06
「わかってると思うが、外では邪神だと悟られない様にしろ」
「はいはい、わかってるよ」
これで何回目の忠告だろうか。
そもそも俺が邪神と言ったところで信じる奴がどれ位いるんだか……。
長い通路、歩いていくアルノートの後ろを俺はついていく。
何にせよ初めての外だ、気を引き締めていかないと。
城と同じく、街も西洋風の景観をしていた。
俺が思っていたのはもっと殺伐として陰鬱な雰囲気だったが実際はとても活気付いていた。
市場ともなれば多くの魔族や亜人達で賑わっている。そして何処へ行ってもアルノートは多くの者達に囲まれる。
「あ、魔王様!」
「魔王様、今日はどの様な御用で?」
「魔王様、先日うちの子が生まれまして!今度抱いてやってください」
皆自分も自分もとアルノートに話しかけ、彼もそれに応えている。その表情はどこか穏やかに見えて、俺は内心動揺していた。
魔族、亜人なんてもっと残酷な生き物だと思っていたからだ。
他者をいたぶり身ぐるみを剥いで楽しむ、そんな残酷な奴だと。
アルノートだって俺に対しては冷たかったじゃないか。
(どうして)
心が痛む。俺の前じゃあんな顔、絶対しないのに。
アルノートは俺のことを、遠くから来た客人のエルフだと紹介していた。
ある出店の前を通りかかった時だ。
「魔王様にそのお連れの方、これをどうぞ」
「ああ、礼を言う……ほら、食べてみろ」
いきなり何かの包みを渡される。開けてみるとそれは大きなサンドイッチだった。
言われるがままに食べてみる。
……食べたこともない美味しさだ、思わず笑みが溢れる。
「美味しい」
素直にそう言うとアルノートはそうだろう、と満足げに笑う。
子供っぽい笑顔に、思わず胸がドキリとした。
サンドイッチを食べ終わると、アルノートが店主に礼を言ってまた歩き出す。
だが、少し進むだけで多くの民に囲まれてしまう。それでも彼は嬉しそうにしているのを、俺は少し離れた場所から見ていた。
「ねぇ」
ふと、下の方から声がする。見ると小さな魔族の少女がこちらを興味深く見ている。
「あなた、ここら辺じゃ見たことないわ。誰?」
少し返答に困る。当たり前だがユリアルマと答える訳にはいかない。
「俺は……ユーリ、最近ここに来たんだ」
悩んだ末、人間だった頃の名前を使うことにする。
「へぇ、ユーリって言うんだ。私はマヤ」
「そうか、よろしくな。ところでマヤ、アルノ……魔王様はいつもあんななのか?」
素直に疑問をぶつけると、マヤはそうよと笑って答えた。
「魔王様はとっても素敵なの。強いし、優しいし。それにこわい人間からも守ってくれるのよ!」
「こわい、人間……?」
人間がこわい、だって?
どういうことか聞こうとした時だった。
「に、人間だ!人間が来たぞ!」
そんな叫び声が聞こえてきた。
途端に、周辺にいた者達の顔が蒼白になる。
目の前にマヤも恐怖に怯えていた。
「あ、アルノート!?」
即座にアルノートが叫び声が聞こえた方へと走っていく。俺は慌ててそれについていった。
ようやく追い付くと、目の前の光景に唖然とした。
魔族達が血を流して倒れている、それも一人や二人ではない。多くの者達が呻き声をあげながら必死にもがいている。
そんな阿鼻叫喚の中に四人の人影が見える。
男が二人、女が二人。
四人とも、耳が丸い。よく見たことのある耳の形。
彼らは……人間だった。
「弱いもんだな、魔族ってのいうのも」
「仕方ないですよ、ここにいるのはただの市民ですから」
剣を持った男の言葉に、神官らしき女が言う。
「でもほら、こうしたお陰で強そうな奴が出てきたぜ」
「あれが、噂の魔王……?」
弓を持つ男がアルノートを指差し、それを見た少女が杖を構える。恐らく魔法使いだろう。
アルノートは四人を睨んでいる。見たこともない、憎しみを持った目で。
「力持たぬ者に剣を向ける、それでも勇者か」
「敵を狩って経験を積むのは当たり前のことだろう」
アルノートの言葉にさも当然といった風に答える剣士。
……勇者?勇者だって?一般市民を傷付けたであろうこいつが?
