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たらしこみ/鯉登
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第七師団での暮らしを始めて数日。
夢主は慣れない明治時代の家事に加えて、大勢の軍人に囲まれて不安な毎日を過ごしていた。
初日から顔を合わせている尾形・月島とは事務的な内容+αの会話ができるようになっていたものの、そのほかの人間にはなかなか挨拶以上のことを話すのは難しかった。
初めのうちは特に夢主のことを鶴見中尉の愛人だとか男の集団に入り込む娼婦だとかいう噂もたっているようで、しかし言い返して揉め事を起こすことも避けたかった夢主は耐えていた。
夢主は、とにかくここで生き延びるために意識して明るく振舞っていた。
都合の悪いことは記憶喪失を隠れ蓑にして、前向きな言葉だけを吐くようにしていたのだ。
ある日鶴見中尉に呼ばれて部屋に入ると、鶴見の隣には褐色肌の整った顔立ちをした男性がいた。
戸惑いながらも夢主が入室し、促されるがままに鶴見とその男性に向き合った。
鶴見は夢主を見て一度頷いてから、口を開いた。
「こちらは鯉登音之進少尉だ。私の頼れる部下だ。夢主くんには紹介しておきたくてね。」
鯉登は夢主へ視線をやると、ほとんど頭を下げることなく首だけで軽く会釈をした。
夢主は第一印象では、どこか偉そうな態度を取っている鯉登に不信感を抱いた。
「夢主、と申します。よろしくお願い致します。」
そんな内心を悟られないように努めて冷静に挨拶を返す。
頭をしっかりと下げてお辞儀をして見せた。
鶴見中尉は簡単に鯉登の紹介をした。
父親が海軍の少将であること、士官学校を卒業しており上級指揮官になる予定とのこと。示現流という剣術の使い手だそう。
夢主は現代で言う期待のエリート新人みたいだと鯉登を見ていた。
そんな夢主に対して鯉登は冷たい眼差しで見下ろしていた。
出生からある程度の地位が約束された鯉登と違って、その辺で拾われた野良犬のような女とは相容れないと思われているように夢主は感じた。
やり残した家事もある上に特に話も続かなかったので、夢主はもう一度深々と頭を下げて退出した。
その後は夢主は黙々と家事を行っていた。
時折遠巻きにヒソヒソと自分のことを噂している兵士たちに気が付いたが、聞こえていないフリをした。
建物の中をパタパタと走り回って家事をこなしていると、鯉登に何度か遭遇した。
夢主はそのたびに道を譲って頭を下げたが、鯉登が通り過ぎる気配がない。
不思議に思って顔を上げると鯉登は夢主を見下ろしていた。
「?」
「……いや、なんでんなか。」
そんなやり取りを数回したところで、夢主は我慢できなくなってついに鯉登に話しかけてみた。
「あの、えっと……鯉登、少尉殿。」
「なんだ?」
「私、何か変でしょうか?」
夢主は鯉登を見上げて問う。。
返事を待つ間、夢主がじいっと鯉登を見つめていると、鯉登は数秒黙ったが落ち着いたトーンで返した。
「いや、鶴見中尉が雇うほどんおなごがどれほどんもんかと気になってな。」
夢主は鯉登の喋る薩摩弁に少し戸惑ったが、大体の意味を読み取れたのでほっと安堵した。
事情が事情なだけに複雑な気持ちを抱きつつ、夢主は苦笑して答えた。
「大したものではありません。運よく拾われただけですから。」
「そうか。気を悪うしたならすまんやった。」
「いえ。とんでもありません。」
少しだけ気まずそうな様子の鯉登の言葉を聞いて、案外鯉登という男は尊大なだけではないのだろう、と夢主は内心で評価を変えた。
鶴見中尉の下にいるうちは、ひとまず安全なことはここ数日で理解できた。
未来に帰れなかった場合を想定して、今後第七師団の中で生き残るためには兵士たちの好感度は高いに越したことはないが、それよりも鯉登のような人間とも対等とまではいかなくても話が通じる存在でなければいけない。
鯉登との出会いは夢主が今後鯉登のようなエリートたちと話せるようになるために、教養を得たいと考えるきっかけになった。
