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常熱/尾形
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常熱/尾形
列車の上。
アシリパと対峙し、毒によって錯乱した中で、波のように次々と今までの自分と対話した。
そして、気付けば自分の人生を終わらせていた。
俺が勇作殿を殺したのと同じ方法で。
毒に苦しむのも腹の肉を斬るのも、俺が父母にしてきたことと同じだ。
なんという皮肉だろうか。最期になって自分にすべて還ってくるなんて。
いや、無意識に自分の命で彼らにしてきたことの責任を取ったつもりだったのかもしれない。
そのあとは地に堕ちたはずだったのに、妙な浮遊感があった。
どこまでも浮かび上がっていけるような、そんな不思議な感覚だった。
時間も方向も、あとは罪悪感だの祝福だの、俺を縛っていたすべてから解き放たれたと感じた。
そんな中で、一瞬だけあいつの、夢主の顔が浮かんだ。
その瞬間、ドクン、と脈打つ何かを感じた。肉体はもうないはずだが。
それなのに、俺の思考が止まることはなかった。
夢主と出会って、俺は何度選択肢を間違えただろうか。
あいつはいつだって俺を祝福すると、信じると、何度だって言っていた。
初めからずっと一貫していた。
金塊を追い求める中、何度もその場ですべてを投げ出して夢主と生きる選択をする機会はあった。
俺は心のどこかでは分かっていたのに、どうしてか止まることができなかった。
網走監獄で裏切ったときの、夢主に向けられた銃口と、怒りや悲しみに困惑したあの目が忘れられない。
たぶん、あの顔を見てから後悔してたんだ。心のどこかで。
また、裏切っちまったな。
道中、何回あいつと一緒に眠っただろうか。
ふと、そんなことを考えた。
野営するとき、いつも夢主は俺に背を向けて眠った。
こちらを見もしないくせに、添い寝は許してくるその頑なさも、愛おしかった。
夢主の温もりに触れていると、自分のすべてが許されたような気がしたんだ。
俺の体温が夢主の体温と混ざり合って溶けていく感覚。
いつの間にか、病みつきになっていた。
あの時が……温もりを感じているときが、きっと俺の求めているすべてだったんだ。
きっと、母親もそんな感覚だったんだろう。
母親が失ってからも、父親を追い求めた気持ちがようやくわかった。
父親が母親を愛した瞬間が確かにあったことも。
そして勇作殿は俺を最初から受け入れていた。俺に罪悪感がないわけない。欠けてなどいない。その言葉に嘘偽りはなかった。
自分の出生のせいだと思考に蓋をして、何もかもわからなくなっていただけだった。
もう手遅れだが、ようやくたどり着いた答え。
それを教えてくれたのは夢主の温もりだった。
あの温度を思い出して噛み締めていると、今度は身体が沈むような感覚を覚えた。
深く深く、どこまでもゆっくりと沈んでいけるような感覚だった。
今度は過去も未来も、すべてが俺にのしかかってきているように感じた。
もう一度、夢主の顔が浮かぶ。
またドクンと胸が高鳴るような感覚がした。
例えようがないが肺がないのに呼吸が荒くなるような状態で、更に勝手に頭の中に色んな映像が流れる。
夢主の笑う顔、怒る顔、呆れる顔、焦る顔、眠る顔……どれも俺に向けられたものだ。
こんな風に真剣に目の前の俺をまっすぐに見てくれている存在がありながら、俺は過去にこだわったんだ。
心がかき乱されるような感情の嵐に、指先がビリビリと痺れた気がする。
身体などとうに失ったのに。
もう一度だけ、夢主の温もりを感じたい。
夢主の温もりが恋しくて、何度も何度も繰り返し夢主の顔を思い出す。
想像の中ではあいつが照れようが暴れようが、絶対に逃がさないし、俺も逃げ出さないでいた。
なんとなく「次の人生では、夢主を探そう」と考えた。
俺に次の人生があるかどうかは不確定だし、俺の身体の感覚は壊れてしまっていると思うのに、自分勝手に頭の中でそう決定付けていた。
とにかく俺の人生を一緒に歩めるのは夢主しかいないという確信があった。
今世では俺から何もしてやらなかったのにも関わらず、一生懸命俺についてきたあいつを、次はたっぷりと甘やかそう。
そう脳内で独り言ちて、俺は笑みを浮かべていたと思う。
しばらくそうしていると、「尾形さん」と、夢主が俺を呼ぶ声が聞こえた気がした。
はっ、と気付いて辺りを見渡すと、見覚えのない人工物に囲まれていた。
