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有坂閣下
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信管/有坂閣下
夢主は試射場の近くの宿屋で働く女中である。
いつものように慌ただしく働いていると、先輩の女中から声をかけられた。
「ちょっと夢主、アンタあっちの部屋と代わってくれない?」
「いいですけど……どうしたんですか?」
夢主が怪訝そうに問いかけると、先輩女中は顔をしかめて小声で話す。夢主は身を寄せるために少し屈んで耳を傾けた。
「いやね、さっき案内だけした人なんだけどさ。変な人なんだよ。有坂っていう陸軍の偉い人みたいでさ。悪い人じゃなさそうだけどアタシの苦手な感じの人だから……」
「なんだ、そういうことなら全然いいですよ」
夢主は先輩に微笑むと快く引き受けた。
頼りにされているというよりは、明らかに面倒な客を任せる都合の良い存在になっていることを感じたが、その程度で波風立てるのも馬鹿馬鹿しい。夢主は先輩女中がイライラしている中で働くより、自分が少し大変な思いをしてでも楽しく過ごしたいと考えていた。
担当する部屋を交代した夢主は任された部屋に向かう。
「失礼致します」
「……」
夢主は返事が聞こえないことに戸惑い、数秒間迷った挙げ句挨拶だけでもしようと決めた。スス、と襖を小さく開けるとそこには何やら紙が床一面に広がっていて、その真ん中には一人の男性がいた。どうやら彼が陸軍の偉い人「有坂」なのだろうと予想がついた。
有坂は難しい顔で書類と睨めっこしている。鋭い視線が紙の一点を見つめていて、知的で落ち着いた印象を受けた。他の資料に目を向けたかと思えば、手元に何かを書き足す。そんな所作だけで有坂の仕事への熱意が伝わった。
夢主は声をかけるか躊躇した。彼の集中力には凄まじいものを感じたからだ。しかしこちらとしても仕事をしないわけにはいかない。夢主は先ほどよりも声を張って改めて挨拶をすることにした。
「失礼致します。女中の夢主と申します。有坂様、本日は当旅館をご利用いただき誠にありがとうございます。何かご不便がございましたら何なりとお申し付けくださいませ」
夢主が深々と頭を下げながら挨拶をすると真剣な顔をしていた有坂が顔をあげた。視線が夢主を捉えると同時にパッと表情を明るくすると、有坂は夢主に叫んだ。
「キミ!いいところに‼」
「?」
「ちょっと私の仕事の話をしてもいいかな⁉頭を整理したいんだ‼」
「は、はい」
「じゃあちょっとこっちに来てくれ‼」
夢主は言われるがままに恐る恐る紙だらけの部屋に上がる。散らばっている紙はほとんどが図面のようだった。
「これは信管といってね、爆弾を炸裂させるための……」
彼の話は長く専門的ではあったが、有坂が話しながら図面まで引いて説明してくれたので、夢主にも理解できる内容だった。
途中、他の女中が持ってきた酒器のセットを夢主が受け取る。同僚の女中は変わり者の客に捕まった夢主に対して気の毒そうな視線を送ったが、夢主はあえてそれに気がつかないフリをした。夢主には十分興味深い話だったからだ。夢主にはこの話の面白さが分からない周りの女中たちの方が気の毒に思えた。
有坂にお猪口に酒を注いで手渡すと、まるで有坂は水でも飲むかのように簡単に飲み干す。その後も何度か話の合間に夢主は酒を注いだ。
酒を呑んだことで余計に気持ちが良くなったのか、有坂はどんどん饒舌になっていく。更に楽しそうに仕組みを説明しながら今取りかかっている仕事の話をしていた。
「(省略)……つまり現行はこういう造りになっているんだ‼で、私はここをこう改修したくてね‼」
