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鯉登
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坊ちゃんとメイド/鯉登
私は帝国海軍鯉登平次大佐に直々に雇われた、鯉登家の女中だ。
鯉登平次大佐と鯉登ユキ夫人の間には2人の息子さんがいらっしゃったようだが、長男は日清戦争でお亡くなりになり、次男の鯉登音之進様は現在海城学校へと進学されています。
元々私は比較的裕福な家庭で生まれ育ったが、戦争や病気が原因で両親だけではなく親族はほとんど亡くしてしまっていた。
そこそこな資産家だったこともあって周りの上流家庭からはご子息たちと結婚させようと色んな縁談を持ってきた。
しかし私はそれらをすべて断った。
亡き両親が認めていない人との縁談は、絶対に受けたくなかったのだ。
それならまだ身一つで働きに出たほうがマシだと本気で思っていた。
もうすぐにでも自分だけで生きていこうと思っていると、父と仕事の繋がりがあったらしい当時の鯉登平次中佐が、私を女中として引き取ってくれ、ご子息の面倒を見るという仕事を与えてくださった。
世間知らずでのほほんと何の気苦労もなく生きてきた私ははじめは簡単な家事すらまともにできず、本当に迷惑をかけたと思う。
元の暮らしと比較すると身分はかなり落ちてしまったが、拾ってもらえた御恩があるからには鯉登大佐には一生をかけて恩返しをしたいと思っている。
次男の音之進坊ちゃまと私は、7つ歳が離れている。
私の方が年上である上に、長男を亡くされてからは特に彼は荒れに荒れていたこともあって、私は鯉登家の女中ではあったがほとんど坊ちゃまの専属として面倒を見ることが主な仕事となっていた。
人のことを言えた立場ではなかったが、高貴な身分に生まれ、何不自由なく育った坊ちゃまはそれはそれは我儘だった。
だが、兄弟を亡くしたことで起きた父親の変化や自分の無力さに、幼い彼が葛藤を覚えるのも当然なことだと私は思った。
本来こういう複雑な事情がある場合は、周囲がそうしているように鯉登大佐の名のもと、私も坊ちゃまを甘やかすべき立場であった。
しかし、私はそうしなかった。
どんな時も坊ちゃまには、行動には責任が伴うことを口を酸っぱくして伝えた。
本当の意味では伝わっていないかもしれないが、私がしつこく言うことで一時的には彼も諦めて落ち着くようだった。
「坊ちゃま?何してるんですか?」
町中で買い物中にちょっと目を離した隙に、何か面倒ごとに巻き込まれていた坊ちゃまを人集りの中から見つけ出す。
彼はムスッ、としたままだったが、話を聞くとどうやら坊ちゃまが不注意でぶつかった相手に因縁をつけているとのこと。
立場の高い坊ちゃまに良い印象がないのだろう、怒り狂い高ぶっている相手に、こちらが悪かったと私は深々と頭を下げた。
相手が喚こうが怒鳴ろうが構わずに私は最悪殴られる覚悟で頭を下げ続け、しばらくそうしていると相手はバツが悪くなったのか、立ち去った。
買い物もほとんど終わていたので、人通りが少ない道を選んで帰りがてら坊ちゃまを説教する。
その頃には陽が傾き始めていて、私たちの影が長く伸びていた。
「坊ちゃま、なぜ他人を酷く粗末に扱うのですか?」
「む。夢主……なんでおいに厳しゅうすっ?」
「厳しくなんかありません。坊ちゃまはいずれ人の上に立つ方です。身分を盾に鼻で動かしているようではいずれ誰も相手にしてくれなくなります。人は、人として扱ってくれる対等な相手にしか仁義を持ちません。」
