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07

 もうどれだけ走り続けたか、空はもう暗くなっている。
 立ち止まって後ろを見ると魔王城が小さく見える。どうやら随分遠くまで来たようだ。
 これから、どうするべきなのか。
 目的も無くフラフラと歩いていると、前の方に大きな建造物が見えてきた。
 雰囲気から察するにどうやら神殿のようだ。
 他に行く宛もない。
 もし神官がいたら一晩泊めてもらおうと考えながら、俺は神殿の中に入った。

 神殿の中は意外と簡素で、均等に並んだ長椅子達の前に大きな彫像が立っていた。
「これは……」
 屈強な体に醜く歪んだ顔、尖った耳。手には剣を持っている。
 何とも醜悪な像だが俺にはわかる。
 これは邪神ユリアルマ、つまり俺を象った彫像だ。
 ここは俺を祀る神殿らしい。
「これが俺か」
「いいえ、こんな物、貴方様ではございません」
 いつの間にか傍にリーザが立っている。
「それよりも先程の戦い、見事でごさいました」
「見てたのか?」
「私は貴方様がこちらに戻って来てからずっと、貴方様を見守っています」
 そう言って微笑む彼女を見て、何故だか悲しさが込み上げてきた。
「少し、昔のことを思い出した。大切な者達が大勢死んで、俺が暗黒界に落ちる時のことを」
「……左様でございますか」
 リーザが拳を握りしめる。
「私はあの時貴方様の傍におらず、後から暗黒界に落とされました」
「俺は、元は神界にいたのか?」
「はい、貴方様は元々戦いを司る神でごさいました」
「そうか……」
 どうやら俺は最初から邪神であった訳ではないらしい。
「……貴方様は忘れてもおいででしょうが神族の大半は人間と同じ姿をしており、私達のような亜人の姿をしている者達は差別され、下級の神として日々酷い扱いを受けていました」
 言われてみれば確かに、ヨハンや後ろにいた人影は皆耳が丸かった様に思う。
「特に貴方様は上級の神の子として生まれながら双子の兄ルナアルマ様とは違い尖った耳をお持ちでした。その為、他の神は勿論実の両親にすら冷たくあしらわれていたと聞きます」
「双子の兄?俺には兄弟がいたのか?」
「はい。同じく戦いを司る神、ルナアルマ様が……ただ、ルナアルマ様と貴方様が違うのは崇拝する種族でした」
「種族……」
「人間の姿をしたルナアルマ様は人間に、亜人の姿をしたユリアルマ様は魔族といった亜人達に崇拝され、それは貴方様が邪神と呼ばれる様になってからも続きました」
 リーザは悲しそうな顔をする。
「貴方様はヨハンに忠実でした。どんな困難な戦も命じられれば必ず勝利し、彼の願いを叶えてきた」
「だが、ヨハンは俺が裏切ったと言った」
「いいえ、貴方様は嵌められたのです。貴方様のことを好まない、他の神族の」
 それが誰なのかは、わかりませんがと彼女は言う。
「貴方様の罪は兄ルナアルマ様を殺したことだとヨハンは言いました。ですが、貴方様が他の神と対等に接してくれていたルナアルマ様を殺す筈がありません」
「ルナアルマ、か……」
 仲は良かったようだが、俺はそのことを思い出せない。
「それに実の子を暗黒界に落とすなんて……」
「待て、実の子?俺はヨハンの息子なのか?」
「はい、ヨハンと名も知れぬ女神の子が貴方様方と聞いております」
 何てこった。つまり神族達にとって俺は双子の兄を殺し、実の父親に喧嘩を売った厄介者扱いということか。
 ヨハンは俺が亜人に力を与えて神界に攻めてくることを危惧して、その前に亜人を滅ぼそうという魂胆らしい。
 神というのはつくづく身勝手な生き物だな。
 そして俺も、そんな神の一人という訳か。
「ところでユリアルマ様。貴方様はこれからどうするおつもりで?」
「そうだな……」
 今日一日見ただけだが、亜人はただ普通に暮らしているだけだった。
 魔王アルノートも民に好かれる優しい王だということもわかった。
「俺は」
 途中まで言いかけて俺は止める。後ろから物音がしたからだ。
 振り返ると知った者がいる。
「アルノート……」
「……探したぞ」
 若干息が上がっている、ここまで走ってきたのか?
