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有坂閣下
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煙草と酒/有坂閣下
「だーーー……もぉ無理~やってらんなぁぁい」
研究員である夢主は残業続きで疲労困憊。仕事の進捗の悪さにげんなりした表情を浮かべて休憩所を訪れた。
本日何本目かもわからないブラックコーヒーを自販機で購入してその場で一口飲む。飲みながら夢主がふと視線を感じて振り返ると、喫煙スペースの中からひとりの男性がこっちを見ていた。驚いてコーヒーを吹き出しかけた夢主が咽せていると、喫煙所のガラス越しに中にいた男性が「ごめん」のポーズをとった。
夢主が驚いた理由は二つある。一つはそもそも自分の他に誰かがいるとは思っていなかったから。もう一つはそこにいた男性が研究所のトップであり更に言うならば研究分野の第一人者でもある有坂であったからた。
「こんな時間まで残業かい⁉ご苦労様だね!」
有坂は喫煙所の扉から顔だけを出して夢主に話しかける。夢主は口元を拭いながら動揺を隠せずに挨拶を返した。
「げほっ、お……お疲れ様です、ごほっ」
「大丈夫かね⁉」
有坂は喫煙所から出てくると夢主の背中をとんとん、と叩いてやる。夢主はなんとか落ち着くと苦笑しながら有坂へ問いかけた。
「す、すみません大丈夫です。有坂さんはこんな時間までどうしたんですか」
「いやぁ、接待に誘われたけど面倒だったから研究がある!って断ったんだよ!それでね、ついでにそのまま本当に研究してたんだけど、気がついたらこんな時間だったんだよ‼」
「それは……凄い集中力ですね」
夢主が驚いた様子を見せると、有坂は夢主の顔をじっと見つめた。
「?」
「疲れているようだが、大丈夫かね⁉」
それを聞いた夢主は小さくため息をついた。普段の夢主だったら有坂は恐れ多くて話かけられもしないが、疲労困憊の今だからこそいつも通りに話すことができた。
「情けない話、行き詰まっていまして。有坂さんは行き詰まったとき、何してますか?」
「私はもっぱら煙草か酒だねぇ」
夢主の問いに対して有坂はさらりと言ってのける。若い頃から煙草と酒だけは辞められないと少し恥ずかしそうに有坂は付け足していた。
そんな有坂の様子を見た夢主は、有坂が予想だにしていない提案をした。
「なるほど……じゃあ、私も煙草吸ってみたいんですけど一本もらえますか?」
「え⁉」
「だめですか?」
いつもなら突拍子もない発想など絶対にしない夢主がこんなことを言い出したのは連日の疲れが原因だろう。しかし夢主本人はそのことに気がついていない。夢主が有坂の顔を覗き込むと、有坂は気まずそうに目をそらす。少しの間迷った挙げ句、有坂は喫煙所の扉を開けた。
「私は構わないけど……まぁ試してみようか」
2人で喫煙所に入り、有坂にレクチャーされながら紙巻き煙草を口に咥えた夢主は有坂に火をつけてもらった。
初めの一吸いこそ盛大に咽せた夢主だったが、ゆっくりと少しずつ吸ううちに「こんなもんか」と感想を抱いていた。
「どうだい?」
有坂は心配そうに夢主を見守る。「無理に吸う必要はないんだよ」と付け足す有坂の表情があまりに普段の様子とかけ離れていた夢主は思わず笑ってしまった。
「ふふ、そうですね……案外悪くないかもしれません」
「そうかそうか、それは良かった!」
ほっとした表情を浮かべる有坂を横目に、夢主は慣れない手つきで煙草をふかした。
無事初めての煙草体験を終えたところで、有坂は夢主にこう切り出した。
「夢主くんは夕飯はまだかね⁉」
「はい、まだですけど……」
ついさっきまで非喫煙者だった夢主は煙草の火が消えているのか心配なのか、ぐりぐりと念入りに煙草を灰皿に押し付けながら返答する。
「では私の行き着けで一杯どうかね⁉庶民的なところだから、女性は嫌がるかな⁉お洒落なところが良いかい⁉」