正論だろう。
私は彼が将来立派な軍人となり、多くの人をまとめる立場になることを信じてやまない。
軍隊に入れば派閥や出世争いに巻き込まれるのは想像に難くない。
今のままふんぞり返っているだけでは誰もついてこないどころか、利用されて終わりだろう。
そのときにはもう私が傍にいれなくても、坊ちゃまが自分の意志で周囲を納得させ、また多くの人を幸せにできる人でないと意味がない。
坊ちゃまは悔しそうに顔を逸らした。
「うぐぐ、わかっちょい。じゃっどん、あんわろがおいを見下した目をしちょったで。」
「それでも、上の者が権力を振りかざして押さえつけてはなりません。気に入らないことがあるのならば、論理的に説得なさるべきです。」
そう答えると、ぐうの音も出なくなった坊ちゃまは心底悔しそうに俯いた。
ふ、と思わず呆れて笑みがこぼれた。
「坊ちゃま。」
私は彼の手を取ると、そのまま優しく抱き寄せた。
背丈はまだ私の方が高い。
坊ちゃまはされるがままになったが、ハッとした様子で少し遅れて恥ずかしそうにもがいた。
7つも離れているから私からすればまだまだ子供だが、坊ちゃまからすると恥ずかしいものなのだろう。
「離せ夢主。他人に見られたや噂になっど。」
そう喚く彼の頭を撫でながら、落ち着いた声で言い聞かせる。
「坊ちゃま、貴方は強く優しい人です。私も貴方の父上も母上もそのことを知っています。でも、貴方の肩書しか分からぬ人々にも、貴方の優しさを与えてやってください。きっとそれが本当の強さになるときが来ますよ。」
そう伝えてから坊ちゃまを解放すると、顔を真っ赤にした彼は私が持っていた買い物の荷物をすべて奪って先を歩き出した。
顔が見えないように先を歩いているようだが、夕日に照らされて真っ赤になった耳が見えていた。
ある日、坊ちゃまが愛車の「ド ディオン ブートン」に乗って出かけていくところに会った。
坊ちゃまは用事があってもなくても、いつもそれを乗り回していた。
お見送りをしようと傍にいると、急に手を掴まれた。
「乗れ。」
「えっ、私もですか?」
「しっかり掴まっていろじゃ。」
そう言われるがままに運転席の後ろに立って、坊ちゃまの肩に手を置く。
走り出すと振動が凄くて驚いてしまって、全然周りの景色を見る余裕がなかった。
そんな私を坊ちゃまは、「船乗りにはなれんな。」と笑っていた。
その後も私は緊張で全身を強張らせていたが、少し走ったところで横に付いた馬車から、ふいに覆面をした男の人たちが手を出してきた。
えっ?と思った瞬間には、私と坊ちゃまは馬車に連れ込まれ、顔に布を被せられてどこかへ連れていかれているようだった。
私も坊ちゃまもがむしゃらに抵抗したけれど、何回も殴られておとなしくする他なかったのだ。
連れていかれた先で乱暴に放り投げられる。
両手を後ろ手に縛られて、口には声をあげられないように布を巻かれた。
坊ちゃまと目を合わせ、二人一緒にいることに少しだけ安堵した。
否、私だけ誘拐された方がマシだったかもしれない。
男たちは複数いるようだが、誰もがロシア語を話している。
「うぅ……。」
あまりの恐怖に泣き出しそうになっていると、坊ちゃまが私に身を寄せて肩でトン、と軽く触れる。
坊ちゃまの方を見ると、彼自身も怖いだろうに、私を勇気づけるかのように頷いた。
少しすると水や食料を渡すために口輪を解放された。
その時に坊ちゃまが「夢主だけでも解放してくれ。関係のない女中だ。」と一生懸命に訴えた。
確かに誘拐犯たちからしても、私が坊ちゃまと一緒にいたことは予想外だったようで、最初に取り押さえるときに手間取っているのを感じていた。
