恋する十二カ月


≪ 六月の巻 ≫ 食満留三郎×しおり



しおりは今にも雨が降り出しそうな暗い空を見上げながらため息をついた。


こんな気候のせいだろうか、最近どうも憂鬱になりがちだ。気分転換に図書室で本を読もうとお気に入りの本を手に取って頁をめくるが、今日は文字や絵をただ目で追うだけで、なかなか頭に入ってこない。


しおりは再びため息をついた。


雨は好きではない、だが雨は忍びに多大なる恩恵をもたらしてくれる。雨は己の気配を上手く消し、相手を撹乱させやすい。それが利点だと無理矢理でも思えば、多少は気分が晴れる。



「……り」

「……しおり」


その声に、ぼんやりと格子窓から外をのぞいていたしおりはハッと目を見開いた。今日当番である図書委員の能勢久作は、同じく図書委員の不破雷蔵と一緒に先ほど図書の返却が遅れている生徒のところに向かうと出て行ったばかりだ。自分以外誰も居ないはずの図書室なのに、己を呼ぶ声が響くなどありえない。訝しげに眉根を寄せたとき、目の前に黒い影が舞い降りた。


「……け、食満先輩」


現れたのは食満留三郎だった。どうしたのかと言葉を続けようとしたが、あっという間にその大きな手で口を塞がれ本棚の陰にズルズルと連れて行かれてしまった。混乱から目を瞬かせていると、次にドタドタという荒い足音と共に耳が痛くなる程の大きさで扉が開いた。


「ここかっ!!」


それは潮江文次郎の声のようだ。ひどく怒っているように思えるが、その予想は間違いではなさそうである。

しおりは瞬時に気配を消してから、留三郎を見上げると申し訳なさそうに苦笑いを浮かべているのが判り、また喧嘩でもしたのかと内心呆れてしまった。


「……」

「……居ないか」


チッと盛大な舌打ちをして文次郎はどこかへ行ってしまったようだ。足音が遠くなってからようやくしおりは解放される。


「……あの、また喧嘩ですか?」

「そう言ってくれるな」


しおりの言葉にバツが悪そうに頭を掻いた留三郎は、「さて、どうするか」と小さく呟いて、文次郎が去って行った扉を恨めしそうに見つめた。さっさと出て行きたいところだが、下手に外へ出れば文次郎と鉢合わせしてしまう可能性も否定できないという雰囲気だ。

サーッと音が聞こえてきた。雨が降ってきたようだ、その音がよくわかるくらい図書室は静かで、この空間だけ時間が止まっているようだった。留三郎は何も言わず、ただ扉をじっと見ている。

しおりはその横顔を見て少し考えると本棚へ向かい、先ほど手にしていた一冊の本を取り出すと、おずおずに留三郎に差し出した。


「……あの、食満先輩。こちらの本なんですけど、結構面白いと思いますので読んでみますか?」


その言葉に留三郎は驚いたように目を丸くした。それを見たしおりは途端に目を逸らして項垂れる。


(まずい、出過ぎた真似を……)


急な提案に気分を悪くさせたと思って身構えていたが、頭の上にポンと優しい重みを感じたのでゆっくりと目線を上げる。


「しおりが薦めるなら確かだな、読んでみるか」


そう言ってしおりの頭をくしゃくしゃと撫でると本を受け取り、すぐ近くの席に腰を下ろして頁を捲った。怒号が飛んでこなくてホッとしたが、まさかこんなあっさりと自分の意見を受け入れてくれるとは予想していなかったので、しおりは拍子抜けしてしまう。だが、真剣に本を読んでいる様子に嬉しくなったしおりは、留三郎に気づかれないようにそっと笑みを浮かべるのだった。










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遠くでカーンッと鐘が鳴る音を耳にして、留三郎は読んでいた本から顔を上げた。いつの間に雨は止んで格子窓から赤紫色の夕日が差し込んでいる。もうそんな時間が経ったのかと立ち上がろうとしたが、隣でモゾモゾと何かが動いた気がしてピタリと止まる。

まさかと思いそっと窺ってみれば、机に伏せて寝息を立てているしおりの姿が目に入って、しまったと顔をしかめる。本に夢中になりすぎて彼女の存在を忘れてしまっていたのだ。


(……悪いことをしたな)


きっと自分に気を遣って動けなかったのだろうと、気持ちよさそうに眠るしおりの前髪を静かに梳いた。何故そんなことをしたのか留三郎自身よくわからなかったが、夕日に染まる顔と艶やかな黒髪が先ほど読んでいた噺に出てきた天女みたいだなと思い、つい触れてしまった。

手触りのよいさらりとした感覚に、留三郎の心は一瞬ざわめく。


「ん~」


と、モソモソとしおりが動いたので慌てて手を離す。起こしたかと思いそっと顔を覗き込んだが、その瞼が開くことはなかった。


(……もうしばらく、このままでもいいか)


彼女の寝顔をもう少し見ていたいと思ってしまった自分に、留三郎は困ったような笑みを零して天井を仰いだ。







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「…不破先輩、どうかしましたか?」


図書室の扉を開けずに佇んでいる雷蔵の背中を、久作は不思議そうに見つめる。返却された本を両手に持っているので、早く開けてほしいなあ、と眉をひそめたが、その背中は微動だにしない。


(……どうしよう)


中から何故だかとてつもない圧を感じた雷蔵は、この扉に手をかけたら最後のような緊張感に見舞われていた。


(……開けようか、開けまいか、開けようか…)





その心の中の問答は、夕飯の時間を知らせる鐘の音が聞こえるまで続いていた……。






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