有坂は一人でたくさん喋り、コロコロと表情を変える。夢主はそんな有坂に笑いを零すと共に、嬉しそうに答えた。
「ふふふ、ぜひ。有坂さんのいつものところ、お供させてください」
やってきたのはなんてことはない個人経営の小さな居酒屋だった。店内も素朴で客層も落ち着いた年配者が多い。常連が多いようで有坂が顔を出すと「成蔵じゃねぇか」「成ちゃんだ!」「どうだい最近は!」とあちらこちらから声が上がった。
常連の一人が有坂の後ろにいた夢主に気がつくと「え!ついに成ちゃんにも春が来たってか⁉」と声を上げる。有坂は「ガハハ」と笑い飛ばすと「こちらは私の部下の夢主くんだよ!これから口説くんだから、皆手を出すなよぉ‼」と周囲を威嚇して笑いを取っていた。夢主は苦笑しながら有坂と向かい合わせのテーブルについた。
しばらくは常連たちと近況報告や仕事の話などをしていた。有坂はメニューも見ずに店の主人にあれこれ注文し、店主も慣れた様子で有坂がボトルキープしていた焼酎の瓶を持ってきていた。
「夢主くんは何を飲む?」
「有坂さんと同じものをください」
夢主は落ち着いた様子でそう告げる。有坂は少し意外そうな表情を浮かべて「意外と飲むんだね」と笑う。夢主は微笑みで返した。
その後は普通に食事を楽しみ、研究の話をしつつ時折常連たちとも会話を楽しんで過ごしていた夢主だが、食事が落ち着いたタイミングで少しだけ身を乗り出して有坂に声をかける。
「有坂さん。煙草、また一本くれませんか?」
「おぉ⁉ハマってしまったかね⁉いいよぉ‼」
有坂は驚いた表情を浮かべたが、どこか嬉しそうに笑うとすぐに快諾して煙草を取り出した。夢主はライターを借りて自分で火をつける。
有坂も同じく煙草に手をのばしたので夢主が火をつけてあげた。しばらく2人でただ煙草を吸うだけの時間が過ぎる。有坂が顔を背けて煙草の煙を吐き出し、横目で視線だけ夢主の方へ向けて問いかけた。
「ふぅ……どうだい、煙草の味は」
「ん……悪くないですね」
「そうかそうか、では我々は煙草仲間だね」
有坂はふっと笑うと、また一吸いする。夢主はそんな有坂を目を細めて見つめると、視線を下げて煙と共に笑みを零した。
「これからはお供しますよ」
その日は楽しく呑んでお開きとなった。断ろうとする夢主に無理矢理タクシー代を握らせ、有坂は笑顔で手を振った。
「また時々こうやって飲みに付き合ってくれればそれで良い!今日はありがとう!」
夢主は走り出したタクシーの中で一人俯いた。顔が熱い。普段は飲まない酒のせいだけではないだろう。酔っ払った頭の中でぐるぐると今日のことを反芻した結果「あぁ、完全に落ちてしまった」と結論が出た。
その後連絡先を交換した二人は、頻繁に2人きりで飲みに行っていた。
ある日有坂が仕事の話のついでに飲みの誘いをしようと夢主のいる部屋へ入ろうとしていると、たまたま同僚と夢主が話している声が聞こえてきた。
夢主の同期である男性職員は、夢主に気があるのか馴れ馴れしく夢主に話しかけている。
「夢主さん、今日飲み会があるんだけど……やっぱり無理?」
それに対して夢主は平坦な声でアッサリと誘いを断る。まるで付け入る隙を与えないようなさっぱりとした断り方だった。
「あぁ……すみません。私お酒も煙草もダメなんで」
「そっか。じゃあまた今度食事でも!」
「機会があれば」
終始夢主の声のトーンは低く平坦である。有坂は自分の前では柔らかく笑う夢主しか見てこなかったため、夢主のこの対応には心底驚いた。
有坂がどうしようか迷っていると夢主に振られた同僚男性が廊下に出てきた。彼は廊下で突っ立っている有坂に気がつくと少し驚いた様子で挨拶をする。
「あ、有坂さん。お疲れ様です」
「おぉ、ご苦労様!……キミ、ちょっと良いかね」
「はい?」
有坂に呼び止められた同僚は怪訝そうな顔を浮かべる。有坂は言いづらそうに咳払いを一つしてから問いかけた。
「ごほん……夢主くんはその、酒も煙草もやらないのかね?」
