共に智たれウォーターフォールスター

「原稿、あった」
 そう呟いたマスターである彼女の目の前には、サイドチェストに置かれた手のひらより一回り程大きな一冊の本。
 原稿は原稿用紙でするものだと思い込んでいたと肩を落とす彼女に、マシュは駆け寄る。

 ここは著者の自宅内にある書斎。
 メイドを雇えるほどには稼ぎがある、この時代では裕福な家の大きさと内装。
 所々に馬の木彫り人形が飾られているところを見ると、やはりブーディカの研究をしている著者なだけあってチャリオットが好きなのだろうかと思わせる。
 だがルームツアーはほどほどに、現場保管など期待していなかったホームズの指示で、マスターとマシュは著者のスケジュールが記されているものを探していたところだったのだ。
「この本は2日前にもここにあったかい?」
「ありました。あの時は行方不明から28時間以上が経過していましたから、私達はこの部屋を一度確認してすぐに近隣を探しに外へ出ています。その時に…」
「うん。その時中身は確認してないけど、この本はここにあったよ。ほら、表紙に馬の絵が描いてあるでしょ?」
「ブーディカさんが馬の本と言われていましたので、先輩も私も一度この表紙を確認しています」
 赤の厚手な皮に金の馬が表紙を飾るその本は、どうやらたくさんの紙をひとまとめにするファイルの様な扱いだった。
 はらはらとめくられる紙に異常らしいものは見当たらず、匂いも特に気にならない。
 ホームズは彼女からその本を手渡され、改めて自分で紙をめくる。

「――……あぁ、そういうことか」
 そして一通り目を通してそうぽつりと呟き、本を閉じるとマシュに手渡した。
「失くさないでくれたまえ。それから、私は出掛けるよ」
「は、はい!」
「へ?どこに?」
「金を持った男が行く所だ。君たちには出来ればここでページの順番を整えていてもらえると助かる。表紙の皮も含めて丁重に扱ってくれたまえ」
「え…」
 ホームズの言葉にマシュは手元の本を開く。
 それと同時に書斎の扉が閉じる音が部屋内に響き、あまりにも素早いホームズの行動に今更驚くこともなく、マスターとマシュは改めて馬の本に目を落とした。
「ページが…バラバラですね。あの一瞬で気付けるなんて…流石です…」
「相変わらず凄いなー…それにしても番号どこに書いてあるの?これ…絵だけのページもあるし結構な量なのに…」
「この時代の紙や本はかなり高価ですし、大袈裟ではなく唯一無二だと記憶しています。よく考えてみると絵だけなんてかなり贅沢な使い方ですね」

 冒頭に小さく書かれた数字がいきなり90ページだと思えば、次の紙からは順番になっていたりとバラバラであることに規則性も感じ取れないそれは、2人にホームズの指示通り行動をさせるには充分な不透明さだった。
 だが、書斎の机にはこの時代の原稿用紙らしきものがあるのに、なぜ一般的に普及されているであろう粗い紙に原稿の内容を書いたのか。
 ファイルの代わりにされている馬の本も、元々は何かの本だったのだろう…ページが全て糸の根元から千切り剝がされている。
 そして表紙を飾る皮の裏側には誰かの名前と思われるものが記されていた。
「この本、誰かのだったのかな…でも元々は何の本だったんだろ?」
「わかりません…。ですが、何となくですが…大切だったのは皮よりも中身なのではないでしょうか?」
「…装飾は要らなかったってこと?」
「どちらが要らなかったのかは、判断が出来ませんが。でもこの本がもし元々何かの伝承だったり、勉学や宗教観に関するものでしたら…かなりの価値になります」
「……重要文化財…とか…?」
「否定は出来ません…」
 一瞬の背筋が凍る想いに、彼女とマシュはホームズが言い残した「丁重に」という言葉に固唾を飲んだ。