「へぇ、すごい。そんな研究をなさってるんですね……それでは、火薬の誘爆を高めたとしても安全装置も足す必要がありますねぇ」
夢主が感心した声をあげると有坂はしばらく驚いたような顔をして夢主を見つめる。
「どうかされましたか……?」
「私の話を一度でこんなに理解した人は初めてだよ‼大体の女性は途中で逃げ出すんだがね‼」
「そうですか?興味深いお話でしたけど……」
夢主が首を傾げると、有坂はカッと目を見開いた。
「気に入った!私と一緒に来てくれないか‼」
「え?」
あまりの剣幕と突然の言葉に夢主が固まる。どういう意味だと問いかける前に有坂が畳みかけた。
「それとも夢主くんは既婚者かね⁉他に約束している男がいるのかい⁉」
「い、いえ……おりません」
夢主がたじたじになりながらなんとか質問に答えると、有坂は更に目を輝かせた。
「なら良いだろう⁉キミは私と共に試射場や工廠に来て話を聞いてくれるだけでいいんだ‼」
「え、えーと……それはどういう……」
「女性を口説くのは難しいな‼」
夢主が口ごもると、有坂は傍にあった徳利から酒を自ら注ぐ。そのまま酒を煽ると酒の香りを楽しむ様子もなく、すぐさま勢いだけでとんでもない言葉を大声で叫んだ。
「単刀直入に言おう、私と夫婦になってくれないかな⁉」
「へぇ⁉」
顔が赤くなっていくのを感じる夢主。有坂の顔も真っ赤に染まっているが酒のせいだけではないだろう。
有坂は咳払いをするとどこか腹を括ったように夢主を真っ直ぐに見据えた。夢主がそんな有坂の表情の変化にドキッと胸を高鳴らせていると、有坂は夢主へ身を寄せ、愛おしそうに目を細めては夢主の顔へ手を伸ばす。優しく頬を撫でられる感覚に夢主は身を任せた。夢主の頬は熱いはずなのに有坂も指先まで熱がこもっているのか、二人の体温は同じくらいの温度に馴染んだ気がした。
夢主と数秒間見つめ合った後に、有坂はそのまま静かに口づけをした。ほのかに酒の香りがする。夢主は有坂からの接吻を全く抵抗せず受け入れた。抵抗しようとも、思わなかった。
唇が離れてから、二人はもう一度静かに見つめ合う。お互いの気持ちが重なるような熱っぽい視線の交差だった。しばらく無音の時間が流れ、遠くの部屋で宴会をしているざわめきだけが聞こえていた。
「わ、私で宜しいのですか……」
夢主がやっとの思いで口にした言葉はそれだけだった。夢主には特別好きな人もいなければ異性から言い寄られた経験もない。酔っ払った客にセクハラ紛いのことを言われたことはあるが、有坂の言動はそんな薄っぺらい気持ちから来ているとは、夢主にはとてもじゃないが思えなかった。
有坂は静かに答える。
「キミがいい。夢主くんような聡明な女性と人生を共にしたい。キミさえ良ければ旅館の責任者を呼んでくれ、すぐに話をつけよう」
有坂の態度は真剣そのものだった。
「わ、わかりました……」
真っ赤な顔をした夢主が退室すると、先輩女中や途中酒を運んでくれた同僚の女中たちが心配そうにこちらを見ていた。
先輩女中がさっそく夢主に話しかける。
「大丈夫かい?何か変なことされたんじゃないだろうね?」
「……あの、私……有坂様と結婚することになりました」
「はぁ⁉」
夢主は真っ赤な顔で俯き加減に先輩女中に答える。あまりに突然の出来事に夢主はもう周りの顔色を気にする余裕もなくなっていた。
「詳しい説明は有坂様が旦那様にしてくださるそうなので……お呼びいただけますか。私はもう何が何やら……」
唖然とする女中たちの中で、夢主は真っ赤な顔を覆った。
そのうち誰かが呼んできてくれたのだろう、旅館の主人がやってきて部屋の中からは有坂と主人が早くも意気投合したのか豪快なやり取りが聞こえていたが、夢主にはそんなものが頭に入る余裕などなかった。