「え?あぁ、そうですよ。いつも部署で飲み会があってもどっちも苦手だからと断られています」
「……そうか、ありがとう」
有坂はしばらく黙って考えるも全く納得できぬまま、質問の意図が掴めずにいる同僚男性と分かれた。
動揺した有坂は気持ちを落ち着かせようと喫煙所に入る。喫煙所内には誰も居なかった。
有坂がいつも夢主と使っているこの喫煙所は、別棟にある。多くの喫煙者は新棟にある新しく清潔で広い喫煙所を使用するので、この狭く寂れた喫煙所は現状有坂と夢主しかほぼ利用していない。
半透明なガラスで覆われた喫煙所に有坂がいると、基本的には誰もやってこない。稀にやって来たとしても有坂へのゴマすりが目的で、皆長居はしないのである。これまで有坂にとって喫煙所は、ひとりで考え事をするには丁度良い場所であった。
しかし最近の夢主だけは違った。夢主はいつも有坂を見かけると、嬉しそうに喫煙所に入ってくる。そして最近見つけたというお気に入りの銘柄の煙草をすっかり慣れた様子で吸うのである。
有坂は「今だけは来てくれるなよ」と心の中で願いながら煙を吸い込んでいると、願いは叶わずこういう時に限って夢主がやってきた。
「有坂さん、お疲れ様です」
「おぉ、夢主くんご苦労様」
有坂は先ほどの場面を見てしまったのでどこか気まずい感情を抱きながら、いつものトーンを心掛けて挨拶をする。
夢主はにこりと微笑みかけると煙草を取り出す。有坂は夢主が煙草を咥えるのを横目で見て、年甲斐もなくドキドキとしてしまう己にどこか罪悪感めいたものを抱いていた。
しばらく2人は沈黙していたが、有坂は耐えきれなくなりぽつりと呟いた。
「……なぁ、夢主くんは酒も煙草もやらないと言うのは本当かい?」
「はい?」
夢主が聞き返す。聞き取れなかったわけではない。突然の質問に驚いたのだった。
夢主は少しの間考え込むような素振りを見せたが、有坂の意図を理解したのか「ふふふ」と笑いを零した。
「元々は煙草もお酒もやりませんでしたよ」
「では何故……」
有坂の問いに夢主はふわりと柔らかく微笑んだ。
「好きな人となら、何だってやりたくなっちゃうものなんですよ」
おわり
「だーーー……もぉ無理~やってらんなぁぁい」
研究員である夢主は残業続きで疲労困憊。仕事の進捗の悪さにげんなりした表情を浮かべて休憩所を訪れた。
本日何本目かもわからないブラックコーヒーを自販機で購入してその場で一口飲む。飲みながら夢主がふと視線を感じて振り返ると、喫煙スペースの中からひとりの男性がこっちを見ていた。驚いてコーヒーを吹き出しかけた夢主が咽せていると、喫煙所のガラス越しに中にいた男性が「ごめん」のポーズをとった。
夢主が驚いた理由は二つある。一つはそもそも自分の他に誰かがいるとは思っていなかったから。もう一つはそこにいた男性が研究所のトップであり更に言うならば研究分野の第一人者でもある有坂であったからた。
「こんな時間まで残業かい⁉ご苦労様だね!」
有坂は喫煙所の扉から顔だけを出して夢主に話しかける。夢主は口元を拭いながら動揺を隠せずに挨拶を返した。
「げほっ、お……お疲れ様です、ごほっ」
「大丈夫かね⁉」
有坂は喫煙所から出てくると夢主の背中をとんとん、と叩いてやる。夢主はなんとか落ち着くと苦笑しながら有坂へ問いかけた。
「す、すみません大丈夫です。有坂さんはこんな時間までどうしたんですか」
「いやぁ、接待に誘われたけど面倒だったから研究がある!って断ったんだよ!それでね、ついでにそのまま本当に研究してたんだけど、気がついたらこんな時間だったんだよ‼」
「それは……凄い集中力ですね」
夢主が驚いた様子を見せると、有坂は夢主の顔をじっと見つめた。
「?」
「疲れているようだが、大丈夫かね⁉」
それを聞いた夢主は小さくため息をついた。普段の夢主だったら有坂は恐れ多くて話かけられもしないが、疲労困憊の今だからこそいつも通りに話すことができた。
「情けない話、行き詰まっていまして。有坂さんは行き詰まったとき、何してますか?」