そう心に決めて黙々と仕事をこなしていると、自然と周りの兵士たちの視線を感じても気にならなくなった。
時々月島が心配して声をかけてきてくれるので、それだけで十分だった。
尾形に至っては夢主がなんと噂されようとも、遠巻きにニヤけた顔を見せてくるだけである。
けなげに働く未来人を救う気はないらしい、と夢主は判断した。
鯉登の中では夢主の存在は異分子も良いところだった。
兵士でもなく親族に兵士がいるわけでもなく、ただ近所で拾われただけの女。
しかも記憶喪失だと聞いた。
普通なら自分の存在がわからなくなって混乱しているだろうに、黙々と仕事をこなしている。
得体の知れない女に異物感を感じるが、直接関わっても女の意図が読めない。
兵士たちの中には夢主について、ヒソヒソとありもしない噂をしている者までいた。
月島軍曹に夢主のことを問うたが、月島も夢主についてはわからないことが多いそうだ。
とはいえ、夢主は鶴見中尉には逆らう素振りもなく真面目に仕事をこなしている上に、兵士たちにはきちんと挨拶をして礼儀正しく振舞っているため、問題はないだろうとのこと。
月島がそう言うのならば悪い奴ではないのかもしれない、と鯉登は考えていた。
鯉登は自然と夢主に目が行ってしまい、見かけるとついついじっと夢主を観察してしまっていた。
夢主に話しかけられて内心どぎまぎしたものの、面白い反応は返ってこなかった。
もう少し夢主の性格がわかるまで話かけてみようと鯉登は考えた。
それから鯉登は夢主に何かと話しかけていた。
初めはどこか怪訝そうな顔をして対応していた夢主だったが、世間話をするうちに気が付けば笑顔を見せてくれることも多くなっていった。
鯉登がいつものように夢主を見かけて話しかけようと近づくと、夢主の向かいには尾形上等兵がいることに気が付いた。
咄嗟に物陰に隠れて様子を窺った。
「最近ボンボンと仲が良いじゃねえか。あぁ?」
尾形の言葉を聞いたときに、鯉登は心がザワッとするのを感じた。
自分の恵まれた環境に嫉妬する人は大勢いるが、中でもこの男はそれを簡単に言葉に出して嫌味を放つ。
どう考えても自分とはそりの合わない人間の一人だった。
夢主は尾形の言葉に怪訝そうな声で返していた。
「ぼんぼん?誰の事ですか?」
「とぼけんじゃねえよ、鶴見中尉のお気に入りの薩摩隼人だよ。」
尾形がそこまで言ってようやく鯉登のことだと夢主は理解したらしい。
「鯉登少尉のことですか。」
尾形は、ははぁっと笑い飛ばした。
「少尉殿は、中尉が好きなら中尉の愛犬もお好きなんでしょうなぁ。」
鯉登を馬鹿にしたような口調に、カッとなって切りかかりそうになるのを必死にこらえた。
愛刀を握りしめてぎりぎりのところで持ちこたえていると、夢主が場違いなほど明るい口調で答えた。
「お金持ちを妬むのは良くないですよ!鯉登さんには鯉登さんの、尾形さんには尾形さんの良いところがありますから。ね?」
夢主のその言葉に毒気を抜かれたのだろうか、尾形は「生意気だ」とだけ言ってその場を去った。
鯉登も脱力してしまった。
壁にもたれかかったまま座り込んで、ふーっと息を吐いた。
これが鯉登の夢主に対する気持ちが大きく変化した瞬間だった。
その結果、鯉登は夢主を見かけると色々と話しかけるようになり、つい気持ちが高ぶってしまって早口の薩摩弁になってしまい夢主を困らせることが増えた。
そして遠征や出張で遠くに行ったときには必ず夢主にも手土産を持ち帰るなど、マメに夢主に接するようになった。
初めは戸惑っていた夢主だったが、気が付けばそれなりに鯉登に気を許してくれたようで、鯉登を見かけると笑顔で話しかけてくれるようになっていった。
他人と距離を置きがちな月島にも「夢主は良いやつだ。良くやっている。」と事あるごとに鯉登が口にしていると、月島もそれなりに警戒心を解いたようで、兵舎では度々3人で話し込んでいる姿が目撃されるようになった。
あの尊大でとっつきにくい鯉登少尉の懐きっぷりを目の当たりにした兵士たちは、夢主は悪い女ではなさそうだと感じたのか徐々に噂話もなくなっていった。
こうして夢主は鯉登少尉と月島軍曹をたらしこんだのだった。
