つらつら椿
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「おはようほへと」
「・・・・・・・・・おはようございます」
何時ものように土間に行くと水瓶の前にお仙ちゃんが立っていた。
何でだ。
07:夢だったらどれだけいいか
(あ、そうだった・・・)
今日からうちに滞在するんだった。しかも二週間近くも。はっきり言って地獄だ。
夢だったらどれだけいいだろう。
朝も早いというのに、寝乱れた様子のかけらもないお仙ちゃん。一体何時から起きているのか皆目見当がつかない。
もっとゆっくり寝てればいいのに。そうすればこんな朝も早くから会わなくてもいいのに。
「随分早いのね」
「まあ習慣だ。ほへとは朝餉の準備か?」
「うん。今から支度するから、待ってて」
「そうか」
そう言うなりお仙ちゃんは裏手の戸口から出て行ったかと思うと、桶二つに水をたっぷり酌んで戻って来た。一緒に朝の新鮮な空気が入ってくる。
お仙ちゃんは水瓶の蓋をとると、そこに桶二杯分の水を一気に流し入れた。
そろそろ足そうと思っていたところだから凄く助かる。
「・・・ありがとう」
「今は居候の身だからな。これくらいはするさ」
そういえば昔は一緒に水酌みをよくしていた。
あの頃は一人で一つの桶を酌むのがやっとで。一度に桶を二杯も酌んで来れるお仙ちゃんが、改めて「彼」なのだと感じた。
私はお仙ちゃんの視線に気付かないふりをして朝餉の支度に取り掛かる。
今日はどうしようかな。とりあえずご飯炊かないと。薪もそろそろなくなりそうね。
味噌汁はもちろんだけど、一品は卵焼きにしようか。鶏小屋から卵持ってこないと。
・・・うーん、今日は鶏が不機嫌みたい。卵三つか・・・まあ私の分を少なくしてしまおう。ゴマとワカメを入れて量を多少調整すればいいだろう。
この前漬けておいたぬか漬けも出して・・・と。ついでにぬか床もかき混ぜておこうっと。
この間ぬか床がやっと完成したのよね。
あ、美味しい。結構上手く漬かってるじゃない。冬の間に大根をたくさん買っておいてよかった。ちょっと萎んできてたから丁度いいし。
夏は瓜でも漬けようかな。茄子もいいなあ。 茄子のお漬物は父さんが好きなのよね。きっと喜んでくれるだろうなあ。
味噌汁の具は菜っ葉にして・・・。
「・・・随分手際がよくなったな」
「え?」
その声に首を右に回すと、私の動きをずっと観察していたらしいお仙ちゃんとばっちり目があった。
なんだ・・・まだいたのか。あまりに気配がないから部屋に帰ったのかと思ってた。
もしかしてずっと見てた?
「昔は危なげな手さばきだったのに、なかなか様になっているではないか」
「・・・そう、かな」
褒めてくれるなんて。
珍しいこともあるもんだ。私も少しは成長したんだろうか。
「あの・・・あんまり見られてると恥ずかしいんだけど」
「邪魔だったか?」
「邪魔ってほどではないけど・・・」
「ならば問題ないわけだな」
「・・・・・・」
「何を渋い顔をしている。鍋が吹きこぼれそうだぞ」
「ひゃっ」
言われて慌てて鍋を掻き回す。
その私の様子にくつくつと笑うお仙ちゃん。
私は耳まで赤くなるような心持ちだった。多分実際そうなっていると思う。
昔からそう。
私のことをからかって、赤くなった私を見て笑って・・・。
それが私の気分をどれだけ急降下させているか、お仙ちゃんはきっと分かってない。
***
「いただきます」
いつもの朝。
やたらと疲れた気分なのは多分気のせいじゃない。
父の横でお仙ちゃんが普通にご飯食べてるこの状況といったらもう・・・。
気が気でないのは言うに漏れず。
「叔母上」
「なあに?仙蔵くん」
ご馳走様でした。と箸を置いたお仙ちゃんは母に声をかけた。
こうやって二人を見るとやっぱりよく似てる。
立花家って何故か全体的に顔似てるのよね。血が濃いのかしら。
お仙ちゃんの横にいた父さんの顔がとにかく浮いて見える。
「昔は叔母上が朝餉の支度をしていたと思うのですが今日はほへとでしたね」
