関係性だったのかは知らないが、あのときの距離の近さから愛した瞬間が皆無だったとは思えない。幼い百之助を口汚く罵っていたのは何かの間違いであってほしい。何か不運な行き違いがあったせいでこじれてしまっただけで、百之助の関わりのある人間たちに全くの悪人などいないと信じたい。そうでもしないと大人になって全てを思い出した今、私が耐えきれず発狂しそうだった。
大人になってから全力で走る機会などない。ましてや子供の頃よりずっと衰えているし、スーツは走るのに適していない。シャツにはシワが寄って夏の強い日差しに汗もかいてグチャグチャになりながらがむしゃらに走った。
そしてたどり着いた先はあのお寺。昔と変わらず、いや、あれから少しだけ時間の経過を感じられる様子になっていた。経年劣化って言うんだっけ。
ヨロヨロと運動不足で攣りそうな足を動かして、まずは百之助があの日大人たちに囲まれていたお墓の前にやってきた。
あのときは読めなかったけど、お墓には「花沢家之墓」とある。とても豪華な作りで装飾や素材から周囲の墓とは違う雰囲気を纏っている。綺麗な花が手向けられていて、手入れも行き届いている。
百之助はたしか「尾形」だった。名字が違う。親戚だろうか。彼はあの日名字すら違う親戚に責められていたのだろうか。
このお墓に手を合わせるのは正直なところ嫌だったので、彼がいつもいた定位置のお墓へ向かった。そこのお墓には「尾形家之墓」とある。花沢家と比較するとこじんまりとしているし手入れもされていない。これだけでなんとなく、事情が察せてしまうのが大人の悲しいところ。後ろを見ると尾形百之助の文字があった。享年二十五?私が会った百之助は少なくとも小学校低学年にしか見えなかったが。彼の精神年齢が齢一桁で止まったということだろうか。
私は尾形家の墓の前で静かに手を合わせた。必死に走ってきたのでお線香もお花もない。そのまま小さな声で「私は愛してるからね」と呟いた。大人になってストレスや理不尽など色んな事を知ってあの頃とは大きく変わってしまった私の中で、これだけは唯一変わらない正直な気持ちだった。
手を合わせて間髪入れずに背後から「それは有り難いな」と低い男性の声が聞こえてきて、私は飛び上がった。
振り返ると男性がこちらをにんまりと笑って見ていた。坊主ではなくツーブロックオールバックでスーツを着ていて顎髭を生やしていて、変な傷跡が両頬にある。こんな人相の悪い男は知り合いにはいない。でも私は彼の大きくて暗い瞳、それだけで百之助だと直感で分かった。
「百之助……!」
「久しぶりだな、[#da=1#]」
大人になった彼の目線は私を見下ろしていた。私は動揺して口をパクパクと打ち上げられた魚のように動かしていた。
「なんでここに……」
「いつもここで会ってたろ」
百之助は私に近づくと、汗で張り付いていた私の前髪を払って顔をじっと見つめてきた。
「ここにいれば、会えると思ったから。今度は[#da=1#]が愛してくれるんだろ?」
百之助のその目はどこか挑発的でありながら、私を慈しむような感情も読み取れた。
私はすっかり変わってしまった百之助の見た目とは裏腹に、中身は全く変わっていない様子であることに安堵を覚える。私は彼に応えるように見つめ返しつつも、照れ隠しに少し意地悪な口調で問いかけた。
「そうだね。じゃあ私が愛してあげる代わりに、百之助は何してくれるの?」
「お前はお嫁さんになりたかったんだよな。叶えてやるよ」
「……よく覚えてるね」
「俺の可愛いお嫁さんのことだからな」
百之助は私の顎を持ち上げるとそのまま優しく唇を重ねた。
~おまけ~
「ねぇ百之助、享年二十五ってお墓の裏に……」
「前世」
「?」
「[#da=1#]の生まれる前の話だ」
「なにそれ?」
「知らなくていい、今が幸せだから」
「ふぅん?そっか」
おわり
とある夏の暑い日。通勤中の私は突然遠い昔の記憶を思い出した。
その記憶は本当に朧気で、聞いたことあるような、ないようなただ不思議な響きだけが頭にこだましている。
なんで急に思い出したんだろう。いや、なんで忘れていたのだろう。私だけの大切な記憶だったはずなのに。
いてもたってもいられない気持ちになった。行かなくちゃ。
そもそもこんな衝動的なことを思うのはおかしいと自分でも思う。普段の私は積極的な方ではなく、むしろ周りに溶け込んで目立たなく生きていくスタンスで、こっそりと周囲を観察するのが趣味だった。忙しそうにしている人、最高に楽しそうな人、何か悩んでいるような人……そんな人々を遠くから見ているのが好きな、物静かな人間である。根暗とも言う。
いつもの通勤電車の中で、高速で過ぎ去っていく街並みが視界に入る。