でも私は「自分だけ助かるなんて嫌だ!」と思わず叫ぶように言い返す。
それに対して坊ちゃまは「本来、軍人でも軍人になる未来もない女に人質の価値はないのだぞ」と強く私を叱りつけた。
あえて私のことを「価値がない」と強調していることに私は気が付いた。
私を助けるためだ。
いつも私が坊ちゃまを怒るばかりで、坊ちゃまに怒られるのは初めてのことだった。
自分だけが犠牲になろうとする姿に、驚きと悲しみと、その中に強くなられた坊ちゃまへの安堵がほんのわずかに入り混じって胸が痛んだ。
私たちが揉めている間にも、ロシア語が頭上を飛び交う。
何が決まったのかはわからないが、あれよあれよと手を引かれてまた頭に布を被されて、坊ちゃまの言うとおり私だけ解放されてしまった。
どこに下ろされたのかはじめは分からなかったが、坊ちゃまの家とそう遠くはないところだった。
誘拐されるときに暴れたせいか靴は脱げてしまっていて、服もあちらこちらがほつれている。
乱暴に扱われたこともあって膝や頬や指先からは流血もあった。
はじめに殴られたせいか頭がくらくらする。
私の両親が健在で裕福な時はもちろん、鯉登家に雇われてからも一定以上の良い生活を送ってきたと思う。
だからこんなにボロボロになるのは本当に人生で初めてだった。
でも、そんなことはどうでも良いとすら思えるくらいに、一人残されてしまった坊ちゃまが心配でたまらなかった。
人質というからにはすぐには殺されたりはないだろうが、拷問などで痛めつけられる恐れもある。
急いで鯉登家へ向かって走り出した。
それでも徒歩ではとても時間がかかってしまって、屋敷についたのは真夜中だった。
家に入ると、夫人と大佐が血相を変えて私の元へ駆け寄ってきた。
そしてボロボロで汚い私を夫人がぎゅうっと抱きしめてくれる。
「夢主!怪我はなかか?」「心配しちょったんじゃ。」と私を抱きしめ夫人は顔や頭を撫でながら、口々に聞いてくる。
大佐も私の肩に手を置いて、心配そうに見下ろしてきた。
「大佐、奥様……っ。」
二人のあたたかさに涙がぽろぽろと流れた。
「申し訳ございません……、私だけっ、私だけが、解放など……っ。ごめんなさい。」
泣きじゃくりながらも謝罪を繰り返す。
しばらくそうやって私を抱きしめてくれた。
すると、夫人の肩の向こうから見慣れない男性が現れた。
「そちらのお方は……?」
びっくりして涙が引っ込んだ私が思わず問うと、男性は紳士的な振る舞いで私の傍まできて挨拶をしてくれた。
「私は陸軍の鶴見です。鯉登大佐のご子息の奪還作戦のためまいりました。」
凛々しい顔や態度に圧倒されて、慌てて私も頭を下げる。
鶴見中尉との付き合いがある大佐がこれまでの捜査について教えてくれた。
ロシアが関わっているのではないかと予想したところだそうで、実際に私を攫った相手が皆ロシア語で話していたと証言する。
そして拉致された場所、そのあと監禁されたであろう場所と解放された場所のおおよその時間を鶴見中尉に伝える。
その後手当てを受けた私は、しばらくはお屋敷で夫人と一緒に坊ちゃまの奪還作戦を見守らせてもらった。
夫人はやはり私以上に心労がかかっているようで体調を崩されて、私は夫人の看病も行っていた。
数日後、大佐と中尉の活躍で、坊ちゃまは救助された。
「坊ちゃま……っ!」
私が坊ちゃまに駆け寄り、自分だけ助けていただいたことのお礼と謝罪をするが、坊ちゃまはあの後もずっと私の無事を祈っていたと大粒の涙を流してくれた。