「あら。口に合わなかった?」
申し訳なさそうに言う母。半分は『まあほへとだし大目に見てあげて』のニュアンスを含ませている。
実の娘を目の前にして酷くないですか。
「ごめんなさいね。どんな料理でも昔から仙蔵くんは一つも文句言ったことないものね。って冗談よほへと。そんな顔しないの。いつも美味しく頂いてるじゃない」
しばらく白々しい瞳で見つめていたら、話題を変えるかのように、ぽんと手を叩く母。
そんな顔にさせてるのはどこの誰だ。
・・・大人って汚い。
「まあ冗談はさておき、ほへとも年頃になったでしょう?だから花嫁修行がてらに朝餉の支度をさせてるのよ。・・・もう何年になるかしらね?」
そう言った母はにこやかに私に笑みを向けた。
・・・わかってるわよ。そんな目で見ないでよ。
この歳になっても嫁の貰い手どころか浮いた話の一つもない私。
引込み思案で奥手で、はっきり言って親しい友達もあまりいない。友人はみんなお嫁に行ったり、お婿をとったり・・・。近場で独り身なのは気付けば私だけになっていた。
「・・・その様子だと。ほへとの結婚話はまだ先のようですね」
ぐさ。
お仙ちゃんの言葉が私の心臓に刺さった。
「そうなのよ。ほへとったらこの引込み思案でしょ?本当、ちゃんとお嫁にいけるのかしら。私としてはせめていい人の一人や二人くらい見つけて欲しいのよね」
「伯母上、すぐには難しいでしょう。それができればこうなっていません」
「そうかしら?・・・それもそうね色気よりも食い気だし」
ぐさぐさぐさ。
酷い。酷すぎる。
いくらなんでも歯に絹を着せなさすぎる。アンタ達には情ってもんがないのか。鬼か。
私は生憎、母さんみたいに愛想よくて朗らかで、要領が良い人間じゃない。
人見知りで口下手で、要領が悪い上にそそっかしい。とてもじゃないけど商売人には向かない。
私も母さんみたいだったら、もっと上手に世渡りして、今頃は素敵な旦那様と一緒になってるかもしれないのに。
「仙蔵くん。ほへとが嫁ぎ遅れたらお婿に来てね。料理の腕だけは保障するわ」
「はは。相変わらずですね叔母上。・・・ほへと、お前本当にいい人いないんだな」
現実はこれだもの。
人の顔見て、同情するような顔しないで欲しい。
『はは』とか笑わないでよ。失礼な。
母の言う『嫁ぎ遅れたら婿に来い』は生まれたときから耳タコで。今更お仙ちゃんも聞き飽きてるだろう。
でもまさか本当に嫁ぎ遅れの危機が来るとは母も想定外だったろう。
母も昔は冗談だったんだろうけど、最近じゃ目が本気だし。(その人の奥底を見るような瞳はお仙ちゃんと一緒だ)
親戚の歳が近い人達なんかにも言ってたみたいだけど、結婚してしまったり、してなくとも皆いい人がいるみたい。
このままだと本当にお仙ちゃんを婿に迎え入れかねない。
それだけは断固として避けたい。考えただけで泣きそうだ。
私のこの気持ちを知ってか知らずか(きっと知らない)、目の前で談笑している二人が憎らしい。
お仙ちゃんの隣にいた父さんは始終無言を貫いたまま朝ごはんを咀嚼していた。
何で私は中途半端に似ているんだろう。
どうせだったら中身も「立花」の血筋に似たら良かったのに。
***
朝餉の後片付けをしながら、ふと窓の木枠から外を見やると薪割りしているお仙ちゃんの背中が見えた。
パカン、パカンと小気味よく薪割りをしているのを見ると、もしお婿さんをとったらこういう眺めを毎日見るようになるんだなあと思った。
「ほへと、これが終わったらそのまま父さんの方へ行って頂戴。私は表へ回るから」
「はあい」
干し終えた洗濯物籠を抱え、絵付けする部屋へ直接向かった。
お仙ちゃんはこれから学園の人と会うとかで、昼過ぎまでは帰ってこないらしい。少し、ほっとした。
「父さん。どれから手を付けたらいい?」
「ほへとか。店の方はいいのか?」
貝殻に紅刷きをしていた父さんが私の声で顔を上げた。
「母さんが出てる」と言うと「そうか。ではこっちの貝は終わっている」と、端的に指図してまた顔を下へ向けた。
