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第七十話 原作
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第七十話 原作
その後、私は体調を崩したこともあって仕事を数日間休んだ。
尾形さんがスマホを壊したせいで公衆電話から電話をかけたことと、滅多に休まない私が数日も休んだことに上司や同僚など会社の人はものすごく心配してくれたけど、そんなことよりこの場所にいる自分が許せなくてとにかく落ち込んだ。
どうにか回避するルートはなかったのか。
現代のシミュレーションゲームだったら、ゲームオーバーのあとには続きからがあるはずなのに。
私の経験したことに何か意味を見出そうと、重い体を引きずって公園を中心に歩き回る生活をしていた。
通報されなかったのは人通りの少ない夜に行動していたからだろうか、運が良いのか悪いのか分からない。
ここに戻った直後は混乱と絶望感でいっぱいだった。
今は焦燥感と悔しさを感じている。
心の奥底では落ち込んだり辛い・悲しいなどの気持ちがあるのだが、頭の片隅では「絶対にあきらめてやらないぞ」と頑固っぷりを発揮している。
こんなにもタフな心に育ったのは、やはり彼らとの経験による影響だと思うのだ。
さて、その後仕事に復帰した私は上辺だけは今まで通りに生活を繰り返した。
相変わらず帰り道に公園に寄ってしまう行動はそのままだったが。
その分休日になるとあの日の痕跡をたどるような行動をするようになった。
普段は行かなかった遠方の図書館の歴史書を見てみたり、北海道の地図を購入したりもした。
また、旧日本軍の動きなども確認し、やはり金塊は表の歴史上存在していないと確信する。
あえて言うならば、アイヌの歴史をしっかりと保護されるよう国立公園などが存在したことだけだった。
それらは私があの体験をする前からあったもので、私が存在したことに何ら意味はなかったのだろう。
奇妙な経験をした。
それはある休日の朝、目が覚めてすぐのこと。
今日も図書館に行って北海道の歴史書を漁ろうかと考えながら背伸びをする。
ベッドで身体を起こすと、ふと自分の部屋の本棚に視線が向いた。
こちらに戻ってきてから、自室なんていくらでも見てきたはず。
それなのに急に視界に飛び込んできた、「ゴ/ー/ル/デ/ン/カ/ム/イ」という背表紙が並んでいる部分に釘付けになってしまった。
こちらに戻ってきてからは頭も心もいっぱいいっぱいで、全く視界に入らなかった。
――そうだ。
何故今まで忘れていたのだろう。
私は元々あの場所を知っていた……。
息をするのをしばらく忘れてしまっていたが、漫画のことが頭を駆け巡るうちに呼吸が乱れる。
ベッドから崩れ落ちるようにして這って降りると、震える手で本棚から漫画を一冊手に取る。
そこに「彼ら」がいた。
もちろん絵である以上全く同じとは言えない。
それでも「この絵柄の作者が彼らを描いたらこうなるな」という感じで、私の経験した記憶の中の彼らと怖いほど一致していた。
私はそのまま一気に本を読み漁った。
集中していたせいか時間も忘れていた。
読み終えたとき、涙が頬を伝っていることに気付く。
漫画には「私」が居ないだけで、私が知っている通りに物語が進んでいた。
もちろん私の経験していない場面なども描写されているため、ああ、このとき彼らはこんなことを話していたのか!と辻褄が合い納得させられる場面すらあった。
特に尾形さんの最期。
私からは錯乱した尾形さんが自分に銃を向けて死んだというところしか分からなかった。
錯乱の中できっと尾形さんの心は救われ、散ったのだと知って安心した。
金塊もアイヌを壊さないように守られたのだと、争いの種になることもなかったのだと、私は漫画を通してやっと実感できたのだった。
全て読み終えて、ふと疑問がわく。
この作品には「私」はいない。私がいてもいなくても結果は変わらないようだ。
じゃあ私が尾形さんを祝福した意味はなかったのだろうか。
私はこの漫画をもしかして追体験したのかとも考えた。
共感覚の人が絵に匂いを感じたり音に色を感じるように、もしかして私は漫画を見て感情移入しすぎただけだとか?