そこにいるのは過激で我儘なボンボンではなく、本当に優しい少年だった。
坊ちゃまはこの騒動の中で、父上とのわだかまりがなくなったようだった。
更に坊ちゃまは鶴見中尉とは以前に面識があったようで、感動的な再会に喜ぶ彼を見て、私は心から安堵した。
中尉は今回の事件での私の坊ちゃまへの心配ぶりや、誘拐されていた被害者の坊ちゃまが何故か先に解放された私を何より心配していたことを見ていたようで、私たちを好一対だと笑って見ていた。
それがどういう意味なのか理解するには、まだその時の私は若かったようだ。
時は流れて坊ちゃまは海軍兵学校ではなく陸軍士官学校を受験して合格した。
旭川の第七師団へ大佐がご挨拶に行く際、何故か私も一緒に連れていかれた。
中尉は私のことを坊ちゃまの許嫁だと勘違いしているようであった。
しかし、不思議なことに坊ちゃまも大佐も中尉の勘違いを訂正しなかったので、私は内心で首を傾げるばかりであった。
坊ちゃまが陸軍士官学校に通っている間は、私は相変わらず鯉登家の家政婦として働いていた。
夫人も大佐も私のしたいようにしてくれて良いと言われたので、お言葉に甘えさせていただいた。
坊ちゃまが時折屋敷に帰省したときは、学校での様々な話を聞かせてもらった。
ご友人ができたり、派閥争いが早くも起きていたりと、良くも悪くも社会に揉まれているようだった。
それだけではなく、坊ちゃまは度々私に手紙を送ってくださった。
私も手紙を書いては、次の返事を心待ちにして過ごした。
学校卒業後、入隊前のわずかな休日で坊ちゃまは私を屋敷から連れ出し、歩き回った。
学校の話や軍の話など色々な話を聞かされて、坊ちゃまの成長っぷりを実感したものだった。
しかし、夕暮れ時になっても、何故か坊ちゃまは屋敷へ戻ろうとしなかった。
不思議に思っていると、夕焼けに負けないくらい顔を真っ赤にした坊ちゃまが、おもむろに私の肩を強く抱き寄せた。
急な動きに驚いていると、坊ちゃまは早口で、そして叫ぶように一気に言った。
「おいはこれからも迷惑をかくっち思うどん、夢主を一生をかけて守っていこごたっ。立派な軍人になったや迎えけ行っでといえしてくれんか。」
「け、結婚、ですか……?」
私は驚いて固まってしまった。
坊ちゃまと、私が、結婚!?
「嫌か?」
真っ赤な顔で、いつものキリッとした表情ではなく情けないまでに眉毛を下げた坊ちゃまに問いかけられて、今度は私が早口になる番だった。
「い、嫌なわけないです!でも……きっと鯉登大佐が認めた縁談がいずれ坊ちゃまには来ます。私のような身寄りのない人間など、認められるわけが……。」
嬉しいけれども、彼は鯉登家のたった一人残された後継ぎ。
私のような人間では彼の夫人は務まらないと思い、私の気持ちなんかより周囲が納得しないと坊ちゃまを説得する。
しかし坊ちゃまは勝ち誇った様子で私に言い放った。
「父上は夢主とならといえして良かと、学校に入っ前からゆちょった。」
ええええ、と混乱しながらも、それが本当ならいよいよ断る理由がなくなってしまった。
何とか言い返す言葉を探すが頭の中は混乱していて碌な言葉が見つからなかった。
「……よ、よろしくお願いします。」
観念した私が小さな声でそう答えると、坊ちゃまが急に「キェーッ」と猿叫を上げて嬉しそうに飛び上がった。
そして私を改めて抱きしめると心底嬉しそうに、もはや聞き取れないほど早口の薩摩弁でしきりに何かを叫んでいた。
それから金塊戦争を経て、鶴見中尉の退却後に立派な軍人となった坊ちゃまは、残された兵を守り第七師団の発展に貢献しながら私と私たちの子を守る立派な鯉登家の大黒柱として暮らしましたとさ。