黙々と黙って紅刷きをし始める父さん。私も塗り終わった貝を天日に干し始めた。
私の父はどちらかと言えば温和で口下手。外見はどちらかといえば無骨。正直私の性格はまるきり父さん似だ。
それでも私は父さんの子で良かったと思っている。
父さんのどっしりと頼れるような暖かい雰囲気が私は大好きだった。
大きな手に似合わず細やかに動く父の筆。
父さんと母さんは大恋愛の末に結婚したって聞いた。未だに不思議だけど、この町一番の小町娘だったらしい母さんをどうやって父さんは射止めたのだろう。聞けば母さんは毎日のようにいろんな男の人に言い寄られていたという。口下手の父さんはどう見たって不利なのに・・・。不思議だ。
「母さんはああ言ってるけどな」
「え?」
10枚程の貝を紅刷きし終えた父さんが急に話しかけてきた。
仕事中に声を上げるなんて珍しくて、はたと動きが止まってしまった。
「焦らなくていいぞ。こんないい娘、もったいなくて嫁になんか出せん」
「父さん・・・」
そう言って不器用に口元だけ笑う父。少しするとまた目線を下に戻して仕事に戻ってしまった。
・・・こういうところに、母さんは惚れたんだろうか。
「私、結婚するなら父さんみたいな人がいいわ」
「・・・孫が相当口下手に生まれるだろうな」
少し照れたような困ったような声で返された。
それが何だか気恥ずかしくて可笑しくて、今朝の憂鬱なんて全部吹き飛んでしまった。
いいもん。父さんみたいな素敵な人見つけてやるんだから!
「・・・・・・・・・おはようございます」
何時ものように土間に行くと水瓶の前にお仙ちゃんが立っていた。
何でだ。
07:夢だったらどれだけいいか
(あ、そうだった・・・)
今日からうちに滞在するんだった。しかも二週間近くも。はっきり言って地獄だ。
夢だったらどれだけいいだろう。
朝も早いというのに、寝乱れた様子のかけらもないお仙ちゃん。一体何時から起きているのか皆目見当がつかない。
もっとゆっくり寝てればいいのに。そうすればこんな朝も早くから会わなくてもいいのに。
「随分早いのね」
「まあ習慣だ。ほへとは朝餉の準備か?」
「うん。今から支度するから、待ってて」
「そうか」
そう言うなりお仙ちゃんは裏手の戸口から出て行ったかと思うと、桶二つに水をたっぷり酌んで戻って来た。一緒に朝の新鮮な空気が入ってくる。
お仙ちゃんは水瓶の蓋をとると、そこに桶二杯分の水を一気に流し入れた。
そろそろ足そうと思っていたところだから凄く助かる。
「・・・ありがとう」
「今は居候の身だからな。これくらいはするさ」
そういえば昔は一緒に水酌みをよくしていた。
あの頃は一人で一つの桶を酌むのがやっとで。一度に桶を二杯も酌んで来れるお仙ちゃんが、改めて「彼」なのだと感じた。
私はお仙ちゃんの視線に気付かないふりをして朝餉の支度に取り掛かる。
今日はどうしようかな。とりあえずご飯炊かないと。薪もそろそろなくなりそうね。
味噌汁はもちろんだけど、一品は卵焼きにしようか。鶏小屋から卵持ってこないと。
・・・うーん、今日は鶏が不機嫌みたい。卵三つか・・・まあ私の分を少なくしてしまおう。ゴマとワカメを入れて量を多少調整すればいいだろう。
この前漬けておいたぬか漬けも出して・・・と。ついでにぬか床もかき混ぜておこうっと。
この間ぬか床がやっと完成したのよね。
あ、美味しい。結構上手く漬かってるじゃない。冬の間に大根をたくさん買っておいてよかった。ちょっと萎んできてたから丁度いいし。
夏は瓜でも漬けようかな。茄子もいいなあ。 茄子のお漬物は父さんが好きなのよね。きっと喜んでくれるだろうなあ。
味噌汁の具は菜っ葉にして・・・。
「・・・随分手際がよくなったな」
「え?」
その声に首を右に回すと、私の動きをずっと観察していたらしいお仙ちゃんとばっちり目があった。
なんだ・・・まだいたのか。あまりに気配がないから部屋に帰ったのかと思ってた。
もしかしてずっと見てた?
