共に智たれウォーターフォールスター

 小脇に抱えられ、走り連れ去られること十数分。
 最初こそ抵抗らしい抵抗をしていたが、それも聞き耳持たずなホームズには無意味であったため、モリアーティは半ば諦めの境地となる。
 仕返しになるかは不明だが、せめてもの嫌がらせになれと全力で脱力した。
 だが、そんなモリアーティの仕返しも察していたかのように抱え直し、ホームズは軽やかに著者の家めがけて走り続ける。
「……どこ行くのか教えなよ」
「著者の書斎だ」
「なんでまた…」
「誰も居ないだろうからね」
(何がしたいんだコイツ)
 訊いているのに答えない。
 押し問答にもならない。
 普段ならある程度読み取れるホームズが、今何を考えて行動しているかがわからない。
(…レイシフトした時はすぐ解ったんだけどネ…それにしても、なんで私がホームズを捨てるなんて有り得ない話をしてたんだか)
 もやもやする思考の整理が出来ないことに、それこそ煙草の火を消す様に事が済むのなら、どれほど楽かと唇を尖らせるモリアーティであった。

 この時代にしては立派な著者の自宅に、ホームズは2度目の訪問となるがモリアーティは初めての訪問となる。
 使用人であるメイドの分まで用意された家の作りに、著者の面倒見の良さもうかがえた。
「…思っていたより立派だ。こんな家で生活してるのに3日もあの小屋に居たなんて…本気なんだネ」
「書斎はこっちだ。教授」
 ゆっくりと屋内を見渡すモリアーティを急かす様に、ホームズはその腕を引っ張って書斎へ向かう。
 振り回されっぱなしである彼からすれば、堪忍袋の緒が切れてもおかしくはないのだが、切ったところでホームズは止まらないと分かっているだけに半ば悟りの境地で身を任せた。
 すぐに着くこととなった書斎の扉は、今度はホームズによってゆっくりと力いっぱい大きく開かれる。

 モリアーティの目の前に広がる、小汚くも質素なものでまとめられたそこは、種類は違えど研究を生業にした者が居るということを感じさせた。
 所々にアクセントとなっている馬の木彫り人形が飾られているのも、年表や地図が広げられているのも、土地の研究を並行しているからかどこの土かを振り分けられている標本箱のようなものも、どこか懐かしさを抱かせる。
「歴史研究家なのに、アトリエみたいだネ」
「彼はなかなか、良いセンスを持っているとわかるだろう?」
「それはわかるが…これを見せたくて私を運んだのか?」
 部屋を見渡しながらうろうろとするモリアーティが、そうホームズに訊ねる。
 誰も居ないからと言っていた割に、ふたりきりになると何も行動を起こさないというのはいかがなものか…読み取れないホームズの言動に調子が狂うと舌を打ちそうになったその時。
「教授」
「ん?」
「3日、時間がある」
「あぁ、言ってたネ。君は何するの?」
「何も予定は無い。が…私は…」
「うん」
「教授と、この書斎の本を読めたらと思う」
 いつになくかしこまるホームズのその顔に、モリアーティは面食らう。
 先ほどまでのすまし顔はどこへやら…今はまるで甘えたな子供の様だ。

 モリアーティはうろつく足を止め、己からの返事を待つホームズに近寄り顔を覗き込む。
「なんだ?あの著者みたいに「学べる箱」でも私と分かち合おうってからかってるのか?」
 意地悪く口角を上げ、それこそホームズをからかう。
 それをホームズは少々不服そうに見下ろすも、娼館でのことを仕返されているのではと察した時点で眉を下げた。
 半ばやけくその様に「そうだ」と返せば、モリアーティは愉快そうに腰を伸ばす。
「他人の知識を我が物顔で分かち合おうとは恐れ入る。ま、でも、そういうとこは嫌いじゃないヨ」
「どうせこの未来に私たちはいるんだから、別に良いだろう」
「そういうの横暴っていうんだけど」
「まさか、正当な主張だろう?」
「マスター君とマシュ君の前で発揮してる紳士っぷりを私の前では欠片も出さないネ。君…」
「教授に発揮しても得が無いのでね」
 ははは、と笑うホームズのその顔は、モリアーティがよく知る張り付けたもの。
 だからこそ、いつもの彼だとすぐにわかった。

 先ほどまでの理解し難い数多の行動には触れず、モリアーティは書斎の机に腰掛け、椅子をホームズへ譲る。
「私も君相手に馬鹿を演じるつもりは無い。せっかくのお誘いだ、ご一緒しようじゃないか」
「……断られると、思っていたんだがね…」
「興が乗ったとでも思ったらいいさ。あぁ、あと、さっきの娼館の少女の…私が君を捨てるとかってやつだがネ」
 机の上にある本を手に取りながら、まるで思い出話でも語る様にモリアーティから紡がれたその一言に、ホームズは椅子に座ると同時に固まる。
 嫌な汗が背中を流れた気がしたが、きっと気のせいではないだろう。
 だが、その余裕の無さを悟られまいと、平静を装った。
「あぁ、あれか」
「まぁ、言いたくないなら聞かないけど、一応私からは答えとくヨ」
「捨てるだけだろう?」
「…どう思い込んでるかは知らんが、私はそんな仮定も結論も出したことは無い。そもそも、逆はあってもまた然りとはならないな」
 その答えに、ホームズは目を見開く。
「君、自信家に見えて自己評価低いとこあるよネ」
 そう微笑みながら手に取った本のページをめくるモリアーティが、ホームズには特別きらめいて見えた。
 答えられたそれが、ホームズの気持ちを知っていてのものかはわからない。
 それでもモリアーティからのその言葉だけで、ホームズは余裕を与えられてしまった。

 悔しいかな。
 先の無い問いを、張り合いの無い答えを、約束されない未来を…待ち続ける覚悟でいたつもりだったのに。
「――……私は、まぁ、教授を捨てた前科持ちだからね。捨てられるとばかり」
「君が望むなら捨ててやろう。そうだな。どこぞの滝で肉クッションなんてどうだ?」
「それ一緒に落ちてるじゃないか」
「だから、そういうことなんだけど」
 まるでそれが当然だと言いたげなモリアーティの声色に、ホームズは手で口を隠す。
 本を見ながらの問答ゆえに、彼が顔を上げていないことがせめてもの救いだった。
 だが、モリアーティは少々違う方向性で話をくんでしまったのだろう…少し可笑しそうに、少し面倒臭そうに、瞼を閉じて口角を上げる。

「鬱陶しい在り方だが、そういう星のもとに生まれたんだと諦めたまえ、ホームズ君」
「……私は別に構わないが、教授がそれを諦めてもいいのか…?」
「ま、今のところ不満は無い…とだけ、言っておこうか」
「…はは。それは、また…難解な心情だな」
「お互いにネ」

 他人の書斎という小さな箱の中。
 そこには確かに…分かち合い、別れを惜しむ心があった。


 ― 終 ―




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