どこだ。北海道じゃない。
線路も列車もなく、山の中でも森でもなければ、川や沢があるわけでもない。
申し訳程度の緑に、自然界では見たことのない奇抜な形状と色の人工物がいくつかあった。
時間は夜なのだろう。
しかし松明以上の眩しい光が点在していて、ここは俺の知っている夜よりもずっと明るい夜だった。
周囲を呆然と見ていた俺は、身体の感覚が戻っていることに遅れて気が付いた。
痺れていた指先はもう温かい。
胸に手を当てるとドクンドクンと脈打っている。
生きている……そのことに喜びも悲しみもなくただ、そう感じた。
身体を順番に見ていくと、見覚えのない服、見覚えなのない靴を履いていた。
軍服とは素材から違うのだろうか。
感じたことのない不思議な着心地に、俺はしばらく衣服をぎこちなく動かしたり触ったり引っ張ったりしていた。
夜をその場所で過ごした。
長椅子のようなものがあったので、そこでごろんと仰向けになってみた。
星の光だけではなく人工物に照らされた眩しい夜空をぼんやりと眺めていた。
これからどうするか、ここはどこなのか、そんなことを考えていた。
それでもなんとなく心のどこかで、夢主を探すことだけは決まっていた。
朝になって周囲に人が増えてきた。
誰もが面妖な恰好をしている。
誰も着物を着ていないし、洋装にしたってあまり見慣れない作りだ。
それに誰も歩きながら煙草を吸っていないのが不思議だった。
大人も子供も何か小型の機械をいじくりながら早足でどこかへ向かっている。
その小型の機械を、俺は以前に見たことがあるような気がした。
そうだ、夢主だ。
あいつが未来から持ってきていた機械だ。
そういえば、使い方がわからず地面に打ち付けて中身を出してみたが、細かい部品があるだけで全く何が何だかわからなかったことを今更ながらに思い出した。
そこで俺は未来に来たんだ、と感じた。
ふと、自分の顔を触る。
そういえば、失ったはずの右目はある。
その後撃ち抜いたはずの左目も無事だ。
しかし顎には傷があった。不死身の杉元にぶん殴られて崖から落ちた時のものだ。
その傷があると言うことは、この肉体は明治の時と同じものだと解釈した。
俺はあの列車の上から落ちた後、確かに死んだはずだが。
何が起きているのかなどまったく見当もつかん。
仮にここが未来人のいる世界なら、夢主はこっちにいるのだろうか?
居ても立っても居られなくなった俺は、飛び上がるように長椅子から立ち上がった。
どちらへ行こうかときょろきょろとしていると、不思議なことにある一定の方向から光を感じた。
空を見上げれば、明治と変わらない太陽の光がある。
しかし明らかに太陽とは違う方向から、別の温かい光を感じた。
その温かさを俺は知っている。
俺がずっと後ろから抱きしめていた、あいつの、俺の体温。
たまらず駆け出した。
未来は道のつくりも違えば建物も違う。
焦る気持ちもあったが、初めはおっかなびっくりの動きだった。
大きな通りに出ると、何やら大きな鉄の機械が往来している場所もあって、なぜかその鉄の機械は目にもとまらぬ速さで動いている時間と、何かに気が付いたように止まっている時間があった。
そしてそれと連動してか、一定時間を置くと人間だけが歩いて動き出す時間があった。
見様見真似で周囲と同じ動きをしてなんとか通りを抜ける。
そうやって光に少しずつ近づいて行った。
とある大きなガラス張りの建物に光は留まっていた。
光自体はゆらゆらと動いているような感覚があるが、それでもこの建物から離れていく様子はない。
入口には受付のようなものがある。
建物に入っていく人間は皆、受付で金銭の受け渡しのようなものをしている。
俺はこの時代の通貨など持っていない。
何かの間違いで金塊でも入っていないかと着なれない服の衣嚢を漁ると、折れ曲がった紙切れが入っていた。
俺がその紙切れを怪訝そうに見ていたからだろう。
外にいた警備員のような男が「それで入場できますよ」と声をかけてきた。
日本語が通じることに驚いてしまったが、よく考えたら初めから夢主とも会話はできたことを思い出す。
警備員に促されるがまま建物に入り紙切れを受付の女に渡すと、受付の女は紙切れの皺を丁寧に伸ばしてから切り込みのあるところで切って、小さくなった紙を俺に返してきた。
俺が戸惑いつつもそれを受け取ると、女が入口へと誘導したのでそれに従う。
建物に入ってから、より一層光の温もりを強く感じていた。
中は美術品で溢れていた。
金持ちの古物商が見せびらかしに来ているのか?
