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尾形
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人間と猫/尾形
【尾形】
俺は猫である。名前はオガタ。漢字は忘れた。
どこで生まれたのか検討もつかないが、気付けば薄暗いところでニャーニヤーと泣いていた。
初めて見た人間は「夢主」といった。この女を俺は何故だか昔から知っているような気がした。
夢主は俺の姿を見つけるとゆっくりと距離を縮める。夢主のどこか緊張したようなその顔を、俺は苦笑混じりに見ていた。
「なんでそんな顔をしてるんだ。笑ってくれ。」
俺は鳴いてみせる。それでもまだ笑顔を見せない夢主は、俺の前にしゃがむと「おいで」と言ったので渋々近寄った。
そっと手が伸びてきて、宙に浮かぶような間隔のあと夢主の腕に包まれた。温かいその場所を、俺はずっと求めていたような気がする。
【夢主】
驚いた。尾形さんがこんなところにいるなんて。
私と尾形さんは前世の明治時代を一緒に生きた。朧気な記憶の中では、尾形さんと私はきっと良い関係になりつつあったのだと思う。でも尾形さんは突如私を裏切って散々罵った後に姿を眩ました。当時の私にはどうすることもできなかった。
前世の記憶を持って産まれた私はずっと尾形さんを探していた。
あの時どんなに傷付けられたとしても、絶対に離れるべきではなかったと後悔している。
もしも尾形さんも記憶を持っていたら「やり直そう」と言いたかった。
それがまさか猫になってるなんて、そんなことが本当にありえるのだろうか。
とにかくこの猫は私のものだ。もう誰にも渡さない。独りにもさせない。
そう強く心に決めて、私は猫になった尾形さんを抱き上げ自分の家に連れて帰った。
【尾形】
何故夢主のことを知っているのか記憶が曖昧だ。生まれてからこれまで人間と関わったことなどないのに。
夢主は俺のことを連れ帰ると風呂に入れ、飯を与え、翌日には病院に連れて行き、俺のための寝床や玩具などを多数揃えた。
困ったのは家の中であっても俺の姿が見えなくなると夢主は切羽詰まった様子で俺の名前を呼ぶことだ。
常に目に届く範囲にいなくてはならないようで、少々窮屈な思いをした。しかし、俺の姿を見つける度に夢主が心底嬉しそうに笑うものだから、こっちが折れることになった。
俺は、多分昔から夢主の笑顔が好きだったんだと思う。これが見たかったんだ。
記憶はないが、昔どこかで出会った夢主にはこんな風に笑わせてやることが出来なかったんだと思う。
【夢主】
どうしよう。
出会ってすぐは必死だったがその後のことは何も考えてなかった。
でも尾形さんが私と一緒にいてくれる今が幸せ過ぎて、今更手放したくはない。
「尾形さん」と呼ぶとこちらを振り向いて、機嫌が良ければ寄ってきてくれて撫でさせてくれる。こんな毎日も悪くないんじゃないか。
前世では彼に散々に罵られたし、嫌われてしまった。今世ではせっかく仲良く一緒にいられるのだから、このまま何もしなくても良いんじゃないか。
そんな風に言い訳をして、今後のことを考えるのを私は避けてしまっていた。
【尾形】
この頃、夢主が時々切ない顔をする。
俺が「どこか痛むのか」と鳴いても「なんでもないよ」とまだ辛そうに笑う。
俺のせいだ。直感的にそう感じた。
俺はこのままじゃいけないと感じた。居てもたってもいられなくなり、夢主が外出している隙に施錠の甘かった窓から外へと逃げ出した。
久々の野良生活はキツかったが、夢主に辛い思いをさせるくらいなら、これで良かったんだ……と自分を納得させた。
【夢主】
尾形さんがいない……!
