たとえばこんな…
≪ カフェ店員な彼 ≫ 善法寺伊作 × 卯子
夜のカフェから、一筋の明かりが漏れていた。中では静かな音楽と、カチャカチャと食洗機の中で食器が奏でる音が響いている。
そんな中、卯子はカウンターで静かな眠りについていた。
「……疲れたよね」
動かしている手を休め、このカフェに勤めている善法寺伊作は苦笑した。今日は自身が店の鍵閉め当番で良かったと、ため息をついた。
卯子がやってきたのは閉店する一時間前。その時間でもいつもは賑わっているのだが、今日は珍しく早い時間で客が引いてしまい誰も居なかった。
店長も用事があるからと、伊作に鍵閉めを頼んで店を後にした。明日の準備をしつつ、新作ケーキのアイデアをノートに書きとめているとき、卯子がやってきたのだ。しかしその顔は、はじめて見る今にも泣き出してしまいそうな顔で、伊作は驚いてしまった。
「卯子ちゃん!」
いらっしゃいませよりも先に名前を呼んでしまい、伊作はしまったと思った。
「…こんばんは、あの」
もう、お店閉めちゃいますか?と恐る恐る聞く卯子に、首を横に振るとカウンター席に促す。
卯子は少し戸惑ってしまった。いつも座るのは決まって奥のテーブル席、カウンターからは観葉植物の陰になる場所だった。が、今日はもう誰も居ないようで、仕方なく案内されたカウンター席に腰を下ろす。
「……いつものでいいのかな?」
席についても俯いたままの卯子に、伊作は優しく声を掛ける。我に返ったように、ハイと返事をするが、いつの間にかまた項垂れている。
あの笑顔は自分には向けてくれないのかと、自嘲気味に笑いながら、伊作はお湯を沸かし始める。
茶葉とミルクの香りが鼻腔をくすぐり、卯子は自然と顔を上げカウンター内を覗いていた。いつもの席だと見えない世界がそこにはあり、テキパキと手際よく作業をする伊作を感心するように見つめていた。
その視線に気づき一瞬手が震えたが、何事もなかったように作業を続ける。
「はい、どうぞ。熱いから気をつけてね」
「ありがとうございます」
差し出されたミルクティーを受け取り、卯子はフウフウと少し冷ましてから一口飲んだ。
「……美味しい」
喉から温かく甘いミルクティーが全身に伝わる。いつもと同じなのに、いつもと違う味に感じる。
それは席のせいなのか、それとも目の前にいる人のせいなのか、卯子の頬には、ぽたぽたと涙がつたっていた。
「卯子ちゃん…」
視界がぼやけてしまってもわかる、心配そうな声と表情。卯子はいつの間にか目の前の人に心の内を吐露していた。
「……私、振られちゃいました」
よくここにも二人で来ていたから、善法寺さんも知ってると思いますけど…と話し出す卯子を伊作は黙って見つめる。
同じ学部の先輩、初めての彼氏、私だけが浮かれていたのかな、沢山やりたいことあったのにな、相談にのってもらったのに私って駄目ですね、と独り言のように泣きじゃくりながら続けた。
「……ごめんなさい、こんな話」
一通り話したのか、卯子は我に返ると急いで頬の涙を手で拭き取った。
「気にしないで、誰かに話せばすっきりするだろうし…」
自分に話してくれてありがとう、と心の中で伊作は呟き、ティッシュを差し出す。
「善法寺さん…ありがとう、確かにちょっとすっきりした」
エヘヘ…と笑いながら受け取る卯子の笑顔に、伊作もつられて笑顔になる。
すっかり冷めてしまった残りのミルクティーを飲んでいると、伊作は新しく淹れるから待っててと声をかけた。
じゃあお言葉に甘えて、と待っていると瞼が段々と重くなっていく。泣きつかれたのか、安心したからなのか卯子は静かに寝息をたてていた。
カウンター越しにその姿を見ると、伊作は思わず笑みをこぼした。
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「誰も来ないで良かった……」
伊作は新しく淹れたミルクティーを一口飲み、入り口のドアを施錠を確認してからカウンター席に腰を下ろす。隣で寝息をたてる卯子を見つめると、じんわりと心が温かくなる。
だらりと垂れた右手を取り、自身の左手と絡めると離れないようにと繋ぐ。
「……疲れたよね、あんな奴と付き合って」
自分の方が先に出会っていたのに……不運な自分を呪ったが、これからはまた一人で来てくれる。
今度は私に会いに来てくれるはずだ、と伊作は指から伝わる卯子の体温を感じ悦に入った。
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