空欄の場合は夢主になります。
尾形
お名前をどうぞ
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
傷心旅/尾形
私は夢主。
中小企業の事務員として働いていました。
過去形なのは、先日仕事を辞めたからです。
辞めることになったきっかけは、情けない話ですが付き合っていた人とお別れしたことが原因です。
元彼は同じ会社の社員でした。
平和に仲良く付き合ってきたつもりだったけれど、私の後輩である女性社員と二股かけられてしまいました。
しかも二股に気が付いたときには、後輩のお腹には元彼との子供がすでに居て、後輩はこれから産休を取ると言って休みに入った頃でした。
後輩と入籍するから別れてくれと必死に頭を下げられて、私は退くしかありませんでした。
小さい会社ですから噂好きが1人か2人いれば話は全員に行き渡ります。
私と彼が付き合っていることは皆知っていたから同情してくれたけれど、なんやかんやで結婚して幸せそうな彼を見ているのは胸が張り裂けそうでした。
気が付いたら退職願を提出していました。
皆が引き留めたり慰めたりしてくれたけれど、それがみじめに感じたものです。
そんなこんなで無職になってはじめの方こそ、ジメジメめそめそと生きていました。
しかし仕事を辞めて私と元彼のことを知っている人がいない世界になったと気付いたら、急に落ち着きを取り戻しました。
慰謝料をがっぽり貰えば良い、なんて誰かが言っていたけれど、関わるのも馬鹿馬鹿しく思えてきました。
なにかと散財しがちな元彼と違い、私は貯蓄が趣味でした。
しばらく食うものには困らない状態のため、私は思い切った行動に出ました。
いつもは乗らない電車に乗って長い時間ガタンゴトンと不規則に揺られ、気の赴くままに乗り換えをしました。
最後に乗り換えてからどの位経ったのか覚えていないけれど、徐々に降りていく人が増えて車両にはポツポツとしか人が乗っていません。
ここだ、と感じた場所でなんとなく下車。
必要最低限の荷物を持って、私は知らない土地に来ました。
そこは私がいた街よりもずっとのどかで平和な空気が漂っていました。
そんな場所に女が一人で旅行に来るとなると浮きそうなものですが、どうやら近年のおひとり旅ブームのおかげで好奇の目に晒されることなく無事に宿をゲットしました。
節約志向がこんなところにも出てしまって素泊まりでお願いしたため、食料調達を兼ねて散策することにしました。
あてもなくブラブラと歩いていると、小川が見えてきました。
そこは周りは人工物がほとんどなくてとにかく自然に囲まれた川でした。
すぐ近くで釣りをしている人を見つけた私は、草をかき分けてそちらへ近づきます。
「あの……こんにちは。」
勇気を出して私が話しかけると、釣り人はうん?と唸るような声を出してこちらを見て、驚いたように目を丸くしています。
「おぉ、お嬢さんここらでは見ない顔だなあ?」
そう言って彼は釣り竿を操作して手を離し、帽子を取って汗をぬぐうとこちらをじっと見つめています。
坊主頭のお兄さんは、にっこりと笑って手を差し出してきました。
「俺は白石ってんだ。」
「夢主と言います。ここにはさっき、旅行で来たんです。ここではどんな魚が取れるんですか?」
握手をして自己紹介を終えると、白石さんはそばにあったクーラーボックスを開けて見せてくれます。
私がのぞき込むとそこには数匹ではありますが、多種多様な川魚が入っているようです。
「これ、全部食用でしょうか?」
私が問いかけると、白石さんはウンウンと頷いて返事をしてくれます。
さらにちょうど釣り竿が引いたところで一匹吊り上げ、得意げに私に見せてくれました。
「この魚はね、これから俺の友達の店に持ってくんだ。よかったら夢主ちゃんもついてきなよ。」
「はい。ぜひ!」
荷物をまとめた白石さんについて歩き、近くに停めてあった軽トラに乗せてもらいました。
道中はこの町がどんなところか、魚料理のこと、これから行く友人の店についてなど、様々なことを教えてくれました。
時刻は夕方になりつつあり、日が傾いてきていました。
お店につくと、白石さんは準備中と書かれていたお店の扉をためらいもなく開けました。