「な、何でこんなこと……」
口から言葉が漏れる。
「何でって、あなた達が魔界の住人だからよ」
魔法使いの少女が言う。
「魔界の住人?それだけで?」
「はぁ?当たり前だろ、俺達の隣の世界にお前らみたいなのがいるとか恐怖でしかないだろ」
「魔界の住人は邪神を崇拝する悪。全知全能の神ヨハン様の名のもと、全て裁かれるのが道理なのです」
弓使いに続いて神官が穏やかに語る。
「おい!お前は下がっていろ!」
アルノートが大剣を構えて俺に叫ぶ。だが、そんなことはどうだってよかった。
「全知全能の神、ヨハン」
何か、何かを思い出しそうな気がのに本能がそれを拒絶している気がする。
「あ、ぁ……」
足元で呻き声がする。
見ると、魔族の男がアルノートに手を伸ばしている。
「アルノート、さま……たすけて、ください……」
その時、頭の中にある光景が浮かび上がった。
広がる無数の死体に俺は立っている。目の前には初老の男を先頭に数十人の人影。
足元から声が聞こえてくる。
『ユ、ユリアルマさま、おにげ、ください……』
そう言って事切れる。
『何で、何でこんなこと…!』
俺は叫ぶ。
知っている。倒れている者は皆俺にとって家族も同然の存在だった。
それを。
『お前が裏切った罰だ』
先頭の男が淡々と答える。
『裏切った……?』
そんなこと、していない。
精一杯尽くしてきた、どんな困難なこともやりとげた。
その結果が、これ?
『お前に神界で生きる資格は無い。よってこれから暗黒界に落とす』
ずしりと体が重くなり、どんどんと地面にめり込んでいく。
許さない。許すものか。
『恨んでやる。例えお前達が俺のことを忘れても、恨んで、恨んで、恨み続けてやる』
そしていつの日か、俺の、彼等の、恨みを晴らしてやる。
『ヨハン、俺はお前を……許さない』
「おい、聞いているのか!」
アルノートの声で現実に引き戻される。あの光景は一瞬の出来事だったらしい。
「ヨハンの命令か」
俺が問いかけると、神官の顔が歪む。どうやら信仰する神を呼び捨てにされたことがお気に召さないらしい。
「ある時ヨハン様の声が聖女様に響いてきました。邪神を崇拝する魔族達を排除せよと、そうしなければ人間界は滅びるであろうと」
神の言葉は絶対なのです、と神官は言う。
何だ、あいつは俺を忘れてなかったのか。あれからもう何百年もたったというのに。
「俺達に人間界に攻めいる、ましてや滅ぼす理由はない」
「口では何とでも言えるわ」
アルノートの言葉を魔法使いが切り捨てる。
「もういい」
恐ろしく冷たい声がした。それが俺のものだというのを理解するのに数秒掛かる程、低く冷たい声だった。
「もういい、十分だ」
そう言うと俺の周りを取り囲むように禍禍しい雰囲気を纏った、漆黒の剣が数本出現する。
剣には魔法がかかっているのかふわふわと浮いている。目の前に浮かぶ一本の剣を俺は手に取った。
「お前、その剣……」
驚くアルノートを置いて数歩前に出る。
「な、何だあの剣……」
剣士が狼狽えている。
「魔法、魔剣?あんなの知らない!」
魔法使いが焦って言うと、剣士達は武器を構えた。
「相手はエルフだ、幻術に決まってる!」
弓使いがこちらに向かって矢を放つ。
その矢はとても遅く、剣で簡単に斬ることが出来た。
「遅いな、それじゃ魔王を倒すことも出来ないぞ」
お手本だと持っていた剣の先を前に向けると脇で浮いていた剣が一本、一瞬の内に飛んでいき弓使いの胸を貫く。
ああ、あれは心臓ごとぶち抜いたなと他人事の様に思う。
「マ、マックスー!」
剣士が叫んだ。あいつ、マックスって言うのか、どうでもいいけど。
「リナ!マックスに治癒を!」
「無理です、もう……」
流石に死者を蘇させる魔法はないのか。まぁゲームじゃないしそう都合よくはいかないか。
