short.1
"先生"
それはナルト、サスケ、サクラがカカシを呼ぶ時の特別な呼び方。
この3人が先生と呼べばカカシのことだということは誰もが知っている。
どれだけ年月が経とうと変わらない、4人だけの特別な呼び名。
でももうその名を呼ぶことはない。
「六代目、ハンコお願いします」
「はいは〜い」
仕事を終えて報告書出しに執務室を訪れていた。
写輪眼のカカシと恐れられた男は五代目火影からその座を譲り受け、六代目火影として木ノ葉を支えている。
里の長といっても書類仕事ばかりで1日のほとんどを椅子に座って過ごしている。
今も報告書に印鑑を押して済の箱に入れている。
うんうん、と頷く先生は隠す必要のなくなった両目で笑いかけてくる。
「今日もお疲れ様だったね、サクラ。疲れてない?」
「それを言うなら六代目の方が疲れてるんじゃないですか?目の下のクマ、昨日より濃くなってますよ」
「あー・・・はは。サクラの目は誤魔化せないなぁ。色々立て込んでて2日ぐらい家帰ってないんだよねぇ」
「もう・・・手、出してください」
私の言葉に先生は手を差し出し、その手を取ってチャクラを流す。
癒すように優しく、疲れているところを探してそこを重点的に。
「あ〜・・・めっちゃ気持ちいい・・・」
「おじさんみたいですよ」
「おじさんだよぉ〜・・・ありがとう。だいぶ良くなった」
「それは良かったです。でもこうなる前にちゃんと休んでくださいよ」
「うんうん。本当ありがとね。優秀な生徒を持って先生は嬉しいよ」
「っ!・・・言い過ぎですよ」
先生はあの頃の先生の顔をして、優しく微笑みかけてくるから目を合わせれなくて目を逸らす。
それから何を話したらいいのか迷っていると、後ろのドアが突然開いた。
「カカシ様ー!頼まれていた書類持って来ましたよー」
その声に振り向くと、大量の資料を両手に抱えたシズネさんが私と目が合うと驚いた顔をする。
「あらサクラ。来てたの」
「はい。報告書を出しに」
「あぁ、もうそんな時間なのねー。補佐なんかしてたら忙しくて時間の感覚が無くなるのよ。はい、頼まれてた資料です」
シズネさんは資料を火影の卓にドンっと置く。
その量の多さに、今日もこの人は家に帰れないんだと悟った。
「ありがとね。でも何回も言ってるでしょ?様は辞めてってば」
「もう今更じゃないですか?カカシさんって呼ぶ方が違和感ありまくりですよ」
「オレは"様"の方が違和感あるんだって・・・」
ハァ、とため息を吐く先生と面白そうに笑うシズネさんの会話に少し気分が落ち込んだ。
それは──。
「戻りましたー、って、サクラ来てたのか」
「まあね」
少しして補佐役のシカマルも戻ってきた。
同じことを聞かれたから説明するのが面倒になってしまった。
「カカシさん。暗号班から早くこの間の遺跡から見つかった巻物の解析させてくれって急かされましたよ」
ピクっ
「あれまだ安全かどうか調査中だからもう少し待ってって言っといて」
「そう言ってるんすけどね・・・めんどくせぇ」
はぁ、とシカマルはため息を吐いて自分の席に座って、シズネさんも書類整理をし始める。
何だか居心地が悪くなってジリジリと後ろに下がり。
「あの。それじゃあ私はこれで失礼します」
「あ、うん。お疲れ様。明日もよろしくね」
「・・・はい。失礼します」
私は頭を下げて執務室を後にした。
執務室を出た後、少し気落ちして廊下を歩いていると、前からよく知っている人物が私を見つけると満面の笑みで駆け寄ってくる。
「サクラちゃん!」
「ナルト。任務終わり?」
いつもよりボロボロの服に片手に紙を持っている。
チラッと見えたそれは私がさっき持っていった報告書だった。
「そー!3日ぶりに里に帰ってきて家帰ろうとしたらイルカせんせーに見つかってさー。付きっきりで報告書書かされたんだってばよ」
「あんたが報告書溜めるの知ってるからでしょ」
「だってさー。オレがこうなったのはカカシ先生のせいだってばよ!」
ピクっ
「カカシ先生だっていつも報告書溜めたりオレたちに書かせたりさー。悪いお手本見せられたのが悪い!」
ふん!と鼻息を荒くするナルトに私は呆れる。
こんなんで火影になれるんだろうか、こいつは。
「もう。ほら、報告書出しに行くんでしょ?」
「あ、そうだった!じゃーなサクラちゃん!今度ご飯食べに行こうってばよ!」
「はいはい」
大きく腕を振って執務室の方へと去っていく友に手を振って見送り。
私は踵を返して、ナルトが来た方へと歩きながらため息を吐く。
カカシ様、カカシさん、
──カカシ先生
私はもう暫くその名を口にしていない。
きっかけはあの人が火影になった時。
何故か4年以上呼んできた名前が呼べなくなった。