入口にある呼び鈴すら鳴らさないことに少し驚きましたが、付き合いが長い友人だから許される行動なのだろうか、と考えました。
「尾形ちゃ~ん。お魚持ってきたよ~。」
そう呼びかけると、電気のついていない店の奥から「おう。」と声が聞こえて続いて人が出てきました。
尾形ちゃん、と白石さんは軽快に呼んでいましたが、とても愛想が良いとは思えないクールな男性が奥から出てきたので、私は驚いて固まってしまいました。
尾形さんは白石さんから受け取ったクーラーボックスを開けると、「ほう、やるじゃねえか。」と感嘆の声を上げています。
そしてこちらをチラリと見ると尾形さんはニタ、と笑いました。
「白石、んで、今日は女も釣れたってわけか?」
その言葉を一瞬理解できませんでしたが、褒められた行動ではないと察した私は内心ではムッとしつつもすぐに反論できずに、口ごもってしまいました。
白石さんは速攻で「おばか!」と尾形さんを小突き、小声ではありましたが「これから口説こうと思ってたのに。」と冗談を言って場を和ませてくれました。
「今日、ここに旅行に来たんだってさ。」
「ほー……なんもねえのに。」
二人にまじまじと観察されて、いたたまれなくなった私は何とか話題を変えようと言葉を探し、話を振りました。
「あ、あの、今日って営業は何時からですか?素泊まりなので、夕飯を食べれるところを探してまして……。」
私が話題を変えると、二人は顔を見合わせて笑い飛ばします。
何かおかしなことを言ってしまったか、と一瞬戸惑いましたが、白石さんが私の頭にぽんっと手を置きます。
「?」と首をかしげると、尾形さんが続けて答えてくださりました。
「何時でもねえよ。好きなときに好きなようにやってんだ。」
「そ、そうだったんですか。」
では、もしかしたら今日は営業の気分じゃなかったかも……と一瞬落ち込みましたが、尾形さんは「座って待ってろ」と言ってクーラーボックスを持って店の奥の厨房へと消えていきました。
残された私たちは、どうしたらよいのでしょうか。
そんな風に思っていると、白石さんが勝手に店のお座敷の端に積み重なっていた座布団を取り出して私に座るように促してくださったので、私は大人しく従い正座しました。
そして白石さんは店の冷蔵棚からビール瓶やグラスを持ってきて机の向かい側に座ると、私の前に注いでくれました。
身内の店ということもあるのでしょうが、まるで実家にいるような慣れた様子に少し面食らってしまいました。
尾形さんが厨房で魚を処理している間に、白石さんがまた色々なことを教えてくれました。
尾形さんは白石さんと幼馴染で、こうして白石さんが採ってきた魚を調理してくれたり、狩猟免許を持っていることから自分自身で仕留めた獲物を捌いてジビエ料理を提供してくれることがあるそうです。
田舎だからほかにも同年代はちらほらと居て、皆顔なじみであるからこの店には時々人が集まっているそうです。
厨房から良い匂いがしてきたころ、店の扉がガラッと開いて顔に傷のある男性が入ってきました。
「いい匂いがすっから来ちまったぜ。」
早くも出来上がりつつある白石さんがその男性を見ると「杉元ぉ~!」と声を上げ、自分の隣に座らせるとおもむろに抱き着きました。
白石さんは杉元さんに坊主頭をペチッと叩かれていましたが、それすらも嬉しそうに「俺のダチ」と杉元さんを私に紹介してくれました。
仲の良さに驚きつつ、私も杉元さんに自己紹介をしました。
「よろしくね。」と杉元さんは優しく笑ってくださりました。
ちょうど何品か出来上がったのか尾形さんが料理を運んできて、「杉元じゃねえか」と驚きつつ笑っていました。
料理を並べた後、冷蔵棚からビール瓶を取り出した尾形さんは杉元さんに渡し「飲みすぎんなよ」と言いつつも店の奥からものすごく大きなジョッキを持ってきていて、つい私も笑ってしまいました。
白石さん曰く、あの大きなジョッキは杉元さん専用らしいです。
尾形さんはカセットコンロと鍋を持ってきたのを最後に、自分もお座敷の席に混ざりました。
私の隣に腰を下ろした尾形さんは、白石さんたちに聞かれるままにこれがどの魚でどんな味つけをしたのか簡単に説明しています。
尾形さんにお酌をすると、尾形さんはこちらを横目で見ながら「どうも」と素っ気なく愛想笑いをしてくださったのですが、その様子をみた杉元さんと白石さんはギョッとした表情を浮かべていました。
