たとえばこんな…



≪ 小説家な彼 ≫ 食満留三郎 × しおり



先程からあまり進んでないような筆に、しおりは緊張と焦りで冷汗が止まらなかった。記念日に贈られた腕時計をチラチラ見ながら、ため息をつきたくなるのを何回我慢したことだろうか。

腕時計から、それでも心配しそうに移した視線の先には愛用の万年筆を握りしめながら頭を抱えている後ろ姿がある。


「……先生。その、どうでしょう、か?」

「悪いが少し黙っていてくれ」

「す、すみません!」


ピシャリと言われて慌てて口を噤んだ。


しおりは現在、編集者として出版社に勤めている。そして先程しおりに棘のある言葉を投げつけたのは担当している小説家の食満留三郎。歳は若いけれども、その筆から生み出される多彩な場面設定、そして個性あふれる登場人物とその性格描写、そして何よりも熱い展開が老若男女に支持されている人気小説家である。

実を言えばしおり自身も、留三郎に憧れてこの世界に入ったのだった。大学の文芸サークルの先輩後輩として出会い、小説家デビューする前から彼の作品を熟読していたしおりは、『こんな作品を書く人たちの力になりたい』そう思って必死に勉強し、現在勤める出版社への内定を勝ち取ったのが三年前の話だ。

まさか、就職した先の出版社で彼の連載を扱うとは…、そして自分がこうして担当として力になれるとは、その時思いもしなかった。

フウと一つ息を吐いたとき、留三郎の筆が動く音が聞こえてきた。
腕時計を確認すると時間は十七時になろうとしていた。十八時にまでには間に合うのだろうかとやきもきしながら待つ。

今日は次号に掲載する読み切り中編の締切日。前日の電話では出来上がっている話だったのだが、今日になって最後の部分が気に入らないから書き直すと言われてしまった。

留三郎はそれほど時間が掛からないと笑いながら言っていたけれども、現実はそう甘くはない。それから何度も書いては原稿を捨て、さらに書き直しても気に入らずにまた捨てるを繰り返していた。
その結果がこのような有り様である。


これは濃いめのコーヒーでも入れた方がよさそうかなと思い、キッチンへと立ち上がりかけた瞬間、ガタンと音が響いた。


「終わったぞ!!」

「……本当ですか!?」


原稿を手にして立ち上がった留三郎に駆け寄り、その手から原稿を受け取ったしおりは急いで確認する。


「……はい、大丈夫です。お疲れ様でした!!」


しおりの言葉に、留三郎は嬉しそうに息を吐いて天井を見上げた。


「はぁ、良かった」

「先生、ありがとうございました」


ペコリと頭を下げるしおりに、留三郎はニッと悪戯っぽく笑うと、しおりの髪をかき混ぜるように頭を撫でる。


「わっ!?な、なんですか?」

「それはこっちの台詞だって。待たせて悪かった、ありがとうな」


しおりは撫でるその手から逃げるように体を引くと、火照る顔を誤魔化しながら受け取った原稿を大切に鞄にしまう。


「で、では私は戻りますね。失礼しました!」


手早く帰り支度を済ませ、勢いよく頭を下げて部屋を出ようとドアノブに手をかけるが、後ろから逆の腕を引かれてしまい動けなくなった。


「せ、先生?」

「いや、ちょっと待ってろ」


しおりを引き止めた留三郎は、クローゼットの中から薄手のコートを取り出して羽織ると、次に財布と愛車のキーを手にする。


「会社まで送ってやる、それと今夜は俺に付き合え」

「……えっ?」


ポカンと呆けたしおりに、留三郎は小さく笑った。


「飯、食いに行こうぜ!この間言っていた店へ連れてってやるよ」

「……でも、私まだ仕事が」

「食満先生と打ち合わせを兼ねた食事とでも何とでも言えばいいだろ」


うう…でも、となかなか煮え切らない態度でいるしおりに、フウと一つ息を吐き留三郎は腕時計を見る。


「……20時までなら待ってやるよ、それまでに仕事終わらせろよーーーしおりちゃん・・・

「……」

「…仕事に真面目なのはいいけどよ、もうちょっと恋人との時間を大事にしないと、な」


普段はつり上がっている形の良い眉を下げ、ドアノブを掴んでいるしおりの手を包むように骨ばった手を添えた。


「……先輩・・の意地悪」


その手を恨めしそうに見つめながら、そう呟く彼女の小さな声を聞くと、留三郎は満足そうに微笑みドアを開けた。







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