カンオケダンス陽関三畳

――……

 それは酷い物語で、色々な思惑の末に離れ離れにされてしまった主人公とその恋人が、遠い地で互いの幸せを願いながら生きていく…という予定になるものだった。
 計算外だったのは、どうしても恋人に会いたいのだと色々な人の反対を押し切り、遠い地に向けて出発してしまった主人公。
 計算内だったのは、早々に主人公に見切りをつけて、優しさだけをひけらかしていた恋人が、新しい地で人生をやり直していたこと。
 酷い酷い物語。
 どちらが酷いかなんて、誰が酷いかなんて、何が酷いかなんて、それこそ、この物語の世界に産み落とされなければ、そんな想いはしなくて済んだかもしれないのに、なんて。

 シェイクスピアの新作劇に抱いた感想は、そんなもの。
 別段、何かを汲み取る様なことは無かった。
 無かった。

 無かった。

 無かった?

 本当に?

 誰もが誰かの創作物であるあの世界に、寂寥感(せきりょうかん)のカケラも抱かなかった?

 産んでおいて拒むのか。
 産んでおいて幸せの皮を被らせるのか。
 産んでおいて賞賛を食うのか。
 産んでおいて産んでおいて産んでおいて産んでおいて。

 まるでシミの様に広がっていく、誰かへの叶わない希望。
 例え取り返しがつかなくたって、産まれたことが間違いだったと思われたって、成功のための失敗だったと告げられたって、望まなくても与えられてしまった世界で、自分にとっての運命の相手ひとりにくらい…出会ってみたいじゃないか。
 産まれてきたのに、あんまりじゃないか。

 なんて、小指の爪先ほどでも思ってしまえば。

「会いたい誰かは思い出せましたか?」
 弾む足音と共に舞台袖から現れたシェイクスピアが、表情だけでも憂いを作りだしていた。

 劇の世界に少しでも感情移入してしまえばそこまで。
 そしてこれこそが、彼の試験的な宝具だった。

――……


「――観劇者の大半が、行動不能に…なった?」
「正確には遅効性の混乱状態だな。どれだけ真剣に観ていたかで個体差は出ているが…特に酷いのはフランケンシュタインとジル・ド・レェ、次に君だ」
 物語のあらすじが恋人や多勢に無勢の様なものなので、真剣に観ると言う意味では確かにフランケンシュタインとジル・ド・レェには同情する。
 内容も内容だけにホームズの声色からしても、事態は暗そうであった。
 それにモリアーティ自身、どこからが混乱の始まりだったのかが分からないほどに、今回のこの事件はタチが悪い。
 だが混乱状態が抜け切らないでいる回らない頭でも、ホームズの駆け足な状況説明に耳を傾けなければならなかった。

 先程名前が上がったフランケンシュタインは、マスターを筆頭に4騎で現在対応中。
 混乱に入ったタイミングが一番早かったのに、一番長引いている点が後々どう響くか問題らしい。
 次にジル・ド・レェは先程通信で意識が戻ったという連絡を受けた。
 混乱に入ったタイミングとしてはモリアーティより少し早かったくらいで、度合いで例えたらクラススキルと所持宝具のおかげで多少マシではあったらしいが、ただ対応に当たったジャンヌ・ダルク三姉妹が色々とボロボロになったという。
 そしてジル・ド・レェのすぐ後…食堂にて混乱に入ったモリアーティだが、先の2騎より幾分か手に負えるというレベルでしかなかった。

 フランケンシュタインは明け方、混乱による夢遊病の様な行動から意思疎通が難しくなったことで、近くの部屋で寝ていたサーヴァント達が対応…戦闘からの拘束となった。
 そんなフランケンシュタインのことを知るサーヴァントも少ない中、シュミレーターにジャンヌ・ダルク三姉妹と向かっていたジル・ド・レェが…そして遅めの朝食を取ろうとしていたモリアーティが、マタ・ハリとホームズの目の前で混乱状態になってしまった。
 言わずもがな、戦闘からの拘束である。

「――私はたまたま劇を観ていなかったのでね、こうやって君の拘束と魔力供給にあてがわれただけだ。誓ってそれ以上は無い」
「あってたまるか…おぞましい…」
 ただでさえ面倒をかけてしまったことと、何よりホームズに裸で抱きしめられていたという事実だけでも気が狂うのに、これ以上のもしもなんてあってはモリアーティの死が確定してしまう。
 勿論、拘束と供給のどちらも成すため効率的に肌を合わせただけであるホームズもそれなりに心が摩耗していた。

「おぞましいついでだが、私とのデートは憶えているか?」
「……憶えているとも。まさか…観てない…とは…思わなかったけど、ネ」
 弱々しい呼吸で答えるモリアーティに、ホームズは心の中で溜め息をつく。





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