私が不思議に思い首をかしげてみせると二人は「尾形が笑いかけるなんてレアだ!」「夢主ちゃんすごい!」と騒ぎ立てています。
尾形さんが「あ゛?」と不穏な声をあげていましたが、二人はきゃあきゃあとまるで女子高生のようなテンションではしゃいでいました。
鍋をつつきながら様々な話を聞きました。
皆さんの学生時代のお話とか、3人で一緒にやったとんでもない日雇いバイトの話とか……どれも面白いお話ばかりでした。
ふいに杉元さんに「夢主ちゃんはさ、なんでここに来たの?」と問いかけられました。
私はついピタッと動きが止まってしまいました。
3人が不思議そうにこちらを見ています。
嘘をついても良かったのではないかと後になって思いましたが、その時は正直に話すしかないと私は重い口を開きました。
「実は……」
私は元彼に裏切られたこと、仕事をしづらくなってしまって退職したことなどを話しました。
暗い話題ですのであまり辛気臭い雰囲気にさせるのも悪いと思い、簡単に概要を話して「でも皆さんのおかげで一人旅が楽しくなりました。ありがとうございます。」と付け加えて心配させないように心がけました。
すべてを話し終えると、杉元さんは「夢主ちゃんならきっと良い人が見つかるよ」と優しい言葉をかけてくださりました。
白石さんはお酒が入っているせいもあってか、「彼氏に立候補しま~す!」とテーブルに身を乗り出していて、「危ないだろ」と杉元さんに引っ張られて無理矢理座らされていました。
白石さんをたしなめつつも、杉元さんも「俺は?」と聞いてくるのだから、つい笑ってしまいます。
尾形さんはというと、自分の前髪を撫で上げながら視線はどこか遠くを見ています。
そのあとは普通に盛り上がる話を色々と杉元さんたちが振ってくださったので、なんとか暗い雰囲気にはならずに済みました。
白石さんと杉元さんは気分が良いのか散々飲んで酔いつぶれ、お座敷で丸めた座布団を枕にグーグーいびきをかいて寝てしまいました。
私と尾形さんはゆっくりとお酒を飲んでいたせいか、酔いつぶれるほどではありませんでした。
店じまいをするようで尾形さんが片づけをしようとするので、「私も手伝います」と言って食器やグラスを運びます。
私たちは並んで洗い物をしていましたが、会話はそんなにありませんでした。
しかし不思議とそれが気まずくなく、私はむしろ心地良さまで感じていました。
簡単に片づけて店じまいを終えた尾形さんに、お食事代をお支払いしようとしたのですが、断られてしまいました。
「でも……」と戸惑っていると尾形さんは得意げに笑って「杉元と白石にツケておく。今までも散々貸しがあんだ。」と言い放ちます。
貸しは本当なようで、几帳面にノートに日付と金額、内容までメモしている帳簿を尾形さんは見せてくださりました。
尾形さんはそのノートに今日の日付で数字を書き足していました。
私もそこまでされたら何も言えず、お礼を言って頭を下げました。
「では、宿に戻りますね。」
私が店の扉をあけようとしたところ、尾形さんが奥の部屋から上着をとってきて、「送る」と短く言います。
戸惑いましたが正直ここまで白石さんの軽トラで来たこともあって帰路を覚えておらず、ナビアプリでも使わないと宿には戻れないと思っていたので、お言葉に甘えることにしました。
二人で並んで夜道を歩き、すっかり日が暮れた街の様子を私は楽しんでいました。まるで子供の頃の夏休みの夜みたいです。
スマホのライトを頼りに真っ暗な夜道を歩きます。
「良いご友人たちですね。……私、ここにきて人の温かさに触れて傷が癒えました。」
自然と今日の出会いの喜びからか、私はいつもよりも柔らかい声が出ていた気がします。
尾形さんは私の言葉に少々驚いたような様子を見せましたが、すぐにフッと笑いだしました。
「……俺も、少しはお前の気持ちがわかる。親に恵まれなかったからな。」
皆で話していた時には見せなかった寂しそうな表情に、私は思わず息を飲みました。
悲しさや切なさも感じられるその表情に、なんだか妙に目を惹くものがありました。
「そうだったんですか。でも、今はもう、寂しくないですよね?」
私がそう言って尾形さんを見上げると、彼はちょっと驚いた様子を見せたがすぐに強気に笑い飛ばしました。
