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愛のある日々


見慣れたリビング。お気に入りのクッションを抱えたボク。
いつも当たり前のようにボクの隣に腰掛ける彼が、その時はカーペットの上に座り深く頭を下げていた。




「本当に、すまない…‥」




震える肩を見つめ、指輪を外すとテーブルに置かれた紙にサインした。
全てを失った代償は、見たこともない数字としてボクの口座に印字された。
日本に戻ってじいちゃんの跡を継いだ。
お金に困る事はなかったし、城之内達も時々遊びに来てくれた。
遠い昔は、こんな日々を望んだ。
けれど今は、ただただ孤独だった。
左手薬指に時より妙な感覚がはしる。その指の付け根を見る度に胸が苦しくなった。
もう指輪は無い。
変わり映えのない日々を淡々と過ごしていても、彼の痕跡は消えなかった。
早めに店を閉め、ぼーっとテレビを見ていたら彼が映った。
決して人前で見せる事のなかった笑顔で、隣で微笑む女性に人目も憚らずにキスをして愛おしそうに腕に抱いた赤ちゃんを見つめていた。
彼のコメントが流れる前に、咄嗟にテレビを消した。
真っ黒になった画面に映った自分の顔は不気味なほど無表情だったが、よく見ると涙が零れていた。





******





目を開けると、何も見えなかった。
真っ暗な視界を暫く彷徨っているうちに徐々に目が慣れ、ぼんやりといつもの天井が浮かんで来た。
体を起こし横で寝息をたてている彼の姿を見た瞬間、一気に涙が溢れる。
時計を確認するとまだ夜中の三時だった。
静かにベッドから抜けだして、リビングに行くとソファーの定位置に座る。愛用のクッションを抱き締めると顔に押し付けた。
夢だとわかっていても胸が抉られるように痛む。
涙が止まらない。嗚咽すら出ない。喉で声が蒸発しているのかと思うぐらい熱い。
普段は考えもしない、ゼロではない可能性が頭を過る。
こんな事が知れたら、きっと彼は怒るだろうけれど。
ただ通帳に振り込まれた金額が妙にリアルで、彼がしそうだと思ってしまった。
見たこともない女性だったけれど、綺麗だった。
赤ちゃんも可愛かった。
ボクには、どう足掻いても見せてあげられない景色だ。
考えれば考えるほど涙が溢れ出て来る。
クッションがぐっしょりと濡れているのを顔面で感じていると、リビングの電気が点いた。




「…‥遊戯、どうした」


「うっ…‥っ…‥」


「腹痛か?」





違う、と言おうとしても声が出ない。
顔にクッションを押し当てながら此方に来ないようにと片手を突き出したが、お構いなしに隣に腰掛ける。




「どうした…‥何故泣いている」




温かい手が髪を撫でる。
抱き寄せられた瞬間に彼の匂いが濃くなって涙腺に拍車が掛った。




「…‥目が腫れるぞ」




低く優しい声。
ごめん、大丈夫だからと心の中で叫ぶしかなかった。





「遊戯、俺は六時半には出なくてはならない」





ああ、今日は出張か。
ならどうか先に寝て欲しい。まだ喉が熱くて乾いたような嗚咽しか出なかった。
少しでも意思表示をとグッと左手で胸を押し退けると、一瞬の隙にボクの愛用のクッションが宙を舞った。




「…‥知っているだろう、俺はもうお前が横にいないと眠れないのだ」


「ぅ…‥っつ…‥」


「悪い夢ならば忘れろ、俺がいる」





そのキミが、いなくなってしまったらボクはどうしたらいいのだろう。
視界が滲んでいて顔が見えない。けれど真っ直ぐな視線だけは感じる。
何故だか今日はネガティブな思考から離れることができない。
もしかした、いつか夢でみたような現実がくるかもしれない。
仮の可能性に翻弄されて苦しむなんてキミには理解できないともうけれど。
もし、その時が来たらきちんと現実を受け入れるから。




「…‥もっ…‥し」


「ん?」


「ぅ…‥すこし、だけ…‥」


「何だ」


「ぁ…‥っもう‥すこし、だけ…‥そばに、いて…‥」




涙でぐちゃぐちゃのままの顔で抱き着くと体が浮く。
頭上で深い溜息が聞こえた。




「馬鹿を言うな」




体が震える。
寝室のドアが壊れるんじゃないかと言うくらい酷い音をたてて開く。
放り投げるようにベッドに落とされると、ぼやけた視界でも解るくらい近くに青い瞳があった。




