ユビと博雪

表紙イラスト
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 Sエスの退店後もう一度店を開けるも客は来ず、それから間も無く閉店時間を過ぎたので、ユビと博雪ひろゆきは帰路へ着いた。
 アーケード商店街の端にある喫茶店『赤松あかまつ』から徒歩10分程の所に、2人が同居する築10年の8階建てマンションがある。
 その内の一室いっしつとなる2LDKに元々博雪ひろゆきが住んでいたので、ユビが居候いそうろうしている形だ。
 2人はマンション内にある掃除の行き届いたパブリックスペースを抜け、エレベーターに乗り、5階のボタンを押す。
 下りてきた少人数用のエレベーターに乗り、数秒棒立ちのまま上階に運ばれ、共用廊下を歩いてすぐ辿り着く端の一室――501が博雪ひろゆきの部屋だ。
 ユビが玄関を解錠かいじょうし、2人はリビングへ入ると電気をけた。
「ただいまー」
「おかえり」
 そしてユビの挨拶に博雪ひろゆきが返す。
 これがいつの間にか2人の形となっていた。

 帰ってきてすぐ、2人は順番に洗面所で手洗いをする。
 それが済めばそれぞれ自室で私服に着替え始めた。
 ユビは薄緑うすみどり色を基調きちょうとした、上下セットになっているユニセックスサイズのゆるやかな半袖と、7分丈しちぶたけパンツを身に付ける。
 上着の肩部分とズボン横側面には、白いラインがデザインとしてあしらわれていた。
 博雪ひろゆきは灰色を基調とした半袖に黒色の長パンツを身に付けると、部屋から出てキッチンへ向かう。
 慣れた手付きでエプロンを着用し、ユビがクーラーのスイッチを入れてから洗面所に向かうのを背後に、冷蔵庫を開けた。
 博雪ひろゆきにより早速キッチンで晩ご飯の準備が開始されると、洗面所ではユビがドラム型洗濯機で乾燥までされた衣類をたたむ作業が開始された。
 日頃の習慣か、2人は黙々もくもくと家事にいそしんだ。
 そうして20分もするとユビは作業を終え、ある程度のものを指定の位置に仕舞い、それぞれの部屋に置く2人分の私服を抱えたままリビングに顔を出した。
 するとコトコトと鍋が煮える音が小さく耳に響き、醤油しょうゆ生姜しょうが豊潤ほうじゅんな香りで鼻の奥が刺激しげきされた。
 食欲をそそるそれに、ユビはうきうきと博雪ひろゆきへ声を掛ける。
博雪ひろゆき~、今日の晩ご飯何?」
「昨日仕込んでおいたから、豚の角煮」
 ユビに振り向きもせず、博雪ひろゆき茄子なすを切りながらメニューを告げる。
 そんな博雪ひろゆきの背後で、ユビは喜悦きえつの色を満面に浮かべる。
「嬉しいのは分かったから、早く洗濯物置いておいで」
「こっち見てないのに、なんで分かんだよ」
 副菜の調理をしている前提ではあるが、博雪ひろゆきが振り向かなかったことに大した理由は無い。
 ユビを見ずとも反応が分かるから――それだけだ。
 一見いっけんすると冷たいが、ユビは嬉しさをそのままにして博雪ひろゆきの態度を気にせず、互いの部屋へ洗濯物を仕舞いに行く。
 バタバタと響く低音は、長身の男がせせこましく動いていることを告げていた。
 それからユビは自室からリビングに移動し、慣習かんしゅうとなった動作でダイニングテーブルを拭いたり、ランチョンマットを並べだす。
 一連の準備が終わったら次はキッチンに移動して、博雪ひろゆきの邪魔にならないよう冷蔵庫から作り置きのサラダを取り出し、小皿に盛り付けていった。
 博雪ひろゆきはユビの準備に合わせる様に間を置き、温めた作り置きの味噌汁やよそったご飯をキッチンカウンターに置くと、それをテーブルへ移動させるようユビに指示を出す。
 すると、ある一点がユビの目にまった。
「俺のご飯、いつもより多くない?」
「角煮だしこれくらい食べるでしょ?」
 さも分かり切った様子で博雪ひろゆきから渡されたそれは、今のユビにとって正解だった。
 ご飯の量に比例してか、角煮の量も博雪ひろゆきの皿より少し多く盛られている。
「…たった1年半で俺のこと分かりすぎだろ。なんで結婚してくれる女の人いなかったんだよ」
生憎あいにく僕の世代は、女が家事して男が外に出てやしなう役割分担が当然だったもんでね。どっちも出来ちゃう僕には、奥さんになりたいって言ってくれる人がいなかったんだよ」
「…ははーん? 愛嬌が無いって嫌われたやつ?」
「僕は愛嬌あるでしょ」
「出会った時から割と不愛想だぜ!」
「そんな元気に否定しないでよ。っていうか昔は少し柄の悪い、駄目な部分が目立つ男がモテたの」
「今は?」
「知らない。あとユビが分かりやすいだけだからね、育ち盛りは部活してなくてもよく食べるってのは、お決まりなんだし」
 博雪ひろゆきはユビとじゃれる様な会話もそこそこに、キッチンカウンターへコトンと音を立てて茄子なすの副菜の皿を置く。
 それをユビにテーブルへ移動させたら、エプロンを脱ぎ、食器棚に付けたコートラックへ掛ける。
 ついでに食器棚からグラスをふたつ取り出して、冷蔵庫から麦茶のポットを手に取り、グラスにそそぐ。
 料理で熱くなった手を冷ますように持つと、ようやくテーブルへ向かった。
 ほぼ四六時中しろくじちゅう同じ時を過ごす2人の食事時間は、いつも「いただきます」と「美味うまい」と「ごちそうさま」で埋まっていく。
 今更話すことなんてあるのだろうかと思うほど、2人は出会った日から互いをよく見ていた。


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