おわり。
【あとがき:鯉登ルートで原作沿い書くと、こんな感じでしょうか。】
私は帝国海軍鯉登平次大佐に直々に雇われた、鯉登家の女中だ。
鯉登平次大佐と鯉登ユキ夫人の間には2人の息子さんがいらっしゃったようだが、長男は日清戦争でお亡くなりになり、次男の鯉登音之進様は現在海城学校へと進学されています。
元々私は比較的裕福な家庭で生まれ育ったが、戦争や病気が原因で両親だけではなく親族はほとんど亡くしてしまっていた。
そこそこな資産家だったこともあって周りの上流家庭からはご子息たちと結婚させようと色んな縁談を持ってきた。
しかし私はそれらをすべて断った。
亡き両親が認めていない人との縁談は、絶対に受けたくなかったのだ。
それならまだ身一つで働きに出たほうがマシだと本気で思っていた。
もうすぐにでも自分だけで生きていこうと思っていると、父と仕事の繋がりがあったらしい当時の鯉登平次中佐が、私を女中として引き取ってくれ、ご子息の面倒を見るという仕事を与えてくださった。
世間知らずでのほほんと何の気苦労もなく生きてきた私ははじめは簡単な家事すらまともにできず、本当に迷惑をかけたと思う。
元の暮らしと比較すると身分はかなり落ちてしまったが、拾ってもらえた御恩があるからには鯉登大佐には一生をかけて恩返しをしたいと思っている。
次男の音之進坊ちゃまと私は、7つ歳が離れている。
私の方が年上である上に、長男を亡くされてからは特に彼は荒れに荒れていたこともあって、私は鯉登家の女中ではあったがほとんど坊ちゃまの専属として面倒を見ることが主な仕事となっていた。
人のことを言えた立場ではなかったが、高貴な身分に生まれ、何不自由なく育った坊ちゃまはそれはそれは我儘だった。
だが、兄弟を亡くしたことで起きた父親の変化や自分の無力さに、幼い彼が葛藤を覚えるのも当然なことだと私は思った。
本来こういう複雑な事情がある場合は、周囲がそうしているように鯉登大佐の名のもと、私も坊ちゃまを甘やかすべき立場であった。
しかし、私はそうしなかった。
どんな時も坊ちゃまには、行動には責任が伴うことを口を酸っぱくして伝えた。
本当の意味では伝わっていないかもしれないが、私がしつこく言うことで一時的には彼も諦めて落ち着くようだった。
「坊ちゃま?何してるんですか?」
町中で買い物中にちょっと目を離した隙に、何か面倒ごとに巻き込まれていた坊ちゃまを人集りの中から見つけ出す。
彼はムスッ、としたままだったが、話を聞くとどうやら坊ちゃまが不注意でぶつかった相手に因縁をつけているとのこと。
立場の高い坊ちゃまに良い印象がないのだろう、怒り狂い高ぶっている相手に、こちらが悪かったと私は深々と頭を下げた。
相手が喚こうが怒鳴ろうが構わずに私は最悪殴られる覚悟で頭を下げ続け、しばらくそうしていると相手はバツが悪くなったのか、立ち去った。
買い物もほとんど終わていたので、人通りが少ない道を選んで帰りがてら坊ちゃまを説教する。
その頃には陽が傾き始めていて、私たちの影が長く伸びていた。
「坊ちゃま、なぜ他人を酷く粗末に扱うのですか?」
「む。夢主……なんでおいに厳しゅうすっ?」
「厳しくなんかありません。坊ちゃまはいずれ人の上に立つ方です。身分を盾に鼻で動かしているようではいずれ誰も相手にしてくれなくなります。人は、人として扱ってくれる対等な相手にしか仁義を持ちません。」
正論だろう。
私は彼が将来立派な軍人となり、多くの人をまとめる立場になることを信じてやまない。