気が付いた瞬間、私は半狂乱になりながら家中をひっくり返して探した。
いつもなら私が名前を呼べば戸棚の隙間やカーテンレールの上、トイレの扉の陰からスルリと姿を表したのに、今度はどこにもいない。
家の中じゃないと分かると私は外に飛び出した。
その後はがむしゃらに昼夜問わず構わず近所を走り回った。初めて尾形さんを見つけた辺りも、近所の野良猫がよく集まっている辺りも、血眼になって探したけれど見つからない。
焦りと後悔で涙がボロボロと出ていたが、構う余裕もなかった。
【尾形】
ああ、野良猫生活も楽じゃない。
数日間、縄張り意識の高いよその野良猫と戦いながら、居場所がなく街中を転々と動き回っていた最中、運悪く雨に濡れてしまった。
濡れた身体で寒さに震えていると、翌朝目が覚めた時には身体がダルくなっていた。
体調を崩したことを自覚していたが、夢主の元に戻る気はなかった。
いよいよ熱が上がるような寒気と震えを感じながら物陰で朦朧としていると、どこからか聞き覚えのある男の声がした。
もちろん夢主ではないし、他の人間は顔も思い出せない。でもこの声の主は容姿端麗、品行方正といった言葉が不思議と頭に浮かんだ。
その声は俺に問いかけてきた。
「夢主さんを幸せにする覚悟はありますか」
夢だか現だかわからない。だからだろうか、不思議と素直に答えることができた。
「俺では幸せにできないと思っている。」
声の主は少しだけ悲しそうな嘆き声を上げた。そして険しい声色で言った。
「このままでは2人とも幸せにはなれないでしょう。」
「どうすればいい。」
俺が問うと、声の主は声を潜めた。
「夢主さんに兄さm……アナタの気持ちを正直に話すことです。」
今、アニサマと言ったか?どういう意味だったか思い出すのに少し時間がかかった。
確か兄弟の呼び方だ、と俺が理解した瞬間、誤魔化すように声の主は続けた。
「アナタが恐れずに夢主さんへ素直に気持ちを話せば、自ずと良い結果がついてきます。」
俺はその声の主の高貴な雰囲気に圧倒されて「わかった」とだけ言うのが精一杯だった。
「……でも、話すって言ったって俺は猫であいつは人間だ。どうやって……」
そう言い返したはずの自分の鳴き声で目が覚めた。気付くと外は晴れていて身体のだるさが嘘のようになくなっていた。
不思議な体験をした。熱でうなされただけかもしれないが、何故か声の主の言う通りにしようと考えた。
数日ぶりに家に帰ると同じ家とは思えない様相になっていた。俺が出て行くまでは部屋の中は整理整頓されていたのに、今はその面影もない。泥棒でも入ったのかと思うほど棚の中やクローゼットがひっくり返されている。だが、それでもなんとか生活だけはしているような形跡があった。コンビニ弁当やスーパーの総菜のゴミが無造作に投げ捨てられていた。
まるで夢主の心が部屋に反映されているようだった。
俺は夢主が帰るまで、玄関で待ち続けた。
【夢主】
尾形さんはもうどこにもいない。警察にも行ったしチラシも作った。でも手かがりは全くなかった。
私のせいだ、と思った。目の前の尾形さんを見ないで記憶の中の尾形さんを追い求めたせいだ。
今世で尾形さんを裏切ったのは私だった。
生活を捨てるわけにはいかないのでなんとか生きているが、荒れ果てた部屋を片付ける気力も沸かなかった。
今日も仕事の後に近所を徘徊して尾形さんを探してから帰宅した。
もう見つからないかもしれないと絶望的な気持ちで玄関を開けると、そこにいたのは尾形さんだった。
泥だらけの姿でちょこんと手足を揃えて座っている猫の尾形さんを見た瞬間、数秒間硬直した。人間は予想外の展開が起こるとフリーズするように出来ているようだ。
「お、尾形さん……?」
自分の声が震えていた。私を見上げた姿勢で尾形さんが「ひゃあ」と掠れた声で鳴いた。
「尾形さん……!」
私は荷物を放り投げて尾形さんを抱きしめた。