おわり。
【あとがき:尾形が奇しくもきっかけになった。】
夢主は慣れない明治時代の家事に加えて、大勢の軍人に囲まれて不安な毎日を過ごしていた。
初日から顔を合わせている尾形・月島とは事務的な内容+αの会話ができるようになっていたものの、そのほかの人間にはなかなか挨拶以上のことを話すのは難しかった。
初めのうちは特に夢主のことを鶴見中尉の愛人だとか男の集団に入り込む娼婦だとかいう噂もたっているようで、しかし言い返して揉め事を起こすことも避けたかった夢主は耐えていた。
夢主は、とにかくここで生き延びるために意識して明るく振舞っていた。
都合の悪いことは記憶喪失を隠れ蓑にして、前向きな言葉だけを吐くようにしていたのだ。
ある日鶴見中尉に呼ばれて部屋に入ると、鶴見の隣には褐色肌の整った顔立ちをした男性がいた。
戸惑いながらも夢主が入室し、促されるがままに鶴見とその男性に向き合った。
鶴見は夢主を見て一度頷いてから、口を開いた。
「こちらは鯉登音之進少尉だ。私の頼れる部下だ。夢主くんには紹介しておきたくてね。」
鯉登は夢主へ視線をやると、ほとんど頭を下げることなく首だけで軽く会釈をした。
夢主は第一印象では、どこか偉そうな態度を取っている鯉登に不信感を抱いた。
「夢主、と申します。よろしくお願い致します。」
そんな内心を悟られないように努めて冷静に挨拶を返す。
頭をしっかりと下げてお辞儀をして見せた。
鶴見中尉は簡単に鯉登の紹介をした。
父親が海軍の少将であること、士官学校を卒業しており上級指揮官になる予定とのこと。示現流という剣術の使い手だそう。
夢主は現代で言う期待のエリート新人みたいだと鯉登を見ていた。
そんな夢主に対して鯉登は冷たい眼差しで見下ろしていた。
出生からある程度の地位が約束された鯉登と違って、その辺で拾われた野良犬のような女とは相容れないと思われているように夢主は感じた。
やり残した家事もある上に特に話も続かなかったので、夢主はもう一度深々と頭を下げて退出した。
その後は夢主は黙々と家事を行っていた。
時折遠巻きにヒソヒソと自分のことを噂している兵士たちに気が付いたが、聞こえていないフリをした。
建物の中をパタパタと走り回って家事をこなしていると、鯉登に何度か遭遇した。
夢主はそのたびに道を譲って頭を下げたが、鯉登が通り過ぎる気配がない。
不思議に思って顔を上げると鯉登は夢主を見下ろしていた。
「?」
「……いや、なんでんなか。」
そんなやり取りを数回したところで、夢主は我慢できなくなってついに鯉登に話しかけてみた。
「あの、えっと……鯉登、少尉殿。」
「なんだ?」
「私、何か変でしょうか?」
夢主は鯉登を見上げて問う。。
返事を待つ間、夢主がじいっと鯉登を見つめていると、鯉登は数秒黙ったが落ち着いたトーンで返した。
「いや、鶴見中尉が雇うほどんおなごがどれほどんもんかと気になってな。」
夢主は鯉登の喋る薩摩弁に少し戸惑ったが、大体の意味を読み取れたのでほっと安堵した。
事情が事情なだけに複雑な気持ちを抱きつつ、夢主は苦笑して答えた。
「大したものではありません。運よく拾われただけですから。」
「そうか。気を悪うしたならすまんやった。」
「いえ。とんでもありません。」
少しだけ気まずそうな様子の鯉登の言葉を聞いて、案外鯉登という男は尊大なだけではないのだろう、と夢主は内心で評価を変えた。
鶴見中尉の下にいるうちは、ひとまず安全なことはここ数日で理解できた。
未来に帰れなかった場合を想定して、今後第七師団の中で生き残るためには兵士たちの好感度は高いに越したことはないが、それよりも鯉登のような人間とも対等とまではいかなくても話が通じる存在でなければいけない。
鯉登との出会いは夢主が今後鯉登のようなエリートたちと話せるようになるために、教養を得たいと考えるきっかけになった。
そう心に決めて黙々と仕事をこなしていると、自然と周りの兵士たちの視線を感じても気にならなくなった。
時々月島が心配して声をかけてきてくれるので、それだけで十分だった。
