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ガチ勢アイドル


 アイドルユニットSEIGAKUの中でも特にファンサービスが良いと言われているのが桃城だ。ライブ会場では最上階の最後列まで届くように手を振り、ステージや通路の端から端まで走り回って一人でも多くの観客に笑顔を見せる。
 海堂は来てくれた観客への感謝の気持ちはあるが控えめに手を振るのが精いっぱいで、よく桃城に腕を掴まれてオーバーなくらい全力で振らされていた。余計な事をするなと毎回振り払っているが、内心は桃城の全力ファンサが羨ましかった。
 全力でできる桃城が、ではない。桃城に全力ファンサをされる観客が、だ。
 海堂は古参の桃城ガチ勢だった。本人にも周囲にも隠し通している(と思っている)がデビュー前からの大ファンで、記念すべき会員ナンバー一番のファンクラブ会員証を持っている程だ。しかし同じユニットに在籍している為ライブ会場の観客席側へ姿を現す事はできず、SNSでも発見されないので『幻の会長』として都市伝説のような扱いをされていた。
 そんな海堂は桃城のファンサを受けられないのが悔しくて仕方がなかった。こんなに近くに居るのに手を振ってもらえない、ウインクも投げキッスもしてもらえない、ハイタッチもできない。悔しい。一日だけ良いから最前列の観客になりたい。秘蔵の桃城推しアピールグッズを身に纏って周囲の迷惑にならない程度に全力でペンライトを振って声援を送り、照明が霞む笑顔と共にファンサをもらいたい。
 そんな事を考えていると桃城に声を掛けられ、空いてるスタジオに連れ込まれた。

「って事でぇ、これから桃ちゃんのマンツーマン特別ファンサレッスンを始めまーす! 礼っ!」

 形から入っているのか、眼鏡をかけた桃城が得意気に海堂を見る。桃城は視力が良いのでおそらく伊達眼鏡だ。伊達眼鏡と言えば別なアイドルグループに在籍している桃城ファンを公言している男を思い出すが今はそんな事を考えてる余裕はない。特別ファンサレッスンとは何だ。そんな話は誰からも聞いていない。

「お前のファンサがイマイチだから特別に俺が課外授業をしてやるんだよ! ありがたく思えよな!」

「いらねぇ」

 やるならまず愛想がない越前に教えて来いとスタジオを出ようとするも無理矢理留めさせられる。仕方がないので海堂は桃城の特別レッスンを受けてやる事にした。
 勿論心の中ではアリーナ最前列、もしくは花道横でペンライトを振り回している。眼鏡の桃城もアリだ。ブロマイドか写真集を販売してほしい。

「まずは笑顔で手を振る! 後ろのお客さんにも見えるように大きくだぞ!」

 海堂の心境を知らない桃城はブンブンと全身を使って大きく手を振って見本を見せる。勿論笑顔も忘れない。至近距離での不意打ちに海堂の体力と精神力は一瞬で半分近く削れた。

「あとウインクくらいできるだろ?」

 パチンとウインクをされ、海堂はギュッと両目を閉じて呻く。心臓が保たない。今の桃城は海堂だけに、海堂の為にファンサをしている。推しの過剰摂取で死んでしまう。こんなにも眩しく愛おしい人間が存在している事に感謝しかない。
 その一連の流れを「頑張ってウインクをしたけど上手く片目を瞑れなかった」と捉えた桃城は軽く引いた。あまりにもウインクのクオリティが酷かった。いやウインクではないのだが。

「嘘だろ、お前アイドルなのに致命的にウインク下手くそだな…まぁウインクはできない奴もいるもんな。じゃあ投げキッス! これならお前でも大丈夫だろ!」

 ちゅっと投げられたキスは海堂の心臓をぶち抜いた。限界だ、死ぬ。ついに海堂は胸を押さえて膝から崩れ落ちる。愛故に死ぬ。だが後悔はない。嘘だ、まだ死にたくない。会員ナンバー一番の意地と誇りにかけて、全身全霊でペンライトを振って声援を送るまでは死ぬわけにはいかない。あとハイタッチもまだしていない。

「海堂!?」

 心の中ではかなり元気だが桃城も流石にそこまでは分からない。急にぶっ倒れた海堂を抱き起こし、わたわたと楽な体勢を取らせる。

「えぇ、どうしよ…とりあえず今飲み物買ってくるから、ちょっとだけ待ってろよ!」

 桃城はバッグを掴みスタジオを飛び出した。同じフロアにある自動販売機へ駆け寄り、急いで財布を探す。しかしよく見たら持ってきたのは海堂のバッグだった。スタジオに戻るよりも後でお金を返す方が早いと、内心海堂へ詫びながら財布を開く。
 小銭を数枚取っていると、カード入れに「桃城武」と書かれたカードが入っているのが見えた。海堂の財布なのに何故自分の名前のカードが…と、桃城は好奇心のままにそのカードを抜く。それは桃城のファンクラブの会員証だった。海堂の名前と共に、最初にファンクラブに入会した人の証である一番の番号が書かれている。

「え…?」

 会員ナンバー一番の人は顔も名前も知らないけれど、ずっと応援してくれているのは知っている。何度も貰ったファンレターには自分の名前ではなく会員ナンバーを書いていたからだ。その度に「いつもの一番の人からファンレター貰った!」と海堂に自慢をしていたのに、フンと素っ気ない反応をするだけだった。

「嘘だろ…」

 ボンヤリと会員証を見つめていたが、海堂が倒れているのを思い出して急いで水を買う。まずは水分補給だ、ファンクラブについては海堂が元気になったら聞けば良い。
 勿論そんな事を聞かれたら、再びぶっ倒れる事になるのだが。
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