【尾形】
数日ぶりに見た夢主は部屋の様相に負けないくらいやつれてしまっていた。それだけ心配をかけたのだろう。
俺を見つけた瞬間、固まって動かなくなった夢主を心配してじっと見上げる。夢主が名前を呼ぶので鳴き返すと夢主は勢い良く俺を抱きしめた。
抱きしめながらわんわんと子供のような声をあげて夢主は泣いた。こんな姿を見たかったわけじゃない。罪悪感に押しつぶされそうだった。
しばらくそうしていたが、夢主が落ち着いたタイミングを見計らって、俺は夢主の腕の中で話しかけた。
「今まですまなかった。俺は夢主に笑顔でいてほしい。俺では幸せにできないかもしれないが、それでも俺はお前と生きたいんだ。死ぬまで一緒にいてくれるか?」
にゃうニャムわうわぉぁん?と夢主には聞こえていることだろう。今までの生活では夢主が猫語を理解できているとは思えないからだ。それでも、あの声の主に言われた通り俺は本当の気持ちを自分の言葉で一生懸命に伝えた。
伝えたいことを伝えた俺は夢主の顔をじっと見つめた。
夢主の涙は止まったらしい。きょとんとした顔でこちらを見返している。
「ねぇ、もしかして今、私と生きたいって言った?」
伝わった!俺は嬉しくて「ヒャン!」と鳴いた。
【夢主】
尾形さんを抱きしめて鳴いていると、今まで聞いたことないくらい長く尾形さんが鳴き出した。
鳴き声というよりは完全に話し声だった。猫語はわからない。でも、なんだかこれからはずっと一緒にいたいというニュアンスは伝わった。なにより「お前と生きたい」、この部分だけは何故か人間の言葉のようにしっかりと聞き取れたのだ。
都合の良い妄想かもしれないが、尾形さんは今世では私を選んでくれたように感じた。
荒れ放題だった部屋を頑張って片付けた。尾形さんに危ない思いはさせたくない。ゴミ袋をいくつも使って完璧にとは言えないが元の暮らしに近い状態まで持って行った。
尾形さんが抜け出したと想定される鍵が上手くかからない小窓をダクトテープで塞いだ。尾形さんはそれを見て「みぃ…」と罰が悪そうに鳴いていた。
そして、尾形さんをお風呂に入れた。数日間どこで何をしていたのか分からないが、毛がごわごわになってるしゴミや汚れが大量についていた。野良猫と喧嘩したのだろう、かすり傷もあった。後で病院に連れて行こうと思う。
私自身も大掃除の後しっかりとお風呂に入った。
明日は週末だ。久しぶりにゆっくりと尾形さんと過ごしたい。
そうだ、明日は前世の記憶についても話してみようかな。今の尾形さんなら聞いてくれそうだと感じた。
私はベッドに入ると尾形さんを呼んだ。前はペット用の寝床で眠っていたが、今日は一緒にいたい。
私の枕元に来て丸まった尾形さんに静かに話しかけた。
「尾形さん、帰ってきてくれてありがとう。これからはずっと一緒だよ。私も今度こそ尾形さんと生きたい。大好きだよ、尾形さん……」
尾形さんはこちらをじっと見たあと、「ぷん」と鼻を鳴らして目を閉じた。
【尾形】
言葉が通じた後、夢主は以前のような生活を取り戻そうと掃除や片付け、俺を風呂に入れた。
俺も自分の寝床でいそいそと寝る準備をしていると、夢主に呼ばれた。
夢主のベッドに上がると夢主が俺のことを大好きだと言ってから眠りについた。
これ以上ない多幸感だった。こんなに幸せで良いのだろうか。きっと俺はあの声の主が言っていた正直な気持ちをちゃんと伝えられたのだろうと思う。俺だけが幸せでもなく夢主も幸せそうであることが大切だった。嬉しそうに笑う夢主を見つめて俺も眠った。
目を覚ますと夢主が隣にいた。
幸せそうに寝息を立てながら眠る夢主の頭を撫でようとそっと手を伸ばした時に気が付いた。
視界に映る自分の手は、毛がなくて肌の色が見えて指は長く5つに分かれていた。自分の手をしばらく見つめたあと、俺は上体を起こして自分の身体を見渡した。