「はは、俺は「寂しい」とは言ってねえんだが。どっかの誰かさんと一緒にすんなよ。」
軽口を叩きつつもその視線は優しかったので、私はムッとした表情をわざと作ってみせましたが、口角が上がってニヤついてしまい結局つられて笑ってしまっていました。
「明日帰るのか?」
そう問いかけられて、私はこくりと頷きます。
尾形さんが寂しそうな顔をしていたのは、私の気のせいでしょうか。
気が付かないふりをして、私は努めて明るく明日の電車の時刻表をスマホで確認して見せます。
尾形さんはその画面をじっと見て、それから何かを決心したように小さくうなずきました。
宿の前で再度お礼を言って尾形さんと別れました。
寝る準備をしてから布団に入って、私はふ今日一日を思い返していました。
あの場所で白石さんに声をかけて本当に良かった。
白石さんも杉元さんも初対面の私にとっても良くしてくださりました。
でも脳裏に浮かぶのはたくさん話した2人ではなく、尾形さんのことばかりでした。
尾形さんは口数は多くないし、表情も割と仏頂面なことが多いように思えますが、何故だかふとした時に見せる表情が私にはとても印象に残ります。
きっと、親に恵まれなかったことで心の中に傷を抱えて生きているのだと思います。
それでも今は友達に恵まれていること、私にもこうして優しくしてくださったことが、とても嬉しく思いました。
次の日、駅に着くと白石さんと杉元さんと尾形さんがいました。
「えっ、皆さんどうして……。」
私が驚いていると尾形さんが「昨日時刻表見たから。」と素っ気なく言います。
ああ、と頷いてみせたものの、まだ少し驚きが残っていました。
それを見て白石さんが笑いながら尾形さんを小突きます。
「いや~尾形ちゃんがね、どぉ~~~してもって言うからさ。」
茶化されることが嫌なのか尾形さんの表情が死んでいます。
「ちげえよ。お前らが挨拶もできなかったって寝起きに大声で泣きわめくからだろうが。」
尾形さんは嫌そうに言い訳をしましたが、杉元さんがこちらに近づくとこっそり私に耳打ちしてくださりました。
「尾形が「起きろ、見送りに行くぞ」って言って俺らを起こしたんだよ。」
「ふふ、そうだったんですか。わざわざありがとうございます。」
私と杉元さんがこしょこしょと話しているのが気に入らなかったのか、私たちをバリッと引きはがすように尾形さんが間に入ります。
その様子を見た杉元さんが「なんでもないって!」と笑いながら離れ、白石さんと並び今度は二人でこちらを見ながらこそこそと内緒話をしていました。
白石さんと杉元さんって、本当に女子高生みたいな仲の良さをしています。
尾形さんは私に向き直ると、少し言いづらそうに頬をかきました。
「……その、なんだ。せっかく話の分かるやつと会えたから、……。」
その言葉の先はなく、尾形さんは黙り込んでしまいました。
でも私には尾形さんが何を言いたいのかすぐにわかりました。
私はポケットからメモを取り出すと尾形さんに手渡しました。
「ふふ、これ、私の連絡先です。よかったら連絡ください。」
「あ、あぁ。」
そのやりとりを見ていた二人は「きゃあ~」と歓声を上げます。
私はつい笑いだしてしまいましたが、尾形さんがイラッとした様子でそちらを睨んでいました。
「もし良ければお二人にも連絡先、教えてあげてください。」
そう言って笑いかけると、尾形さんはムッとした様子を浮かべつつ、「後でな」とだけ短く返してくれました。
そんなやりとりをしていると電車が来ました。
私は少し名残惜しくなってしまいましたが、彼らに「ありがとうございました」と声をかけて電車に乗車しました。
短い滞在時間だったにもかかわらず、杉元さんと白石さんは「また来てね!」と涙ながらに手を振ってくれました。
3人は並んで見送ってくださり、動き出した電車の中から私も手を振って別れました。
電車に乗って、外の景色を見ているとさっそくスマホが鳴りました。
画面を開くと通知が1件。
メッセージには「次はいつ来る」とだけ短くあって、彼らしいな……と思わず微笑んでしまいました。
すっかり傷も癒えて元気になったのも束の間、もう既に会いたいのだから困ったものです。
私の次の引っ越し先が決まりました。
おわり。
