短編
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玄野針がぷんすかの続き
「明日は好きにしていいですよ」
仕事終わりに、唐突に補佐から言い渡されたお休み。
「明日、女と出かけるんで」
「そうですか、わかりました」
端的に了承したことを伝えたのに、とても残念そうな表情をされた。
「どうしました。まるで、おやつを貰えなかったトイプードルみたいな顔になってますよ」
「どんな顔ですか。別に……ただ、もうちょっと『なにかあるんですか?』くらいは聞かれるかなって思ってただけです……」
「しませんよ。と――」
『友達じゃあるまいし』と言いかけ、先日、窃野さんから「補佐には言ってやるなよ」と言われたのを思い出した。
正直、どこに補佐が可哀想になる要素があるのかはわからないけれども、言うなと忠告されたことを言うつもりはない。
「特に気になりませんし」
上手いこと誤魔化したのだけれども、補佐は下唇を突き出してあからさまに拗ねた。
なにか不味ったかな、と一抹の不安がよぎったが「もういいです。下がりなさい」と言われたので、大人しく事務所にある自室へと戻り明日の予定を考えつつ寝支度をした。
大欠伸をしながら台所へと行くと、飲み物を取りに来ていたのか補佐と鉢合わせた。
特に着飾った様子のない私服姿の補佐に興味本位で「まだ出かけないんですか?」と尋ねると、下唇を突き出しつつ「気にならないんでしょ」と素っ気なく返された。拗ねてる。
「補佐がどこの誰と、どこに行こうと気にはならないですけど、補佐がもしどこにも行かないとなると予定が変わってくるんですよ」
「私がここにいるのと、お前の予定がどう関わってくるんですか……」
どっかりと、台所に置かれたキッチンテーブル用の椅子に腰かけつつ尋ねてくる補佐。
拗ねている割には、しっかりと会話をする気にはなっていることに少しだけ安堵し、私もまた朝食のパンを用意し向かいの椅子に腰をおろして「急な仕事が入ったら、すぐ駆け付けないといけないじゃないですか」と返答するも、どこか納得のいかない表情をされた。
「お前は休みなんですから、好きにすればいいでしょう」
「補佐が予定通り出かけていたら映画観に行くつもりでしたけど、出かけないのなら万が一、急な仕事が入った時のために私も出かけられませんし。補佐が仕事の時は私も仕事するのが義務なんでしょう?」
いつぞや窃野さんから聞いた話を持ち出せば、肘をついた手で口元を隠しながらしかめっ面する補佐に「なにが不満なんですか……」と尋ねれば、ぼそぼそとなにか呟いたが、如何せん声が小さすぎて聞き取れない。
「なんて?」
社会人ならば確実に怒られるであろう聞き返し方をしても怒らないのは補佐の度量の広さなのか、はたまた付き合いの長さか。
とにもかくにも、補佐は怒らず先程よりもいくぶんか大き目な声で、もう一度言ってくれた。
「ちょっと、嬉しいなって思っただけです」
「なにが?」
「……私にあわせて、予定変えてくれるのが。もっと、お前は私に対してビジネスライクなのかなと思ってたので」
「いや、仕事が入ったから仕事に行くって、立派なビジネスライクですよ……あっ」
うっかり、窃野さんから「言ってやるなよ」と言われていたことを口にしてしまった。
ちらりと補佐の方に視線をやれば、しかめっ面だったのが眉間に皺をこれでもかと寄せて不機嫌を最大限にあらわしていた。
「そうですか。お前にとって、私は仕事が絡まなければどうでもいい存在なんですね」
「面倒くさい彼氏ですか、あなたは。そうは言っても、仕事以外のことでどう絡んでいけって言うんですか。恋人でも友達でもないのに」
すべて答えを求めてしまうのはよくないことではあるが、私たちの関係性上、仕事以外でどう絡んでいけばいいのかわからないじゃないか。
だって、ビジネスパートナー以下でも以上でもないし。
だから正解を求めたのだけれども、なにか触れてはいけない部分に触れたのか、「お前なんか嫌いだ……」と言われてしまった。
「……わかりました。じゃあ、自室に下がりますね。補佐の視界に入らないよう気を付けます。嫌いな相手との仕事は嫌でしょうし、私の代わりは補佐の方で見つけてください」
