カンオケダンス陽関三畳

 実のところ、モリアーティは「そんな誰か」を探してはいない。
 レイシフト先であるロンドンを霊体でさまよい、書店を巡り、たったの100年を想っていただけだった。
 どこで自分が産まれたかは知っている…いや、わかっている。
 だがそこに向かうほどの理由は無いのだ。
 会ったところで、どうしたらいいかわからないのも本音。
 …まるで迷子の様な気分だった。

(…まぁ、迷子か)
 自問自答で済ませれたら、わざわざこんなところに居ないだろう…とは理解している。
 しかし、与えられてしまったこの存在には、間違いなく心が備わってしまっている。

(割り切るなんて…一言で済ませれたらどうかしてるよネ、そんなの)
 はー…と溜め息をひとつ吐き、ただ流れ行くだけの人の群れに、観察する価値すら見出せなくなってしまったと路地裏で霊体から実体に切り替えたその時、飲食店のダストボックスから頭を出した1人の少年と目が合ってしまった。
 その少年が実体化の瞬間を見ていたか定かではないが、モリアーティは何ら思うところも無く、その場を後にする。
 歩いている間、背後から「幽霊」「妖精」「蝶の人」と色々な呼び方で声を掛けられたが、徹底的に無視をした。
 その内声は聞こえなくなり、随分と歩いたことで路地裏も終わりが近いから…と霊体化しようとしたが、モリアーティは何となく来た道を引き返してダストボックスの少年に会ってみることにする。
 何かを期待しているわけでもない。
 会話程度なら、干渉にはならないだろう。

 ただ、そんな気分になっただけだ。
 そもそも彼はリアルで、己はフィクションで、この時代に居る「そんな誰か」はもう初老で、で、で。

 で。

「――馬鹿な子だ」

 で。
 撲殺された見すぼらしい少年だけが、そこに転がされていた。
 ダストボックスに入っていたことが店主にバレたのか、はたまた何かから逃げていたから入っていたのか――……。
 こんな薄汚れたところに、清潔感がある身なりのきちんとした者がいれば、藁にもすがる想いだっただろう。
 だがしかし、こんなにも、中身が腐った者の方が圧倒的に多く、100年後より生き抜くには厳しい時代。
 人に頼るのではなく、人を疑わなければならないはずなのに。

「馬鹿な子だ」
 あぁきっと、馬鹿な子だ。
 頼る相手を間違えて、挙句殺されている。

 ほぼ見捨てることと同義である行動を取った己を棚上げして、少年に「馬鹿」とだけ落とす。
 決して褒められた行為ではない。
 だがひとつだけ、少年に同情せずにはいられなかった。

「それにしても…君を産んだ誰かは、最期だけでも君の傍に居なかったんだネ」
 見すぼらしい少年の酷く凹んだ頭部を見下ろし、モリアーティはそれ以上語りかけることも無く、霊体化した。

(…もう、充分だな)
 結局、答えなんて分かっていた。
 望んで産まれたわけではない。
 望まれて産まれてきたのだ。

 与えられてしまった存在に、自分という心が備わってしまった。
 どうしたいかより、どうしてほしいかが先に成っているのは当然で、そうあってくれと愛されたからまずはその道を歩む。
 先の次には後しか無いのだから…そうやって生きていくのが、リアルでもフィクションでも当たり前なのだから。

 モリアーティにとって、得たいものはひとつだけ。
 せっかく産まれてきたのだから、どうせなら、自分を産んだ誰かに全てを認めてもらいたかった。
 だがそれがどんな書籍に綴られていようとも、本当のところは棺桶の中でもう朽ちているだろう誰かにしかわからない。
 形に残ったものなんて、言葉半分。
 それでも、モリアーティから伝えられたら…どれだけ良かったかと思うものもある。

(……産んでくれてありがとうとか…死んだ後じゃ言えないよ、薄ら寒い)
 ゴールなんてものはない存在の確立に、リアルもフィクションもないのだと、もう…わかっている。

 自分はただ「そんな誰か」に、運命のひとりだったと云われたかっただけなのだ。


  ◆


 マタ・ハリの誘いを断り、自室で保管しているワインとチーズをひとつずつ取り出してベッド横のテーブルに置くと、モリアーティはそれを楽しむために一度霊体化してから実体化した。
 時間は昼を過ぎて子供たちのお腹も空く頃だ。
(ここ数日、碌な目に遭ってないし…今日くらい誰も文句言わないだろうさ)
 そうしてグラスをひとつ手に持ってベッドに腰を下ろし、早すぎる晩酌に手を付ける。
 と。
「酒を飲むには早いだろう君。血の分くらい私にさっさと返したまえ」
「おまえなんで我が物顔で人の部屋にノックもしないで入ってこれるんだ」
 ホームズがモリアーティの部屋に無断で侵入してきた上に、しっかり文句も付けてきた。
 ズカズカ入って来たかと思うと、ドカッとテーブル前に置いてある椅子に腰を下ろす。
 全ての物音がうるさいだけでなく、身振り手振りがいちいち大袈裟で、モリアーティもこのホームズは面倒臭いこと間違いないとうんざりした面持ちをする。
 だが色々と尊厳が失われたものの、肌と血で分けられた魔力と混乱時の拘束、シェイクスピアへの罰は返さなければならない恩だ。
 多少の傲慢な態度には目を瞑った。
「それで?無断侵入してわざわざ酒の前に座ったんだ。君も――」
 飲むのか?と、もうひとつグラスを取りに行こうかとモリアーティが腰を上げると、ホームズは歩いて離れて行こうとするその手を強く握って引き留める。
「ホームズ?」
 キョトンとした顔と案外穏やかな声でモリアーティに名前を呼ばれては、ホームズも少々力み過ぎたと力を抜いた。
 しかしこれから尋ねることで、また力むかもしれないと思うと、あまり油断は出来ない。
 胸の内で深呼吸をし、ホームズは意を決してモリアーティにそれを投げかけた。

「彼に会ったのか?」
 その問いに、モリアーティは「会ってないぞ」とすんなり返す。
 拍子抜けとはこのことだ…という顔をしてしまうと、モリアーティはひとり納得して微笑む。
「なに?心配とかしてたのか?」
 からかっている訳ではない。
 ただこういう返し方しか出来ないのだ。
 そしてそれをホームズもわかっている。
「……したとも。したから、こうやってここに居るんだ」
「気持ち悪いな。別に暇潰しの相手なら私以外にもいるだろうに」
「暇潰しだけで君と肌を合わせるか」
「響きがサイテーだからやめろ。もう少し言い方あるデショ…」
 さすがに苦笑いに変わるモリアーティに、ホームズは懸念していた通りに力んでしまう。

 正直なところ、管制室の扉の前でただ佇んでいたあの夜のモリアーティを見てから、ホームズは生きた心地がしていなかった。
 今思えば混乱状態に入りきる手前だったことで生気らしい生気も感じられず、自分が知る彼とはいちいち違った行動で次の予想も立て難い上に、何より自分と同じ目をしていた。
 ずっと何かを探している目。
 そしてそれは、自分が持つものよりも濃いものだった。





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