いや、それにしては誰も絵画を受け取っている様子はない。
それにこの場所は異様なまでに静かだ。
もしや観賞用なのだろうか。
金を払ってまで手に入りもしない美術品を見に行くとは金持ちの趣味はよくわからん。
どうやら歩く順路が決まっているようだったが、俺は美術品には目もくれず一直線に光の元へと向かった。
光へ近づくにつれて、不思議と懐かしい匂いも感じていた。
角を曲がってすぐ、後ろ姿で分かった。
たとえ軍服を着ていなくても、俺が見間違えるわけがない。
視覚、嗅覚、触覚、すべてが夢主の存在を認めていた。
なんと声をかけたらいいだろうか。
そんなことを考えながらゆっくりと近づく。
夢主の真後ろに立ったところで、ふとこいつは何をそんなに真剣に見ているんだろうかと気になって、夢主が見ている作品に視線を移す。
そこには穏やかな表情で横たわって眠るヤマネコの姿があった。
その作品が全く他人のものとは思えなかったのは、気のせいだろうか。
俺がぼんやりと考え込んでいると、目の前にいた夢主が不意に後ずさりをした。
俺にトンッとぶつかり、続けて危なっかしくふらついたため夢主の肩を咄嗟に支える。
夢主は慌てて俺に「すみません」と変な声で言ってきた。
相当動揺しているようで、久しぶりに聞いた声はまるで夢主の声じゃないみたいだ。
ついつい笑い出しそうになったがなんとか耐える。
こいつに何があったんだと見下ろしていると、夢主がこちらを見た。
夢主と視線が絡み合ったその瞬間、夢主は「ん゛!?」とまた変な声を上げた。
変わんねえな、と思わず笑ってしまった。
いつもの癖で前髪を撫で上げて誤魔化し、そのまま夢主の肩を抱いてこの静かな空間から退散することにした。
外へ連れ出す間も夢主は俺を凝視したまま目を白黒させていた。
必死で口元を両手で押さえながら、喉が締まった状態で叫び出しそうになるのを精一杯止めているようだった。
外へ出ると「尾形さん!!」と夢主は叫んだ。
ああ、この声だ。なぜか俺の耳に残る声。
そして俺をいつもまっすぐに見つめてきた視線。
表情はまだ動揺しているようだ。
なんて声をかけるか決まらないうちに再会してしまったが、俺の口から出たのは平凡なものだった。
「久しぶりだな、夢主。」
俺の声を聞いた瞬間、夢主の表情がくしゃ、と崩れた。
そして目から大粒の涙を流す。
あんなに散々俺に裏切られても涙を見せなった女が、一瞬で見たことがないほどに泣きじゃくった。
これが夢主の本来の姿なのかもしれない。
無理をさせていたのだな、と自分が情けなくなった。
たまらなくなって夢主を抱き寄せる。
なぜここにいる、と泣きながら夢主が問いかけてくるが、俺が求めたから以外に答えなどない。
素直になるにはもう少し時間が必要だ。
夢主の頭を撫でてやりながら、あえて少しおどけて答えた。
「こっちの台詞だ。急にいなくなったかと思えば、俺までこっちに来ちまった。」
夢主は止まらない涙をそのままに俺にしがみつく。
そうでもしないと俺が消えると思っているようだ。
「私、尾形さんを、救えなくて……。」
そう震える声で呟いた夢主。
そんな風に思っていたのか。
俺が夢主の存在に、どれだけ救われたことか。
「……いや、とっくに救われてた。ありがとうな、夢主。」
自然と言葉が出ていた。
俺の嘘偽りのない心からの本音だ。
夢主は未だかつてないほど優しい言葉を吐いた俺に驚いたらしい。
泣き顔のまま見上げてきたが、その視線は変わらずまっすぐに俺を見つめている。
「これからは離れず一緒にいてください。もう絶対に離さないでください。」
随分といじらしいことを言う。
しかしその表情は真剣そのものだった。
無理もないだろう、散々俺が振り回してきたのだから。
「ああ、そうだな。夢主、お前こそもう勝手にどこか行くんじゃねえぞ。」
俺は夢主の涙が伝う顎を持ち上げて、口付けを交わした。
今後は俺が毎日夢主を温め続けると誓いを込めて。
おわり。
【あとがき:尾形の転生話でした。】
列車の上。
アシリパと対峙し、毒によって錯乱した中で、波のように次々と今までの自分と対話した。
そして、気付けば自分の人生を終わらせていた。
俺が勇作殿を殺したのと同じ方法で。
毒に苦しむのも腹の肉を斬るのも、俺が父母にしてきたことと同じだ。