「私はもっぱら煙草か酒だねぇ」
夢主の問いに対して有坂はさらりと言ってのける。若い頃から煙草と酒だけは辞められないと少し恥ずかしそうに有坂は付け足していた。
そんな有坂の様子を見た夢主は、有坂が予想だにしていない提案をした。
「なるほど……じゃあ、私も煙草吸ってみたいんですけど一本もらえますか?」
「え⁉」
「だめですか?」
いつもなら突拍子もない発想など絶対にしない夢主がこんなことを言い出したのは連日の疲れが原因だろう。しかし夢主本人はそのことに気がついていない。夢主が有坂の顔を覗き込むと、有坂は気まずそうに目をそらす。少しの間迷った挙げ句、有坂は喫煙所の扉を開けた。
「私は構わないけど……まぁ試してみようか」
2人で喫煙所に入り、有坂にレクチャーされながら紙巻き煙草を口に咥えた夢主は有坂に火をつけてもらった。
初めの一吸いこそ盛大に咽せた夢主だったが、ゆっくりと少しずつ吸ううちに「こんなもんか」と感想を抱いていた。
「どうだい?」
有坂は心配そうに夢主を見守る。「無理に吸う必要はないんだよ」と付け足す有坂の表情があまりに普段の様子とかけ離れていた夢主は思わず笑ってしまった。
「ふふ、そうですね……案外悪くないかもしれません」
「そうかそうか、それは良かった!」
ほっとした表情を浮かべる有坂を横目に、夢主は慣れない手つきで煙草をふかした。
無事初めての煙草体験を終えたところで、有坂は夢主にこう切り出した。
「夢主くんは夕飯はまだかね⁉」
「はい、まだですけど……」
ついさっきまで非喫煙者だった夢主は煙草の火が消えているのか心配なのか、ぐりぐりと念入りに煙草を灰皿に押し付けながら返答する。
「では私の行き着けで一杯どうかね⁉庶民的なところだから、女性は嫌がるかな⁉お洒落なところが良いかい⁉」
有坂は一人でたくさん喋り、コロコロと表情を変える。夢主はそんな有坂に笑いを零すと共に、嬉しそうに答えた。
「ふふふ、ぜひ。有坂さんのいつものところ、お供させてください」
やってきたのはなんてことはない個人経営の小さな居酒屋だった。店内も素朴で客層も落ち着いた年配者が多い。常連が多いようで有坂が顔を出すと「成蔵じゃねぇか」「成ちゃんだ!」「どうだい最近は!」とあちらこちらから声が上がった。
常連の一人が有坂の後ろにいた夢主に気がつくと「え!ついに成ちゃんにも春が来たってか⁉」と声を上げる。有坂は「ガハハ」と笑い飛ばすと「こちらは私の部下の夢主くんだよ!これから口説くんだから、皆手を出すなよぉ‼」と周囲を威嚇して笑いを取っていた。夢主は苦笑しながら有坂と向かい合わせのテーブルについた。
しばらくは常連たちと近況報告や仕事の話などをしていた。有坂はメニューも見ずに店の主人にあれこれ注文し、店主も慣れた様子で有坂がボトルキープしていた焼酎の瓶を持ってきていた。
「夢主くんは何を飲む?」
「有坂さんと同じものをください」
夢主は落ち着いた様子でそう告げる。有坂は少し意外そうな表情を浮かべて「意外と飲むんだね」と笑う。夢主は微笑みで返した。
その後は普通に食事を楽しみ、研究の話をしつつ時折常連たちとも会話を楽しんで過ごしていた夢主だが、食事が落ち着いたタイミングで少しだけ身を乗り出して有坂に声をかける。
「有坂さん。煙草、また一本くれませんか?」
「おぉ⁉ハマってしまったかね⁉いいよぉ‼」
有坂は驚いた表情を浮かべたが、どこか嬉しそうに笑うとすぐに快諾して煙草を取り出した。夢主はライターを借りて自分で火をつける。
有坂も同じく煙草に手をのばしたので夢主が火をつけてあげた。しばらく2人でただ煙草を吸うだけの時間が過ぎる。有坂が顔を背けて煙草の煙を吐き出し、横目で視線だけ夢主の方へ向けて問いかけた。
「ふぅ……どうだい、煙草の味は」
「ん……悪くないですね」
「そうかそうか、では我々は煙草仲間だね」
有坂はふっと笑うと、また一吸いする。夢主はそんな有坂を目を細めて見つめると、視線を下げて煙と共に笑みを零した。
