第二章<日常編>
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『お疲れなのでは?』
また、言われてしまった。
そんなに私は酷い顔をしていただろうか。
ほへとは部屋で寝具に身を包みながら、本日二度目の言葉を反芻する。
『貴女、疲れてるんではなくて?』
あの妖艶な美女にもそう言われた。
きゅっと、自身の胸のあたりを掴む。
酷く、焦燥感が広がる。自身の影が透ほへとをあざ笑う。
シナ先生・・・。
私、毎日がとても楽しいです。
楽しくて・・・。 幸せで・・・。
でも、
だからこそ
「甘えるわけにはいきませんよ」
その小さな声に答える者はなかった。
31-b
毒草の咲く、くノ一教室の庭。
その一角の長屋に、山本シナの部屋がある。
すでに冷めたお茶。残された団子。流れていった風。
退室したほへととの会話を反芻しながら、山本シナは一人庭を眺めた。
ほへとがシナの前で漏らした本音。
その後に不自然な程に綺麗に笑う彼女のことをくノ一向きだとシナは思った。
でも、彼女はくノ一ではない。
(だからこそ、彼女はここで生きていける)
一般人の彼女に優しく接すること。そして守ること。
彼らは、いえ、私達はそれと思っていなくても、そうすることで無意識に自分を肯定して安堵している。
その気になれば存在自体を無かったことにすることだってできる。
その力を私達は持っている。
(要するに、私達はずるいのね)
***
「貴女、疲れてるんではなくて?」
その言葉に、目の前に座した人間の視線がぴたりと空中で止まった。
山本シナは『お裾分け』と称してやって来た人物に問いかけた。
こうして一対一で話をするのは、もしかしたら初めてかもしれない。
女性特有といえる全てを包むような優しいシナの声はほへとの耳に凛と響いた。
「・・・きちんと休憩はとってますから。大丈夫ですよ」
「いいえ。そうじゃないわ」
言い聞かせるようにシナは言った。
「無理をしているでしょう貴女。頑張って笑わなくていいのよ。そんなこと誰一人言ってないのだから」
「・・・・・・」
無言。
その言葉通りに沈黙しきったその室内で、淹れられた茶の湯気だけが空中に消えてゆく。
遠くでくノたまの喋り声が聞こえた。
「・・・・・・シナ先生には・・・、何でもお見通しなんですね」
ほへとは自嘲気味にそう一言言った。
ふっとシナの視線から目を逸らしたと思うと、その瞳は床板の目に沿ってずっと一点を見続けていた。
「何でも。なんてことはないわ。・・・私は、職業柄人より他人の変化に敏感なだけ。・・・そして男性陣よりは、貴女のことが少しだけ分かるつもりでいるだけ」
「そうですか・・・。先生には敵わないですね」
少しだけ気を抜いたそのほへとの顔。
かろうじて笑みを形作ってはいるが、瞳は生気がない。
(本当に嘘の上手い人ね)
そうシナは思った。
この二ヶ月間。シナはほへとが弱音を吐いたり愚痴を言ったりしているところを見たことがない。
常に笑顔を絶やさず、皆の話に耳を傾け、淡々と仕事をこなす。
そういった毎日を過ごしている。
本来の真面目な性分は、それに拍車をかけていた。
真面目すぎるといっても過言ではない。
それ故に見ていて痛々しいのだ。
この二ヶ月の間で、ほへとから不自然な程に負の表情が消えたことが。
この敷地内にいる大多数の人間の目には、彼女が悲しみを乗り越えたように映っていることだろう。
ただ、ほへとは我慢強いだけなのだ。
自分に厳しすぎるくらいに。
「聞いたわよ。夏休みは、土井先生のお宅でお世話になるんですってね」
「・・・耳がお早いんですね」
「あまり贅沢はできないでしょうけれど、少しくらいなら多めに見てくれるのではないかしら。・・・ほへとさんは、もっと人に甘えることを覚えた方がいいわ」
「甘え・・・ですか・・・」
「ええ。うんと土井先生に甘えたらいいと思うわ。お兄さんに面差しが似ているのでしょう?」
「・・・本当に・・・・・・なんでもご存知なんですね」
観念したように、諦めたように。
ほへとがぽつりと言った。
「・・・正直に言います。土井先生に兄の影を重ねて見ているのは事実です。何度兄上と呼びそうになったことか・・・。でも、それは逃げです」