「よくも、よくもマックスを!」
魔法使いが何かを唱える。すると真っ赤な炎の塊が俺に向かって飛んでくる。
これも斬ることができるスピードだったが、あえて受けてみる。というのも、あの炎の塊に対して全くの危険を感じなかったからだ。
炎が勢いよく俺を燃やすがいっこうに体が燃える気配はないし、熱すら感じない。
「そんな、オークすら燃やし尽くす炎のに……」
「こんなものが?」
くだらない、と剣を振るとたちまち炎が消える。
「こうやって魔界の者達も燃やすつもりだったのか」
「くっ」
ああそうだ思い出した、俺も少しは魔法が使えるんだった。
今度は剣を持っていない方の手をかざす。すると魔法使いの体が黒い炎に包まれた。
「な、何これ熱い!熱いぃ!!」
「ヘンリエッタさん!」
神官が何かを唱えるが、炎は消えることなく燃え続ける。
「ど、どうして!どうして神の奇跡で消えないのです!」
「あ……ぁつ、いきがっ……ぁ……」
そうこうしている間に魔法使いは灰になってしまった。
これで後二人。
「いやあぁぁ!ヘンリエッタさん!!」
「何だよ!何だっていうんだ!」
酷く取り乱す二人を俺はただ見ている。魔族達を殺して余裕だったあの態度はどこへ行ったんだか。
「あなただけは許しません!」
涙で潤んだ目でこちらを睨みつける神官。美人だが、だから何だという話だ。
「許してくれなんて言った覚えはない」
「っ!神の裁きを受けなさい!」
神官が祈ると白く輝く光の矢が彼女の上に出現する。
何だ、また矢か。
落胆する俺の胸に矢が刺さる。少し違和感を感じたが痛みはない。
眩しくて仕方がないその矢を引き抜くと、神官の顔が引きつった。
「そんな、邪悪なる者を殺す聖なる矢が……」
ふぅん、そんな物なのかこれは。
ふと疑問に思って矢を投げる。真っ直ぐに飛んだそれは神官の眉間に突き刺さった。
「ぁ……な、んで……?」
神官が倒れる、もう死んだみたいだ。
「聖なる矢で死ぬって、信仰が足りなかったんじゃないのか?」
「リナ、リナ……あぁ……」
剣士が神官の体を揺すっている。あの様子から察するに恋人だったか好きだったかのどちらかだろう。
「お前一人になったな、勇者様」
別に勇者と言ったのは特別な意味ではなくアルノートがそう言っていたから何となく呼んでみただけだ。
「ふざけんなっ、こんな、残酷な……!」
「弱い市民を殺しまくった奴等が今更何を……俺はただ、敵を狩って経験を積んだだけだ。いや、弱すぎて経験も何もあったもんじゃないか」
所詮、神と人間。力の差は推して知るべし、だな。
「っ、ぅわあああぁぁー!!」
剣士が剣を構えてこちらへ向かってくる。逃げ出さなかったのは、腐っても勇者ということなのか逃げられないと悟ったからなのか。
俺の心臓を狙うように突き出された刃を根本から斬り上げると、刃は簡単に切断された。
刃の先が地面へと落ちるのを見て、剣士の顔は絶望の表情に変わる。
「柔い剣だな。王様はもっと良い剣をくれなかったのか?」
「嘘だろ……白金の剣だぞ……」
「いや、そんなんじゃなくて、もっとこう、聖剣とか魔剣とかそういう類いの」
必死に説明するが、剣士には聞こえていないようで何やらリナがとか家族がとか呟いている。
「安心しろ、家族は知らんがリナとかいう神官の元へは行けるんじゃないか?」
「お、俺を殺すのかっ」
「当たり前だ、周りを見てみろ。皆、お前の死を望んでいる。お前達は殺し過ぎた、拷問されない分マシな方だろ」
「俺を殺せばまた次の勇者達が向かってくるぞ!」
「そいつもお前等みたいな奴等だったら殺す。次も、また次も」
剣士が何か言おうとするがもう会話も飽きた。
俺が剣を振ると同時に、剣士の首が飛んだ。随分と呆気なく。
ここにいた人間は皆死んだ。
……死んだ?