「…‥もう少しとは何だ?死んでも離さんと誓っただろう」




ズタボロの言い訳を聞く前に、寝ると一言呟くと布団と一緒にボクを包む。
布団越しにじんわりと伝わる体温。
また少しだけ泣くと意識が遠のいていった。




「…‥せと」




起きたら謝らないと。
湿った布団に顔を埋めると熱くなった瞼を閉じた。





*****





ハッと目を開けると視界は真っ暗で、冷たかった。
その違和感に恐る恐る瞼に手をやると、柔らかくひんやりとした生地に触れる。





「起きたか」




横から聞こえた声の方に体を向けるとまた違和感があった。
目の上にあったのは保冷剤入りのアイマスクだった。
そして横たわっていたはずのベッドではなく、ボクはイスに座っていた。
それはただのイスではなく、どう見ても瀬人くん専用ジェット機の座席だった。
着ていたはずのパジャマも、外出用のスーツに変わっている。




「随分よく眠っていたな。顔を拭こうが服を脱がそうが起きる気配が微塵もなかったぞ」


「えっ…‥あの、なんで?」


「理由を聞いていないからだ」


「理由って…‥ちょっと待って、今日は大型アップデート前の最終ミーティングがあるんだけど?!」


「それが何だ。理由を聞かせろ」


「いや、マズイってボクがプロジェクトリーダーなんだよ!!」


「知っているに決まっているだろう。ミーティングは午後三時からに変更。遊戯は急遽俺と同行する事になった為、出張先から通信でミーティングに参加する旨を通達済みだ」


「そんな…‥」


「いいから昨日泣いていた理由を聞かせろ。その後の台詞についての詳細もだ」


「ミーティングじゃないんだから…‥」


「俺はあんなにも不愉快な気分のまま眠ったのは久し振りだ」


「…‥先に顔を洗って歯を磨いてもいい?」


「いいだろう。三分で済ませろ」




ベルトを外してバスルームに駆け込む。
あんな顔をする瀬人くんを久々に見た。簡単に言うともの凄く怒っている。
ボクの記憶が正しければ昨日は、忘れろと言っていたはずだけれどもそれを指摘しては余計に機嫌を損ねるだけだろう。
手早く歯磨きを済ませ顔を洗うと、とんでもなく瞼が腫れあがった自分と目が合う。
この顔で出社したらしたで、恐らく質問責めだろうな。
深呼吸して、アイスボックスから保冷剤を取り出すとタオルで包み席に戻った。
瀬人くんは無言で仕事をしている。





「…‥あの」


「覚えている限りの事を全て話せ」


「うん…‥保冷剤目に当てていてもいい?」


「許可する」




それからボクはミーティングで詰問されるかのように、夢の内容を話すはめになった。
話し終えた後の瀬人くんの顔はとてもじゃないけれど見られなかった。
話せは話すほど頭が冷静になり、恥ずかしくて堪らない。




「…‥ふむ」


「あ、あの…‥ごめんね。全部ボクの勝手な夢で」


「つまり、俺の愛情不足だと言う事だな」


「そんな事ないよ!!全然そんなんじゃ」


「遊戯」


「はい…‥」




保冷剤の狭間からチラリと瀬人くんを見る。
思ったよりも不機嫌ではなさそうだ。
と思ったのも束の間。瀬人くんがボクの頬を軽く引っ張った。



「ならば何故、現実ではありえない事態に嘆くのだ」


「…‥ごめんなひゃい」


「いいか、断じてありん!どんな事があっても俺がお前と離婚する確率は0%だ!!!わかったか!!!」


「ひゃい…‥」


「天文学的やら統計学なんてものは関係ない!!俺がゼロだと言ったらゼロだ!!!」


「わひゃってる…‥ごめんなひゃい」


「それとも…‥お前は、今まで俺を信じていなかったのか」




瀬人くんの指が離れた。
頬がじんじん痛むけれど、それよりも今朝のボクの感傷よりも今の瀬人くんの方が傷付いている。
ああ、ボクは何回同じことをするのだろう。
こんな風に瀬人くんを傷付けるのは初めてじゃないのに。