なんという皮肉だろうか。最期になって自分にすべて還ってくるなんて。
いや、無意識に自分の命で彼らにしてきたことの責任を取ったつもりだったのかもしれない。
そのあとは地に堕ちたはずだったのに、妙な浮遊感があった。
どこまでも浮かび上がっていけるような、そんな不思議な感覚だった。
時間も方向も、あとは罪悪感だの祝福だの、俺を縛っていたすべてから解き放たれたと感じた。
そんな中で、一瞬だけあいつの、夢主の顔が浮かんだ。
その瞬間、ドクン、と脈打つ何かを感じた。肉体はもうないはずだが。
それなのに、俺の思考が止まることはなかった。
夢主と出会って、俺は何度選択肢を間違えただろうか。
あいつはいつだって俺を祝福すると、信じると、何度だって言っていた。
初めからずっと一貫していた。
金塊を追い求める中、何度もその場ですべてを投げ出して夢主と生きる選択をする機会はあった。
俺は心のどこかでは分かっていたのに、どうしてか止まることができなかった。
網走監獄で裏切ったときの、夢主に向けられた銃口と、怒りや悲しみに困惑したあの目が忘れられない。
たぶん、あの顔を見てから後悔してたんだ。心のどこかで。
また、裏切っちまったな。
道中、何回あいつと一緒に眠っただろうか。
ふと、そんなことを考えた。
野営するとき、いつも夢主は俺に背を向けて眠った。
こちらを見もしないくせに、添い寝は許してくるその頑なさも、愛おしかった。
夢主の温もりに触れていると、自分のすべてが許されたような気がしたんだ。
俺の体温が夢主の体温と混ざり合って溶けていく感覚。
いつの間にか、病みつきになっていた。
あの時が……温もりを感じているときが、きっと俺の求めているすべてだったんだ。
きっと、母親もそんな感覚だったんだろう。
母親が失ってからも、父親を追い求めた気持ちがようやくわかった。
父親が母親を愛した瞬間が確かにあったことも。
そして勇作殿は俺を最初から受け入れていた。俺に罪悪感がないわけない。欠けてなどいない。その言葉に嘘偽りはなかった。
自分の出生のせいだと思考に蓋をして、何もかもわからなくなっていただけだった。
もう手遅れだが、ようやくたどり着いた答え。
それを教えてくれたのは夢主の温もりだった。
あの温度を思い出して噛み締めていると、今度は身体が沈むような感覚を覚えた。
深く深く、どこまでもゆっくりと沈んでいけるような感覚だった。
今度は過去も未来も、すべてが俺にのしかかってきているように感じた。
もう一度、夢主の顔が浮かぶ。
またドクンと胸が高鳴るような感覚がした。
例えようがないが肺がないのに呼吸が荒くなるような状態で、更に勝手に頭の中に色んな映像が流れる。
夢主の笑う顔、怒る顔、呆れる顔、焦る顔、眠る顔……どれも俺に向けられたものだ。
こんな風に真剣に目の前の俺をまっすぐに見てくれている存在がありながら、俺は過去にこだわったんだ。
心がかき乱されるような感情の嵐に、指先がビリビリと痺れた気がする。
身体などとうに失ったのに。
もう一度だけ、夢主の温もりを感じたい。
夢主の温もりが恋しくて、何度も何度も繰り返し夢主の顔を思い出す。
想像の中ではあいつが照れようが暴れようが、絶対に逃がさないし、俺も逃げ出さないでいた。
なんとなく「次の人生では、夢主を探そう」と考えた。
俺に次の人生があるかどうかは不確定だし、俺の身体の感覚は壊れてしまっていると思うのに、自分勝手に頭の中でそう決定付けていた。
とにかく俺の人生を一緒に歩めるのは夢主しかいないという確信があった。
今世では俺から何もしてやらなかったのにも関わらず、一生懸命俺についてきたあいつを、次はたっぷりと甘やかそう。
そう脳内で独り言ちて、俺は笑みを浮かべていたと思う。
しばらくそうしていると、「尾形さん」と、夢主が俺を呼ぶ声が聞こえた気がした。
はっ、と気付いて辺りを見渡すと、見覚えのない人工物に囲まれていた。
どこだ。北海道じゃない。
線路も列車もなく、山の中でも森でもなければ、川や沢があるわけでもない。
申し訳程度の緑に、自然界では見たことのない奇抜な形状と色の人工物がいくつかあった。
時間は夜なのだろう。