今まで何も感じなかったが、俺は、何をした。
言うまでもない、殺したのだ。
かつては同族だった人間をいとも簡単に、呆気なく。
それに何も感じなかったことに、俺自身に、俺は恐怖した。
「あ、あぁ……」
最初こそ怒りはあったもののそれも消え失せ、喜びも、悲しみも感じなかった。
「……お父さん?」
後ろから声が聞こえる。
ゆっくりと振り返ると、そこには倒れた男の傍に座り込むマヤがいた。
「お父さん、ねぇ起きてよ、お父さん……」
マヤは男の体を揺するが反応はない。すでに死んでいるからだ。
「魔王様……」
彼女はすがるようにアルノートを見るが、彼は悲しそうに首を横に振る。
「いっ、いやぁぁぁっ!お父さん!お父さんー!!」
それを機に周りから嘆き声が聞こえてくる。亡くなった者の家族や友人達が嘆き悲しんでいる。
それ以外の者は、俺を見ていた。
アルノートがこちらへ近付いてくる。
『神様だろう、何とかしたらどうだ』
そんなことを言われる気がして、とても恐くなった。
「っ!待てっ!」
気がつけば走り出していた。
目的地なんてない。ただ、一刻も早くこの場から、彼から離れたかった。
脇目も振らず、俺はただ走り続けた。
「はいはい、わかってるよ」
これで何回目の忠告だろうか。
そもそも俺が邪神と言ったところで信じる奴がどれ位いるんだか……。
長い通路、歩いていくアルノートの後ろを俺はついていく。
何にせよ初めての外だ、気を引き締めていかないと。
城と同じく、街も西洋風の景観をしていた。
俺が思っていたのはもっと殺伐として陰鬱な雰囲気だったが実際はとても活気付いていた。
市場ともなれば多くの魔族や亜人達で賑わっている。そして何処へ行ってもアルノートは多くの者達に囲まれる。
「あ、魔王様!」
「魔王様、今日はどの様な御用で?」
「魔王様、先日うちの子が生まれまして!今度抱いてやってください」
皆自分も自分もとアルノートに話しかけ、彼もそれに応えている。その表情はどこか穏やかに見えて、俺は内心動揺していた。
魔族、亜人なんてもっと残酷な生き物だと思っていたからだ。
他者をいたぶり身ぐるみを剥いで楽しむ、そんな残酷な奴だと。
アルノートだって俺に対しては冷たかったじゃないか。
(どうして)
心が痛む。俺の前じゃあんな顔、絶対しないのに。
アルノートは俺のことを、遠くから来た客人のエルフだと紹介していた。
ある出店の前を通りかかった時だ。
「魔王様にそのお連れの方、これをどうぞ」
「ああ、礼を言う……ほら、食べてみろ」
いきなり何かの包みを渡される。開けてみるとそれは大きなサンドイッチだった。
言われるがままに食べてみる。
……食べたこともない美味しさだ、思わず笑みが溢れる。
「美味しい」
素直にそう言うとアルノートはそうだろう、と満足げに笑う。
子供っぽい笑顔に、思わず胸がドキリとした。
サンドイッチを食べ終わると、アルノートが店主に礼を言ってまた歩き出す。
だが、少し進むだけで多くの民に囲まれてしまう。それでも彼は嬉しそうにしているのを、俺は少し離れた場所から見ていた。
「ねぇ」
ふと、下の方から声がする。見ると小さな魔族の少女がこちらを興味深く見ている。
「あなた、ここら辺じゃ見たことないわ。誰?」
少し返答に困る。当たり前だがユリアルマと答える訳にはいかない。
「俺は……ユーリ、最近ここに来たんだ」
悩んだ末、人間だった頃の名前を使うことにする。
「へぇ、ユーリって言うんだ。私はマヤ」
「そうか、よろしくな。ところでマヤ、アルノ……魔王様はいつもあんななのか?」
素直に疑問をぶつけると、マヤはそうよと笑って答えた。
「魔王様はとっても素敵なの。強いし、優しいし。それにこわい人間からも守ってくれるのよ!」
「こわい、人間……?」
人間がこわい、だって?