「…‥瀬人くん」


「俺がもし同じ夢を見たならば、くだらんと吐き捨てるだけだ」


「…‥そうだよね、本当にごめん」


「何故だか解るだろう…‥お前を愛しているし信じているからだ」


「うん…‥」


「泣くな、余計酷いことになるぞ」


「…‥瀬人くん」


「謝罪より、やる事があるだろう」





先程までボクの頬を引っ張っていて指が、一文字に閉ざされた唇を叩いている。
保冷剤を置き、促されるまま唇を重ねた。




「…‥この話はこれで終わりだ」


「…‥わかった」




手を繋ぐと瀬人くんは仕事をし始め、ボクは再度保冷剤を目の上に置いてほんの少しだけ泣いた。
結局、現地に着いても目の腫れは取れず、いつの間にか持ち込まれていた仕事用のPCメガネをかけてレセプションパーティーに出席する事になってしまった。




「遊戯、先に行け」


「えっ?うん…‥」




車から下りて会場の入り口に向かう階段の前で瀬人くんが足を止める。
誰か用のある人がいたのだろうか。珍しいと思いながら数段階段を上がると、急に腕を引かれた。
驚いて振り返ると、悲しいかな段差で丁度同じ目線になった瀬人くんと目が合う。
凄く、凄く楽しそうで意地悪な顔をしていた。
気付いた時にはボクと瀬人くんはキスをしていて、逃げられないように頭も腰もガッツリ固定されていた。
全然、話は終わってないじゃないか。




「…‥やはり眼鏡は邪魔だな」


「な…‥にして、るの」


「行くぞ」


「ちょっと…‥」


「何だ?抱きかかえて欲しいのか」


「行きます!!!」




顔に体中の熱が溜まっていく。隣を歩く瀬人くんは何事もなかったように澄ました顔をしていた。




「…‥人前でああいう事はしないって約束じゃないの?」


「気にするな。他人の動向を気に掛けるのは暇人だけだ」


「後ろに何人もいたし、何ならテレビ局も来てたよね?!」


「日本ではあるまいしキス程度で騒ぐ奴がいるか」


「っ…‥意地悪!!」


「残念だが、お前が愛した男はそういう男だ」




そうだった。誰よりもよく知っていた。
ボクが何も言い返せないのをわかってか、瀬人くんは上機嫌で普段は声を掛けられてもほぼほぼ無視している癖に気前よく挨拶を返している。
ボクは暫くの間、下を向いて火照る顔が覚めるのを待った。




****





案の定、入り口での写真は瞬く間に世界中に拡散されていてホテルでミーティングを開始して早々メンバーに冷やかされ、モクバくんからも冷やかしのメールが届き散々だった。
中でも送られてきたネット記事にはSP越しに瀬人くんの後ろ姿の写真が載っていた。
勿論、その向かいにボクがいてキスしている真っ最中だ。
瀬人くんの肩に爪を立てて小さな抵抗をしているボクの手が写っている。




「…‥砂漠に雪が降るほど珍しい。KC社長海馬瀬人とパートナーであるデュエルキング武藤遊戯がKKKレセプションパーティーに出席。プライベートを殆ど明らかにしていない2人が公然でキスをしている極めてレアな場面に遭遇した。パーティー出席者によると海馬社長は、普段はSP達に囲まれて事前の承諾がない場合は誰であろうとも会話しないのが通例だが、今回はすれ違った人達から声を掛けられるとそれに応じ非常にリラックスしているようだった」


「読み上げなくていいから!!!」


「一方でデュエルキングは体調が優れない様子だったが、海馬社長が常にリードして時より腰を屈めデュエルキングの顔を覗き込み、椅子に座らせて足をさするなど献身的に支えていた」


「違います。下心でボクの太ももを撫でていただけです」


「よかったな、これを記者に話したどこぞの奴が会話まで聞いていなくて」


「全くだよ…‥今からホテルに戻ればミーティング前に1回出来るぞ、なんて恥ずかしい話書かれたら皆に合わせる顔がなかった」


「まあ、結果的に3回できたからいいだろう」


「もう!!!」




横にあった枕を瀬人くんに向かって投げつけると、ニヤニヤしながらそれを受け止め背後に隠した。
ほんの十分前まで見せていた表情とは違い、悪戯をして喜ぶ子供のような表情に呆れてしまうけれど、ちょっぴり可愛くて好きだったりする。




「だが、安心しろ遊戯」


「何が?」




伸びてきた手がボクの髪を撫で、頬を包む。
落ち着いていた熱が静かに揺らめく。




「もうあんな夢は見ないだろう」


「…‥うん」


「惑うな、ただ俺を愛していればいい」




勿論だよ、どうしようもないくらい愛してる。
声に出したつもりが、また込み上げてきた熱に溶かされてしまう。
頬に添えられた手に自分の手を重ね、瀬人くんを見ると夢の中よりもずっと優しくて甘い視線が注がれた。


END.
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