「昔は危なげな手さばきだったのに、なかなか様になっているではないか」
「・・・そう、かな」
褒めてくれるなんて。
珍しいこともあるもんだ。私も少しは成長したんだろうか。
「あの・・・あんまり見られてると恥ずかしいんだけど」
「邪魔だったか?」
「邪魔ってほどではないけど・・・」
「ならば問題ないわけだな」
「・・・・・・」
「何を渋い顔をしている。鍋が吹きこぼれそうだぞ」
「ひゃっ」
言われて慌てて鍋を掻き回す。
その私の様子にくつくつと笑うお仙ちゃん。
私は耳まで赤くなるような心持ちだった。多分実際そうなっていると思う。
昔からそう。
私のことをからかって、赤くなった私を見て笑って・・・。
それが私の気分をどれだけ急降下させているか、お仙ちゃんはきっと分かってない。
***
「いただきます」
いつもの朝。
やたらと疲れた気分なのは多分気のせいじゃない。
父の横でお仙ちゃんが普通にご飯食べてるこの状況といったらもう・・・。
気が気でないのは言うに漏れず。
「叔母上」
「なあに?仙蔵くん」
ご馳走様でした。と箸を置いたお仙ちゃんは母に声をかけた。
こうやって二人を見るとやっぱりよく似てる。
立花家って何故か全体的に顔似てるのよね。血が濃いのかしら。
お仙ちゃんの横にいた父さんの顔がとにかく浮いて見える。
「昔は叔母上が朝餉の支度をしていたと思うのですが今日はほへとでしたね」
「あら。口に合わなかった?」
申し訳なさそうに言う母。半分は『まあほへとだし大目に見てあげて』のニュアンスを含ませている。
実の娘を目の前にして酷くないですか。
「ごめんなさいね。どんな料理でも昔から仙蔵くんは一つも文句言ったことないものね。って冗談よほへと。そんな顔しないの。いつも美味しく頂いてるじゃない」
しばらく白々しい瞳で見つめていたら、話題を変えるかのように、ぽんと手を叩く母。
そんな顔にさせてるのはどこの誰だ。
・・・大人って汚い。
「まあ冗談はさておき、ほへとも年頃になったでしょう?だから花嫁修行がてらに朝餉の支度をさせてるのよ。・・・もう何年になるかしらね?」
そう言った母はにこやかに私に笑みを向けた。
・・・わかってるわよ。そんな目で見ないでよ。
この歳になっても嫁の貰い手どころか浮いた話の一つもない私。
引込み思案で奥手で、はっきり言って親しい友達もあまりいない。友人はみんなお嫁に行ったり、お婿をとったり・・・。近場で独り身なのは気付けば私だけになっていた。
「・・・その様子だと。ほへとの結婚話はまだ先のようですね」
ぐさ。
お仙ちゃんの言葉が私の心臓に刺さった。
「そうなのよ。ほへとったらこの引込み思案でしょ?本当、ちゃんとお嫁にいけるのかしら。私としてはせめていい人の一人や二人くらい見つけて欲しいのよね」
「伯母上、すぐには難しいでしょう。それができればこうなっていません」
「そうかしら?・・・それもそうね色気よりも食い気だし」
ぐさぐさぐさ。
酷い。酷すぎる。
いくらなんでも歯に絹を着せなさすぎる。アンタ達には情ってもんがないのか。鬼か。
私は生憎、母さんみたいに愛想よくて朗らかで、要領が良い人間じゃない。
人見知りで口下手で、要領が悪い上にそそっかしい。とてもじゃないけど商売人には向かない。
私も母さんみたいだったら、もっと上手に世渡りして、今頃は素敵な旦那様と一緒になってるかもしれないのに。
「仙蔵くん。ほへとが嫁ぎ遅れたらお婿に来てね。料理の腕だけは保障するわ」