どういうことか聞こうとした時だった。
「に、人間だ!人間が来たぞ!」
そんな叫び声が聞こえてきた。
途端に、周辺にいた者達の顔が蒼白になる。
目の前にマヤも恐怖に怯えていた。
「あ、アルノート!?」
即座にアルノートが叫び声が聞こえた方へと走っていく。俺は慌ててそれについていった。
ようやく追い付くと、目の前の光景に唖然とした。
魔族達が血を流して倒れている、それも一人や二人ではない。多くの者達が呻き声をあげながら必死にもがいている。
そんな阿鼻叫喚の中に四人の人影が見える。
男が二人、女が二人。
四人とも、耳が丸い。よく見たことのある耳の形。
彼らは……人間だった。
「弱いもんだな、魔族ってのいうのも」
「仕方ないですよ、ここにいるのはただの市民ですから」
剣を持った男の言葉に、神官らしき女が言う。
「でもほら、こうしたお陰で強そうな奴が出てきたぜ」
「あれが、噂の魔王……?」
弓を持つ男がアルノートを指差し、それを見た少女が杖を構える。恐らく魔法使いだろう。
アルノートは四人を睨んでいる。見たこともない、憎しみを持った目で。
「力持たぬ者に剣を向ける、それでも勇者か」
「敵を狩って経験を積むのは当たり前のことだろう」
アルノートの言葉にさも当然といった風に答える剣士。
……勇者?勇者だって?一般市民を傷付けたであろうこいつが?
「な、何でこんなこと……」
口から言葉が漏れる。
「何でって、あなた達が魔界の住人だからよ」
魔法使いの少女が言う。
「魔界の住人?それだけで?」
「はぁ?当たり前だろ、俺達の隣の世界にお前らみたいなのがいるとか恐怖でしかないだろ」
「魔界の住人は邪神を崇拝する悪。全知全能の神ヨハン様の名のもと、全て裁かれるのが道理なのです」
弓使いに続いて神官が穏やかに語る。
「おい!お前は下がっていろ!」
アルノートが大剣を構えて俺に叫ぶ。だが、そんなことはどうだってよかった。
「全知全能の神、ヨハン」
何か、何かを思い出しそうな気がのに本能がそれを拒絶している気がする。
「あ、ぁ……」
足元で呻き声がする。
見ると、魔族の男がアルノートに手を伸ばしている。
「アルノート、さま……たすけて、ください……」
その時、頭の中にある光景が浮かび上がった。
広がる無数の死体に俺は立っている。目の前には初老の男を先頭に数十人の人影。
足元から声が聞こえてくる。
『ユ、ユリアルマさま、おにげ、ください……』
そう言って事切れる。
『何で、何でこんなこと…!』
俺は叫ぶ。
知っている。倒れている者は皆俺にとって家族も同然の存在だった。
それを。
『お前が裏切った罰だ』
先頭の男が淡々と答える。
『裏切った……?』
そんなこと、していない。
精一杯尽くしてきた、どんな困難なこともやりとげた。
その結果が、これ?