「これからはお供しますよ」
その日は楽しく呑んでお開きとなった。断ろうとする夢主に無理矢理タクシー代を握らせ、有坂は笑顔で手を振った。
「また時々こうやって飲みに付き合ってくれればそれで良い!今日はありがとう!」
夢主は走り出したタクシーの中で一人俯いた。顔が熱い。普段は飲まない酒のせいだけではないだろう。酔っ払った頭の中でぐるぐると今日のことを反芻した結果「あぁ、完全に落ちてしまった」と結論が出た。
その後連絡先を交換した二人は、頻繁に2人きりで飲みに行っていた。
ある日有坂が仕事の話のついでに飲みの誘いをしようと夢主のいる部屋へ入ろうとしていると、たまたま同僚と夢主が話している声が聞こえてきた。
夢主の同期である男性職員は、夢主に気があるのか馴れ馴れしく夢主に話しかけている。
「夢主さん、今日飲み会があるんだけど……やっぱり無理?」
それに対して夢主は平坦な声でアッサリと誘いを断る。まるで付け入る隙を与えないようなさっぱりとした断り方だった。
「あぁ……すみません。私お酒も煙草もダメなんで」
「そっか。じゃあまた今度食事でも!」
「機会があれば」
終始夢主の声のトーンは低く平坦である。有坂は自分の前では柔らかく笑う夢主しか見てこなかったため、夢主のこの対応には心底驚いた。
有坂がどうしようか迷っていると夢主に振られた同僚男性が廊下に出てきた。彼は廊下で突っ立っている有坂に気がつくと少し驚いた様子で挨拶をする。
「あ、有坂さん。お疲れ様です」
「おぉ、ご苦労様!……キミ、ちょっと良いかね」
「はい?」
有坂に呼び止められた同僚は怪訝そうな顔を浮かべる。有坂は言いづらそうに咳払いを一つしてから問いかけた。
「ごほん……夢主くんはその、酒も煙草もやらないのかね?」
「え?あぁ、そうですよ。いつも部署で飲み会があってもどっちも苦手だからと断られています」
「……そうか、ありがとう」
有坂はしばらく黙って考えるも全く納得できぬまま、質問の意図が掴めずにいる同僚男性と分かれた。
動揺した有坂は気持ちを落ち着かせようと喫煙所に入る。喫煙所内には誰も居なかった。
有坂がいつも夢主と使っているこの喫煙所は、別棟にある。多くの喫煙者は新棟にある新しく清潔で広い喫煙所を使用するので、この狭く寂れた喫煙所は現状有坂と夢主しかほぼ利用していない。
半透明なガラスで覆われた喫煙所に有坂がいると、基本的には誰もやってこない。稀にやって来たとしても有坂へのゴマすりが目的で、皆長居はしないのである。これまで有坂にとって喫煙所は、ひとりで考え事をするには丁度良い場所であった。
しかし最近の夢主だけは違った。夢主はいつも有坂を見かけると、嬉しそうに喫煙所に入ってくる。そして最近見つけたというお気に入りの銘柄の煙草をすっかり慣れた様子で吸うのである。
有坂は「今だけは来てくれるなよ」と心の中で願いながら煙を吸い込んでいると、願いは叶わずこういう時に限って夢主がやってきた。
「有坂さん、お疲れ様です」
「おぉ、夢主くんご苦労様」
有坂は先ほどの場面を見てしまったのでどこか気まずい感情を抱きながら、いつものトーンを心掛けて挨拶をする。
夢主はにこりと微笑みかけると煙草を取り出す。有坂は夢主が煙草を咥えるのを横目で見て、年甲斐もなくドキドキとしてしまう己にどこか罪悪感めいたものを抱いていた。
しばらく2人は沈黙していたが、有坂は耐えきれなくなりぽつりと呟いた。
「……なぁ、夢主くんは酒も煙草もやらないと言うのは本当かい?」
「はい?」
夢主が聞き返す。聞き取れなかったわけではない。突然の質問に驚いたのだった。
夢主は少しの間考え込むような素振りを見せたが、有坂の意図を理解したのか「ふふふ」と笑いを零した。
「元々は煙草もお酒もやりませんでしたよ」
「では何故……」
有坂の問いに夢主はふわりと柔らかく微笑んだ。
「好きな人となら、何だってやりたくなっちゃうものなんですよ」
おわり