どこからどう見てもその姿は「人間」だった。服を着ていないのは猫の姿から人間になったことを如実に表している。
恐る恐る夢主の顔を優しく撫でると、急に頭の中に前世の記憶が流れ込んできた。
前世、俺と夢主は一緒に金塊を追い求めて旅をしていた。激化していく戦況に夢主を守りきれないのではないかと考えたり、このまま訳の分からない情に流されて夢主と結ばれることが当時の俺には怖かった。夢主から逃げるために嫌われるような嘘をたくさん言って、追いかけてこないようにたくさん傷つけてから逃げ出した。その後はお粗末な結末だったと思う。自分で自分の命を絶つことを選択したのだった。
震える手をそのまま夢主の顔に置いていると夢主が目を開けた。
「ぎゃあぁ!?え!?尾形さん!?」
可愛くない悲鳴を上げて飛び上がった夢主がこちらを見て目を白黒させている。
俺は夢主に笑いかけた。
「よう、久しぶりだな。」
素直じゃない言葉だが、間違えてはいないような気がする。実際人間の姿になってから会うのは前世ぶりだ。
夢主は何も言わずに俺に飛びついた。動揺のあまり俺が裸体であることが目に入らないのだろう。俺も構わず夢主を受け止めた。
「尾形さん……!会いたかったです!」
ぎゅう、としがみついた夢主の肩が震えていた。ぷるぷると震えながら目には大粒の涙を溜めている。昨日といい今日といい、よく泣く女だ。
こんなに涙ばかり見せていたら声の主に怒られそうだ。あぁそうだ、思い出した。あの声は勇作殿だ。
「き、記憶、あるんですか……?」
夢主が恐る恐ると言った様子でこちらを見上げてくる。俺は小さく頷いた。
「猫の時は前世のことはほとんど覚えてなかった。今は全部思い出した。」
「そうですか。……あの、」
夢主が口を開こうとしているのを俺は手で制す。言いたいことは山ほどあるが、この気持ちだけは今度こそ俺からきちんと伝えなくてはいけない。
「待て。俺が言う。前世のことは俺が全て悪かった。今世では俺が幸せにする。俺と一緒に生きてくれ。」
夢主は大粒の涙をぽろぽろと落としながらも、心から嬉しそうに微笑んだ。
「ふふふ、昨日聞きましたよ。猫語でね。」
おしまい。
【尾形】
俺は猫である。名前はオガタ。漢字は忘れた。
どこで生まれたのか検討もつかないが、気付けば薄暗いところでニャーニヤーと泣いていた。
初めて見た人間は「夢主」といった。この女を俺は何故だか昔から知っているような気がした。
夢主は俺の姿を見つけるとゆっくりと距離を縮める。夢主のどこか緊張したようなその顔を、俺は苦笑混じりに見ていた。
「なんでそんな顔をしてるんだ。笑ってくれ。」
俺は鳴いてみせる。それでもまだ笑顔を見せない夢主は、俺の前にしゃがむと「おいで」と言ったので渋々近寄った。
そっと手が伸びてきて、宙に浮かぶような間隔のあと夢主の腕に包まれた。温かいその場所を、俺はずっと求めていたような気がする。
【夢主】
驚いた。尾形さんがこんなところにいるなんて。
私と尾形さんは前世の明治時代を一緒に生きた。朧気な記憶の中では、尾形さんと私はきっと良い関係になりつつあったのだと思う。でも尾形さんは突如私を裏切って散々罵った後に姿を眩ました。当時の私にはどうすることもできなかった。
前世の記憶を持って産まれた私はずっと尾形さんを探していた。
あの時どんなに傷付けられたとしても、絶対に離れるべきではなかったと後悔している。
もしも尾形さんも記憶を持っていたら「やり直そう」と言いたかった。
それがまさか猫になってるなんて、そんなことが本当にありえるのだろうか。
とにかくこの猫は私のものだ。もう誰にも渡さない。独りにもさせない。
そう強く心に決めて、私は猫になった尾形さんを抱き上げ自分の家に連れて帰った。
【尾形】
何故夢主のことを知っているのか記憶が曖昧だ。生まれてからこれまで人間と関わったことなどないのに。
