うさぎのかくれんぼ

一向に重くならない瞼を、もはや諦めた気持ちで開く。借りた蝶屋敷の一室を抜け出し、冷たい木の床板を音を立てぬよう歩いた。胡蝶さんにあぁ言われてしまうと、眠るのがもったいなく感じる。睡眠の必要性を熟知しているものの、寝ずの任務なんて数えれぬほどこなしてきたのだ。特に問題はないと結論付け、寝静まる蝶屋敷をまるで泥棒のようにさ迷う。それは、ほんのわずかな望みを込めていた。

ひやりとした冷気が足元をかすめ、徐々に外の匂いが濃くなる。庭に面する縁側まで出ると、彼女はそこにいた。襧豆子のそばにいるという、炭治郎の育手でもある人物。鱗滝さんの姿はなかった。彼が休んでいる隙を狙って出てきたのか、それとも了承を得て出てきたのか、どちらだろう。

腰を下ろし、姿勢よく正座している姿は、とても鬼には見えない。月光浴でもしてるように、夜空に浮かぶ満月を眺めていた。夜しか外に出られなかった彼女にとって、満月は近しい存在になっているのかもしれない。

彼女の肌が白くぼんやりと照らされる。きれいな横顔が、ふとこちらを向いた。

「…むーちろー」
「何してるの?」

隣へ座ると、スっと長い爪が空を指さす。彼女の影も動いた。

「おつきさま」
「あぁ…月を見てたの?」

「うん。き、きれい…だねぇ」
ただ思ったことを口にしただけだろう。深い意味を気にすることなく、予想どおりの応えに、ただ同意だけを返した。

庭にはコオロギや鈴虫がいた。姿は見えずとも、耳に心地よい鳴き声を一斉に響かせていた。竹垣に囲われた蝶屋敷の庭全体に、月灯りがぼんやりと広がる。この場所に秋の気配をぎゅっと凝縮させ、ひとつの空間が作られていた。洗濯物のかかってない物干し竿が、場違いに浮いてるように見える。

「知ってる?襧豆子。お月様にはね、うさぎが住んでるんだってさ」以前、折り紙で作ったうさぎを見せてあげたことがある。記憶をたぐり寄せるように少し黙った後、襧豆子がパッと瞳を輝かせた。満月を再び指さし、信じられないとばかりに空と僕へ首を動かす。

「うさぎ?あ、あそこ…に?」
「そう。うさぎがね、あそこでお餅をついてるんだって。昔、父さんが言ってたんだ」

お伽噺なのだろうけど、幼かった僕と兄はその話を信じていた。微塵も疑ってない瞳で、必死で満月をのぞこうと体を揺らす。今の襧豆子は、あの頃の僕たちのようだ。
3/7ページ
スキ