ユビと博雪

   ◆


 遡(さかのぼ)ること2015年、或(あ)る梅雨(つゆ)の日の夕刻(ゆうこく)。
 
 雨は降らずとも曇り空で湿度の高い中、15歳になって間も無いユビが、中学生服を身に付けたまま廃公園で途方(とほう)に暮れていた。
 そこは見渡す限り草が伸び放題で、錆(さび)が侵食(しんしょく)する数少ない遊具がどこか哀(かな)しく、ユビが腰掛けている朽(く)ちたベンチも、いつ足が折れてもおかしくない状態に見える。
 ――ユビにとって此処(ここ)は、兄である一姫(かずき)の遺体が発見された場所。
(マジで無理だぜ…なんで此処(ここ)なんだ)
 縋(すが)る想いで歩いた1時間。
 虚(むな)しさの余り少々泣きたくなるのを堪(こら)えていたその時、背後から草を踏みしめて近付いてくる誰かの足音がした。
 ユビは突然のことに動揺し、焦って振り返る。
 するとそこには、黒のポロシャツに灰色のゆったりしたアンクルパンツを穿(は)き、焦げ茶色が光る髪と薄い口髭(くちひげ)を短く整えた、顎(あご)の中央に黒子(ほくろ)の特徴を持つ小綺麗な初老の男が立っていた。
 生(お)い茂(しげ)った草木のせいで、あまり背の高くない男からはベンチに腰掛けているユビのことが見えていなかったのだろう。
 男も少々動揺していた。
「――……子供?」
 怪訝(けげん)そうにユビを観察するその手には、手提(てさ)げナイロン袋がひとつ。
 中にはビール缶2本と、細長い惣菜(そうざい)の紙袋が2つ入っているのが透(す)けて見えた。
 ユビの目には男が〝近所のおじさんが気の抜けた風貌(ふうぼう)で、酒を飲む為だけに外出しただろう〟ことが窺(うかが)えた。
 男からしてもユビが背の高い細身の学生であることが窺(うかが)えたので、肩の力を抜く。
 沈黙(ちんもく)の数秒、どちらも幾(いく)ばくか互いを確認できたことで落ち着き、当たり前の疑問が口(くち)を衝(つ)いて出る。
「だ、誰…?」
「…や、君も誰……」
 問い合い、これはどちらかが自己紹介しなくてはならなくなった。
 するとユビは目線を下に逸(そ)らし、苦笑いを浮かべる。
「あの、俺、学生なんで…知らない人に名前教えちゃいけません的な…はい」
 随分と顔立ちが整った少年の、か細い声で困却(こんきゃく)する様子。
 それに男は「あー…」と小さく声を落とした。
「…そうだね。今はそういうの自己防衛しなきゃだし、うん。まぁ僕見ての通りどこにでもいるオッサンなんだけど、自己紹介するから君の隣、座ってもいい?」
 ナイロン袋を揺らしながらユビの隣を指差し、物腰柔らかく確認を取った男に、ユビはたじろぎながらベンチの端へ寄った。
 それを〝隣に座って良いサイン〟だと男は受け取り、サクサクと草を踏みながら移動する。
 ユビから出来る限り距離を置いてギィ…という不穏(ふおん)な音を鳴らしながらベンチに腰掛けたら、男は改めてユビに向き直る。
「初めまして、僕は赤松(あかまつ)博雪(ひろゆき)。君は?」
「あ…初めまして。えっと、白雪(しらゆき)…ユビ、です」
「…ユビ君。よろしく」
「あ、っす。よろしく、お願いします。赤松(あかまつ)さん」
 たどたどしく頭を上下し、お辞儀(じぎ)らしき動作をしたユビに、博雪(ひろゆき)は手に持ったナイロン袋を近付ける。
「ユビ君さ、焼き鳥好き?」
「……え?」
 訊(たず)ねるやすぐ、博雪(ひろゆき)は焼き鳥の入った紙袋をナイロン袋から取り出し、それをすぐユビに差し出した。
 いきなりの出来事に頭が追い付かなかったユビは、反射的に受け取ってしまう。
「明るいけど夕飯時だし、ユビ君くらいの歳の子なら、いくらでもお腹空いてるでしょ」
 博雪(ひろゆき)は淡々と言いながらユビの戸惑(とまど)いを見ないようにして、ビール缶を開ける。
 炭酸飲料を彷彿(ほうふつ)とさせる爽快(そうかい)な音と、注ぎ口からシュワッと鳴りながら顔を出す泡に、ユビの目線は釘付けになった。
「…これは焼き鳥と違って不味(まず)いと思うよ」
 その目線に気付き、やんわりと与えないことを博雪(ひろゆき)は伝える。
 するとユビは慌てて首を横に振って否定した。
「あ、いや、ちがっ、お父さんが、よく飲んでて!」
「あぁ、なるほど」
 焦りながら言い訳するユビの仕草に博雪(ひろゆき)は納得し、目を細めてビールを一口(ひとくち)飲む。
 そうして一息吐(つ)いたら、ナイロン袋から残りのビール缶と焼き鳥の入った紙袋を出して、ユビとの間に広げて置いた。
「ゴミはこれに入れてね」
 それだけ言うと博雪(ひろゆき)は酒の肴(さかな)になるものがひとつ無くなった中で、ビールをごくごくと喉を鳴らして半分ほど飲んでしまう。
 呆気(あっけ)にとられるほどの速さで博雪(ひろゆき)の中に入っていくそれを、不味(まず)そうには見えないなと考えながらユビは眺め続ける。
 すると、食べないのか訊(たず)ねたげな博雪(ひろゆき)の視線とぶつかった。
 少々不用心(ぶようじん)ではあるが、せっかくの好意(こうい)だからとユビは博雪(ひろゆき)に渡された焼き鳥をおずおず小さく齧(かじ)る。
 照り焼きの甘い味付けと醤油(しょうゆ)の香りが口内(こうない)に広がり、柔かい肉を噛(か)む毎(ごと)に空腹が刺激(しげき)される。
「…………美味(おい)しそうに食べるね。お腹空(す)いてたの?」
 ユビはいつの間にか食べることに夢中で、博雪(ひろゆき)も焼き鳥を食べ始めていたことに気付かなかった。
 それにユビは羞恥心(しゅうちしん)を覚えるが、しかし年頃なのもあり、自身の意地(いじ)汚さを認めたくない心境から首を横に振って嘘を吐(つ)く。
 しかし、もごもごと噛むことが止められない。
 博雪(ひろゆき)はそんなユビに子供の育ち盛りを感じ、半分ほど残った焼き鳥を差し出した。
「食べさしで良いなら、僕のも食べる?」
 ようやく噛んでいたものを飲み込んだユビは、その親切に硬直(こうちょく)する。
 出会ってすぐの赤の他人に無償で物を与え続けられる、そんな博雪(ひろゆき)の行動理念が理解できないのだ。
 
 ――それが何とも情けなく、また虚(むな)しく、みすぼらしく恥(は)ずかしい気持ちで頭がいっぱいになり、ユビは落涙(らくるい)した。


.
2/7ページ