こうして二人は即日入籍した。
有坂閣下が信管で女中を落とした話は、その後も陸軍の一部では度々噂されたとか。
めでたしめでたし
夢主は試射場の近くの宿屋で働く女中である。
いつものように慌ただしく働いていると、先輩の女中から声をかけられた。
「ちょっと夢主、アンタあっちの部屋と代わってくれない?」
「いいですけど……どうしたんですか?」
夢主が怪訝そうに問いかけると、先輩女中は顔をしかめて小声で話す。夢主は身を寄せるために少し屈んで耳を傾けた。
「いやね、さっき案内だけした人なんだけどさ。変な人なんだよ。有坂っていう陸軍の偉い人みたいでさ。悪い人じゃなさそうだけどアタシの苦手な感じの人だから……」
「なんだ、そういうことなら全然いいですよ」
夢主は先輩に微笑むと快く引き受けた。
頼りにされているというよりは、明らかに面倒な客を任せる都合の良い存在になっていることを感じたが、その程度で波風立てるのも馬鹿馬鹿しい。夢主は先輩女中がイライラしている中で働くより、自分が少し大変な思いをしてでも楽しく過ごしたいと考えていた。
担当する部屋を交代した夢主は任された部屋に向かう。
「失礼致します」
「……」
夢主は返事が聞こえないことに戸惑い、数秒間迷った挙げ句挨拶だけでもしようと決めた。スス、と襖を小さく開けるとそこには何やら紙が床一面に広がっていて、その真ん中には一人の男性がいた。どうやら彼が陸軍の偉い人「有坂」なのだろうと予想がついた。
有坂は難しい顔で書類と睨めっこしている。鋭い視線が紙の一点を見つめていて、知的で落ち着いた印象を受けた。他の資料に目を向けたかと思えば、手元に何かを書き足す。そんな所作だけで有坂の仕事への熱意が伝わった。
夢主は声をかけるか躊躇した。彼の集中力には凄まじいものを感じたからだ。しかしこちらとしても仕事をしないわけにはいかない。夢主は先ほどよりも声を張って改めて挨拶をすることにした。
「失礼致します。女中の夢主と申します。有坂様、本日は当旅館をご利用いただき誠にありがとうございます。何かご不便がございましたら何なりとお申し付けくださいませ」
夢主が深々と頭を下げながら挨拶をすると真剣な顔をしていた有坂が顔をあげた。視線が夢主を捉えると同時にパッと表情を明るくすると、有坂は夢主に叫んだ。
「キミ!いいところに‼」
「?」
「ちょっと私の仕事の話をしてもいいかな⁉頭を整理したいんだ‼」
「は、はい」
「じゃあちょっとこっちに来てくれ‼」
夢主は言われるがままに恐る恐る紙だらけの部屋に上がる。散らばっている紙はほとんどが図面のようだった。
「これは信管といってね、爆弾を炸裂させるための……」
彼の話は長く専門的ではあったが、有坂が話しながら図面まで引いて説明してくれたので、夢主にも理解できる内容だった。
途中、他の女中が持ってきた酒器のセットを夢主が受け取る。同僚の女中は変わり者の客に捕まった夢主に対して気の毒そうな視線を送ったが、夢主はあえてそれに気がつかないフリをした。夢主には十分興味深い話だったからだ。夢主にはこの話の面白さが分からない周りの女中たちの方が気の毒に思えた。
有坂にお猪口に酒を注いで手渡すと、まるで有坂は水でも飲むかのように簡単に飲み干す。その後も何度か話の合間に夢主は酒を注いだ。
酒を呑んだことで余計に気持ちが良くなったのか、有坂はどんどん饒舌になっていく。更に楽しそうに仕組みを説明しながら今取りかかっている仕事の話をしていた。
「(省略)……つまり現行はこういう造りになっているんだ‼で、私はここをこう改修したくてね‼」
「へぇ、すごい。そんな研究をなさってるんですね……それでは、火薬の誘爆を高めたとしても安全装置も足す必要がありますねぇ」