しかし松明以上の眩しい光が点在していて、ここは俺の知っている夜よりもずっと明るい夜だった。
周囲を呆然と見ていた俺は、身体の感覚が戻っていることに遅れて気が付いた。
痺れていた指先はもう温かい。
胸に手を当てるとドクンドクンと脈打っている。
生きている……そのことに喜びも悲しみもなくただ、そう感じた。
身体を順番に見ていくと、見覚えのない服、見覚えなのない靴を履いていた。
軍服とは素材から違うのだろうか。
感じたことのない不思議な着心地に、俺はしばらく衣服をぎこちなく動かしたり触ったり引っ張ったりしていた。
夜をその場所で過ごした。
長椅子のようなものがあったので、そこでごろんと仰向けになってみた。
星の光だけではなく人工物に照らされた眩しい夜空をぼんやりと眺めていた。
これからどうするか、ここはどこなのか、そんなことを考えていた。
それでもなんとなく心のどこかで、夢主を探すことだけは決まっていた。
朝になって周囲に人が増えてきた。
誰もが面妖な恰好をしている。
誰も着物を着ていないし、洋装にしたってあまり見慣れない作りだ。
それに誰も歩きながら煙草を吸っていないのが不思議だった。
大人も子供も何か小型の機械をいじくりながら早足でどこかへ向かっている。
その小型の機械を、俺は以前に見たことがあるような気がした。
そうだ、夢主だ。
あいつが未来から持ってきていた機械だ。
そういえば、使い方がわからず地面に打ち付けて中身を出してみたが、細かい部品があるだけで全く何が何だかわからなかったことを今更ながらに思い出した。
そこで俺は未来に来たんだ、と感じた。
ふと、自分の顔を触る。
そういえば、失ったはずの右目はある。
その後撃ち抜いたはずの左目も無事だ。
しかし顎には傷があった。不死身の杉元にぶん殴られて崖から落ちた時のものだ。
その傷があると言うことは、この肉体は明治の時と同じものだと解釈した。
俺はあの列車の上から落ちた後、確かに死んだはずだが。
何が起きているのかなどまったく見当もつかん。
仮にここが未来人のいる世界なら、夢主はこっちにいるのだろうか?
居ても立っても居られなくなった俺は、飛び上がるように長椅子から立ち上がった。
どちらへ行こうかときょろきょろとしていると、不思議なことにある一定の方向から光を感じた。
空を見上げれば、明治と変わらない太陽の光がある。
しかし明らかに太陽とは違う方向から、別の温かい光を感じた。
その温かさを俺は知っている。
俺がずっと後ろから抱きしめていた、あいつの、俺の体温。
たまらず駆け出した。
未来は道のつくりも違えば建物も違う。
焦る気持ちもあったが、初めはおっかなびっくりの動きだった。
大きな通りに出ると、何やら大きな鉄の機械が往来している場所もあって、なぜかその鉄の機械は目にもとまらぬ速さで動いている時間と、何かに気が付いたように止まっている時間があった。
そしてそれと連動してか、一定時間を置くと人間だけが歩いて動き出す時間があった。
見様見真似で周囲と同じ動きをしてなんとか通りを抜ける。
そうやって光に少しずつ近づいて行った。
とある大きなガラス張りの建物に光は留まっていた。
光自体はゆらゆらと動いているような感覚があるが、それでもこの建物から離れていく様子はない。
入口には受付のようなものがある。
建物に入っていく人間は皆、受付で金銭の受け渡しのようなものをしている。
俺はこの時代の通貨など持っていない。
何かの間違いで金塊でも入っていないかと着なれない服の衣嚢を漁ると、折れ曲がった紙切れが入っていた。
俺がその紙切れを怪訝そうに見ていたからだろう。
外にいた警備員のような男が「それで入場できますよ」と声をかけてきた。
日本語が通じることに驚いてしまったが、よく考えたら初めから夢主とも会話はできたことを思い出す。
警備員に促されるがまま建物に入り紙切れを受付の女に渡すと、受付の女は紙切れの皺を丁寧に伸ばしてから切り込みのあるところで切って、小さくなった紙を俺に返してきた。
俺が戸惑いつつもそれを受け取ると、女が入口へと誘導したのでそれに従う。
建物に入ってから、より一層光の温もりを強く感じていた。
中は美術品で溢れていた。
金持ちの古物商が見せびらかしに来ているのか?
