しちの探偵事務所

 そして数分後、博雪(ひろゆき)はブレンドコーヒーを辰海(たつみ)に、レモンティーをツヅリに提供した。
 するとそれを合図としたのか、辰海(たつみ)はユビと博雪(ひろゆき)へ向けてカウンターに名刺を置くのだった。
 しかし、営業に赴(おもむ)かれるような心当たりの無い博雪(ひろゆき)は疑念(ぎねん)を抱く。
「…なんです?」
「私(わたくし)、しちの探偵事務所という組織運営をしております、伊良(いら) 辰海(たつみ)と申します。私の横にいるのは所属員の獅子谷(ししや) ツヅリになります。少々事情がありまして、突然の訪問、座ったままでのご説明と先ほどのご無礼(ぶれい)をお許しください」
 そう言うと、辰海(たつみ)とツヅリが同時に頭を浅く下げる。
 博雪(ひろゆき)はそれを見やり、眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せた。
 だが博雪(ひろゆき)の隣で一連の流れを見ていたユビは、辰海(たつみ)の話す事情というのが見えず、外に誰か居るのだろうかと首を窓のある方向へ伸ばす。
 しかし外は変わらずの天気と暗さで、何もおかしなところは無い。
 僅(わず)かな時間を置き、差し出された名刺にユビと博雪(ひろゆき)は手を伸ばさず、形式上とはいえ辰海(たつみ)とツヅリに頭を上げるよう伝えた。
 彼女達と改めて向き合い視線を交えると、博雪(ひろゆき)は質問せずにはいられない状況だと理解する。
「……探偵ですか。何でしょう、何か探し物ですか?」
「探し物…というわけではありません。訊(たず)ねたいことがありまして、白雪(しらゆき)一姫(かずき)さんについて、そちらの白雪(しらゆき)ユビさんとお話させていただきたく」
 辰海(たつみ)の申し出に、一瞬で場の空気は凍る。
 また『白雪(しらゆき) 一姫(かずき)』が尋(たず)ねられたことに、ユビは困惑しか抱けない。
 居なくなってから10年が経つこの時期に、連日探し求められる兄の過去。
 ユビの顔面からはまたも血の気(け)が引いた。
 そのままユビが絶句(ぜっく)し、微動(びどう)だに出来ず棒立ちになっていると、博雪(ひろゆき)は漸(ようや)くカウンターに置かれた名刺を手に取った。
 辰海(たつみ)の先程の説明通り、そこには事務所の住所や電話番号等の常識的な記載がある。
 S(エス)のふざけた名刺とは大違いなそれに小さく頷(うなず)くしかない。
 すると博雪(ひろゆき)は、ユビの兄である一姫(かずき)の名を先に出した時点で詐欺(さぎ)でもないだろうと踏み、挨拶(あいさつ)することにした。
「この喫茶店のオーナーで、白雪(しらゆき)ユビの保証人になります…赤松(あかまつ)博雪(ひろゆき)です。よろしくお願いいたします、伊良(いら)さん」
「ご丁寧(ていねい)にありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「それで、ユビと話したい内容というのは…?」
 自己紹介も程々に、博雪(ひろゆき)は本題に移るよう辰海(たつみ)に目配(めくば)せする。
「…赤松(あかまつ)さんもお聞きになられますか?」
「えぇ。ユビはまだ未成年ですし、内容によっては独断が難しいところもあるかと思いますので」
 顔面に張り付けた微笑(びしょう)で一歩も引く気配(けはい)を見せない博雪(ひろゆき)に、辰海(たつみ)は一度頷(うなず)き、ツヅリも営業的な笑顔を博雪(ひろゆき)へ返す。
 そして保証人として間違っていない態度だと納得したのだろう辰海(たつみ)は、浅く頷(うなず)き直した。
「わかりました。それでは口外(こうがい)されないようご協力を」
「もちろんですとも」
 目も頬もニコニコとしているのに腹の探り合いをしている博雪(ひろゆき)とツヅリに、あまり表情筋が動いていない辰海(たつみ)が、ユビの横と前に位置する。
 現状にユビは不気味(ぶきみ)さで動くことも笑うことも出来ず、差し出された名刺を見つめるのみだ。
 すると辰海(たつみ)とツヅリは互いに了承も得られたからと気を取り直し、各々飲み物を口に運ぶ。
 嚥下(えんげ)されるそれらを聞き届けながら、ユビは改めて辰海(たつみ)とツヅリを一瞥(いちべつ)した。
 昨日(きのう)はS(エス)の第一印象が胡散臭(うさんくさ)く最悪であったことと、同性であったことから怒りと焦りを露(あら)わに出来た。
 だが今日は違う。
 目の前の女性は2人してまだまともで、一般的に必要とされる情報が記された名刺を先に提示し、頭を下げて挨拶(あいさつ)をしたのだ。
(やっぱS(アイツ)…おかしかったよな……)
 あと1時間もすれば会うこととなる存在に、ユビは鳩尾(みぞおち)部分がキリキリするのを感じる。
 そうやってユビが遠くを見つめながら苛(いら)つきを思い出しているとは露(つゆ)知らず、辰海(たつみ)が話を切り出した。
「それではお話なんですが…今から約13年前、この県である問題が起きていました。若者を中心にドラッグが流行(はや)ったんです」
 まるでお伽噺(とぎばなし)のような抑揚(よくよう)で話されたそれに、博雪(ひろゆき)は小首を傾(かし)げる。
「…13年前、ですか?」
「はい。ドラッグ自体はもっと前から流通していましたが、13年前は安価(あんか)に容易(ようい)に入手しやすくなった時期でした。俗に云(い)う〝流行(はや)り〟です」
 辰海(たつみ)の聞き取りやすい落ち着いた声でされる説明を聞きながら、ユビはわざとらしく顔を歪(ゆが)める。
「俺が4歳の時の治安(ちあん)どうなってたんだよ…」
「クソだったよ~」
「ツヅリ」
「はい」
 話の腰を折るユビに便乗(びんじょう)する形でふざけたツヅリを呼ぶ――そうやって場の空気を引き締めると、辰海(たつみ)はコーヒーを飲むことで仕切り直しを示した。
 それを後ろめたそうに待ちながら、ユビとツヅリは時たまに目を合わせる。
 博雪(ひろゆき)も少しばかり辰海(たつみ)へ同情し、手を後ろに回して話を待つのだった。


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