「はは。相変わらずですね叔母上。・・・ほへと、お前本当にいい人いないんだな」
現実はこれだもの。
人の顔見て、同情するような顔しないで欲しい。
『はは』とか笑わないでよ。失礼な。
母の言う『嫁ぎ遅れたら婿に来い』は生まれたときから耳タコで。今更お仙ちゃんも聞き飽きてるだろう。
でもまさか本当に嫁ぎ遅れの危機が来るとは母も想定外だったろう。
母も昔は冗談だったんだろうけど、最近じゃ目が本気だし。(その人の奥底を見るような瞳はお仙ちゃんと一緒だ)
親戚の歳が近い人達なんかにも言ってたみたいだけど、結婚してしまったり、してなくとも皆いい人がいるみたい。
このままだと本当にお仙ちゃんを婿に迎え入れかねない。
それだけは断固として避けたい。考えただけで泣きそうだ。
私のこの気持ちを知ってか知らずか(きっと知らない)、目の前で談笑している二人が憎らしい。
お仙ちゃんの隣にいた父さんは始終無言を貫いたまま朝ごはんを咀嚼していた。
何で私は中途半端に似ているんだろう。
どうせだったら中身も「立花」の血筋に似たら良かったのに。
***
朝餉の後片付けをしながら、ふと窓の木枠から外を見やると薪割りしているお仙ちゃんの背中が見えた。
パカン、パカンと小気味よく薪割りをしているのを見ると、もしお婿さんをとったらこういう眺めを毎日見るようになるんだなあと思った。
「ほへと、これが終わったらそのまま父さんの方へ行って頂戴。私は表へ回るから」
「はあい」
干し終えた洗濯物籠を抱え、絵付けする部屋へ直接向かった。
お仙ちゃんはこれから学園の人と会うとかで、昼過ぎまでは帰ってこないらしい。少し、ほっとした。
「父さん。どれから手を付けたらいい?」
「ほへとか。店の方はいいのか?」
貝殻に紅刷きをしていた父さんが私の声で顔を上げた。
「母さんが出てる」と言うと「そうか。ではこっちの貝は終わっている」と、端的に指図してまた顔を下へ向けた。
黙々と黙って紅刷きをし始める父さん。私も塗り終わった貝を天日に干し始めた。
私の父はどちらかと言えば温和で口下手。外見はどちらかといえば無骨。正直私の性格はまるきり父さん似だ。
それでも私は父さんの子で良かったと思っている。
父さんのどっしりと頼れるような暖かい雰囲気が私は大好きだった。
大きな手に似合わず細やかに動く父の筆。
父さんと母さんは大恋愛の末に結婚したって聞いた。未だに不思議だけど、この町一番の小町娘だったらしい母さんをどうやって父さんは射止めたのだろう。聞けば母さんは毎日のようにいろんな男の人に言い寄られていたという。口下手の父さんはどう見たって不利なのに・・・。不思議だ。
「母さんはああ言ってるけどな」
「え?」
10枚程の貝を紅刷きし終えた父さんが急に話しかけてきた。
仕事中に声を上げるなんて珍しくて、はたと動きが止まってしまった。
「焦らなくていいぞ。こんないい娘、もったいなくて嫁になんか出せん」
「父さん・・・」
そう言って不器用に口元だけ笑う父。少しするとまた目線を下に戻して仕事に戻ってしまった。
・・・こういうところに、母さんは惚れたんだろうか。
「私、結婚するなら父さんみたいな人がいいわ」
「・・・孫が相当口下手に生まれるだろうな」
少し照れたような困ったような声で返された。
それが何だか気恥ずかしくて可笑しくて、今朝の憂鬱なんて全部吹き飛んでしまった。
いいもん。父さんみたいな素敵な人見つけてやるんだから!
8/8ページ