目的:S

 ユビはあからさまに眉を曇らせるも、わずかな沈黙ちんもくを置くいてから腕を組んだ。
 どちらにするか答えは半分決まっている心境のようだが〝果たして時間を置かずに決めても良いものか〟判断できない様子だった。
 だがSエスも目的を話した以上、引き下がれないのが現状だ。
 生きていてこんな事が有るのかと言いたげにうんうん苦悩するユビのさまは見ていて飽きないが、博雪ひろゆきもユビに無理をさせたい訳ではない。
 もう一度、助けぶねを出すことにする。
「さっきも言ったけど、この子はまだ若い。君には悪いけど考えることが大事ってことで、ここは少し時間をくれない?」
 博雪ひろゆきからの申し出に、Sエスは肩をすくめて薄くんだ。
「…分かりました。ですが、出来れば早いと助かります」
「そうだね。そう何度も足を運ばれたくないし」
「えぇ…辛辣しんらつぅ…」
「貸し切ったからに決まってるでしょ。それじゃあ明日の閉店後に来てくれる?」
「何時ですかそれ」
「16時」
「分かりました」
 またも当人であるはずのユビを置いてけぼりにし、博雪ひろゆきSエスの間でユビのスケジュール調整がされた。
「いやだから俺の説得は!?」
 組む腕をそのままに、険しいながらも焦った表情を浮かべたユビを無視し、Sエスはランチを頼もうとする。
 すると博雪ひろゆきからはカフェオレ代だけを請求せいきゅうされ、ランチを食べずにさっさと帰るよう笑顔を向けられた。
 悲しいかな、取り付く島もない状況にSエスは財布を取り出して、わざとらしく背を丸めるのだった。
 

   ◆


 ――……時は少しさかのぼり、2017年、春。
 男の母は骨となり灰となって、祖父母と同じ墓へ入った。
 納骨式の際にり行われた供養くようとどこおりはなく、平均的で簡素なもの。
 祖父母と母が眠る墓石の前で、男は母からの手紙をもう一度開く。
 母が息子にてた最後の一文には「私の保険金も合わせて受け取ってね。どうか元気でいてください、私の宝物。ただ、ひとりにしてごめんね」とあった。
 丸みがかった書き文字や、まるで話し掛けてくれている様な文体でされたそれは、愛情のこもった唯一無二の宝であり、男にとっての救いだ。
 だが、これを男がこの若さで読みたいはずもない。
 まだ50代だった母の死で、哀傷あいしょうに満ちた涙がほほらす。
 いっその事どうにかなれた方が、孤独こどくとは遠くなれるかもしれないと思わせるほど。
 ――だが、男は知りたくなった。
 母は最期さいごの時まで父をいていた。
 それはまぎれもない事実。
 男自身、愛情の何たるかが金の重みで変わると思っていない。
 しかし疑わずにはいられない。
 通帳へ最初に刻まれた数字が産まれてくる男の為でなく、母の為でもなく、父自身の名誉めいよを守る為のものだったら…と、心の片隅かたすみで思ってしまったのだ。
 だがもしも、愛情というものを金の重みでしか表わせられない者がいるとしたら……なんて夢を見たくなった。
 その金額がどれほどであるかが大切なのか、それとも金を出す行為こういが大切なのか、そのどれでもないのか、見定めたいと思った。
 ただの我儘わがままであっても、それが出来て初めて、母の想いがつづられた手紙を渡すか渡すまいか決めたいと思ったのだ。
 その為には随分ずいぶんと面倒臭いことに身を投じる羽目はめになりそうだが、それでもいいかと思える程、男は優しく冷めていた。

 何も考えず、母ののこしたものだからと、父に手紙を渡すのがきっと正しいことなのだろう。
 だが、それは本当に母の想いを尊重そんちょうする行為こういなのかと立ち止まってしまった。
 親不孝ふこうではなかったが、親孝行こうこうでもなかった30年余り。
 本当の最期さいごくらい、母に父との子として、会えてよかったと思ってもらえたら――という、利己的思考だった。


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おまけ漫画
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