夢主は俺のことを連れ帰ると風呂に入れ、飯を与え、翌日には病院に連れて行き、俺のための寝床や玩具などを多数揃えた。
困ったのは家の中であっても俺の姿が見えなくなると夢主は切羽詰まった様子で俺の名前を呼ぶことだ。
常に目に届く範囲にいなくてはならないようで、少々窮屈な思いをした。しかし、俺の姿を見つける度に夢主が心底嬉しそうに笑うものだから、こっちが折れることになった。
俺は、多分昔から夢主の笑顔が好きだったんだと思う。これが見たかったんだ。
記憶はないが、昔どこかで出会った夢主にはこんな風に笑わせてやることが出来なかったんだと思う。
【夢主】
どうしよう。
出会ってすぐは必死だったがその後のことは何も考えてなかった。
でも尾形さんが私と一緒にいてくれる今が幸せ過ぎて、今更手放したくはない。
「尾形さん」と呼ぶとこちらを振り向いて、機嫌が良ければ寄ってきてくれて撫でさせてくれる。こんな毎日も悪くないんじゃないか。
前世では彼に散々に罵られたし、嫌われてしまった。今世ではせっかく仲良く一緒にいられるのだから、このまま何もしなくても良いんじゃないか。
そんな風に言い訳をして、今後のことを考えるのを私は避けてしまっていた。
【尾形】
この頃、夢主が時々切ない顔をする。
俺が「どこか痛むのか」と鳴いても「なんでもないよ」とまだ辛そうに笑う。
俺のせいだ。直感的にそう感じた。
俺はこのままじゃいけないと感じた。居てもたってもいられなくなり、夢主が外出している隙に施錠の甘かった窓から外へと逃げ出した。
久々の野良生活はキツかったが、夢主に辛い思いをさせるくらいなら、これで良かったんだ……と自分を納得させた。
【夢主】
尾形さんがいない……!
気が付いた瞬間、私は半狂乱になりながら家中をひっくり返して探した。
いつもなら私が名前を呼べば戸棚の隙間やカーテンレールの上、トイレの扉の陰からスルリと姿を表したのに、今度はどこにもいない。
家の中じゃないと分かると私は外に飛び出した。
その後はがむしゃらに昼夜問わず構わず近所を走り回った。初めて尾形さんを見つけた辺りも、近所の野良猫がよく集まっている辺りも、血眼になって探したけれど見つからない。
焦りと後悔で涙がボロボロと出ていたが、構う余裕もなかった。
【尾形】
ああ、野良猫生活も楽じゃない。
数日間、縄張り意識の高いよその野良猫と戦いながら、居場所がなく街中を転々と動き回っていた最中、運悪く雨に濡れてしまった。
濡れた身体で寒さに震えていると、翌朝目が覚めた時には身体がダルくなっていた。
体調を崩したことを自覚していたが、夢主の元に戻る気はなかった。
いよいよ熱が上がるような寒気と震えを感じながら物陰で朦朧としていると、どこからか聞き覚えのある男の声がした。
もちろん夢主ではないし、他の人間は顔も思い出せない。でもこの声の主は容姿端麗、品行方正といった言葉が不思議と頭に浮かんだ。
その声は俺に問いかけてきた。
「夢主さんを幸せにする覚悟はありますか」
夢だか現だかわからない。だからだろうか、不思議と素直に答えることができた。
「俺では幸せにできないと思っている。」
声の主は少しだけ悲しそうな嘆き声を上げた。そして険しい声色で言った。
「このままでは2人とも幸せにはなれないでしょう。」
「どうすればいい。」
俺が問うと、声の主は声を潜めた。
「夢主さんに兄さm……アナタの気持ちを正直に話すことです。」
今、アニサマと言ったか?どういう意味だったか思い出すのに少し時間がかかった。
確か兄弟の呼び方だ、と俺が理解した瞬間、誤魔化すように声の主は続けた。
「アナタが恐れずに夢主さんへ素直に気持ちを話せば、自ずと良い結果がついてきます。」
俺はその声の主の高貴な雰囲気に圧倒されて「わかった」とだけ言うのが精一杯だった。
「……でも、話すって言ったって俺は猫であいつは人間だ。どうやって……」