補佐と会話していて手をつけられていなかったパンを持って立ち上がったら、「なんでそんなに簡単に引き下がるんですか」と袖をがっちりつかみながら、しかし視線を一切あわせず聞かれた。
「私が組を去ったら一緒に来てくれるって言ったのに……。どうしてそんな簡単に私から離れようとするんですか。リップサービスだったんですか」
「うわ、めんどくせ」
心からの感想を述べたら遠慮なしに手の甲を爪でつままれた。
「あれは、私のご機嫌取りだったんですね……。わかりました……もういいです……」
「待って、補佐。言葉と行動が一致していないです。もういいなら爪立てるの止めてください」
「エンコ詰めるよりましじゃないですか」
「エンコ詰めさせる程のショックだったんですか」
「そうですね、泣きそうです」
「私も痛みで泣きそうです。釈明するんで、一度放してくれませんか」
ようやく解放された手の甲は、若干血がにじんでいた。これは補佐のショックの度合いだったのだろう。
「あとで絆創膏はらないと……」
「釈明は?」
期待と怒りに満ちた目で見つめてくる補佐に、どこから釈明していこうか。そもそも、補佐はなにに怒ったのか。
話の流れから察するに、私が補佐に対してビジネスライクで付き合ってるのが気に食わなかったんだと思う。たぶん、恐らく、もしかしたら。違ったら恥ずかしい。
「えっと……まず、私が補佐とビジネスライクで付き合ってるのはですね、補佐がそれを望んでいると思ってるからです」
「そんなこと、頼んだ覚えないですが」
「そうなんですけど……。補佐って肝心なことには踏み込ませないじゃないですか。踏み込ませないと言いますか、話さないと言いますか、関わらせないと言いますか。だから……だから、私は補佐の深い所には入ってはいけないんだと思ったんです。私は補佐について行ける所ならどこまでもついて行くつもりですが、所詮、私の仕事は、行ける場所は浅い場所までです。私は、あなたのことでなにか口出しできる立場にはいない。そう、私なりに分を弁えたつもりです」
言葉にしてしまうと、やはり切ない気持ちになった。
私がどんなに補佐を慕ってついて行こうと思っても、それを望まれていないんだ。
気にならないなんて自分に言い聞かせて納得しようとしているだけで、補佐が時間を割いてもいいと思える相手がいるという事実は気になるし、羨ましい。
なぜ、私ではないのか。私はそんなにも使えない部下なのだろうか。いや、使えないないから、重要なことは教えられていないのだ。
これ以上、なにか口にすればそんな迷惑以外なにものでもない言葉が出そうで喋れなくなっていると、「いま、なにを考えていますか」と補佐に尋ねられた。
「泣きそうな顔をしていますよ」
「あ、えっと……」
「私の質問には、必ず答えなさいと教えたはずですが」
威圧的、というわけではないものの有無を言わせない雰囲気の補佐に、嘘を吐こうかどうか悩んだけれども上手い誤魔化しができる自信がなかった。
気持ちを落ち着けるように息を大きく吸い、できるだけ簡潔にいまの感情を口にする。
「私は、補佐の役に立てていませんか?」
できるだけ、自分の感情が揺れないように言葉を選んだはずなのに、口にした瞬間、涙が流れ落ちてしまった。
それどころか、口にしなくてもいいことまでどんどん言葉となって口から飛びだして行く。
「私……もっと、もっと、補佐の役に立ちたいです……。でも、補佐に重要な仕事も任せてもらえないくらい、信用してもらっていないの、わかっています……。だから、せめて迷惑にならないようにって……。昨日も、人と出かけるの気にしてないなんて言いましたが、すごく、その相手の人が羨ましかったです……。補佐が時間を割いてもいいと思えるくらい心許してもらえているのが、すごく……。さっきの、嫌いって言われてのもすごく悲しかったです……。わたしは、補佐のこと大好きだから……」
嗚咽をもらしながら、ずっと感じていたものを吐き出してしまって、楽になるのと同時に嫌悪感が襲ってきた。
みっともない、迷惑をかけた、幻滅された。
今度こそ、本当に補佐のサポートを外されると思うと怖くて顔があげられずにいると、静かに椅子を引く音がした。
