共に智たれウォーターフォールスター

 バラバラだった紙を順番に整えて一冊の本としてまとめ終え、そのまま読めるところだけでもと読んだマスターとマシュは、無言で書斎にある椅子と机に腰掛けていた。

 2人がまとめた本は予想通りブーディカを連想させるものであり、恐らくブーディカの研究に関するものだったが、本文に少し余分なものが混ざっている。
 それは間違いなく、著者から誰かに向けられたメッセージだった。

 メッセージは簡単な暗号にされており、ページを順番に整えた後に挿絵に書かれている単語を繋げたり入れ替えたりするもの。
 それを半分以上解読したのはマシュだったが、伝えたい意味を理解するのが早かったのはマスターだった。
 だからこそホームズは2人を置いて出向いたのだろうと納得する。

 メッセージから察するに、著者は生きている。
 きっとあの小さなレンガ調の建物で、ただ1人の理解者と居るのだろうとマスターは呟いた。
「この時代で…娼婦である方がどの様な肩身の狭さだったかを、私は知識としてでしか学んでいません」
「うん…わたしなんて、学校の授業で花魁とかって話くらいしか聞かなかったくらいだよ」

 メッセージの内容、それは「学べるあの箱を君と」という簡素なものだった。

 著者を探して走り回っている間、「周りから察してやれ」「野暮だろう」としか言われなかったそれが、女性を買っているということに2人は薄々気付いていた。
 だが現代の考え方で育ったマスターとマシュには、直接的な表現を避けるべきだとブーディカが間に立っていたのだ。
 そこにホームズの確信を突いた言動が加えられ、これは深く関わると後々苦言を呈されるだろうことは容易に想像ができた。
 だから2人は自分達以外が居ないこの場で確認しあう。
 「きっとそういうこと」なのだろうと、気まずさが空間を蝕む中で。 
 表紙の裏に記された名前も、この時代で代表的な女性の名前だとわかったものだから、もう答えは目の前だ。

「この表紙の中身は結局見つけられませんでしたが、ただ…娼婦の方と居るということが行方をくらませる理由になるのかが――…」
「……んー、マシュ…あのさ、この時代の本って…唯一無二、なんだよね?」
「そうですね。増刷技術が書き写しのはずなので、オリジナルが無いとそもそも同じ内容のものは作れませんから」
「…それって、オリジナルが無くなったらヤバいのに、それでも千切っちゃったってことだよね…」
「…………確かにこれでは、まるでドッキングですね……」
 息を飲み、2人は本を見やる。
 中身が同じものなのか、それとも完全に違うものなのかは判明していない。
 だが著者が見つからずに3日という時間が過ぎ去ろうとしていることが、何かを物語っているような…そんな錯覚をさせるのだ。
「この表紙で、それこそ…ラブレターみたいにしたかったのかな…」
 真剣に考えを深くしていく彼女に、マシュは顔を覗き込むような姿勢を取る。
「……先輩…」
 マシュの切なさがにじむ呼び掛けに、彼女は立ち上がり本を手に取った。

「――行こう、あの建物に」

 現場保存など諦められた書斎の扉を、彼女はゆっくり、それでも力いっぱい大きく開ける。
 すれ違うメイドに軽く頭を下げたら玄関をくぐって、都心から少し外れた小さなレンガ調の建物へ向かって、彼女達は走りだした。

 夕日は雲を橙色に染め、遠くの薄青色を徐々に飲んでいく。


   ◆


 時は少し遡り、娼館。

「――…先生?」
 ホームズの疑問に、娼婦の面々はきょとんとする。
 そしてすぐに、いぶかしげな顔でホームズを頭の天辺から靴の先まで観察した彼女達は「ははん?」と笑いだした。

「あんた、ここらの奴じゃないね?」
「女に捨てられて旅でも始めたのかい?」
 あっはっはっはっ!と爽快に笑い飛ばすその声と察しの良さに、ホームズは少々面食らってしまう。
 だが、少し整理すればそれは当然ともいえる笑いだった。
 宿に近い所に位置する小さなレンガ調の建物で、毎週決まった曜日の夕方に歴史の研究をしている先生が、近所の希望者達に勉強を聞かせに来てくれる――なんて、噂にならない訳がない。
 もしそれが金を取っての行動なら、彼女達は見向きもしないだろう。
 だがマスター達の聞き込みで得た情報によると著者は金を取っておらず…正に聖人君子の様な行いを続けていたのだ。
 
「まぁ女の思い出は女で忘れりゃいいさ!あんたくらい顔が良くて金もありそうなら放っておく方が馬鹿だね。今なら選り取り見取りで良い夢見れんじゃないかい?」
「あの先生ですらちゃんと買ってんだ。期待したいところだよ」
「あんたを捨てたのがどんな女か教えとくれよ。似た奴がいりゃ選べばいいさ」
 止めようにも止められないマシンガントークに、ひとつの引っ掛かりを感じてしまったホームズは眉を少しつり上げる。
 わいわいと盛り上がっていく場は、それこそ衝撃を与えなければ冷めないものだ。
 聞きたいことと否定したいことが優先的になったことを引き金に、ホームズはとうとう掴まれたままになっていた腕を振り払ってしまう。
 腕を掴んでいた娼婦が「おっと」とよろけたのだけは支え、そのまま早々に手を放すと、一歩足を引く。