社会人生活が長くなると子供の頃のような万能感は消え去る。あっという間に時間は過ぎるし、人とのふれあい方や距離感を覚えてどこか冷めるのだ。楽しいこともストレスも、何もかも色んなことを諦めてやり過ごして生活しているような気がしていた。
不思議な感覚に戸惑っている間にちょうど電車が止まった。まだ目的地ではない。でも、「ここだ」と直感で思った。なぜだか無性に降りなくちゃいけないような気がした。
私は吸い込まれるように立ち上がり開くドアの前に近づく。扉が開いても一歩踏み出すのをちょっとだけ躊躇った。いつもの自分ならこんなバカげた衝動を諦めることは簡単だった。しかし今日に限ってそれができず、私はまるで高い壁を飛び越えるように電車を降りた。そして走り出した。向かうのは、遠い昔のあの夏「彼」と会った場所。
あの夏に出会ったのは不思議な少年だった。
お盆の時期だったと思う。親戚のお墓参りに行ったお寺で、彼に出会った。
お墓の掃除をしている大人たちと一緒にいたが退屈してしまった私は、広い墓場を歩き回った。形状も素材も様々で個性的な建造物が並ぶその場所は、幼い私にはまるで探検ダンジョンのようなものだった。
小さい頃の私はそれなりに好奇心というものを持っていた。だからきっと大人たちから遠く離れたところまで歩いて行ってしまったのだと思う。
坊主頭で和服を着た彼が、お墓の前で墓を囲む低い塀に腰かけていた。私と同い年くらいだと思った。こちらに気付いて塀から降りて立ち上がった彼と、ちょうど目線が同じくらいだったから。
私は彼に話しかけた。「こんにちは」とかそんなありきたりなものだったと思う。彼は無言でじっとこちらを見てきた。彼の瞳は暗く、寂しげな印象を受けた。
そこからどうやって仲良くなったのかは覚えていない。でもお寺が比較的家から近かった私は、それから夏休みの間、毎日のようにその寺に入り込んで彼と話していた。
彼の名前は「尾形百之助」。基本的に無口で物静かな百之助の口癖は「愛されたい」だった。今思えば強烈な口癖だ。とても子供が言うことではない。しかし幼い私はそんな彼に動じることなく、毎回違う言葉をプレゼントしていた。
ある時いつものように「愛されたい」とつぶやいた彼に私は「私たちはさ、これから何にだってなれるんだよ」と答えた。
彼はいつも通りの暗い目だけを動かして横目でこちらをじっと見た。
「なんにでも?」
「そう。これからがんばって勉強して、お友達たくさん作って、いっぱいいっぱい色んなことを経験したら、いつか何か凄い人になれてるかもしれないよ!」
「……凄い人って何」
「たとえば~私はね、ケーキ屋さんかお花屋さんになりたいの。あ!あとね、可愛いお嫁さんとかもいいなぁ!」
「……ふぅん」
百之助は私の言葉を聞いた後はいつものようにお墓の塀に腰掛けてぼんやりと遠くをみつめる。私はそんな彼を気にすることなく、地面に石でお絵かきを始めた。
ある日私が寺に向かうと、いつもの場所に百之助の姿はなかった。お昼まで待ったけど、誰もいなくて静かで不気味だったのを覚えている。
諦めて帰ろうとしたとき、いつもとは少し離れたお墓の前で彼を見つけた。百之助は知らない大人たちに囲まれていた。今思えば旧日本軍の軍服だったのではないかと思うが、当時の私には見たこともない制服のようなものを着ている青年や、身なりの良い着物姿の女性、格式高そうな服を着たおじさんだったりと普段街では見かけない奇妙な格好をしている大人がまず目に付いた。他にも紺色の制服を着た大勢の男の人たちや、くたびれた着物を着た老夫婦、割烹着姿の女性もいた。
私はお墓の陰からなんとなく見つからないように隠れて様子を窺った。大人たちの声は不思議とほとんど聞こえなかったが、仕草やぼんやりと見える表情からは百之助を責め立てていることがわかった。意味はわからなくても、およそ幼い子供に投げかけるものではない辛辣な言葉が百之助ひとりに向かって浴びせられているのは理解できた。子供の心は柔らかく敏感だ。良いことも悪いことも大きく響いてしまう。同じ子供だったからかもしれないが、無責任にも酷い言葉を浴びせている大人たちが許せなかった。
百之助はいつも「愛されたい」と言っていた。何度も言い過ぎてもはや歌うような滑らかさを帯びていた。それでも彼が言い続けたのは誰かが振り返って自分に応えてくれるのを待っていたのだろう。
たまらなくなった私はバッと墓石の影から飛び出すと「百之助!」と叫んだ。周りの大人たちがギクッとしたように固まったのを視界に入れながら、私は強引に百之助の腕を掴んで大人たちの輪から走り出した。今思えば、墓場の中でひしめき合っていた大人たちの間を小さな身体で縫って入ったわけではなく、大人たちそのものの体をすり抜けて行ったような気がする。
「[#da=1#]……」