軍隊に入れば派閥や出世争いに巻き込まれるのは想像に難くない。
今のままふんぞり返っているだけでは誰もついてこないどころか、利用されて終わりだろう。
そのときにはもう私が傍にいれなくても、坊ちゃまが自分の意志で周囲を納得させ、また多くの人を幸せにできる人でないと意味がない。
坊ちゃまは悔しそうに顔を逸らした。
「うぐぐ、わかっちょい。じゃっどん、あんわろがおいを見下した目をしちょったで。」
「それでも、上の者が権力を振りかざして押さえつけてはなりません。気に入らないことがあるのならば、論理的に説得なさるべきです。」
そう答えると、ぐうの音も出なくなった坊ちゃまは心底悔しそうに俯いた。
ふ、と思わず呆れて笑みがこぼれた。
「坊ちゃま。」
私は彼の手を取ると、そのまま優しく抱き寄せた。
背丈はまだ私の方が高い。
坊ちゃまはされるがままになったが、ハッとした様子で少し遅れて恥ずかしそうにもがいた。
7つも離れているから私からすればまだまだ子供だが、坊ちゃまからすると恥ずかしいものなのだろう。
「離せ夢主。他人に見られたや噂になっど。」
そう喚く彼の頭を撫でながら、落ち着いた声で言い聞かせる。
「坊ちゃま、貴方は強く優しい人です。私も貴方の父上も母上もそのことを知っています。でも、貴方の肩書しか分からぬ人々にも、貴方の優しさを与えてやってください。きっとそれが本当の強さになるときが来ますよ。」
そう伝えてから坊ちゃまを解放すると、顔を真っ赤にした彼は私が持っていた買い物の荷物をすべて奪って先を歩き出した。
顔が見えないように先を歩いているようだが、夕日に照らされて真っ赤になった耳が見えていた。
ある日、坊ちゃまが愛車の「ド ディオン ブートン」に乗って出かけていくところに会った。
坊ちゃまは用事があってもなくても、いつもそれを乗り回していた。
お見送りをしようと傍にいると、急に手を掴まれた。
「乗れ。」
「えっ、私もですか?」
「しっかり掴まっていろじゃ。」
そう言われるがままに運転席の後ろに立って、坊ちゃまの肩に手を置く。
走り出すと振動が凄くて驚いてしまって、全然周りの景色を見る余裕がなかった。
そんな私を坊ちゃまは、「船乗りにはなれんな。」と笑っていた。
その後も私は緊張で全身を強張らせていたが、少し走ったところで横に付いた馬車から、ふいに覆面をした男の人たちが手を出してきた。
えっ?と思った瞬間には、私と坊ちゃまは馬車に連れ込まれ、顔に布を被せられてどこかへ連れていかれているようだった。
私も坊ちゃまもがむしゃらに抵抗したけれど、何回も殴られておとなしくする他なかったのだ。
連れていかれた先で乱暴に放り投げられる。
両手を後ろ手に縛られて、口には声をあげられないように布を巻かれた。
坊ちゃまと目を合わせ、二人一緒にいることに少しだけ安堵した。
否、私だけ誘拐された方がマシだったかもしれない。
男たちは複数いるようだが、誰もがロシア語を話している。
「うぅ……。」
あまりの恐怖に泣き出しそうになっていると、坊ちゃまが私に身を寄せて肩でトン、と軽く触れる。
坊ちゃまの方を見ると、彼自身も怖いだろうに、私を勇気づけるかのように頷いた。
少しすると水や食料を渡すために口輪を解放された。
その時に坊ちゃまが「夢主だけでも解放してくれ。関係のない女中だ。」と一生懸命に訴えた。
確かに誘拐犯たちからしても、私が坊ちゃまと一緒にいたことは予想外だったようで、最初に取り押さえるときに手間取っているのを感じていた。
でも私は「自分だけ助かるなんて嫌だ!」と思わず叫ぶように言い返す。