「そんなことないわ。貴女は何も悪くないのだから。望めば土井先生だって受け止めてくれる筈よ」
「いいえシナ先生。甘えるわけにはいきません。私は土井先生にそんなことは求めていないのです。…求めるわけにはいかないのです」
「ほへとさん・・・」
「余計に辛くなるではないですか・・・」
強く目を閉じるほへと。
その姿は、さながら風の中の草花のようだった。
ただ、じっと嵐が過ぎることだけを待っている。
そう・・・。そういうこと。
貴女は器用すぎるのね。
不器用な程に器用すぎるんだわ。
私の言葉では埋められない程に深い何かを中に飼っているのね。
それの捌け口を見つけられず、ずっと押し隠して耐えているのね。
だから彼女の側は居心地がいいんだわ。
意識の下に沈んでいる皆の虚栄や矛盾や嘘を、彼女は全て理解した上で肯定してくれるのだから。
ここは嘘が胸を張って息を吸っている場所。
ほへとさん。貴女は忍びの何たるかを身を持って知っているのね。
だから貴女は笑うのね。
皆のために。逝った人のために。自分のために。
「ごめんなさいね。優しい人ね、ほへとさんは」
「シナ先生が謝ることありません。それに、優しいのはこの学園の人たちの方です」
「でもねほへとさん。ありきたりの言葉だけれど、人って一人じゃ生きていけないものよ」
「そうですね。生徒の子達に随分助けられています」
・・・長話になりました。ありがとうございますシナ先生。
そう言ったほへとの顔は、また元の笑顔に戻っていた。
顔を作ったと言っても過言ではない程に疲れなど見えない表情。
シナはほへとがその障子を閉めるまで、瞬きもせずに見送った。
ほへとさん。
貴女は、やっぱりここに似つかわしくないわ。
優しすぎるもの。
でも、すでに貴女はこの忍術学園に取り込まれている。
無意識のうちに必要としている。
それを本能で分かっているのね。
だから、少しずつでも前に進むしかない・・・。
逃げることは許されない。
きっと逃げることを彼女自身も許さないんでしょう。
悲しい人・・・。
(この学園来たことは・・・。本当にほへとさんにとって良いことだったのかしら・・・)
シナはすでに冷めた茶を手にとった。
ただ、シナは純粋に心配だった。
また、言われてしまった。
そんなに私は酷い顔をしていただろうか。
ほへとは部屋で寝具に身を包みながら、本日二度目の言葉を反芻する。
『貴女、疲れてるんではなくて?』
あの妖艶な美女にもそう言われた。
きゅっと、自身の胸のあたりを掴む。
酷く、焦燥感が広がる。自身の影が透ほへとをあざ笑う。
シナ先生・・・。
私、毎日がとても楽しいです。
楽しくて・・・。 幸せで・・・。
でも、
だからこそ
「甘えるわけにはいきませんよ」
その小さな声に答える者はなかった。
31-b
毒草の咲く、くノ一教室の庭。
その一角の長屋に、山本シナの部屋がある。
すでに冷めたお茶。残された団子。流れていった風。
退室したほへととの会話を反芻しながら、山本シナは一人庭を眺めた。
ほへとがシナの前で漏らした本音。
その後に不自然な程に綺麗に笑う彼女のことをくノ一向きだとシナは思った。
でも、彼女はくノ一ではない。
(だからこそ、彼女はここで生きていける)
一般人の彼女に優しく接すること。そして守ること。
彼らは、いえ、私達はそれと思っていなくても、そうすることで無意識に自分を肯定して安堵している。
その気になれば存在自体を無かったことにすることだってできる。
その力を私達は持っている。
(要するに、私達はずるいのね)
***
「貴女、疲れてるんではなくて?」
その言葉に、目の前に座した人間の視線がぴたりと空中で止まった。
山本シナは『お裾分け』と称してやって来た人物に問いかけた。
こうして一対一で話をするのは、もしかしたら初めてかもしれない。
女性特有といえる全てを包むような優しいシナの声はほへとの耳に凛と響いた。
「・・・きちんと休憩はとってますから。大丈夫ですよ」
「いいえ。そうじゃないわ」
言い聞かせるようにシナは言った。
「無理をしているでしょう貴女。頑張って笑わなくていいのよ。そんなこと誰一人言ってないのだから」
「・・・・・・」
無言。
その言葉通りに沈黙しきったその室内で、淹れられた茶の湯気だけが空中に消えてゆく。