【あとがき:田舎で最初にコミュ高+偏見なしの白石に話しかけたのは大正解(偏見の塊の作者)】
私は夢主。
中小企業の事務員として働いていました。
過去形なのは、先日仕事を辞めたからです。
辞めることになったきっかけは、情けない話ですが付き合っていた人とお別れしたことが原因です。
元彼は同じ会社の社員でした。
平和に仲良く付き合ってきたつもりだったけれど、私の後輩である女性社員と二股かけられてしまいました。
しかも二股に気が付いたときには、後輩のお腹には元彼との子供がすでに居て、後輩はこれから産休を取ると言って休みに入った頃でした。
後輩と入籍するから別れてくれと必死に頭を下げられて、私は退くしかありませんでした。
小さい会社ですから噂好きが1人か2人いれば話は全員に行き渡ります。
私と彼が付き合っていることは皆知っていたから同情してくれたけれど、なんやかんやで結婚して幸せそうな彼を見ているのは胸が張り裂けそうでした。
気が付いたら退職願を提出していました。
皆が引き留めたり慰めたりしてくれたけれど、それがみじめに感じたものです。
そんなこんなで無職になってはじめの方こそ、ジメジメめそめそと生きていました。
しかし仕事を辞めて私と元彼のことを知っている人がいない世界になったと気付いたら、急に落ち着きを取り戻しました。
慰謝料をがっぽり貰えば良い、なんて誰かが言っていたけれど、関わるのも馬鹿馬鹿しく思えてきました。
なにかと散財しがちな元彼と違い、私は貯蓄が趣味でした。
しばらく食うものには困らない状態のため、私は思い切った行動に出ました。
いつもは乗らない電車に乗って長い時間ガタンゴトンと不規則に揺られ、気の赴くままに乗り換えをしました。
最後に乗り換えてからどの位経ったのか覚えていないけれど、徐々に降りていく人が増えて車両にはポツポツとしか人が乗っていません。
ここだ、と感じた場所でなんとなく下車。
必要最低限の荷物を持って、私は知らない土地に来ました。
そこは私がいた街よりもずっとのどかで平和な空気が漂っていました。
そんな場所に女が一人で旅行に来るとなると浮きそうなものですが、どうやら近年のおひとり旅ブームのおかげで好奇の目に晒されることなく無事に宿をゲットしました。
節約志向がこんなところにも出てしまって素泊まりでお願いしたため、食料調達を兼ねて散策することにしました。
あてもなくブラブラと歩いていると、小川が見えてきました。
そこは周りは人工物がほとんどなくてとにかく自然に囲まれた川でした。
すぐ近くで釣りをしている人を見つけた私は、草をかき分けてそちらへ近づきます。
「あの……こんにちは。」
勇気を出して私が話しかけると、釣り人はうん?と唸るような声を出してこちらを見て、驚いたように目を丸くしています。
「おぉ、お嬢さんここらでは見ない顔だなあ?」
そう言って彼は釣り竿を操作して手を離し、帽子を取って汗をぬぐうとこちらをじっと見つめています。
坊主頭のお兄さんは、にっこりと笑って手を差し出してきました。
「俺は白石ってんだ。」
「夢主と言います。ここにはさっき、旅行で来たんです。ここではどんな魚が取れるんですか?」
握手をして自己紹介を終えると、白石さんはそばにあったクーラーボックスを開けて見せてくれます。
私がのぞき込むとそこには数匹ではありますが、多種多様な川魚が入っているようです。
「これ、全部食用でしょうか?」
私が問いかけると、白石さんはウンウンと頷いて返事をしてくれます。
さらにちょうど釣り竿が引いたところで一匹吊り上げ、得意げに私に見せてくれました。
「この魚はね、これから俺の友達の店に持ってくんだ。よかったら夢主ちゃんもついてきなよ。」
「はい。ぜひ!」
荷物をまとめた白石さんについて歩き、近くに停めてあった軽トラに乗せてもらいました。
道中はこの町がどんなところか、魚料理のこと、これから行く友人の店についてなど、様々なことを教えてくれました。
時刻は夕方になりつつあり、日が傾いてきていました。
お店につくと、白石さんは準備中と書かれていたお店の扉をためらいもなく開けました。
入口にある呼び鈴すら鳴らさないことに少し驚きましたが、付き合いが長い友人だから許される行動なのだろうか、と考えました。