それに対して坊ちゃまは「本来、軍人でも軍人になる未来もない女に人質の価値はないのだぞ」と強く私を叱りつけた。
あえて私のことを「価値がない」と強調していることに私は気が付いた。
私を助けるためだ。
いつも私が坊ちゃまを怒るばかりで、坊ちゃまに怒られるのは初めてのことだった。
自分だけが犠牲になろうとする姿に、驚きと悲しみと、その中に強くなられた坊ちゃまへの安堵がほんのわずかに入り混じって胸が痛んだ。
私たちが揉めている間にも、ロシア語が頭上を飛び交う。
何が決まったのかはわからないが、あれよあれよと手を引かれてまた頭に布を被されて、坊ちゃまの言うとおり私だけ解放されてしまった。
どこに下ろされたのかはじめは分からなかったが、坊ちゃまの家とそう遠くはないところだった。
誘拐されるときに暴れたせいか靴は脱げてしまっていて、服もあちらこちらがほつれている。
乱暴に扱われたこともあって膝や頬や指先からは流血もあった。
はじめに殴られたせいか頭がくらくらする。
私の両親が健在で裕福な時はもちろん、鯉登家に雇われてからも一定以上の良い生活を送ってきたと思う。
だからこんなにボロボロになるのは本当に人生で初めてだった。
でも、そんなことはどうでも良いとすら思えるくらいに、一人残されてしまった坊ちゃまが心配でたまらなかった。
人質というからにはすぐには殺されたりはないだろうが、拷問などで痛めつけられる恐れもある。
急いで鯉登家へ向かって走り出した。
それでも徒歩ではとても時間がかかってしまって、屋敷についたのは真夜中だった。
家に入ると、夫人と大佐が血相を変えて私の元へ駆け寄ってきた。
そしてボロボロで汚い私を夫人がぎゅうっと抱きしめてくれる。
「夢主!怪我はなかか?」「心配しちょったんじゃ。」と私を抱きしめ夫人は顔や頭を撫でながら、口々に聞いてくる。
大佐も私の肩に手を置いて、心配そうに見下ろしてきた。
「大佐、奥様……っ。」
二人のあたたかさに涙がぽろぽろと流れた。
「申し訳ございません……、私だけっ、私だけが、解放など……っ。ごめんなさい。」
泣きじゃくりながらも謝罪を繰り返す。
しばらくそうやって私を抱きしめてくれた。
すると、夫人の肩の向こうから見慣れない男性が現れた。
「そちらのお方は……?」
びっくりして涙が引っ込んだ私が思わず問うと、男性は紳士的な振る舞いで私の傍まできて挨拶をしてくれた。
「私は陸軍の鶴見です。鯉登大佐のご子息の奪還作戦のためまいりました。」
凛々しい顔や態度に圧倒されて、慌てて私も頭を下げる。
鶴見中尉との付き合いがある大佐がこれまでの捜査について教えてくれた。
ロシアが関わっているのではないかと予想したところだそうで、実際に私を攫った相手が皆ロシア語で話していたと証言する。
そして拉致された場所、そのあと監禁されたであろう場所と解放された場所のおおよその時間を鶴見中尉に伝える。
その後手当てを受けた私は、しばらくはお屋敷で夫人と一緒に坊ちゃまの奪還作戦を見守らせてもらった。
夫人はやはり私以上に心労がかかっているようで体調を崩されて、私は夫人の看病も行っていた。
数日後、大佐と中尉の活躍で、坊ちゃまは救助された。
「坊ちゃま……っ!」
私が坊ちゃまに駆け寄り、自分だけ助けていただいたことのお礼と謝罪をするが、坊ちゃまはあの後もずっと私の無事を祈っていたと大粒の涙を流してくれた。
そこにいるのは過激で我儘なボンボンではなく、本当に優しい少年だった。
坊ちゃまはこの騒動の中で、父上とのわだかまりがなくなったようだった。
