邂逅:S

 ――…キッチンに立つユビはコーヒーラテを持ち、その隣で博雪ひろゆきはホットコーヒーを一口ひとくち飲む。
 湿気しっけによる不快感を解消する為、店内の冷房を強めにかせているので、温かい飲み物が丁度ちょうど良いのだろう。
 しかしいくら平日といえど、ランチタイムにSエス以外の客が居ないというのは、殺風景さっぷうけいなものだ。
 だがそれも店主と従業員が客と共に飲食をしている時点で、この喫茶店には何の痛手でもないのだろうことがうかがえる。
 やる気がないというより、必要最低限の決まりを守りながら運営すること――それが大事である印象だ。
 Sエスはユビと博雪ひろゆきの様子に然程さほど驚くことも無く、先程まで座っていた窓際席からカウンター席へおしぼりを移動させ、勝手に腰を下ろす。
 そうしてユビと博雪ひろゆきの2人と向かい合いながら、カフェオレを飲んだ。
 冷えた胃が温まり、良いコーヒーの香りとまろやかな牛乳の甘さを味わってから、ポツリと現状に対する心情をらす。
「……マジで客ねぇんだな、この店」
 その小声にまゆを釣り上げたユビが一言返そうとするが、博雪ひろゆきに軽く腕で小突こづかれたことで止まる。
「お客様ー、失礼ポイント加算しとくねー」
「いやぁ、うわさ通りで驚いたんですよ。後でちゃんとランチ注文するんで、見逃して下さい」
「…はいはいそーですか。それで、ユビにどういったご用件が?」
 目を合わせない博雪ひろゆきからの切り出しに、Sエスは困った風にみを作る。
 すると煙草たばこを入れていた胸ポケットの奥から、手の平に収まる大きさに切られた1枚の写真を取り出した。
 それを2人に見えるよう、カウンターテーブルの上へ置く。
 Sエスが差し出したその写真には、ユビとは髪型だけ違う、ユビによく似た誰かが写っていた。
 博雪ひろゆきは写真の人物を一瞥いちべつすると一度ユビに視線を向け、もう一度写真を見て、まばたきをする。
「………ユビに見えますけど」
「そっくりですがユビ君じゃないですよ。彼のお兄さんです」
 その一言で、ようやSエス博雪ひろゆきの目が合う。
 今までの胡散臭うさんくささから打って変わり、Sエスの表情は真剣そのもの。
 そして何より、当事者であろうユビの顔から血のが引いていた。
「2007年の6月…今からちょうど10年前です。ユビ君の住んでいた共同住宅から約3km離れた廃公園で、白雪しらゆき 一姫かずき君、当時19歳の遺体が発見されました」
 抑揚よくよう無くされた説明に、ユビはのどまらせながらもSエスへ問う。
「――なん、で…んな、兄さんのこと……」
「死因は当時のローカル新聞によると心不全とされていますが、それ以外は名前と年齢のみの記載でした。こんなものは、死因不明だと言ってるようなもんです」
「おい!」
 ユビはキッチンから乗り出し、淡々たんたんと話すSエスの胸ぐらをカウンター越しに掴む。
 しかしそれはすぐさま博雪ひろゆきにより離され、ユビは一旦いったん博雪ひろゆきの後ろに立たされた。
 だがそれで感情の衝動しょうどうを抑えられるわけもなく、声を上げる。
「お前、何しに来た!」
 正真正銘しょうしんしょうめいの怒りと焦りが混じったその問い掛けに、Sエスは答えない。
 ユビに掴まれてしわになった部分を手で払い伸ばしながら、何事も無かったかのように話を進めていく。
「…持病も無く、通院履歴りれきも無い。短期間とはいえ新入社員でありながら、会社部署ぶしょ内での成績も悪くなかった。死に直結するような人間関係でのいざこざやうわさも立たず、問題無く仕事してた青年が前触れも無しに死ぬ…それは異常です。なのに誰も触れない。極め付けの心不全なんて、そんなの『死んだ原因がわかりませんでした』って言ってるのと変わらない…そう思いませんか?」
 演技かかった困り顔で場をゆずらない、そんなSエスの話を聞きながら、博雪ひろゆきはユビを背でおさえ続ける。
 そしてSエスの疑問を冷たくあしらった。
「つまり何が言いたいのかな?」
「彼の死に、不明なんて結論を出す可能性は低い…ということです」
「…って言われても、僕がそれを聞いて何か解決しますかね?」
「いえ、これは彼の死につながった原因を解決するための話でなく、彼の死因につながった誰かを探してる、俺の話です」
 Sエスは気にならなくなる程度にシャツのしわを伸ばしきると、対面する博雪ひろゆきへほんの少し顔を寄せた。
「俺は俺の目的の為に、ユビ君に確認したいことがあるんです」
 その言葉が嘘ではないことは真剣な表情で分かる。
 しかし博雪ひろゆきは片眉を下げて黙る。
 ――数秒の沈黙。
 縮まった2人の距離と重苦しい空気は、無視され続けたユビが博雪ひろゆきを後ろへ引っ張ることで、無理矢理に破る。
 背丈での体格差と若さからくる衝動しょうどう的かつ突発的な力量に、博雪ひろゆきは勝てそうになかった。
 突然後ろへ引っ張られたその時、ユビにもたれ掛かることで倒れないようえたのだ。
 ユビも短い時間で幾分いくぶんか落ち着きを取り戻せたように見えるが、怒りと焦りは薄まっていない。
「俺は…司法解剖しほうかいぼうの結果は心不全で…それが原因で倒れて、いて窒息ちっそくしたって、親から聞いたぞ」
 ユビは博雪ひろゆきの背後から頭ひとつ飛び出した状態で、Sエスを見下ろしながら語気を強める。
「どうして可能性が低いなんて言い切れるんだよ。そうじゃなきゃ何だよ。兄さんの何を知ってんだ、お前」
 これまでの流れで、感情的になればなるほど博雪ひろゆきによって止められると学んだため、ユビは努めて冷静をよそおいながらSエスに問う。
「家族の俺より、兄さんを知ってんのか?」
 最後に少し上擦うわずったユビの声に、2人と向き合っているSエスわずかに眉間みけんしわを寄せる。
 先程のように割り切った態度を取り続ければいいものの、良心の呵責かしゃくさいなまれるだけの道徳心がSエスにもあるのだ。
「…あー、なんだ……家族でも知りすぎない方が良いことってのはあるもんです」
「だったら、それだったら、アンタがここに直接来たことがおかしいだろ」
「百も承知なんですよ、ンなこたぁ…それでも俺は俺の目的の為に来てるんです。それは、ユビ君の感情を二の次にするって言うしかないんですよ」
 Sエスまぶたを浅く閉じながら瞳を左右に動かし、まばたきをり返したら再度、ユビを見る。
「ユビ君が兄ちゃんの白雪しらゆき一姫かずきを好きなら好きな分、傷付くことを確認しに来てるんです。俺は」
 そうちから無くユビへげると、Sエスはカフェオレを一口飲んだ。
 ごくりとのどを鳴らしたら、すぐにマグカップを元の位置へ戻す。
 そしてそれを合図に、板挟いたばさみのまま黙って見ていた博雪ひろゆきが口を開いた。


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