ならば何故漫画を読んでいる時ではなく、仕事の帰り道にトリップしたのだろう。
追体験と記憶喪失が一度に起きるような複雑な現象が起きたのだろうか。
現代にはうつ病や統合失調症のような脳の記憶や感情にトラブルが起きると、現実世界とは乖離した状態になることがあると知っている。
でも、自分が体験したすべてを病気だと認めるわけにもいかなかった。
だって私は彼らの顔も名前も声も匂いも温かさもすべて知っている。
アイヌの人々の暮らしをこの目で見て体験したし、当時の銃の扱いや薬学の知識などあの時代のあの場所にいたからこその経験を持ってこちらに戻ってきたのだ。
その意味が何かあるのではないかと漠然と感じていた。
【あとがき:原作に気付いた。】
その後、私は体調を崩したこともあって仕事を数日間休んだ。
尾形さんがスマホを壊したせいで公衆電話から電話をかけたことと、滅多に休まない私が数日も休んだことに上司や同僚など会社の人はものすごく心配してくれたけど、そんなことよりこの場所にいる自分が許せなくてとにかく落ち込んだ。
どうにか回避するルートはなかったのか。
現代のシミュレーションゲームだったら、ゲームオーバーのあとには続きからがあるはずなのに。
私の経験したことに何か意味を見出そうと、重い体を引きずって公園を中心に歩き回る生活をしていた。
通報されなかったのは人通りの少ない夜に行動していたからだろうか、運が良いのか悪いのか分からない。
ここに戻った直後は混乱と絶望感でいっぱいだった。
今は焦燥感と悔しさを感じている。
心の奥底では落ち込んだり辛い・悲しいなどの気持ちがあるのだが、頭の片隅では「絶対にあきらめてやらないぞ」と頑固っぷりを発揮している。
こんなにもタフな心に育ったのは、やはり彼らとの経験による影響だと思うのだ。
さて、その後仕事に復帰した私は上辺だけは今まで通りに生活を繰り返した。
相変わらず帰り道に公園に寄ってしまう行動はそのままだったが。
その分休日になるとあの日の痕跡をたどるような行動をするようになった。
普段は行かなかった遠方の図書館の歴史書を見てみたり、北海道の地図を購入したりもした。
また、旧日本軍の動きなども確認し、やはり金塊は表の歴史上存在していないと確信する。
あえて言うならば、アイヌの歴史をしっかりと保護されるよう国立公園などが存在したことだけだった。
それらは私があの体験をする前からあったもので、私が存在したことに何ら意味はなかったのだろう。
奇妙な経験をした。
それはある休日の朝、目が覚めてすぐのこと。
今日も図書館に行って北海道の歴史書を漁ろうかと考えながら背伸びをする。
ベッドで身体を起こすと、ふと自分の部屋の本棚に視線が向いた。
こちらに戻ってきてから、自室なんていくらでも見てきたはず。
それなのに急に視界に飛び込んできた、「ゴ/ー/ル/デ/ン/カ/ム/イ」という背表紙が並んでいる部分に釘付けになってしまった。
こちらに戻ってきてからは頭も心もいっぱいいっぱいで、全く視界に入らなかった。
――そうだ。
何故今まで忘れていたのだろう。
私は元々あの場所を知っていた……。
息をするのをしばらく忘れてしまっていたが、漫画のことが頭を駆け巡るうちに呼吸が乱れる。
ベッドから崩れ落ちるようにして這って降りると、震える手で本棚から漫画を一冊手に取る。
そこに「彼ら」がいた。
もちろん絵である以上全く同じとは言えない。
それでも「この絵柄の作者が彼らを描いたらこうなるな」という感じで、私の経験した記憶の中の彼らと怖いほど一致していた。
私はそのまま一気に本を読み漁った。
集中していたせいか時間も忘れていた。
読み終えたとき、涙が頬を伝っていることに気付く。
漫画には「私」が居ないだけで、私が知っている通りに物語が進んでいた。
もちろん私の経験していない場面なども描写されているため、ああ、このとき彼らはこんなことを話していたのか!と辻褄が合い納得させられる場面すらあった。
特に尾形さんの最期。
私からは錯乱した尾形さんが自分に銃を向けて死んだというところしか分からなかった。
錯乱の中できっと尾形さんの心は救われ、散ったのだと知って安心した。
金塊もアイヌを壊さないように守られたのだと、争いの種になることもなかったのだと、私は漫画を通してやっと実感できたのだった。
全て読み終えて、ふと疑問がわく。
この作品には「私」はいない。私がいてもいなくても結果は変わらないようだ。
じゃあ私が尾形さんを祝福した意味はなかったのだろうか。
私はこの漫画をもしかして追体験したのかとも考えた。
共感覚の人が絵に匂いを感じたり音に色を感じるように、もしかして私は漫画を見て感情移入しすぎただけだとか?
ならば何故漫画を読んでいる時ではなく、仕事の帰り道にトリップしたのだろう。
追体験と記憶喪失が一度に起きるような複雑な現象が起きたのだろうか。
現代にはうつ病や統合失調症のような脳の記憶や感情にトラブルが起きると、現実世界とは乖離した状態になることがあると知っている。
でも、自分が体験したすべてを病気だと認めるわけにもいかなかった。
だって私は彼らの顔も名前も声も匂いも温かさもすべて知っている。
アイヌの人々の暮らしをこの目で見て体験したし、当時の銃の扱いや薬学の知識などあの時代のあの場所にいたからこその経験を持ってこちらに戻ってきたのだ。
その意味が何かあるのではないかと漠然と感じていた。
【あとがき:原作に気付いた。】