更に坊ちゃまは鶴見中尉とは以前に面識があったようで、感動的な再会に喜ぶ彼を見て、私は心から安堵した。
中尉は今回の事件での私の坊ちゃまへの心配ぶりや、誘拐されていた被害者の坊ちゃまが何故か先に解放された私を何より心配していたことを見ていたようで、私たちを好一対だと笑って見ていた。
それがどういう意味なのか理解するには、まだその時の私は若かったようだ。
時は流れて坊ちゃまは海軍兵学校ではなく陸軍士官学校を受験して合格した。
旭川の第七師団へ大佐がご挨拶に行く際、何故か私も一緒に連れていかれた。
中尉は私のことを坊ちゃまの許嫁だと勘違いしているようであった。
しかし、不思議なことに坊ちゃまも大佐も中尉の勘違いを訂正しなかったので、私は内心で首を傾げるばかりであった。
坊ちゃまが陸軍士官学校に通っている間は、私は相変わらず鯉登家の家政婦として働いていた。
夫人も大佐も私のしたいようにしてくれて良いと言われたので、お言葉に甘えさせていただいた。
坊ちゃまが時折屋敷に帰省したときは、学校での様々な話を聞かせてもらった。
ご友人ができたり、派閥争いが早くも起きていたりと、良くも悪くも社会に揉まれているようだった。
それだけではなく、坊ちゃまは度々私に手紙を送ってくださった。
私も手紙を書いては、次の返事を心待ちにして過ごした。
学校卒業後、入隊前のわずかな休日で坊ちゃまは私を屋敷から連れ出し、歩き回った。
学校の話や軍の話など色々な話を聞かされて、坊ちゃまの成長っぷりを実感したものだった。
しかし、夕暮れ時になっても、何故か坊ちゃまは屋敷へ戻ろうとしなかった。
不思議に思っていると、夕焼けに負けないくらい顔を真っ赤にした坊ちゃまが、おもむろに私の肩を強く抱き寄せた。
急な動きに驚いていると、坊ちゃまは早口で、そして叫ぶように一気に言った。
「おいはこれからも迷惑をかくっち思うどん、夢主を一生をかけて守っていこごたっ。立派な軍人になったや迎えけ行っでといえしてくれんか。」
「け、結婚、ですか……?」
私は驚いて固まってしまった。
坊ちゃまと、私が、結婚!?
「嫌か?」
真っ赤な顔で、いつものキリッとした表情ではなく情けないまでに眉毛を下げた坊ちゃまに問いかけられて、今度は私が早口になる番だった。
「い、嫌なわけないです!でも……きっと鯉登大佐が認めた縁談がいずれ坊ちゃまには来ます。私のような身寄りのない人間など、認められるわけが……。」
嬉しいけれども、彼は鯉登家のたった一人残された後継ぎ。
私のような人間では彼の夫人は務まらないと思い、私の気持ちなんかより周囲が納得しないと坊ちゃまを説得する。
しかし坊ちゃまは勝ち誇った様子で私に言い放った。
「父上は夢主とならといえして良かと、学校に入っ前からゆちょった。」
ええええ、と混乱しながらも、それが本当ならいよいよ断る理由がなくなってしまった。
何とか言い返す言葉を探すが頭の中は混乱していて碌な言葉が見つからなかった。
「……よ、よろしくお願いします。」
観念した私が小さな声でそう答えると、坊ちゃまが急に「キェーッ」と猿叫を上げて嬉しそうに飛び上がった。
そして私を改めて抱きしめると心底嬉しそうに、もはや聞き取れないほど早口の薩摩弁でしきりに何かを叫んでいた。
それから金塊戦争を経て、鶴見中尉の退却後に立派な軍人となった坊ちゃまは、残された兵を守り第七師団の発展に貢献しながら私と私たちの子を守る立派な鯉登家の大黒柱として暮らしましたとさ。
おわり。
【あとがき:鯉登ルートで原作沿い書くと、こんな感じでしょうか。】