・・・ううん、分かってる。
あの名前を呼んだらすっかり鳴りを潜めている弱虫で泣き虫のサクラが出てくると。
そして泣き叫ぶのだ。
"私たちだけの先生でいてほしかった"と。
そんなこと、言えるはずがない。
長として皆の父として。
常にみんなに気をかけて、私だけを見る余裕なんてないのを知っているのに。
それでも、私たち3人だけを見て欲しい。あの頃のように4人で──。
子供の我儘みたいなことを考える自分に失笑する。
もうあの頃には戻れない。
先生もナルトも、私も。
ナルトは次の火影になるべく任務に出たり勉強をしたり。
私もだんだん後輩も増えて、綱手様から病院を任せてもらえるようになって。
もう弱音を吐けない立場になってしまった。
あの幸せな時間にはもう戻れない。
****
「ふぅ・・・」
研究室に備え付けられている椅子に座って頬杖をついてため息を吐く。
私の手には先程作業していた新薬の経過観察の紙。
経過は良好だけど私の心は良好じゃない。
その理由はもちろんあの男のことなんだけど。
ここ暫くこの新薬にかかりっきりで執務室に行っていない。
でも今日はこの紙を提出しに行かないといけなくて。
「はあぁぁ・・・」
私は深くため息を吐きながら机に俯す。
この新薬にかかりっきりの間、病院の方は同僚たちに任せているからそっちの報告書を出しに行くことはなくなり。
ここ1週間、先生に会っていない。
あの日、弱い頃のサクラが久しぶりに顔を出したせいで先生に顔を合わせにくくなった。
でもこの薬は私が任されているから私が出しに行かないとおかしい。
・・・だけど。
「・・・会いにくいなぁ」
「誰に?」
研究室で1人、ポツリと呟いたはずの独り言に声が返ってきた。
驚いて振り向くと、出入り口の壁に背をもたれてこちらを見てくる、一番会いたくない火影様。
全く気配がしなかった。
元暗部で里一と称えられて火影にまでなった男が本気で気配を絶ったなら私程度じゃ無理なんだろうけど。
「ろ、くだいめ・・・何でここに」
これでもかというぐらい目を見開いて驚いている私を気にせず近づいてくるから、思わず距離を取るように椅子から立ち上がる。
「ちょっと局長に話があってね。そしたらサクラが新薬で行き詰まってるって言ってたから様子見に」
「そ、それはご苦労おかけしました・・・」
「これぐらい大したことないよ。大事な教え子の顔見たかったしね」
「・・・っ!」
何故この男はこういうことをさらっと言うのか。
私の心臓がさっきよりざわつく。
先生と目が合わせれなくて逸らすと、部屋の空気が変わった気がした。
「──サクラ」
「・・・はい?」
呼ばれて先生を見れば、さっきまでの笑みが無くなっていて真剣にこちらを見てくる。
「お前は最近、呼んでくれないよね」
「え、何を・・・?」
「オレの名前」
ドキッとした。
先生に気づかれていたんだ。
気まずさにまた目を逸らすと先生が一歩こちらに近づいてきて、反射的に私も一歩下がる。
「・・・さっき呼んだじゃないですか」
「それは火影としてでしょ。オレとしては呼んでない」
さっきより先生の声色が強くなって、心臓が落ち着かない。
「だって、火影様だから・・・もう、私たちの先生じゃないから・・・」
私は胸元を握りしめて泣くのを我慢していると、前からため息が聞こえた。
「確かにオレは火影になったけどさ。オレとしては、お前ら3人が身長が伸びて大人になっても、ずっとお前たちの先生でありたいと思ってんのよ」
「・・・・・・」
「それに、サクラは特別だからさ」
「特別・・・?」
情けなく顔を上げると、先生は昔から変わらない笑顔を向けていた。
「そ。ナルトもサスケも大事だけどさ、サクラはあいつらよりも長く一緒にいたから。サクラだけは特別大事。だから避けられるのはちょっと・・・いや、かなりキツイ」
頭を掻きながら笑う先生に、私もようやく笑えた。
「ね、サクラ・・・呼んでよ。昔みたいに」
情けなく、眉を下げてお願いをする先生に・・・胸が高鳴ったのを感じた。
私は息を吸い込み。
「カカシ、先生・・・」
変に緊張してしまって声が震えてしまった。
それでも先生は嬉しそうに笑った。
先生は私のことを特別大事だと言ってくれたけど、私も同じ。
1人泣く私の側にずっと居てくれて慰めてくれて。
いつも、守ってくれて。
ただの生徒ならナルトみたいに気にせず先生って呼べただろう。
でも先生が火影になって、私の側から離れていったように感じて寂しくて、悲しくて。
そう想ってしまったのはたぶん、私は──。
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