 逃げるのか?と一瞬その眼を光らせた彼女達は、それこそ狩人の目であった。
「最初に言わなかったことは悪かったが、私は貴女方を買うつもりは無いとだけ伝えておくよ」
 少々頭にきているホームズも、その眼に負けず劣らず睨み返す。
「私はこれでも探偵でね。今話題に上がったその先生のことで訊ねたいことがあっただけさ」
 冷ややかに。
 細身ながらもコートによって体格が良く見え、更に長身であるホームズから放たれる怒気のこもった声は、彼女達を黙らせるには充分な気迫だった。
「…調査に協力してくれたらチップは出すがね、少し心もとないんだ。出来れば先生か…先生の所に居るであろう女性に詳しい方はいるかな?」
 ホームズが努めて優しくぶろうとしているのが分かったのか、彼女達は渋々諦めた様に1人の少女を差し出す。
 傍目で見るとマシュと背丈も年齢も変わらないくらいの少女が、最奥の扉からおどおどしく目の前まで歩いてきたことにホームズは内心動揺した。

「……話せるかね?」
「…何が知りたいんだよ」
 己の背後に先輩にあたるであろう娼婦の面々がいるからか、怖くても引けない状態に立たされている彼女の語気に、さすがのホームズも折れる姿勢を取る。
 まずは背を屈め、チップが入った麻袋を少し覗かせた。
「先生と女性の関係、それから3日前に何があったかを」
「…わかった。はずめよ」
「善処する」

「……先生とは特別な関係だって聞いてたけど、恋人とは聞いてない。毎週遠い昔の女王の話を聞きに行ったり、先生が買いに来たりしてた…珍しすぎる一途な男だよ…あの先生は。3日前も変わらずにあいつが話聞きに行ったっきりってだけで、あたしらは何も知らない。ただあいつは…こんな掃き溜めみてぇな場所でも、ちゃんと帰ってくる女だ」
「帰ってくる根拠は?」
「少し前に、どっかのちょっと金持った奴に駆け落ちまがいのことを無理やりさせられそうになって…それでも金持ってんだし、そのまま帰ってこなけりゃ良かったのに…ここに帰ってきたんだよ」
「…それは…先生のためだったのか?」
「…………知らねーよ。あぁ、ただ、あの箱じゃなきゃ嫌だって怒ってたな…金持ちのプレゼントセンスって意味わかんねぇから、それで帰って来たのかもよ?」
「……」
 強がりながらも同情するように、それでも他人の幸せを願うように…話しながら少しずつ俯いていく少女の手をホームズは取る。
「ありがとう。チップだ」
 その手には麻袋に入っていた3分の1程度のものが握られており、少女に渡ったと同時に曲げていた腰を伸ばす。
 呼び止められまいとそのままの勢いで階段を駆け下り、1階の広場から出口の扉に手をかけたところで振り返った。
 そしてここぞとばかりに、ホームズは声を張る。
「残りは解決したら渡しに来る!あと言っておくが、私はまだ捨てられていないよ。それ以前だ!」
 堂々とした悲しい告白と同時に大きく開けた扉をくぐるその背に、慌てて広場まで下りて来た彼女達はあっけにとられる。
 だがそれに対し、1人だけ張り合った少女がいた。
「残りの倍は持ってこい!!でなけりゃ捨てられ予定のお相手様でも連れて来な!!」
 閉じかかった扉の向こうには、娼館に背を向けて走り去る真っ黒な長身の男とそれを避けて酒を飲むならず者たち。
 聞こえているのかいないのかなんて、この際少女にはどうでも良かった。
「…解決したら、今度こそちゃんと帰ってくんなって言わせてくれ」
 ぽつりと落ちたその本音に、ゆっくりと扉が閉まっていった。

 背に受けた少女の言葉を追い風に、出来る限りの速さで駆け抜けていく著者と彼女へ続く道で、ホームズは書斎でのメッセージを思い出す。
(学べるあの箱を君と……か。なるほど。ハッピーエンドだ。あとはモリアーティとブーディカが上手く見張ってくれているかだな)
 息が切れないことを良いことに、走りながら溜め息をつくという芸当をしてのける名探偵。
 少し考えて少し動けば繋がっていく相関図に、レイシフト前から抱いていた解き甲斐の無さに落胆が隠せない気持ちを走りながら顔に出したのが良くなかったのか、はたまた格好が時代にそぐわないからか、家畜の世話をしていた道端の者達に「悪魔みたい」と言われるのであった。

 ホームズの心は晴れ渡ることがないのに、空はまだまだ青く透き通り、黄色のグラデーションは良いアクセント程度にしか感じられない。





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