遠くでくノたまの喋り声が聞こえた。
「・・・・・・シナ先生には・・・、何でもお見通しなんですね」
ほへとは自嘲気味にそう一言言った。
ふっとシナの視線から目を逸らしたと思うと、その瞳は床板の目に沿ってずっと一点を見続けていた。
「何でも。なんてことはないわ。・・・私は、職業柄人より他人の変化に敏感なだけ。・・・そして男性陣よりは、貴女のことが少しだけ分かるつもりでいるだけ」
「そうですか・・・。先生には敵わないですね」
少しだけ気を抜いたそのほへとの顔。
かろうじて笑みを形作ってはいるが、瞳は生気がない。
(本当に嘘の上手い人ね)
そうシナは思った。
この二ヶ月間。シナはほへとが弱音を吐いたり愚痴を言ったりしているところを見たことがない。
常に笑顔を絶やさず、皆の話に耳を傾け、淡々と仕事をこなす。
そういった毎日を過ごしている。
本来の真面目な性分は、それに拍車をかけていた。
真面目すぎるといっても過言ではない。
それ故に見ていて痛々しいのだ。
この二ヶ月の間で、ほへとから不自然な程に負の表情が消えたことが。
この敷地内にいる大多数の人間の目には、彼女が悲しみを乗り越えたように映っていることだろう。
ただ、ほへとは我慢強いだけなのだ。
自分に厳しすぎるくらいに。
「聞いたわよ。夏休みは、土井先生のお宅でお世話になるんですってね」
「・・・耳がお早いんですね」
「あまり贅沢はできないでしょうけれど、少しくらいなら多めに見てくれるのではないかしら。・・・ほへとさんは、もっと人に甘えることを覚えた方がいいわ」
「甘え・・・ですか・・・」
「ええ。うんと土井先生に甘えたらいいと思うわ。お兄さんに面差しが似ているのでしょう?」
「・・・本当に・・・・・・なんでもご存知なんですね」
観念したように、諦めたように。
ほへとがぽつりと言った。
「・・・正直に言います。土井先生に兄の影を重ねて見ているのは事実です。何度兄上と呼びそうになったことか・・・。でも、それは逃げです」
「そんなことないわ。貴女は何も悪くないのだから。望めば土井先生だって受け止めてくれる筈よ」
「いいえシナ先生。甘えるわけにはいきません。私は土井先生にそんなことは求めていないのです。…求めるわけにはいかないのです」
「ほへとさん・・・」
「余計に辛くなるではないですか・・・」
強く目を閉じるほへと。
その姿は、さながら風の中の草花のようだった。
ただ、じっと嵐が過ぎることだけを待っている。
そう・・・。そういうこと。
貴女は器用すぎるのね。
不器用な程に器用すぎるんだわ。
私の言葉では埋められない程に深い何かを中に飼っているのね。
それの捌け口を見つけられず、ずっと押し隠して耐えているのね。
だから彼女の側は居心地がいいんだわ。
意識の下に沈んでいる皆の虚栄や矛盾や嘘を、彼女は全て理解した上で肯定してくれるのだから。
ここは嘘が胸を張って息を吸っている場所。
ほへとさん。貴女は忍びの何たるかを身を持って知っているのね。
だから貴女は笑うのね。
皆のために。逝った人のために。自分のために。
「ごめんなさいね。優しい人ね、ほへとさんは」
「シナ先生が謝ることありません。それに、優しいのはこの学園の人たちの方です」
「でもねほへとさん。ありきたりの言葉だけれど、人って一人じゃ生きていけないものよ」
「そうですね。生徒の子達に随分助けられています」
・・・長話になりました。ありがとうございますシナ先生。
そう言ったほへとの顔は、また元の笑顔に戻っていた。
顔を作ったと言っても過言ではない程に疲れなど見えない表情。
シナはほへとがその障子を閉めるまで、瞬きもせずに見送った。
ほへとさん。
貴女は、やっぱりここに似つかわしくないわ。
優しすぎるもの。
でも、すでに貴女はこの忍術学園に取り込まれている。
無意識のうちに必要としている。
それを本能で分かっているのね。
だから、少しずつでも前に進むしかない・・・。
逃げることは許されない。
きっと逃げることを彼女自身も許さないんでしょう。
悲しい人・・・。
(この学園来たことは・・・。本当にほへとさんにとって良いことだったのかしら・・・)
シナはすでに冷めた茶を手にとった。
ただ、シナは純粋に心配だった。