『お前に神界で生きる資格は無い。よってこれから暗黒界に落とす』
ずしりと体が重くなり、どんどんと地面にめり込んでいく。
許さない。許すものか。
『恨んでやる。例えお前達が俺のことを忘れても、恨んで、恨んで、恨み続けてやる』
そしていつの日か、俺の、彼等の、恨みを晴らしてやる。
『ヨハン、俺はお前を……許さない』
「おい、聞いているのか!」
アルノートの声で現実に引き戻される。あの光景は一瞬の出来事だったらしい。
「ヨハンの命令か」
俺が問いかけると、神官の顔が歪む。どうやら信仰する神を呼び捨てにされたことがお気に召さないらしい。
「ある時ヨハン様の声が聖女様に響いてきました。邪神を崇拝する魔族達を排除せよと、そうしなければ人間界は滅びるであろうと」
神の言葉は絶対なのです、と神官は言う。
何だ、あいつは俺を忘れてなかったのか。あれからもう何百年もたったというのに。
「俺達に人間界に攻めいる、ましてや滅ぼす理由はない」
「口では何とでも言えるわ」
アルノートの言葉を魔法使いが切り捨てる。
「もういい」
恐ろしく冷たい声がした。それが俺のものだというのを理解するのに数秒掛かる程、低く冷たい声だった。
「もういい、十分だ」
そう言うと俺の周りを取り囲むように禍禍しい雰囲気を纏った、漆黒の剣が数本出現する。
剣には魔法がかかっているのかふわふわと浮いている。目の前に浮かぶ一本の剣を俺は手に取った。
「お前、その剣……」
驚くアルノートを置いて数歩前に出る。
「な、何だあの剣……」
剣士が狼狽えている。
「魔法、魔剣?あんなの知らない!」
魔法使いが焦って言うと、剣士達は武器を構えた。
「相手はエルフだ、幻術に決まってる!」
弓使いがこちらに向かって矢を放つ。
その矢はとても遅く、剣で簡単に斬ることが出来た。
「遅いな、それじゃ魔王を倒すことも出来ないぞ」
お手本だと持っていた剣の先を前に向けると脇で浮いていた剣が一本、一瞬の内に飛んでいき弓使いの胸を貫く。
ああ、あれは心臓ごとぶち抜いたなと他人事の様に思う。
「マ、マックスー!」
剣士が叫んだ。あいつ、マックスって言うのか、どうでもいいけど。
「リナ!マックスに治癒を!」
「無理です、もう……」
流石に死者を蘇させる魔法はないのか。まぁゲームじゃないしそう都合よくはいかないか。
「よくも、よくもマックスを!」
魔法使いが何かを唱える。すると真っ赤な炎の塊が俺に向かって飛んでくる。
これも斬ることができるスピードだったが、あえて受けてみる。というのも、あの炎の塊に対して全くの危険を感じなかったからだ。
炎が勢いよく俺を燃やすがいっこうに体が燃える気配はないし、熱すら感じない。
「そんな、オークすら燃やし尽くす炎のに……」
「こんなものが?」
くだらない、と剣を振るとたちまち炎が消える。
「こうやって魔界の者達も燃やすつもりだったのか」
「くっ」
ああそうだ思い出した、俺も少しは魔法が使えるんだった。
今度は剣を持っていない方の手をかざす。すると魔法使いの体が黒い炎に包まれた。
「な、何これ熱い!熱いぃ!!」
「ヘンリエッタさん!」
神官が何かを唱えるが、炎は消えることなく燃え続ける。
「ど、どうして!どうして神の奇跡で消えないのです!」
「あ……ぁつ、いきがっ……ぁ……」
そうこうしている間に魔法使いは灰になってしまった。
これで後二人。
「いやあぁぁ!ヘンリエッタさん!!」
「何だよ!何だっていうんだ!」
酷く取り乱す二人を俺はただ見ている。魔族達を殺して余裕だったあの態度はどこへ行ったんだか。
「あなただけは許しません!」