戸惑ったような百之助の声が後ろから聞こえていたが、私は前だけを見て走った。今、百之助の顔を見てしまったら泣いてしまいそうだったから。
「[#da=1#]、……[#da=1#]」
何度も私の名前を呼ぶ百之助。その声は今にも泣き出しそうだった。
「私が愛すから」
振り返らない代わりに一言だけ伝える。それだけですべて伝わったのだろう、百之助は安堵したような声で「ありがとう」と呟いたあと、消えてしまった。
百之助の腕の感覚が突然なくなって驚いた私は立ち止まって振り返る。百之助がいない。暑い夏の昼下がり、私の手には冷たい百之助の腕の感覚だけが残っていた。
百之助は愛情が欲しかった。ただそれだけ。
今となっては幻だったと思うが、あの日百之助の周りを取り囲んだ大人たちはなんだったのか。少しくらい愛情を分け与えてあげたって良かったのではないか。
彼らが百之助とどんな関係性だったのかは知らないが、あのときの距離の近さから愛した瞬間が皆無だったとは思えない。幼い百之助を口汚く罵っていたのは何かの間違いであってほしい。何か不運な行き違いがあったせいでこじれてしまっただけで、百之助の関わりのある人間たちに全くの悪人などいないと信じたい。そうでもしないと大人になって全てを思い出した今、私が耐えきれず発狂しそうだった。
大人になってから全力で走る機会などない。ましてや子供の頃よりずっと衰えているし、スーツは走るのに適していない。シャツにはシワが寄って夏の強い日差しに汗もかいてグチャグチャになりながらがむしゃらに走った。
そしてたどり着いた先はあのお寺。昔と変わらず、いや、あれから少しだけ時間の経過を感じられる様子になっていた。経年劣化って言うんだっけ。
ヨロヨロと運動不足で攣りそうな足を動かして、まずは百之助があの日大人たちに囲まれていたお墓の前にやってきた。
あのときは読めなかったけど、お墓には「花沢家之墓」とある。とても豪華な作りで装飾や素材から周囲の墓とは違う雰囲気を纏っている。綺麗な花が手向けられていて、手入れも行き届いている。
百之助はたしか「尾形」だった。名字が違う。親戚だろうか。彼はあの日名字すら違う親戚に責められていたのだろうか。
このお墓に手を合わせるのは正直なところ嫌だったので、彼がいつもいた定位置のお墓へ向かった。そこのお墓には「尾形家之墓」とある。花沢家と比較するとこじんまりとしているし手入れもされていない。これだけでなんとなく、事情が察せてしまうのが大人の悲しいところ。後ろを見ると尾形百之助の文字があった。享年二十五?私が会った百之助は少なくとも小学校低学年にしか見えなかったが。彼の精神年齢が齢一桁で止まったということだろうか。
私は尾形家の墓の前で静かに手を合わせた。必死に走ってきたのでお線香もお花もない。そのまま小さな声で「私は愛してるからね」と呟いた。大人になってストレスや理不尽など色んな事を知ってあの頃とは大きく変わってしまった私の中で、これだけは唯一変わらない正直な気持ちだった。
手を合わせて間髪入れずに背後から「それは有り難いな」と低い男性の声が聞こえてきて、私は飛び上がった。
振り返ると男性がこちらをにんまりと笑って見ていた。坊主ではなくツーブロックオールバックでスーツを着ていて顎髭を生やしていて、変な傷跡が両頬にある。こんな人相の悪い男は知り合いにはいない。でも私は彼の大きくて暗い瞳、それだけで百之助だと直感で分かった。
「百之助……!」
「久しぶりだな、[#da=1#]」
大人になった彼の目線は私を見下ろしていた。私は動揺して口をパクパクと打ち上げられた魚のように動かしていた。
「なんでここに……」
「いつもここで会ってたろ」
百之助は私に近づくと、汗で張り付いていた私の前髪を払って顔をじっと見つめてきた。
「ここにいれば、会えると思ったから。今度は[#da=1#]が愛してくれるんだろ?」
百之助のその目はどこか挑発的でありながら、私を慈しむような感情も読み取れた。
私はすっかり変わってしまった百之助の見た目とは裏腹に、中身は全く変わっていない様子であることに安堵を覚える。私は彼に応えるように見つめ返しつつも、照れ隠しに少し意地悪な口調で問いかけた。
「そうだね。じゃあ私が愛してあげる代わりに、百之助は何してくれるの?」
「お前はお嫁さんになりたかったんだよな。叶えてやるよ」
「……よく覚えてるね」
「俺の可愛いお嫁さんのことだからな」
百之助は私の顎を持ち上げるとそのまま優しく唇を重ねた。
~おまけ~
「ねぇ百之助、享年二十五ってお墓の裏に……」
「前世」
「?」
「[#da=1#]の生まれる前の話だ」
「なにそれ?」
「知らなくていい、今が幸せだから」
「ふぅん?そっか」
おわり