「尾形ちゃ~ん。お魚持ってきたよ~。」
そう呼びかけると、電気のついていない店の奥から「おう。」と声が聞こえて続いて人が出てきました。
尾形ちゃん、と白石さんは軽快に呼んでいましたが、とても愛想が良いとは思えないクールな男性が奥から出てきたので、私は驚いて固まってしまいました。
尾形さんは白石さんから受け取ったクーラーボックスを開けると、「ほう、やるじゃねえか。」と感嘆の声を上げています。
そしてこちらをチラリと見ると尾形さんはニタ、と笑いました。
「白石、んで、今日は女も釣れたってわけか?」
その言葉を一瞬理解できませんでしたが、褒められた行動ではないと察した私は内心ではムッとしつつもすぐに反論できずに、口ごもってしまいました。
白石さんは速攻で「おばか!」と尾形さんを小突き、小声ではありましたが「これから口説こうと思ってたのに。」と冗談を言って場を和ませてくれました。
「今日、ここに旅行に来たんだってさ。」
「ほー……なんもねえのに。」
二人にまじまじと観察されて、いたたまれなくなった私は何とか話題を変えようと言葉を探し、話を振りました。
「あ、あの、今日って営業は何時からですか?素泊まりなので、夕飯を食べれるところを探してまして……。」
私が話題を変えると、二人は顔を見合わせて笑い飛ばします。
何かおかしなことを言ってしまったか、と一瞬戸惑いましたが、白石さんが私の頭にぽんっと手を置きます。
「?」と首をかしげると、尾形さんが続けて答えてくださりました。
「何時でもねえよ。好きなときに好きなようにやってんだ。」
「そ、そうだったんですか。」
では、もしかしたら今日は営業の気分じゃなかったかも……と一瞬落ち込みましたが、尾形さんは「座って待ってろ」と言ってクーラーボックスを持って店の奥の厨房へと消えていきました。
残された私たちは、どうしたらよいのでしょうか。
そんな風に思っていると、白石さんが勝手に店のお座敷の端に積み重なっていた座布団を取り出して私に座るように促してくださったので、私は大人しく従い正座しました。
そして白石さんは店の冷蔵棚からビール瓶やグラスを持ってきて机の向かい側に座ると、私の前に注いでくれました。
身内の店ということもあるのでしょうが、まるで実家にいるような慣れた様子に少し面食らってしまいました。
尾形さんが厨房で魚を処理している間に、白石さんがまた色々なことを教えてくれました。
尾形さんは白石さんと幼馴染で、こうして白石さんが採ってきた魚を調理してくれたり、狩猟免許を持っていることから自分自身で仕留めた獲物を捌いてジビエ料理を提供してくれることがあるそうです。
田舎だからほかにも同年代はちらほらと居て、皆顔なじみであるからこの店には時々人が集まっているそうです。
厨房から良い匂いがしてきたころ、店の扉がガラッと開いて顔に傷のある男性が入ってきました。
「いい匂いがすっから来ちまったぜ。」
早くも出来上がりつつある白石さんがその男性を見ると「杉元ぉ~!」と声を上げ、自分の隣に座らせるとおもむろに抱き着きました。
白石さんは杉元さんに坊主頭をペチッと叩かれていましたが、それすらも嬉しそうに「俺のダチ」と杉元さんを私に紹介してくれました。
仲の良さに驚きつつ、私も杉元さんに自己紹介をしました。
「よろしくね。」と杉元さんは優しく笑ってくださりました。
ちょうど何品か出来上がったのか尾形さんが料理を運んできて、「杉元じゃねえか」と驚きつつ笑っていました。
料理を並べた後、冷蔵棚からビール瓶を取り出した尾形さんは杉元さんに渡し「飲みすぎんなよ」と言いつつも店の奥からものすごく大きなジョッキを持ってきていて、つい私も笑ってしまいました。
白石さん曰く、あの大きなジョッキは杉元さん専用らしいです。
尾形さんはカセットコンロと鍋を持ってきたのを最後に、自分もお座敷の席に混ざりました。
私の隣に腰を下ろした尾形さんは、白石さんたちに聞かれるままにこれがどの魚でどんな味つけをしたのか簡単に説明しています。
尾形さんにお酌をすると、尾形さんはこちらを横目で見ながら「どうも」と素っ気なく愛想笑いをしてくださったのですが、その様子をみた杉元さんと白石さんはギョッとした表情を浮かべていました。