いや、それにしては誰も絵画を受け取っている様子はない。
それにこの場所は異様なまでに静かだ。
もしや観賞用なのだろうか。
金を払ってまで手に入りもしない美術品を見に行くとは金持ちの趣味はよくわからん。
どうやら歩く順路が決まっているようだったが、俺は美術品には目もくれず一直線に光の元へと向かった。
光へ近づくにつれて、不思議と懐かしい匂いも感じていた。
角を曲がってすぐ、後ろ姿で分かった。
たとえ軍服を着ていなくても、俺が見間違えるわけがない。
視覚、嗅覚、触覚、すべてが夢主の存在を認めていた。
なんと声をかけたらいいだろうか。
そんなことを考えながらゆっくりと近づく。
夢主の真後ろに立ったところで、ふとこいつは何をそんなに真剣に見ているんだろうかと気になって、夢主が見ている作品に視線を移す。
そこには穏やかな表情で横たわって眠るヤマネコの姿があった。
その作品が全く他人のものとは思えなかったのは、気のせいだろうか。
俺がぼんやりと考え込んでいると、目の前にいた夢主が不意に後ずさりをした。
俺にトンッとぶつかり、続けて危なっかしくふらついたため夢主の肩を咄嗟に支える。
夢主は慌てて俺に「すみません」と変な声で言ってきた。
相当動揺しているようで、久しぶりに聞いた声はまるで夢主の声じゃないみたいだ。
ついつい笑い出しそうになったがなんとか耐える。
こいつに何があったんだと見下ろしていると、夢主がこちらを見た。
夢主と視線が絡み合ったその瞬間、夢主は「ん゛!?」とまた変な声を上げた。
変わんねえな、と思わず笑ってしまった。
いつもの癖で前髪を撫で上げて誤魔化し、そのまま夢主の肩を抱いてこの静かな空間から退散することにした。
外へ連れ出す間も夢主は俺を凝視したまま目を白黒させていた。
必死で口元を両手で押さえながら、喉が締まった状態で叫び出しそうになるのを精一杯止めているようだった。
外へ出ると「尾形さん!!」と夢主は叫んだ。
ああ、この声だ。なぜか俺の耳に残る声。
そして俺をいつもまっすぐに見つめてきた視線。
表情はまだ動揺しているようだ。
なんて声をかけるか決まらないうちに再会してしまったが、俺の口から出たのは平凡なものだった。
「久しぶりだな、夢主。」
俺の声を聞いた瞬間、夢主の表情がくしゃ、と崩れた。
そして目から大粒の涙を流す。
あんなに散々俺に裏切られても涙を見せなった女が、一瞬で見たことがないほどに泣きじゃくった。
これが夢主の本来の姿なのかもしれない。
無理をさせていたのだな、と自分が情けなくなった。
たまらなくなって夢主を抱き寄せる。
なぜここにいる、と泣きながら夢主が問いかけてくるが、俺が求めたから以外に答えなどない。
素直になるにはもう少し時間が必要だ。
夢主の頭を撫でてやりながら、あえて少しおどけて答えた。
「こっちの台詞だ。急にいなくなったかと思えば、俺までこっちに来ちまった。」
夢主は止まらない涙をそのままに俺にしがみつく。
そうでもしないと俺が消えると思っているようだ。
「私、尾形さんを、救えなくて……。」
そう震える声で呟いた夢主。
そんな風に思っていたのか。
俺が夢主の存在に、どれだけ救われたことか。
「……いや、とっくに救われてた。ありがとうな、夢主。」
自然と言葉が出ていた。
俺の嘘偽りのない心からの本音だ。
夢主は未だかつてないほど優しい言葉を吐いた俺に驚いたらしい。
泣き顔のまま見上げてきたが、その視線は変わらずまっすぐに俺を見つめている。
「これからは離れず一緒にいてください。もう絶対に離さないでください。」
随分といじらしいことを言う。
しかしその表情は真剣そのものだった。
無理もないだろう、散々俺が振り回してきたのだから。
「ああ、そうだな。夢主、お前こそもう勝手にどこか行くんじゃねえぞ。」
俺は夢主の涙が伝う顎を持ち上げて、口付けを交わした。
今後は俺が毎日夢主を温め続けると誓いを込めて。
おわり。
【あとがき:尾形の転生話でした。】