その些細な音にすらびくついてしまい、補佐がゆっくりとした動作で私の真横まで来たのを気配で察する。
半ばパニックになっている頭で、恐々、補佐の顔を見れば一段と感情の読み取れない無表情。
あぁ、これは相当怒っている……。
引きつる喉から絞り出すように「ごめんなさい」と言おうとしたが、その前に「なんだお前、もー!」という言葉に遮られ、気が付けば補佐に目いっぱい抱きしめられていた。
「普段は小バカにした態度なのに! 本性は私のこと大好きっ子ですか!」
「は、はい。大好きです」
「弱っているから素直!」
わしゃわしゃと無遠慮なしに撫でられる頭に、思考が追いつかずされるがままになっている私に、「ふたつ、訂正してもいいですか」と、いまだ鼻を鳴らす私をなだめるように優しく体を撫でつつ問われた。
「私はお前を信用していないわけではありません」
「じゃあ、どうして……」
「あまり、重要な仕事に関わらせて万が一、関係している人間は全員消せと言われたら私はお前を消さないといけません。正直、お前に消えられると困ります。お前ほど、思慮深く忠実に仕事をこなしてくれる人間はいませんから」
「わ、私は構いません……! 補佐の為なら!」
「話を聞いていましたか? 私は、『困る』と言っているんです。でも、そうですね。もし、私が命運が尽きるなと判断したら一緒に、地獄まで来てください」
「行きます、絶対に!」
「いい子です。お前は立派に、私の支えになっていますよ。それからですね、今日は別に私に用事が入ったから急遽、休みになったのではなく以前からオーバーホールに休むよう言われていたので元から休みでした。特に用事も入っていません」
補佐の口にした事実を理解するのに数秒かかり、理解した瞬間自分でも驚くほどガラの悪い声で「はぁ?」という言葉がでた。
当の補佐はそれはもう愉快そうに、目を弓なりに歪め笑っている。背後に『プークスクス』と擬音語が入りそうな顔だ。
「いやぁ、この間、私に内緒で仕事なんてするから嫌がらせに嘘吐いたんですけど、あまり効果ないのかと思って若干腹立てていましたが、そんなに気にしていたんですね。ふふ……。しかも、くくっ……! 私のことが大好きだったなんて」
「お、お前……! この野郎!」
相手が補佐であることを忘れて、襟首を引っ掴み前後に揺するも「じゃれついちゃってー」と嫌に嬉しそう。
これは! じゃれついているんじゃ! ない!
「私がどんな気持ちだったか、考えましたか!」
「そうですね、悔しかったんですよね。私が女と出かけるのが」
「言っておきますが! 私は補佐が女性と出かけること事態はどうでもいいんですから!」
「でも悔しかったんでしょ?」
得意満面な笑みで言われたことを否定できず、「くそがぁ!」と地を這うような声がでた。
顔がここ数年で一番熱い。
「まぁまぁ、これですれ違い起こしていたカップルみたいな状態が解消され、私とお前の絆が深まったんですからいいじゃないですか。私はとても嬉しいですよ。お前が私のことをそんなに思っていてくれたことが」
嫌味のひとつでもいってやろうかとも思ったが、補佐の幸せそうな表情で一気に頭が冷静になり、脳内のオークショニアが「補佐の幸せプライスレス!」とハンマーを打ち鳴らした。
掴んでいた補佐の襟首を放し、「怒る気が失せました」と、思考を放棄してずっと止まっていた朝食を再開しようとしたら、ひょいっとパンを取り上げられ「朝ご飯、食べに行きましょう。奢ってあげますよ」と誘われた。
朝ご飯程度で、と唇をすぼめる私を笑い見越したように次の提案をする。
「映画観に行くんでしたっけ? 泣かせてしまったお詫びに、ポップコーンとジュースも買ってあげます。それから、夕食にも行きましょう」
緩みそうになる表情を無理矢理ひきしめ、「別に気にしてないんでいいです」と努めていつも通り返したつもりだったのだが、「いや、全然嬉しさが隠しきれていませんよ」と指摘された。
今日はもうなにもかもがダメだ。
「お詫びというのは建前で、ただ一緒に出かけたいだけです」
「建前ってわざわざ言ったら意味ないじゃないですか」
