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09

「……様、ユリアルマ様」
 リーザの声がする。
 目を開けると傍らに彼女がこちらを心配そうに見ている。
「ん……リーザ、今何時だ?」
「もう朝でございますよ」
 そう言われて窓の方を見ると、太陽はとっくに昇っていた。
 どうやらいつの間にか眠っていたらしい。
 睡眠をとったお陰か、昨日よりは落ち着いている気がする。
 ベッドから降りて姿見の方へ行く。鏡を見ると目が充血して瞼も腫れている。
 これでアルノートに会うかと思うと恥ずかしい。
「ユリアルマ様、よろしいのでさか?」
「何がだ、リーザ?」
 どうにかならないものかと鏡を見続ける俺にリーザは問いかける。
「……貴方様は、あの魔族の男が好きなのでしょう?」
「……」
 思わず思考が止まる。
 どうして、そのことをリーザが?
「私は長年貴方様にお仕えしてきましたが、昨晩の様に取り乱した姿は見たことがありません」
「……」
 リーザに隠し事はできないようだ。
「貴方様は今まで誰と恋愛をしてくることもなく神としての職務を全うしてきました。それこそ妻を娶ることも無ければ誰とも褥を共にすること無く」
「し、褥を共にって!?」
 思わず顔が赤くなる。誰とも褥を共にしたことがないってことは、つまり俺は童貞なのか……。
 そんなことは人間だった時でもなかった。恋人いない歴=年齢だったし。
「貴方様の力ならあの男位……」
「いいんだ」
 リーザの言葉を遮る。
「力ずくで手に入れても、あいつの心は掴めない……けどいいんだ、あいつのお陰で俺は初めて恋ってものを知ったんだから」
 それは紛れもない、本当のことだ。
 人間だった頃も、恐らく神界にいた頃も、俺は恋を知らなかった。
 それを知れたことは大きく、忘れられない経験となるだろう。
 扉を叩く音が聞こえる。
「魔王様が玉座の間にてお待ちでございます」
「わかった、すぐ行く」
 ピシャリと両頬を叩く。これで最後なんだ、しっかりしなければ。
「私は貴方様が幸せなら何だっていいことを、どうか忘れないでください」
 そう言ってリーザは俺に向かって頭を下げ、消えた。

 従者の後についていくと、やがて大きな扉の前に着く。
 従者が扉を叩くと「入れ」と言う声が聞こえてくるのと同時に扉が開かれる。
 中は綺麗だったが豪勢を感じさせない造りとなっている。
 広い部屋の奥には大きな玉座があり、そこにはアルノートが座っていた。脇にはゼバの姿もある。
「ご苦労だった、下がっていい」
 彼がそう言うと、従者は部屋から出ていく。
「約束通りあんたに力を与える。これを飲めば、あんたは力を得ることができる」
 そう言って小瓶をアルノートに見えるように掲げる。
「ゼバ」
「……承知しました」
 ゼバが俺の方へ向かってくるが……何だか様子がおかしい。
 纏っている空気がいつもと違う。嫌な予感がする。
「待て、これを飲む前に」
 対価を、と言う前にゼバが俺から小瓶を奪い取る。
「おお、これが……これさえあれば……」
「……ゼバ?」
 アルノートも彼の様子がおかしいことに気がついたのか、不審そうに彼を見る。
「……これがぁぁぁっ!」
「っ!ゼバあんたまさか!?」
 止める間もなくゼバが小瓶の中身を飲み干す。
 その瞬間、禍禍しい空気が彼を包み込んだ。
「おお、おお!これが邪神の力!みなぎる!力が!魔力が!」
「ゼバお前!どういうつもりだ!!」
 アルノートが立ち上がって叫ぶ。
「これなら人間など、いや神すら殺すことが出来る!」
 何てことだ。
 ゼバは元々魔族の中でも魔力が強く、その知識の広さも相まって皆から賢者と呼ばれていると彼自身が語っていたのを思い出す。
「人間を、神を殺すだと!?お前!かつてユリアルマの残した言葉を覚えてないのか!!」