私が不思議に思い首をかしげてみせると二人は「尾形が笑いかけるなんてレアだ!」「夢主ちゃんすごい!」と騒ぎ立てています。
尾形さんが「あ゛?」と不穏な声をあげていましたが、二人はきゃあきゃあとまるで女子高生のようなテンションではしゃいでいました。
鍋をつつきながら様々な話を聞きました。
皆さんの学生時代のお話とか、3人で一緒にやったとんでもない日雇いバイトの話とか……どれも面白いお話ばかりでした。
ふいに杉元さんに「夢主ちゃんはさ、なんでここに来たの?」と問いかけられました。
私はついピタッと動きが止まってしまいました。
3人が不思議そうにこちらを見ています。
嘘をついても良かったのではないかと後になって思いましたが、その時は正直に話すしかないと私は重い口を開きました。
「実は……」
私は元彼に裏切られたこと、仕事をしづらくなってしまって退職したことなどを話しました。
暗い話題ですのであまり辛気臭い雰囲気にさせるのも悪いと思い、簡単に概要を話して「でも皆さんのおかげで一人旅が楽しくなりました。ありがとうございます。」と付け加えて心配させないように心がけました。
すべてを話し終えると、杉元さんは「夢主ちゃんならきっと良い人が見つかるよ」と優しい言葉をかけてくださりました。
白石さんはお酒が入っているせいもあってか、「彼氏に立候補しま~す!」とテーブルに身を乗り出していて、「危ないだろ」と杉元さんに引っ張られて無理矢理座らされていました。
白石さんをたしなめつつも、杉元さんも「俺は?」と聞いてくるのだから、つい笑ってしまいます。
尾形さんはというと、自分の前髪を撫で上げながら視線はどこか遠くを見ています。
そのあとは普通に盛り上がる話を色々と杉元さんたちが振ってくださったので、なんとか暗い雰囲気にはならずに済みました。
白石さんと杉元さんは気分が良いのか散々飲んで酔いつぶれ、お座敷で丸めた座布団を枕にグーグーいびきをかいて寝てしまいました。
私と尾形さんはゆっくりとお酒を飲んでいたせいか、酔いつぶれるほどではありませんでした。
店じまいをするようで尾形さんが片づけをしようとするので、「私も手伝います」と言って食器やグラスを運びます。
私たちは並んで洗い物をしていましたが、会話はそんなにありませんでした。
しかし不思議とそれが気まずくなく、私はむしろ心地良さまで感じていました。
簡単に片づけて店じまいを終えた尾形さんに、お食事代をお支払いしようとしたのですが、断られてしまいました。
「でも……」と戸惑っていると尾形さんは得意げに笑って「杉元と白石にツケておく。今までも散々貸しがあんだ。」と言い放ちます。
貸しは本当なようで、几帳面にノートに日付と金額、内容までメモしている帳簿を尾形さんは見せてくださりました。
尾形さんはそのノートに今日の日付で数字を書き足していました。
私もそこまでされたら何も言えず、お礼を言って頭を下げました。
「では、宿に戻りますね。」
私が店の扉をあけようとしたところ、尾形さんが奥の部屋から上着をとってきて、「送る」と短く言います。
戸惑いましたが正直ここまで白石さんの軽トラで来たこともあって帰路を覚えておらず、ナビアプリでも使わないと宿には戻れないと思っていたので、お言葉に甘えることにしました。
二人で並んで夜道を歩き、すっかり日が暮れた街の様子を私は楽しんでいました。まるで子供の頃の夏休みの夜みたいです。
スマホのライトを頼りに真っ暗な夜道を歩きます。
「良いご友人たちですね。……私、ここにきて人の温かさに触れて傷が癒えました。」
自然と今日の出会いの喜びからか、私はいつもよりも柔らかい声が出ていた気がします。
尾形さんは私の言葉に少々驚いたような様子を見せましたが、すぐにフッと笑いだしました。
「……俺も、少しはお前の気持ちがわかる。親に恵まれなかったからな。」
皆で話していた時には見せなかった寂しそうな表情に、私は思わず息を飲みました。
悲しさや切なさも感じられるその表情に、なんだか妙に目を惹くものがありました。
「そうだったんですか。でも、今はもう、寂しくないですよね?」
私がそう言って尾形さんを見上げると、彼はちょっと驚いた様子を見せたがすぐに強気に笑い飛ばしました。
「はは、俺は「寂しい」とは言ってねえんだが。どっかの誰かさんと一緒にすんなよ。」