夢主が感心した声をあげると有坂はしばらく驚いたような顔をして夢主を見つめる。
「どうかされましたか……?」
「私の話を一度でこんなに理解した人は初めてだよ‼大体の女性は途中で逃げ出すんだがね‼」
「そうですか?興味深いお話でしたけど……」
夢主が首を傾げると、有坂はカッと目を見開いた。
「気に入った!私と一緒に来てくれないか‼」
「え?」
あまりの剣幕と突然の言葉に夢主が固まる。どういう意味だと問いかける前に有坂が畳みかけた。
「それとも夢主くんは既婚者かね⁉他に約束している男がいるのかい⁉」
「い、いえ……おりません」
夢主がたじたじになりながらなんとか質問に答えると、有坂は更に目を輝かせた。
「なら良いだろう⁉キミは私と共に試射場や工廠に来て話を聞いてくれるだけでいいんだ‼」
「え、えーと……それはどういう……」
「女性を口説くのは難しいな‼」
夢主が口ごもると、有坂は傍にあった徳利から酒を自ら注ぐ。そのまま酒を煽ると酒の香りを楽しむ様子もなく、すぐさま勢いだけでとんでもない言葉を大声で叫んだ。
「単刀直入に言おう、私と夫婦になってくれないかな⁉」
「へぇ⁉」
顔が赤くなっていくのを感じる夢主。有坂の顔も真っ赤に染まっているが酒のせいだけではないだろう。
有坂は咳払いをするとどこか腹を括ったように夢主を真っ直ぐに見据えた。夢主がそんな有坂の表情の変化にドキッと胸を高鳴らせていると、有坂は夢主へ身を寄せ、愛おしそうに目を細めては夢主の顔へ手を伸ばす。優しく頬を撫でられる感覚に夢主は身を任せた。夢主の頬は熱いはずなのに有坂も指先まで熱がこもっているのか、二人の体温は同じくらいの温度に馴染んだ気がした。
夢主と数秒間見つめ合った後に、有坂はそのまま静かに口づけをした。ほのかに酒の香りがする。夢主は有坂からの接吻を全く抵抗せず受け入れた。抵抗しようとも、思わなかった。
唇が離れてから、二人はもう一度静かに見つめ合う。お互いの気持ちが重なるような熱っぽい視線の交差だった。しばらく無音の時間が流れ、遠くの部屋で宴会をしているざわめきだけが聞こえていた。
「わ、私で宜しいのですか……」
夢主がやっとの思いで口にした言葉はそれだけだった。夢主には特別好きな人もいなければ異性から言い寄られた経験もない。酔っ払った客にセクハラ紛いのことを言われたことはあるが、有坂の言動はそんな薄っぺらい気持ちから来ているとは、夢主にはとてもじゃないが思えなかった。
有坂は静かに答える。
「キミがいい。夢主くんような聡明な女性と人生を共にしたい。キミさえ良ければ旅館の責任者を呼んでくれ、すぐに話をつけよう」
有坂の態度は真剣そのものだった。
「わ、わかりました……」
真っ赤な顔をした夢主が退室すると、先輩女中や途中酒を運んでくれた同僚の女中たちが心配そうにこちらを見ていた。
先輩女中がさっそく夢主に話しかける。
「大丈夫かい?何か変なことされたんじゃないだろうね?」
「……あの、私……有坂様と結婚することになりました」
「はぁ⁉」
夢主は真っ赤な顔で俯き加減に先輩女中に答える。あまりに突然の出来事に夢主はもう周りの顔色を気にする余裕もなくなっていた。
「詳しい説明は有坂様が旦那様にしてくださるそうなので……お呼びいただけますか。私はもう何が何やら……」
唖然とする女中たちの中で、夢主は真っ赤な顔を覆った。
そのうち誰かが呼んできてくれたのだろう、旅館の主人がやってきて部屋の中からは有坂と主人が早くも意気投合したのか豪快なやり取りが聞こえていたが、夢主にはそんなものが頭に入る余裕などなかった。
こうして二人は即日入籍した。
有坂閣下が信管で女中を落とした話は、その後も陸軍の一部では度々噂されたとか。
めでたしめでたし