「自分はお前達が自身を守る為に知恵を授けた。守ること以外、決して他の種族を傷つけたり支配したりする為にその力を使ってはならない……でしたかな?」
「覚えているなら何故!?」
「甘い、甘いのですよ。皆も、アルノート様、貴方も。魔界は脅威に晒されている、いつ人間が攻めてくるのかもわからないこの状況でただ守るだけなど、愚策過ぎる。それよりも邪神の力を得て人間や神を滅ぼす方が手っ取り早い」
 アルノートの顔が歪む。
「……お前はやけに邪神の召喚に拘っていたが、それが狙いだったのか」
「左様でございます」
 ゼバはにこりと笑う。
 まずいぞ、あいつを何とかしなければ……下手をすれば人間と亜人の戦争になる。
 そんなことになれば神達がここぞとばかりに魔界を滅ぼしにくるだろう。
 ただでさえ強いであろう賢者が邪神の力を得たとなれば、アルノートですら危ない。
 彼を死なせる訳にはいかない。
 人間との戦いの時と同じ様に複数の剣を召喚する。
 ゼバはアルノートの側近だった。彼のゼバに対する信用は大きかっただろう。だが、だからといって殺すのに躊躇などしていられない。
 ゼバの元へ行こうと足を前に出した瞬間、黒い檻が俺の周りを囲む。
「なっ!?」
「ユリアルマ様にはまだ死んでしまっては困ります。貴方の血を多くの者に与えなければ」
 自分だけでは飽き足らず他の亜人達も巻き込むつもりか!?
「こんな物っ」
 檻は強力な魔法で出来ている様だが、そんなことは無意味だ。
 剣で叩き斬ろうとした時。
「待て」
 アルノートの声が聞こえた。
「これはゼバと俺の問題だ、お前はそこで見ていろ」
「はぁ!?こんな時に何言ってるんだ、魔界が滅ぶかもしれないんだぞ!!」
「そうなれば、それだけのことだ。お前はただそこで見ていればいい」
 いつの間にか出現した大剣を構えてアルノートは静かに言う。
 何で。
 このままじゃ確実にアルノートは死ぬ。それほど今のゼバは強力なのに。
「そんな言うこと、聞けるものかっ!」
「お待ちください、ユリアルマ様」
 突然、リーザの声がする。
 振り向くと彼女が静かに佇んでいた。
「あの男が望んだことです。ならば、貴方様はそれを見届けるべきかと」
「あいつがっ、アルノートが死ぬかもしれないんだぞ!?」
 好きな人が死ぬところなんて、見たくない。
「神は手を差し伸べるだけでなく、時としては見守ることも必要なのです」
「けどっ」
「貴方様はあの男を信じていないのですか?」
「それは……」
 大きな音がする。
 見ると、アルノートがゼバの魔法を受けて負傷している。傷は決して小さくない。
「……あれを見ても、あいつが勝てるっていうのか?」
 あんなにボロボロになって、それでも戦って。
「あの男を想うのならば、信じるのです」
 それにどうせ、と呟いた言葉は俺には届かなかった。

 戦いは、圧倒的にアルノートが不利だった。
 ゼバの無限にも等しい魔力から繰り出される強力な魔法に、彼はただ耐えることしか出来ない。
「アルノート様、いえ坊っちゃま。こうしていると昔を思い出しますな。まだ未熟な貴方は、私の魔法を受けてボロボロになっても負けを認めなかった」
 ゼバが懐かしむ様に目を細める。
「貴方は誰よりも強くなった。しかし、その力を貴方は守る為にしか使わない」
「当たり前だ……王には、民を守る義務がある……!」
「先代も先々代も、その様なことを仰られていました……しかし私には理解出来ない。それほどの力を持ちながら、貴方は人間界に攻め入ろうとしない」
「俺達に世界を渡る力はない」
「しかしそれも邪神がいれば可能になります」
 ゼバはどうあっても俺の力を使う気でいるらしい。
 また、魔法が放たれる。
 アルノートは大剣でそれを防ごうとするが、完全には出来ずまた傷を負う。
 正直、見ていられない。それでもリーザは見守り続けろと俺に言う。
