目的:S

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 ――……事の始まりは1990年代初期、株価の急落でバブル崩壊の不景気が波を高くし、世間に波及はきゅうした頃であった。
 男の物語は、バブル崩壊が起こる少し前、父というものが最初から存在しない状態で始まる。
 
 男は生まれた時から母しか身寄りのない、2人だけの核家族であった。
 当時はそれが世間の目に珍しく映る。
 だが、自身の家庭環境を珍しいものだと男が知ったのは、保育所に通いだして〝男女の親〟が大多数であると理解した時だった。
 
 ある日、男の母が「どうしても仕事で忙しくて、家事にまで手が回らない」と言った翌日よくじつ、母と歳の近そうな見知らぬ女性が男の自宅へやって来た。
 せまいアパートの一角へやって来たその女性が、男の世話と家事をするなんて説明は、もはやことであった。
 当時幼かった男は、見知らぬ女性の職業が〝ハウスキーパー〟だと知らず、仕事中の彼女が行う家事を見よう見真似みまねで手伝っていた。
 そうすることで家事や買い物の仕方、金の管理を彼女から学んだのだ。
 男の母は彼女の仕事ぶりに大変満足しており、男の義務教育が終わるまで、長期休暇の夏と冬に彼女とハウスキーパーの契約を結んでいた。
 それが普通の感覚となっていた男が高校に進学した際、クラスメイトから片親であることに苦労は無いのかとかれ、正直な気持ちを口にする。
 「ハウスキーパーという第二の母親が居てくれたので、大した苦労は無かった」と。
 すると周りは男に対し、実家が太い『金持ち』なのかと詰め寄った。
 男は当然それを否定する。
 なにしろ男の家計に対する認識は『貧乏』でしかなかった。
 それもそのはずで、祖父母はまるで男が生まれることを知っていたかのように、母の腹に男が宿って少しすると、2人で仲睦なかむつまじく同じやまいで死んでしまった。
 男の母からすると、伴侶はんりょがいなければ、祖父母という両親もいない。
 そんな中、母はただ独りで息子である男を産んだ。
 並の精神力では果たせないことだ。
 しかも最初期の子育てを教えてくれる者は病院の関係者のみで、就職して間が無い仕事先には、めないのであれば子供を預けて現場に来いとかされる世の中であった。
 ――20代前半という遊びたい盛りの時間を、母は息子である男にささげた。
 会社の上司に頭を下げて事情を話し、首のわらない息子を抱えながら、母は出社する。
 女性社員が代わる代わる男の世話をて、男性社員は赤子である男をけむたがった。
 社員はみな、文句を言いながらも母に気前良く差し入れをしたという。
 そんな話も、母の笑える思い出話として鉄板てっぱんであった。
 会社の人間は、誰も彼もが男の母を赤の他人だと線引きしていたのに、お節介焼せっかいやきと言われようと、助けになるよう手を差し伸べた。
 母はそんな気遣いと優しさに大変感謝しており、出来ることなら骨をめるつもりで会社に貢献こうけんしたいと奮闘ふんとうしたのだという。
 男は自身が保育所に預けられ、母がそれほど苦労しても、ただの貧乏である説明をクラスメイトにした。
 するとその場にいた者達は首をかしげる。
 それならばハウスキーパーは母の知り合いで、お前が片親であることをあわれみ、家事や育児を手伝ってくれていたのではないか……という想像だけ話し、この話題を収束させた。
 男は「確かにそういう可能性もあるのか」とうなずくのみ。
 そんな風に、子供達から知り合いに恵まれているのだと思い込まれた男の母は、根が真面目で勤勉な人間であった。
 男がいたずらをすればしかり、悪口を言えば怒り、誰かに優しくした時は大いにめて頭をで、危険なものから息子を守る心を持っていた。
 いつだったか、小学校のテストで高得点を取るも満点でなかった時、男はしいと悔しがったが、母は良くやったと小躍こおどりした。
 そんな母のもとで育ったからこそ、男も他人の失敗や悔しがる気持ちに対し、できる限り寄りおうと思える人間へとった。


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