「お前同様、素直になり切れない人種なんですよ、私も。……本当のことを言うと、以前から休みにどこかに行こうと誘おうかと思ってたのですが、今まで人を遊びに誘った経験がなくて手をこまねいていたんです」
「あぁ、友達がいな……痛い、痛い!」
またもや手の甲を爪を立てて抓られた。
「口は禍の元ですよ」
「はい。えっと、まぁ、行ってもいいですけど、食事代は自分で払います。ポップコーンとジュースだけでいいです」
「私はそっちの方を払わせてほしいですね。お前の貧相な財布の中身にあわせた食事はとりたくないです」
ぐぅの音もでない暴言に腹は立つが、たまにはいい食事をとりたいという強欲さが先立つ。
「じゃあ、お言葉に甘えて今日はゴチになります」
「えぇ、いいですよ。じゃあ、さっさと着替えますよ。ちゃんと、可愛く着飾ってきなさい」
よしよし、と私の頭を軽く撫でてから、補佐は足取り軽く台所から出て行った。
可愛い服、あったかな……。
浮足立ちそうになる気持ちを抑え、私も自室へと向かう為に台所を後にする。
窃野から、「補佐たちが台所でイチャついてて入れないです」という苦情を受け、一言物申してやろうと向かっている途中、張本人である補佐と出くわした。
すぐに注意してやろうと口を開いたが、「音本、聞いてください……」と、神妙な顔つきで言われ、少し心配になり言葉を引っ込め、話を聞けば聞くに値しない話だった。
「私の部下が健気可愛い……!」
ぶわっ! と涙を流しながら語られた内容にげんなりするのも致し方ない。
部下が誰とは聞かずともわかるが、惚気なら枕にでもしていてほしい。
「守っていきたい、あの泣き顔」
「笑顔を守ってやったらどうだ」
「笑顔は当然守って当たり前ですけど、あの泣き顔も永久保存していきたい」
「だから、泣かせてはダメだろ」
経緯は知らないし知りたくもないが、とにかく女性は泣かせてはいけない。そして、枕にでも話しかけていてくれ。
「明日は好きにしていいですよ」
仕事終わりに、唐突に補佐から言い渡されたお休み。
「明日、女と出かけるんで」
「そうですか、わかりました」
端的に了承したことを伝えたのに、とても残念そうな表情をされた。
「どうしました。まるで、おやつを貰えなかったトイプードルみたいな顔になってますよ」
「どんな顔ですか。別に……ただ、もうちょっと『なにかあるんですか?』くらいは聞かれるかなって思ってただけです……」
「しませんよ。と――」
『友達じゃあるまいし』と言いかけ、先日、窃野さんから「補佐には言ってやるなよ」と言われたのを思い出した。
正直、どこに補佐が可哀想になる要素があるのかはわからないけれども、言うなと忠告されたことを言うつもりはない。
「特に気になりませんし」
上手いこと誤魔化したのだけれども、補佐は下唇を突き出してあからさまに拗ねた。
なにか不味ったかな、と一抹の不安がよぎったが「もういいです。下がりなさい」と言われたので、大人しく事務所にある自室へと戻り明日の予定を考えつつ寝支度をした。
大欠伸をしながら台所へと行くと、飲み物を取りに来ていたのか補佐と鉢合わせた。
特に着飾った様子のない私服姿の補佐に興味本位で「まだ出かけないんですか?」と尋ねると、下唇を突き出しつつ「気にならないんでしょ」と素っ気なく返された。拗ねてる。
「補佐がどこの誰と、どこに行こうと気にはならないですけど、補佐がもしどこにも行かないとなると予定が変わってくるんですよ」
「私がここにいるのと、お前の予定がどう関わってくるんですか……」
どっかりと、台所に置かれたキッチンテーブル用の椅子に腰かけつつ尋ねてくる補佐。
拗ねている割には、しっかりと会話をする気にはなっていることに少しだけ安堵し、私もまた朝食のパンを用意し向かいの椅子に腰をおろして「急な仕事が入ったら、すぐ駆け付けないといけないじゃないですか」と返答するも、どこか納得のいかない表情をされた。
「お前は休みなんですから、好きにすればいいでしょう」
「補佐が予定通り出かけていたら映画観に行くつもりでしたけど、出かけないのなら万が一、急な仕事が入った時のために私も出かけられませんし。補佐が仕事の時は私も仕事するのが義務なんでしょう?」