「……さて、お喋りももうここまでと致しましょう。坊っちゃま、貴方には消えて頂きます」
 そう言ってゼバが何やら唱え始める。どうやら特大の魔法を放つ様だ……あんな物を受けたら今度こそ終わりだ。
「さようなら、坊っちゃま」
 魔法が放たれる。
「アルノートっ!!」
 俺は叫ぶが、その声は轟音にかき消される。
 黒い炎にアルノートが飲み込まれる。あれは、俺が人間に使った魔法……使えば相手を灰にするまで燃やし尽くす。
「あ、あぁっ……!」
 こんなことなら無理にでも俺がゼバを仕留めるべきだった。
 この世は無情だ、信じたって、どうにもならない。
 目を閉じる。もう、どうだっていい。世界なんて知るものか。
 こんな世界……。
「ユリアルマ様、見るのです。最後まで見続けるのです」
「見る?灰になったあいつをか!?愉快に笑う爺さんをか!?」
 俺はリーザを睨み付けて叫ぶ。目から涙が流れて止まらない。
「あいつは死んだ!もういないんだ!」
「そうです、魔王アルノートは死んだ。これからは私は新たなる魔王として民を導くのです」
「お前が、民を?そんなことさせるものか!」
 剣を握る手に力を込める。
 この感情は前にも感じたことがある。
 同胞を殺された時と同じ、強い憎しみだ。
 怒りに任せて檻を破壊しようとした時だった。
「……全く、どいつもこいつも。勝手に人を殺すな」
 聞き覚えのある声。
 声の聞こえた方を見ると、そこには、アルノートが立っていた。
「アル、ノート……?」
 俺は呆然と呟く。まさか、そんな。
「あの魔法を受けて生きているだと!?」
 ゼバの叫びに彼は愉快そうに笑う。
「ユリアルマが教えたのは戦い方だけじゃない。己を守る方法だって伝わっている」
「ぐぅ、守備魔法か!しかし!」
「俺は勤勉だからな、魔法もきちんと修行してきた。お前に届く程な」
 全てを言い終わる前にアルノートはゼバに向かって走り出す。あっという間に距離は縮まり彼はゼバの目の前で大剣を振りかぶる。
「終わりだ、ゼバ!」
 そのままゼバの体を斬り伏せた。
「ぐあぁぁぁっ!?」
 ゼバが倒れると同時にアルノートも膝をつく。
「勝った、のか?」
 いや、まだだと本能が告げる。
「……っくく、くはは」
「!?」
 アルノートが目を見開く。
 ゼバが立ち上がっている、しかも、さっきの傷はもう塞がっている。
「素晴らしい、素晴らしいぞ!」
 歓喜に満ちた声が部屋中に響く。
「くそっ、死に損ないが」
「それはこちらの台詞でございます。いい加減、貴方には消えて貰わないと」
 そうして再び呪文を唱え出すゼバ。もうアルノートには魔法を防ぐ力は残っていないだろう。
 これで、終わるのか?
「時間、でございます」
 リーザが口を開いた。
 その瞬間、ゼバの表情が苦痛に満ちたものに変わる。
「あ、アぁ……?」
 ゼバの体が、ドロドロと溶け始める。
「な、なゼだ……!こンなァ……!」
 その時思い出す。
『力を得るには対価を支払わなければならない』
 ゼバは対価を支払わずに俺の血を飲んだ。
「対価を支払わない者にはそれ相応の報いを受けて頂きます」
 彼女に淡々と説明されている間にもゼバの体は溶けていく。
「イやだ、わタシには、シめィが…………ボッ、チャマ……」
 最後の頭が溶けて地面に落ちたかと思うと、ゼバだったものは塵となり跡形もなく消え去った。
 彼の魔法で出来ていたらしい檻も同時に消える。
「アルノート!」
 急いでアルノートの元へと駆け寄ると彼が倒れかかったのでそれを抱える。
「アルノート!頼む、死ぬな……!」
 邪神の俺に回復魔法は使えない。
「うるさい……誰が、死ぬか……」
 そう言って彼は気を失った。
「おい!アルノート!っ、誰か!誰か来てくれ!!アルノートが、アルノートがっ!!」
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