 心配して来てくれたのかと少し期待したが、その顔は険しい。やはり自分に向ける優しさなど彼にはないのだろう。
 彼にとって大事なのは民であり、俺はその民を守る為の道具に過ぎない。
「何故逃げた?」
「あの戦いを見ただろ?冷酷で残酷に、人間を殺した」
「奴等だって似たような者だ。お前が殺らなくても俺が殺していた」
「まぁ、あんたになら簡単だろうな」
 記憶が無かったとはいえ一度は邪神を恐怖させた男だ。あいつ等位簡単に殺せるだろう。
「そんなことはどうでもいい。俺が聞いているのはお前が俺から逃げた理由だ」
「それは」
 お前に幻滅されたくなかったから、嫌われたくなかったからなんて口が裂けても言えない。
「それは俺が俺自身を嫌になったからだ、お前から逃げた訳じゃない」
「何だと?」
「俺は神なのに人間が来ることも感知できなければ、死んだ者達を蘇らせることも出来ない。出来ることと言えば戦うことと力を与えること位……そんな自分が嫌になる」
 これも本心、俺は戦うしか能のない出来損ないの神だ。
「ついでに教えるが俺には邪神としての記憶はほんの僅かしかない。それに記憶を失う前の俺はこの世界に飽きて別の世界で人間として生きてた、16年もな」
「16年……何年か前から儀式をしていたが喚べなかったのはその所為か」
 アルノートが納得している、どうやら俺を召喚しようとしたのは今回が初めてじゃないらしい。
「一度はお前達を、そして唯一仕えてくれた者さえ裏切った最低な神だ」
 自分で言ってて惨めな気分になる。
「人間が殺しに来る理由だってお前達が俺を崇拝してるからだ。だから俺との契約が終わったらすぐに信仰する神を変えるべきだな」
 俺を信仰する者がいなくなれば、流石のヨハンも人間達に魔界へ攻めよという命令を取り消す筈だ。
 それはとても寂しいことかもしれないけれど、俺の所為で無闇に死者が出るのよりはマシだ。
「それで自分は暗黒界に引きこもるという訳か?」
「そういうことになるな」
「戯言だな……お前は何もわかっていない」
 呆れた様に言うアルノート。
 何がだ、何をわかってないって言うんだ。人が覚悟して出した結論に対して。
「大昔のことだ。その様子じゃ覚えていないだろうが、魔界は一度人間共に攻め入られたことがある。奴等の目的は魔界の占領だった」
 言い方から察するに遥か昔の、所謂神話の話だろう。
「当時、魔族を始めとした多くの亜人の文明は人間界より遥かに劣っていた。当然、奴等に勝てる術などなかった」
 そこでアルノートが彫像を見上げる。
「神は自分達とは違う姿の亜人を忌み嫌っていた。それでもすがる思いで天に祈る……その時現れたのは自分達と同じ姿を持つ神だった」
 彼は語る。
 神は己の知る全ての知識を亜人達に伝えた。武器の扱い方に戦い方、自身を守る方法。
 最初は一人だった神だが、徐々に訪れる神は増えていった。彼等の姿は皆、亜人達と似た姿をしていたという。
 それまで原始的な生活を送っていた亜人達は神の知恵で人間達を撃退しつつ土地を開拓し村を、街を、そして国を造っていった。
 あっという間に魔界の文明は人間界と同じになり、徐々に人間達を押し返す力を持つ者も多くなっていった。
 やがて全ての人間が魔界から撤退すると、最初に知恵を与えた神が亜人達を集めて口を開いた。
『自分はお前達が自身を守る為に知恵を授けた。守ること以外、決して他の種族を傷つけたり支配したりする為にその力を使ってはならない』
 そう言い残すと神達は神界へと帰っていった。
 それ以降、魔界の住人はその教えを守り今現在まで生きてきた。
「その最初に知恵を授けた神こそかつて戦いを司る神であったユリアルマ、お前だ」
 俺は呆然と立ち尽くす。
 かつて自分はそんな大それたことをしたのか。しかし、そんなことをすればヨハンを始めとする人間派の神に恨みを買うのでは?
「……人間界と魔界の戦いから数百年経った時だ。魔界に神の使いが降りてきて亜人達にこう言った」
『貴様等に知恵を与えた神達は死んだ。ユリアルマは暗黒界に落とされ最早戦いの神にあらず、あれは邪悪なる神になった』
「亜人は自分達に味方する神がいなくなったことに絶望した。それでも諦めきれない彼等は、悩んだ末に結論を出した。『最初に我等を救ってくださったユリアルマ様を。たとえ邪神になったとしても信仰しよう』とな」
 それを聞いて思い出す。
 そうだ、あの光景で死んでいたのは俺と同じ亜人の神達。
 あいつ等は自分達を信仰している人間に楯突いた俺達に恨みを持って、最初に亜人に味方した俺を罠に嵌めたのか。
「魔界の者達にとって信仰出来る神はお前しかいない。それが望もうが望まないがな」
 そんな……。
 俺は絶望した。もうとっくに詰んでいる、魔界の住人も、俺も。
 咄嗟に俺が死ねば、何て思ったりしたがそんなことをすれば神の命令など関係なく昔のように人間達が魔界に攻めてくるだろう。
「確かに亜人は人間より力や魔力に長けた者がいて、寿命も遥かに長い。しかし今や強い亜人は減り逆に神の力を授かり人間はより強くなった」
 人間に味方する神は多い。神達がその気になれば亜人など簡単に滅びてしまうだろうとアルノートは言う。
「もう俺達には邪神から力を与えてもらう以外に選択肢はない」
 そうか、その為に強引にでも俺を召喚したのか。
 アルノートの表情はいつになく真剣だ。
 ……ここまで魔界が追い詰められた原因は俺にある。
 俺が知恵など与えなければもっと早くに亜人は滅んで、邪神を崇拝せず、こんなにも長く苦しまずにすんだのに。
 全て、俺の所為だ。
「……明日、俺はお前に力を与える。邪神の力がどれ程のものかわからないが、無いよりはマシだと思う」
 そうか、と彼はただ一言だけそう言った。
「帰ろう、魔王城に」
 俺は精一杯の作り笑顔でアルノートに声をかけた。
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