尾形に至っては夢主がなんと噂されようとも、遠巻きにニヤけた顔を見せてくるだけである。
けなげに働く未来人を救う気はないらしい、と夢主は判断した。
鯉登の中では夢主の存在は異分子も良いところだった。
兵士でもなく親族に兵士がいるわけでもなく、ただ近所で拾われただけの女。
しかも記憶喪失だと聞いた。
普通なら自分の存在がわからなくなって混乱しているだろうに、黙々と仕事をこなしている。
得体の知れない女に異物感を感じるが、直接関わっても女の意図が読めない。
兵士たちの中には夢主について、ヒソヒソとありもしない噂をしている者までいた。
月島軍曹に夢主のことを問うたが、月島も夢主についてはわからないことが多いそうだ。
とはいえ、夢主は鶴見中尉には逆らう素振りもなく真面目に仕事をこなしている上に、兵士たちにはきちんと挨拶をして礼儀正しく振舞っているため、問題はないだろうとのこと。
月島がそう言うのならば悪い奴ではないのかもしれない、と鯉登は考えていた。
鯉登は自然と夢主に目が行ってしまい、見かけるとついついじっと夢主を観察してしまっていた。
夢主に話しかけられて内心どぎまぎしたものの、面白い反応は返ってこなかった。
もう少し夢主の性格がわかるまで話かけてみようと鯉登は考えた。
それから鯉登は夢主に何かと話しかけていた。
初めはどこか怪訝そうな顔をして対応していた夢主だったが、世間話をするうちに気が付けば笑顔を見せてくれることも多くなっていった。
鯉登がいつものように夢主を見かけて話しかけようと近づくと、夢主の向かいには尾形上等兵がいることに気が付いた。
咄嗟に物陰に隠れて様子を窺った。
「最近ボンボンと仲が良いじゃねえか。あぁ?」
尾形の言葉を聞いたときに、鯉登は心がザワッとするのを感じた。
自分の恵まれた環境に嫉妬する人は大勢いるが、中でもこの男はそれを簡単に言葉に出して嫌味を放つ。
どう考えても自分とはそりの合わない人間の一人だった。
夢主は尾形の言葉に怪訝そうな声で返していた。
「ぼんぼん?誰の事ですか?」
「とぼけんじゃねえよ、鶴見中尉のお気に入りの薩摩隼人だよ。」
尾形がそこまで言ってようやく鯉登のことだと夢主は理解したらしい。
「鯉登少尉のことですか。」
尾形は、ははぁっと笑い飛ばした。
「少尉殿は、中尉が好きなら中尉の愛犬もお好きなんでしょうなぁ。」
鯉登を馬鹿にしたような口調に、カッとなって切りかかりそうになるのを必死にこらえた。
愛刀を握りしめてぎりぎりのところで持ちこたえていると、夢主が場違いなほど明るい口調で答えた。
「お金持ちを妬むのは良くないですよ!鯉登さんには鯉登さんの、尾形さんには尾形さんの良いところがありますから。ね?」
夢主のその言葉に毒気を抜かれたのだろうか、尾形は「生意気だ」とだけ言ってその場を去った。
鯉登も脱力してしまった。
壁にもたれかかったまま座り込んで、ふーっと息を吐いた。
これが鯉登の夢主に対する気持ちが大きく変化した瞬間だった。
その結果、鯉登は夢主を見かけると色々と話しかけるようになり、つい気持ちが高ぶってしまって早口の薩摩弁になってしまい夢主を困らせることが増えた。
そして遠征や出張で遠くに行ったときには必ず夢主にも手土産を持ち帰るなど、マメに夢主に接するようになった。
初めは戸惑っていた夢主だったが、気が付けばそれなりに鯉登に気を許してくれたようで、鯉登を見かけると笑顔で話しかけてくれるようになっていった。
他人と距離を置きがちな月島にも「夢主は良いやつだ。良くやっている。」と事あるごとに鯉登が口にしていると、月島もそれなりに警戒心を解いたようで、兵舎では度々3人で話し込んでいる姿が目撃されるようになった。
あの尊大でとっつきにくい鯉登少尉の懐きっぷりを目の当たりにした兵士たちは、夢主は悪い女ではなさそうだと感じたのか徐々に噂話もなくなっていった。
こうして夢主は鯉登少尉と月島軍曹をたらしこんだのだった。
おわり。
【あとがき:尾形が奇しくもきっかけになった。】
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