いつぞや窃野さんから聞いた話を持ち出せば、肘をついた手で口元を隠しながらしかめっ面する補佐に「なにが不満なんですか……」と尋ねれば、ぼそぼそとなにか呟いたが、如何せん声が小さすぎて聞き取れない。
「なんて?」
社会人ならば確実に怒られるであろう聞き返し方をしても怒らないのは補佐の度量の広さなのか、はたまた付き合いの長さか。
とにもかくにも、補佐は怒らず先程よりもいくぶんか大き目な声で、もう一度言ってくれた。
「ちょっと、嬉しいなって思っただけです」
「なにが?」
「……私にあわせて、予定変えてくれるのが。もっと、お前は私に対してビジネスライクなのかなと思ってたので」
「いや、仕事が入ったから仕事に行くって、立派なビジネスライクですよ……あっ」
うっかり、窃野さんから「言ってやるなよ」と言われていたことを口にしてしまった。
ちらりと補佐の方に視線をやれば、しかめっ面だったのが眉間に皺をこれでもかと寄せて不機嫌を最大限にあらわしていた。
「そうですか。お前にとって、私は仕事が絡まなければどうでもいい存在なんですね」
「面倒くさい彼氏ですか、あなたは。そうは言っても、仕事以外のことでどう絡んでいけって言うんですか。恋人でも友達でもないのに」
すべて答えを求めてしまうのはよくないことではあるが、私たちの関係性上、仕事以外でどう絡んでいけばいいのかわからないじゃないか。
だって、ビジネスパートナー以下でも以上でもないし。
だから正解を求めたのだけれども、なにか触れてはいけない部分に触れたのか、「お前なんか嫌いだ……」と言われてしまった。
「……わかりました。じゃあ、自室に下がりますね。補佐の視界に入らないよう気を付けます。嫌いな相手との仕事は嫌でしょうし、私の代わりは補佐の方で見つけてください」
補佐と会話していて手をつけられていなかったパンを持って立ち上がったら、「なんでそんなに簡単に引き下がるんですか」と袖をがっちりつかみながら、しかし視線を一切あわせず聞かれた。
「私が組を去ったら一緒に来てくれるって言ったのに……。どうしてそんな簡単に私から離れようとするんですか。リップサービスだったんですか」
「うわ、めんどくせ」
心からの感想を述べたら遠慮なしに手の甲を爪でつままれた。
「あれは、私のご機嫌取りだったんですね……。わかりました……もういいです……」
「待って、補佐。言葉と行動が一致していないです。もういいなら爪立てるの止めてください」
「エンコ詰めるよりましじゃないですか」
「エンコ詰めさせる程のショックだったんですか」
「そうですね、泣きそうです」
「私も痛みで泣きそうです。釈明するんで、一度放してくれませんか」
ようやく解放された手の甲は、若干血がにじんでいた。これは補佐のショックの度合いだったのだろう。
「あとで絆創膏はらないと……」
「釈明は?」
期待と怒りに満ちた目で見つめてくる補佐に、どこから釈明していこうか。そもそも、補佐はなにに怒ったのか。
話の流れから察するに、私が補佐に対してビジネスライクで付き合ってるのが気に食わなかったんだと思う。たぶん、恐らく、もしかしたら。違ったら恥ずかしい。
「えっと……まず、私が補佐とビジネスライクで付き合ってるのはですね、補佐がそれを望んでいると思ってるからです」
「そんなこと、頼んだ覚えないですが」
「そうなんですけど……。補佐って肝心なことには踏み込ませないじゃないですか。踏み込ませないと言いますか、話さないと言いますか、関わらせないと言いますか。だから……だから、私は補佐の深い所には入ってはいけないんだと思ったんです。私は補佐について行ける所ならどこまでもついて行くつもりですが、所詮、私の仕事は、行ける場所は浅い場所までです。私は、あなたのことでなにか口出しできる立場にはいない。そう、私なりに分を弁えたつもりです」
言葉にしてしまうと、やはり切ない気持ちになった。
私がどんなに補佐を慕ってついて行こうと思っても、それを望まれていないんだ。
気にならないなんて自分に言い聞かせて納得しようとしているだけで、補佐が時間を割いてもいいと思える相手がいるという事実は気になるし、羨ましい。
