邂逅:S
一姫の骨葬から時間は経ち、警察から遺留品の入った段ボールを渡される。
中に有るそれらは汚れがそのままで、パリパリに乾いた。
しかしまだ7歳だったユビにとって、それをどう扱うべきか判断するのは難しく、一姫の学習机の上へ置いておくことにした。
それをただジッと見詰め、ユビは膝を抱える。
健康体であった上に、廃公園に入り浸るような人物でなかった兄が、突然この世を去った事実は受け入れ難い。
両親はあの場で泣くだけで終わり、各所への手続きが済んだ途端、通常運転の生活を送りだした。
両親の吐く煙草の煙と空になったビール缶が視界を狭めていくのに、今までそこに居たはずの兄だけ居ないユビの生活が始まる。
――それから数年後、ユビは遺品整理の時に漸く、見当たらない日記は兄の歴史だと気付くのだ。
だが、一姫が泥の中に残しただろう1冊の日記の在り処を、誰も知らない。
――15歳の時、ユビは親元から離れる決断をする。
ひとつ気掛かりだったのは、両親は一姫の葬式の後やユビが家を出る時ですら、司法解剖の正しい結果をユビに教えることをしなかったこと。
「そう思っておくように」と言い聞かせる事しかせず、形だけでも「こうだったらしい」と言わなかったのだ。
15年共に生き、両親がどういう性格か把握しているユビの立場からすれば、それはらしくない行動だった。
まるで誰かの真似事をして、不都合を荒々しく隠す仕草でしかない。
噓を吐かず、素直に欲求を満たす生き方を好み、惜しまないもので泣く訳の分からない精神性を有した親が、そんな言葉選びをするのが不思議だった。
そしてユビが抱くもうひとつの気掛かりは、一姫の最後の日記。
あの後結局、見付けることは叶わなかった。
一体どこへ行ってしまったのだろうかと、ユビは悩むこととなる。
◆
「日記がそもそも無い?」
眉と口角を歪めながら訊ねるSの反応は想像通り。
その表情を向けられるユビは、困った素振りで頭を掻いた。
「だからー、有るには有るけど…兄さんが18歳の最後の日までの7冊目までで、最後の19歳の分は行方知れずなんだよ…」
「マジか~…」
「っていうか、なんで兄さんが日記つけてたの知ってんだ」
「ンなの、ご親切な同級生やらに聞き込みしただけに決まってんでしょ」
カウンター越しで交わされるユビとSの会話は傍から聞く分にはつまらないもので、博雪は欠伸を隠さずにした。
(まぁ、聞き込みしてなきゃ此処に来れるはずないもんね)
博雪が退屈そうにしているのも、Sがユビを訪ねて来た時点で、そういった調査をしていると察しがついていたからだ。
Sは博雪とユビに軽そうな振る舞いをするが、そもそも下調べを怠る様では、何でも屋を自称するには難がある。
――……Sは自分達の素性をある程度把握している。
博雪はそう考え、Sを見やる。
するとSはその視線に気付き、にこりと薄い笑みを博雪へ返した。
「……ま、無いものは無いもんな。仕方ない。じゃあフロスト社に入社した時の日記だけでも見せてください、ユビ」
「だァから呼び捨てやめろ、おっさん!」
「おっさんは傷付きますな。オジサンにしてくれ。それかSさんでいいぞ」
「誰がさん付けするか!」
そしてまたも繰り返された手の平を叩く2人のコミュニケーションに、博雪は溜め息混じりで割って入る。
「はいはいストップ。ランチタイム内に終わらせる気ある?」
「だってコイツがー!」
「一応お客さんだからコイツとか言わない叩かない。本題進めて、注文取ってくれないと」
「ハハハ、ユビ怒られてやんの」
「僕は別にお客さんだからって叩き出さないとは言ってないですよ」
「おーっし、本題進めましょうか~」
調子の良いSからの言葉に、ユビは震える拳を見せながら歯軋りをする。
だがそんなユビに目もくれず、Sは喋り続けた。
「率直に言って、俺が知りたいのは白雪一姫が死んだ時期のフロスト社の動向です」
「……え?」
「ザックリな説明になってすまんが、お前の兄ちゃんが就職する前からフロスト社に良い噂ってのは無かった。真偽はともかく、おおっぴろげに出来ない裏稼業があるっていう噂が専らだった…し、今もそれは変わらないんですよ」
まるで映画やドラマのような、フィクションにしか思えないSの話にユビは上手く言葉が返せず、口を噤んで腰に手を当てると、首を傾げた。
そんな作り話は今時流行らないだろうと言い掛けたその時、博雪が2人の会話を遮る。
「ねぇ、ユビに任せた手前あれだけど、いくら人が居ないからってそんな話をこんな喫茶店の昼間にするの、僕はどうかと思うな」
ろくろを回す手つきで説明を始めようとしたSに、博雪は水を差す。
〝誰が聞いているかも分からない所で話すな〟と釘を打つ行動であった。
――これは察しが良い悪いでない範疇の話になるのなら、ユビには荷が重い。
博雪は早々に判断し、ユビへの助け舟として、少々時間帯や場所を改めないかと遠回しにSへ提案する。
だがSは、またも薄い笑みで返すのみ。
「じゃあ閉めてください。営業時間内に発生したであろう売上金を出します」
「……買収とはまた…」
「貸切ですよ。まぁ、貴方に通用する手段ではないと分かって提案してますが」
笑みを崩さないSに、博雪は腰に片手を当てながら、冷めた目を向ける。
「やっぱり僕のこともよく調べてから来てくれたの?」
「…いいえ。正直なところ、プロフィールと前職を調べるので手一杯でした。なんで、出来れば俺にこの場を譲ってほしいだけです」
静まり返る店内で、またもユビだけが置いてけぼりになったその時、本日何度目になるのか分からない溜め息を博雪が溢す。
.