そう言い返したはずの自分の鳴き声で目が覚めた。気付くと外は晴れていて身体のだるさが嘘のようになくなっていた。
不思議な体験をした。熱でうなされただけかもしれないが、何故か声の主の言う通りにしようと考えた。
数日ぶりに家に帰ると同じ家とは思えない様相になっていた。俺が出て行くまでは部屋の中は整理整頓されていたのに、今はその面影もない。泥棒でも入ったのかと思うほど棚の中やクローゼットがひっくり返されている。だが、それでもなんとか生活だけはしているような形跡があった。コンビニ弁当やスーパーの総菜のゴミが無造作に投げ捨てられていた。
まるで夢主の心が部屋に反映されているようだった。
俺は夢主が帰るまで、玄関で待ち続けた。
【夢主】
尾形さんはもうどこにもいない。警察にも行ったしチラシも作った。でも手かがりは全くなかった。
私のせいだ、と思った。目の前の尾形さんを見ないで記憶の中の尾形さんを追い求めたせいだ。
今世で尾形さんを裏切ったのは私だった。
生活を捨てるわけにはいかないのでなんとか生きているが、荒れ果てた部屋を片付ける気力も沸かなかった。
今日も仕事の後に近所を徘徊して尾形さんを探してから帰宅した。
もう見つからないかもしれないと絶望的な気持ちで玄関を開けると、そこにいたのは尾形さんだった。
泥だらけの姿でちょこんと手足を揃えて座っている猫の尾形さんを見た瞬間、数秒間硬直した。人間は予想外の展開が起こるとフリーズするように出来ているようだ。
「お、尾形さん……?」
自分の声が震えていた。私を見上げた姿勢で尾形さんが「ひゃあ」と掠れた声で鳴いた。
「尾形さん……!」
私は荷物を放り投げて尾形さんを抱きしめた。
【尾形】
数日ぶりに見た夢主は部屋の様相に負けないくらいやつれてしまっていた。それだけ心配をかけたのだろう。
俺を見つけた瞬間、固まって動かなくなった夢主を心配してじっと見上げる。夢主が名前を呼ぶので鳴き返すと夢主は勢い良く俺を抱きしめた。
抱きしめながらわんわんと子供のような声をあげて夢主は泣いた。こんな姿を見たかったわけじゃない。罪悪感に押しつぶされそうだった。
しばらくそうしていたが、夢主が落ち着いたタイミングを見計らって、俺は夢主の腕の中で話しかけた。
「今まですまなかった。俺は夢主に笑顔でいてほしい。俺では幸せにできないかもしれないが、それでも俺はお前と生きたいんだ。死ぬまで一緒にいてくれるか?」
にゃうニャムわうわぉぁん?と夢主には聞こえていることだろう。今までの生活では夢主が猫語を理解できているとは思えないからだ。それでも、あの声の主に言われた通り俺は本当の気持ちを自分の言葉で一生懸命に伝えた。
伝えたいことを伝えた俺は夢主の顔をじっと見つめた。
夢主の涙は止まったらしい。きょとんとした顔でこちらを見返している。
「ねぇ、もしかして今、私と生きたいって言った?」
伝わった!俺は嬉しくて「ヒャン!」と鳴いた。
【夢主】
尾形さんを抱きしめて鳴いていると、今まで聞いたことないくらい長く尾形さんが鳴き出した。
鳴き声というよりは完全に話し声だった。猫語はわからない。でも、なんだかこれからはずっと一緒にいたいというニュアンスは伝わった。なにより「お前と生きたい」、この部分だけは何故か人間の言葉のようにしっかりと聞き取れたのだ。
都合の良い妄想かもしれないが、尾形さんは今世では私を選んでくれたように感じた。
荒れ放題だった部屋を頑張って片付けた。尾形さんに危ない思いはさせたくない。ゴミ袋をいくつも使って完璧にとは言えないが元の暮らしに近い状態まで持って行った。
尾形さんが抜け出したと想定される鍵が上手くかからない小窓をダクトテープで塞いだ。尾形さんはそれを見て「みぃ…」と罰が悪そうに鳴いていた。