軽口を叩きつつもその視線は優しかったので、私はムッとした表情をわざと作ってみせましたが、口角が上がってニヤついてしまい結局つられて笑ってしまっていました。
「明日帰るのか?」
そう問いかけられて、私はこくりと頷きます。
尾形さんが寂しそうな顔をしていたのは、私の気のせいでしょうか。
気が付かないふりをして、私は努めて明るく明日の電車の時刻表をスマホで確認して見せます。
尾形さんはその画面をじっと見て、それから何かを決心したように小さくうなずきました。
宿の前で再度お礼を言って尾形さんと別れました。
寝る準備をしてから布団に入って、私はふ今日一日を思い返していました。
あの場所で白石さんに声をかけて本当に良かった。
白石さんも杉元さんも初対面の私にとっても良くしてくださりました。
でも脳裏に浮かぶのはたくさん話した2人ではなく、尾形さんのことばかりでした。
尾形さんは口数は多くないし、表情も割と仏頂面なことが多いように思えますが、何故だかふとした時に見せる表情が私にはとても印象に残ります。
きっと、親に恵まれなかったことで心の中に傷を抱えて生きているのだと思います。
それでも今は友達に恵まれていること、私にもこうして優しくしてくださったことが、とても嬉しく思いました。
次の日、駅に着くと白石さんと杉元さんと尾形さんがいました。
「えっ、皆さんどうして……。」
私が驚いていると尾形さんが「昨日時刻表見たから。」と素っ気なく言います。
ああ、と頷いてみせたものの、まだ少し驚きが残っていました。
それを見て白石さんが笑いながら尾形さんを小突きます。
「いや~尾形ちゃんがね、どぉ~~~してもって言うからさ。」
茶化されることが嫌なのか尾形さんの表情が死んでいます。
「ちげえよ。お前らが挨拶もできなかったって寝起きに大声で泣きわめくからだろうが。」
尾形さんは嫌そうに言い訳をしましたが、杉元さんがこちらに近づくとこっそり私に耳打ちしてくださりました。
「尾形が「起きろ、見送りに行くぞ」って言って俺らを起こしたんだよ。」
「ふふ、そうだったんですか。わざわざありがとうございます。」
私と杉元さんがこしょこしょと話しているのが気に入らなかったのか、私たちをバリッと引きはがすように尾形さんが間に入ります。
その様子を見た杉元さんが「なんでもないって!」と笑いながら離れ、白石さんと並び今度は二人でこちらを見ながらこそこそと内緒話をしていました。
白石さんと杉元さんって、本当に女子高生みたいな仲の良さをしています。
尾形さんは私に向き直ると、少し言いづらそうに頬をかきました。
「……その、なんだ。せっかく話の分かるやつと会えたから、……。」
その言葉の先はなく、尾形さんは黙り込んでしまいました。
でも私には尾形さんが何を言いたいのかすぐにわかりました。
私はポケットからメモを取り出すと尾形さんに手渡しました。
「ふふ、これ、私の連絡先です。よかったら連絡ください。」
「あ、あぁ。」
そのやりとりを見ていた二人は「きゃあ~」と歓声を上げます。
私はつい笑いだしてしまいましたが、尾形さんがイラッとした様子でそちらを睨んでいました。
「もし良ければお二人にも連絡先、教えてあげてください。」
そう言って笑いかけると、尾形さんはムッとした様子を浮かべつつ、「後でな」とだけ短く返してくれました。
そんなやりとりをしていると電車が来ました。
私は少し名残惜しくなってしまいましたが、彼らに「ありがとうございました」と声をかけて電車に乗車しました。
短い滞在時間だったにもかかわらず、杉元さんと白石さんは「また来てね!」と涙ながらに手を振ってくれました。
3人は並んで見送ってくださり、動き出した電車の中から私も手を振って別れました。
電車に乗って、外の景色を見ているとさっそくスマホが鳴りました。
画面を開くと通知が1件。
メッセージには「次はいつ来る」とだけ短くあって、彼らしいな……と思わず微笑んでしまいました。
すっかり傷も癒えて元気になったのも束の間、もう既に会いたいのだから困ったものです。
私の次の引っ越し先が決まりました。
おわり。
【あとがき:田舎で最初にコミュ高+偏見なしの白石に話しかけたのは大正解(偏見の塊の作者)】