涙で潤んだ目でこちらを睨みつける神官。美人だが、だから何だという話だ。
「許してくれなんて言った覚えはない」
「っ!神の裁きを受けなさい!」
神官が祈ると白く輝く光の矢が彼女の上に出現する。
何だ、また矢か。
落胆する俺の胸に矢が刺さる。少し違和感を感じたが痛みはない。
眩しくて仕方がないその矢を引き抜くと、神官の顔が引きつった。
「そんな、邪悪なる者を殺す聖なる矢が……」
ふぅん、そんな物なのかこれは。
ふと疑問に思って矢を投げる。真っ直ぐに飛んだそれは神官の眉間に突き刺さった。
「ぁ……な、んで……?」
神官が倒れる、もう死んだみたいだ。
「聖なる矢で死ぬって、信仰が足りなかったんじゃないのか?」
「リナ、リナ……あぁ……」
剣士が神官の体を揺すっている。あの様子から察するに恋人だったか好きだったかのどちらかだろう。
「お前一人になったな、勇者様」
別に勇者と言ったのは特別な意味ではなくアルノートがそう言っていたから何となく呼んでみただけだ。
「ふざけんなっ、こんな、残酷な……!」
「弱い市民を殺しまくった奴等が今更何を……俺はただ、敵を狩って経験を積んだだけだ。いや、弱すぎて経験も何もあったもんじゃないか」
所詮、神と人間。力の差は推して知るべし、だな。
「っ、ぅわあああぁぁー!!」
剣士が剣を構えてこちらへ向かってくる。逃げ出さなかったのは、腐っても勇者ということなのか逃げられないと悟ったからなのか。
俺の心臓を狙うように突き出された刃を根本から斬り上げると、刃は簡単に切断された。
刃の先が地面へと落ちるのを見て、剣士の顔は絶望の表情に変わる。
「柔い剣だな。王様はもっと良い剣をくれなかったのか?」
「嘘だろ……白金の剣だぞ……」
「いや、そんなんじゃなくて、もっとこう、聖剣とか魔剣とかそういう類いの」
必死に説明するが、剣士には聞こえていないようで何やらリナがとか家族がとか呟いている。
「安心しろ、家族は知らんがリナとかいう神官の元へは行けるんじゃないか?」
「お、俺を殺すのかっ」
「当たり前だ、周りを見てみろ。皆、お前の死を望んでいる。お前達は殺し過ぎた、拷問されない分マシな方だろ」
「俺を殺せばまた次の勇者達が向かってくるぞ!」
「そいつもお前等みたいな奴等だったら殺す。次も、また次も」
剣士が何か言おうとするがもう会話も飽きた。
俺が剣を振ると同時に、剣士の首が飛んだ。随分と呆気なく。
ここにいた人間は皆死んだ。
……死んだ?
今まで何も感じなかったが、俺は、何をした。
言うまでもない、殺したのだ。
かつては同族だった人間をいとも簡単に、呆気なく。
それに何も感じなかったことに、俺自身に、俺は恐怖した。
「あ、あぁ……」
最初こそ怒りはあったもののそれも消え失せ、喜びも、悲しみも感じなかった。
「……お父さん?」
後ろから声が聞こえる。
ゆっくりと振り返ると、そこには倒れた男の傍に座り込むマヤがいた。
「お父さん、ねぇ起きてよ、お父さん……」
マヤは男の体を揺するが反応はない。すでに死んでいるからだ。
「魔王様……」
彼女はすがるようにアルノートを見るが、彼は悲しそうに首を横に振る。
「いっ、いやぁぁぁっ!お父さん!お父さんー!!」
それを機に周りから嘆き声が聞こえてくる。亡くなった者の家族や友人達が嘆き悲しんでいる。
それ以外の者は、俺を見ていた。
アルノートがこちらへ近付いてくる。
『神様だろう、何とかしたらどうだ』
そんなことを言われる気がして、とても恐くなった。
「っ!待てっ!」
気がつけば走り出していた。
目的地なんてない。ただ、一刻も早くこの場から、彼から離れたかった。
脇目も振らず、俺はただ走り続けた。