そして、尾形さんをお風呂に入れた。数日間どこで何をしていたのか分からないが、毛がごわごわになってるしゴミや汚れが大量についていた。野良猫と喧嘩したのだろう、かすり傷もあった。後で病院に連れて行こうと思う。
私自身も大掃除の後しっかりとお風呂に入った。
明日は週末だ。久しぶりにゆっくりと尾形さんと過ごしたい。
そうだ、明日は前世の記憶についても話してみようかな。今の尾形さんなら聞いてくれそうだと感じた。
私はベッドに入ると尾形さんを呼んだ。前はペット用の寝床で眠っていたが、今日は一緒にいたい。
私の枕元に来て丸まった尾形さんに静かに話しかけた。
「尾形さん、帰ってきてくれてありがとう。これからはずっと一緒だよ。私も今度こそ尾形さんと生きたい。大好きだよ、尾形さん……」
尾形さんはこちらをじっと見たあと、「ぷん」と鼻を鳴らして目を閉じた。
【尾形】
言葉が通じた後、夢主は以前のような生活を取り戻そうと掃除や片付け、俺を風呂に入れた。
俺も自分の寝床でいそいそと寝る準備をしていると、夢主に呼ばれた。
夢主のベッドに上がると夢主が俺のことを大好きだと言ってから眠りについた。
これ以上ない多幸感だった。こんなに幸せで良いのだろうか。きっと俺はあの声の主が言っていた正直な気持ちをちゃんと伝えられたのだろうと思う。俺だけが幸せでもなく夢主も幸せそうであることが大切だった。嬉しそうに笑う夢主を見つめて俺も眠った。
目を覚ますと夢主が隣にいた。
幸せそうに寝息を立てながら眠る夢主の頭を撫でようとそっと手を伸ばした時に気が付いた。
視界に映る自分の手は、毛がなくて肌の色が見えて指は長く5つに分かれていた。自分の手をしばらく見つめたあと、俺は上体を起こして自分の身体を見渡した。
どこからどう見てもその姿は「人間」だった。服を着ていないのは猫の姿から人間になったことを如実に表している。
恐る恐る夢主の顔を優しく撫でると、急に頭の中に前世の記憶が流れ込んできた。
前世、俺と夢主は一緒に金塊を追い求めて旅をしていた。激化していく戦況に夢主を守りきれないのではないかと考えたり、このまま訳の分からない情に流されて夢主と結ばれることが当時の俺には怖かった。夢主から逃げるために嫌われるような嘘をたくさん言って、追いかけてこないようにたくさん傷つけてから逃げ出した。その後はお粗末な結末だったと思う。自分で自分の命を絶つことを選択したのだった。
震える手をそのまま夢主の顔に置いていると夢主が目を開けた。
「ぎゃあぁ!?え!?尾形さん!?」
可愛くない悲鳴を上げて飛び上がった夢主がこちらを見て目を白黒させている。
俺は夢主に笑いかけた。
「よう、久しぶりだな。」
素直じゃない言葉だが、間違えてはいないような気がする。実際人間の姿になってから会うのは前世ぶりだ。
夢主は何も言わずに俺に飛びついた。動揺のあまり俺が裸体であることが目に入らないのだろう。俺も構わず夢主を受け止めた。
「尾形さん……!会いたかったです!」
ぎゅう、としがみついた夢主の肩が震えていた。ぷるぷると震えながら目には大粒の涙を溜めている。昨日といい今日といい、よく泣く女だ。
こんなに涙ばかり見せていたら声の主に怒られそうだ。あぁそうだ、思い出した。あの声は勇作殿だ。
「き、記憶、あるんですか……?」
夢主が恐る恐ると言った様子でこちらを見上げてくる。俺は小さく頷いた。
「猫の時は前世のことはほとんど覚えてなかった。今は全部思い出した。」
「そうですか。……あの、」
夢主が口を開こうとしているのを俺は手で制す。言いたいことは山ほどあるが、この気持ちだけは今度こそ俺からきちんと伝えなくてはいけない。
「待て。俺が言う。前世のことは俺が全て悪かった。今世では俺が幸せにする。俺と一緒に生きてくれ。」
夢主は大粒の涙をぽろぽろと落としながらも、心から嬉しそうに微笑んだ。
「ふふふ、昨日聞きましたよ。猫語でね。」
おしまい。