なぜ、私ではないのか。私はそんなにも使えない部下なのだろうか。いや、使えないないから、重要なことは教えられていないのだ。
これ以上、なにか口にすればそんな迷惑以外なにものでもない言葉が出そうで喋れなくなっていると、「いま、なにを考えていますか」と補佐に尋ねられた。
「泣きそうな顔をしていますよ」
「あ、えっと……」
「私の質問には、必ず答えなさいと教えたはずですが」
威圧的、というわけではないものの有無を言わせない雰囲気の補佐に、嘘を吐こうかどうか悩んだけれども上手い誤魔化しができる自信がなかった。
気持ちを落ち着けるように息を大きく吸い、できるだけ簡潔にいまの感情を口にする。
「私は、補佐の役に立てていませんか?」
できるだけ、自分の感情が揺れないように言葉を選んだはずなのに、口にした瞬間、涙が流れ落ちてしまった。
それどころか、口にしなくてもいいことまでどんどん言葉となって口から飛びだして行く。
「私……もっと、もっと、補佐の役に立ちたいです……。でも、補佐に重要な仕事も任せてもらえないくらい、信用してもらっていないの、わかっています……。だから、せめて迷惑にならないようにって……。昨日も、人と出かけるの気にしてないなんて言いましたが、すごく、その相手の人が羨ましかったです……。補佐が時間を割いてもいいと思えるくらい心許してもらえているのが、すごく……。さっきの、嫌いって言われてのもすごく悲しかったです……。わたしは、補佐のこと大好きだから……」
嗚咽をもらしながら、ずっと感じていたものを吐き出してしまって、楽になるのと同時に嫌悪感が襲ってきた。
みっともない、迷惑をかけた、幻滅された。
今度こそ、本当に補佐のサポートを外されると思うと怖くて顔があげられずにいると、静かに椅子を引く音がした。
その些細な音にすらびくついてしまい、補佐がゆっくりとした動作で私の真横まで来たのを気配で察する。
半ばパニックになっている頭で、恐々、補佐の顔を見れば一段と感情の読み取れない無表情。
あぁ、これは相当怒っている……。
引きつる喉から絞り出すように「ごめんなさい」と言おうとしたが、その前に「なんだお前、もー!」という言葉に遮られ、気が付けば補佐に目いっぱい抱きしめられていた。
「普段は小バカにした態度なのに! 本性は私のこと大好きっ子ですか!」
「は、はい。大好きです」
「弱っているから素直!」
わしゃわしゃと無遠慮なしに撫でられる頭に、思考が追いつかずされるがままになっている私に、「ふたつ、訂正してもいいですか」と、いまだ鼻を鳴らす私をなだめるように優しく体を撫でつつ問われた。
「私はお前を信用していないわけではありません」
「じゃあ、どうして……」
「あまり、重要な仕事に関わらせて万が一、関係している人間は全員消せと言われたら私はお前を消さないといけません。正直、お前に消えられると困ります。お前ほど、思慮深く忠実に仕事をこなしてくれる人間はいませんから」
「わ、私は構いません……! 補佐の為なら!」
「話を聞いていましたか? 私は、『困る』と言っているんです。でも、そうですね。もし、私が命運が尽きるなと判断したら一緒に、地獄まで来てください」
「行きます、絶対に!」
「いい子です。お前は立派に、私の支えになっていますよ。それからですね、今日は別に私に用事が入ったから急遽、休みになったのではなく以前からオーバーホールに休むよう言われていたので元から休みでした。特に用事も入っていません」
補佐の口にした事実を理解するのに数秒かかり、理解した瞬間自分でも驚くほどガラの悪い声で「はぁ?」という言葉がでた。
当の補佐はそれはもう愉快そうに、目を弓なりに歪め笑っている。背後に『プークスクス』と擬音語が入りそうな顔だ。
「いやぁ、この間、私に内緒で仕事なんてするから嫌がらせに嘘吐いたんですけど、あまり効果ないのかと思って若干腹立てていましたが、そんなに気にしていたんですね。ふふ……。しかも、くくっ……! 私のことが大好きだったなんて」
「お、お前……! この野郎!」
相手が補佐であることを忘れて、襟首を引っ掴み前後に揺するも「じゃれついちゃってー」と嫌に嬉しそう。
これは! じゃれついているんじゃ! ない!