   ◆


 著者の書斎から出て、ホームズが真っ先に向かった先は都心から少し外れた寄宿舎。
 健全な青少年には少々刺激が強い土地だ。
(都心に近い中流階級、本を出せるほどの立場、3日以上家を空けたところで周りが野暮だと事情を伏せる。そして何より先程のメッセージ…となると、ここだろうな)
 「宿」と表現すれば馴染みはあるが、ストレートな表現をしてしまうと「娼館」となる。
 まだ明るい時間ではあるが、少し歩けばすぐに声を掛けられるほどにそこらかしこと人が立っていた。
 店の数こそ少ないが、予想よりも人が多い。
(…チップは無駄に出来ないな)
 著者の家から出る際に、使うから良いだろうとダイニングに無造作に置いてあったチップが入っている小さな麻袋を勝手に持ち出したホームズだが、移動中にどれだけ入っているかを軽く確認すると良くて5人…悪くて3人分程度しかなかった。
(まぁだが…著者の特徴は分かっているわけだし、早めに片付けて――…)

 ――時間が余る様なら少し長めに滞在してもいいよ。教授とゆっくりしておいで。

(………早めに片付けて、どうしたいんだ。僕は)
 レイシフト前に言われたダ・ヴィンチからの一言を思い出し、ホームズは一軒の娼館の扉前で少々脱力する。

 これはあくまでブーディカの伝承を補填するための特異点解決への道で、その為には計算に合ったサーヴァントのレイシフトが必要で、だからこそ適正があった2人で来たわけで。
 彼にだけ伝えた見解も、ホームズからすればそれ以上はない。
 適性サーヴァントはブーディカに関係が強い者と、生前人探しが出来た者達だった。
 それならばまずブーディカを現地に送りだし、その後に必要ならば風魔小太郎やハサンなどの偵察と人探しが出来る者でも良かったのだ。
 ただそれに対して、ダ・ヴィンチがホームズに声を掛けた。
 恐らく彼女もわかっている。
(この特異点が解決されなければブーディカを利用して築かれたこの国のルーツが弱まる可能性が超微小にある…もしそうなるとどんなステータス異常が起こるかがわからない。だから自分たちの国に関わる事象なわけだし赴け…というのは表向きで、要はついでに休んでこい…といったところだろうな)
 この見解にモリアーティも少々苦笑したが、すぐ同じ結論に至ると頷いてくれた。
 そこからは少しでも早く助けになろうとポットに入って即移動なわけで、今頃ダ・ヴィンチからゴルドルフ新所長に似た説明がされているのだろう。

「…こんなに簡単なんだ。どうせなら僕が彼女の夫でもよかった…」
 立ち止まっていた娼館の扉が開くと同時にぽつりと吐き捨てたその言葉は、不運にも目の前の女性に拾われてしまった。
 ばっちりと合ってしまった目をそらせても、力強く掴まれた手を振りほどくことが間に合わずにホームズはそのまま中に引きずり込まれる。
「女に捨てられた良い男が来たよアバズレ共ー!!」
 酒とカビの臭いが頭痛を招く広場を通って2階に着く頃には、元気有り余る若い女性を選ぶお店に歓迎されていた。
 口汚く罵り合いながらも情が感じ取れる彼女たちの会話を耳に、ホームズは少々青ざめる。
 著者の居場所を突き止めなければならないというのに、手持ちのチップだけでは捌ききれそうにない人数がひょこひょこと各部屋の扉から顔を出してくるのだ。
 いかにも金を持っていそうな身なりをした顔の良いホームズは、彼女たちにとっては「餌食」そのもの。
 寄越せと言い合いになる中で、このまま掴まれた手を振りほどいて逃げようものなら、瓶でも投げつけられて身包みを剝がされそうだと嫌な想像ばかりが頭の中を駆け巡った。
 そんな中、1人の女性が不思議そうにこぼした言葉にホームズは食いつく。
「あれ?あの子まだ先生のとこから帰ってないのかい?こんな顔が良い金持ち珍しいのに残念だねェ…」
「――…先生?」





.
3/9ページ