「私がどんな気持ちだったか、考えましたか!」
「そうですね、悔しかったんですよね。私が女と出かけるのが」
「言っておきますが! 私は補佐が女性と出かけること事態はどうでもいいんですから!」
「でも悔しかったんでしょ?」
得意満面な笑みで言われたことを否定できず、「くそがぁ!」と地を這うような声がでた。
顔がここ数年で一番熱い。
「まぁまぁ、これですれ違い起こしていたカップルみたいな状態が解消され、私とお前の絆が深まったんですからいいじゃないですか。私はとても嬉しいですよ。お前が私のことをそんなに思っていてくれたことが」
嫌味のひとつでもいってやろうかとも思ったが、補佐の幸せそうな表情で一気に頭が冷静になり、脳内のオークショニアが「補佐の幸せプライスレス!」とハンマーを打ち鳴らした。
掴んでいた補佐の襟首を放し、「怒る気が失せました」と、思考を放棄してずっと止まっていた朝食を再開しようとしたら、ひょいっとパンを取り上げられ「朝ご飯、食べに行きましょう。奢ってあげますよ」と誘われた。
朝ご飯程度で、と唇をすぼめる私を笑い見越したように次の提案をする。
「映画観に行くんでしたっけ? 泣かせてしまったお詫びに、ポップコーンとジュースも買ってあげます。それから、夕食にも行きましょう」
緩みそうになる表情を無理矢理ひきしめ、「別に気にしてないんでいいです」と努めていつも通り返したつもりだったのだが、「いや、全然嬉しさが隠しきれていませんよ」と指摘された。
今日はもうなにもかもがダメだ。
「お詫びというのは建前で、ただ一緒に出かけたいだけです」
「建前ってわざわざ言ったら意味ないじゃないですか」
「お前同様、素直になり切れない人種なんですよ、私も。……本当のことを言うと、以前から休みにどこかに行こうと誘おうかと思ってたのですが、今まで人を遊びに誘った経験がなくて手をこまねいていたんです」
「あぁ、友達がいな……痛い、痛い!」
またもや手の甲を爪を立てて抓られた。
「口は禍の元ですよ」
「はい。えっと、まぁ、行ってもいいですけど、食事代は自分で払います。ポップコーンとジュースだけでいいです」
「私はそっちの方を払わせてほしいですね。お前の貧相な財布の中身にあわせた食事はとりたくないです」
ぐぅの音もでない暴言に腹は立つが、たまにはいい食事をとりたいという強欲さが先立つ。
「じゃあ、お言葉に甘えて今日はゴチになります」
「えぇ、いいですよ。じゃあ、さっさと着替えますよ。ちゃんと、可愛く着飾ってきなさい」
よしよし、と私の頭を軽く撫でてから、補佐は足取り軽く台所から出て行った。
可愛い服、あったかな……。
浮足立ちそうになる気持ちを抑え、私も自室へと向かう為に台所を後にする。
窃野から、「補佐たちが台所でイチャついてて入れないです」という苦情を受け、一言物申してやろうと向かっている途中、張本人である補佐と出くわした。
すぐに注意してやろうと口を開いたが、「音本、聞いてください……」と、神妙な顔つきで言われ、少し心配になり言葉を引っ込め、話を聞けば聞くに値しない話だった。
「私の部下が健気可愛い……!」
ぶわっ! と涙を流しながら語られた内容にげんなりするのも致し方ない。
部下が誰とは聞かずともわかるが、惚気なら枕にでもしていてほしい。
「守っていきたい、あの泣き顔」
「笑顔を守ってやったらどうだ」
「笑顔は当然守って当たり前ですけど、あの泣き顔も永久保存していきたい」
「だから、泣かせてはダメだろ」
経緯は知らないし知りたくもないが、とにかく女性は泣かせてはいけない。そして、枕にでも話しかけていてくれ。