bsr短編
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「あづー……佐助ぇ、エアコンつけてー」
「30分500円ね」
「高っ! ぼったくりじゃん!」
開け放たれた窓からは、網戸越しに生温い風が吹き抜ける。
慰め程度に回る扇風機も、ただ僅かに頬を涼しくするだけである。
一応客人として差し出された氷入りの麦茶を一気に飲み干せば、グラスの表面に結露した冷たい滴がぽたりと太ももに落ちた。
「文句言わないの。パソコン使わせて貰えるだけありがたいと思いな」
「ううー……大学のパソコン室さえ使えればこんなことには……」
「それも、夏休み期間中に空調点検でパソコン室がしばらく使えなくなるのをチェックしてなかった自分の落ち度だろ? ちゃーんとパソコン室の前にでかでかと張り紙で告知されてたぜ」
「ああーもー、お説教は結構ですー! はいはい私が悪うございますよー! こうして期末考査赤点取得者の課題レポートが提出日前日になっても完成してないのもぜーんぶ! 私の不徳の致すところでございますー!」
「分かってんじゃん。ならさっさと終わらせてパソコン空けてくれる? 俺様だって使う用事あるんだけど」
「もう! 佐助の薄情!」
ベランダから洗濯物を取り入れて戻ってきた佐助にめちゃくちゃ冷めた目で睨まれて、私の強がりもあっという間に引っ込んだ。
だってまさか、こんなタイミングで自分のパソコンが壊れるなんて思いもしないじゃないか。
さてそろそろレポートに取り掛かろうかとパソコンの電源ボタンを押したら、突然うんともすんとも言わなくなってしまったのだ。
大慌てで大学に駆け込んだら、例の空調点検とやらでパソコン室は使えないんだし。
大学前で呆然と立ち尽くす私の脳裏に浮かんだ最後の手段が、幼馴染でなんやかんや結局大学まで一緒になってしまったこの佐助に泣きつくことだった。
十年以上の付き合いということもあり、佐助の私への対応はなかなかに辛辣である。それももう慣れてしまったが。それでもこういうピンチの時には「しゃーねえなぁ、もう」とかなんとか言いながら手を差し伸べてくれるのだから、彼は真性の世話焼きだと常々思う。立場が逆なら私ならとっくに愛想を尽かしてる。
ただし、毎回助けてもらう代わりに実家の母親以上の小言を言われるため、今回こそこいつに頼るのは最後にしようと心に誓うのだが、悲しいかな、私のドジは二十歳を越えても治る気配がどうにも無いのだ。
そのため、こうして毎度毎度、断腸の思いで佐助にヘルプコールを掛けることになるわけで。
隣で取り込んだ洗濯物を丁寧に畳み出した佐助からの「さっさと終わらせろ」という無言のプレッシャーをひしひしと感じながら、うだるような暑さで上手く回らない頭を必死に動かして、私は目の前のレポート作成に集中した。
「もしかして佐助っていつもクーラー使わないわけ?」
「そうだよ」
「うっそ、信じらんない! 暑くないの!?」
「もやしっ子のあんたと一緒にすんなって。これくらい余裕だっての」
「は〜、健康優良児かつ、節約上手で料理洗濯なんでもござれ、学業の方も赤点は無しですか。さすがは猿飛佐助様。出来が違いますね〜」
「なにその嫌味ったらしい言い方。イラッとすんだけど」
「褒めてるじゃん。なんでもパパッとそつなくこなしちゃってさー。ほんと、私よくあんたと同じ大学入れたなーって常々思うわ」
「じゃなんで入ったわけ?」
「へ?」
「3年の春まで学年でも中の下くらいの成績をフラフラしてたあんたがさ。夏から人が変わったみたいにあんな死に物狂いで勉強してさあ。なんでこの大学を選んだのさ?」
「……なんとなくだよ」
「そう」
洗濯物を畳み終わった佐助が立ち上がる。何故かその動作にびくりと肩が震えた。佐助はそんな私を見て見ぬふりをして台所に向かうと、冷蔵庫から麦茶ポットを取り出して、空になった私のグラスへと無言で注ぎ込んだ。
溶けかけた氷が、勢いよく注がれる麦茶の中でカラカラと音を立てて回る。
首を振る扇風機の風が、畳まれた洗濯物からほのかに香る洗剤の香りを鼻腔へと届けた。
ありがとう、と言おうとしてなんとなく佐助を見上げる。先ほどの意味深な会話の後で、彼が今どんな顔をしているのか確かめたい気持ちもあった。
佐助は麦茶のグラスを眺めたまま、こちらと視線を合わせない。その佐助の横顔に一筋の汗が流れ落ちるのを見て、私はどうしようもなく──悲しくなった。
「なんであんたってば、いっつもそうなの」
「は?」
間の抜けた声を返したのは、佐助の方だった。
テーブルにグラスを置いた佐助の手首を、そのまま掴み取る。ほんの一瞬だけ、彼の腕がぴくりと反応するのが指先から伝わった。
逃さないようにしっかりと手首を掴みながら、佐助の顔をまじまじと覗き込む。
突然のことに訝しげに眉を顰める整った顔。その額にも、首筋にも、珠のような汗が滲んでいた。思わず、眉間に皺が寄る。
「なんでそうやって自分ばっかり我慢するの。暑くないなんて、ウソ。ほんとは暑いんでしょ? お茶だってそう。私にばっかり飲ませて、佐助ってばさっきから自分は一口も飲んでないじゃない」
「……あんたのこと馬鹿だと思ってたけど、案外ちゃんと周りのこと見てるんだね、意外だわ〜」
「その笑って誤魔化すのが私に通用しないことくらい分かってるでしょ。……もうやめなよ、その我慢する癖。佐助って昔っからそう。なんで佐助ばっかり我慢しなきゃなんないの。私、佐助のそういうとこ、好きじゃない」
「はっ、なに? 突然喧嘩売んないでよ」
「……ごめん、今のはちょっと……言い方が悪かった。その……なんていうか、見たくないの。佐助が何かを我慢して、我慢し続けたまんま生きてるのを。今まではずっと、それが佐助の生き方なんだと思って見て見ぬふりしてきたけど……私にまで我慢しないでよ」
「……なんだよそれ。あんただって、同罪だろ?」
「は? なんのこと?」
「人の化けの皮勝手に無理やり剥ぎ取っといて、自分はいつも通りの素知らぬ顔でやり過ごそうなんざ、虫が良すぎるんだよ」
「な、なに、言って」
「あんた、俺様のこと好きだろ」
「は──」
一瞬。息を飲むのと同時に、世界中から音が消え去る。静寂の中、切り裂くようなけたたましい蝉の鳴き声が響き渡ったかと思うと、気がついた時には私の体は床に押し倒され、眼前にはいつになく真剣な表情の佐助が迫っていた。
「……佐助、分かってる?」
「なにが」
「私たち今、越えちゃいけないラインの、真上に立ってる」
室内に蝉の声だけが響く。生温い風。じっとりと汗ばむ肌の不快感。役に立たない扇風機。どんどん氷が溶けていく麦茶。私を押し倒す──大好きな、佐助。
作り物みたいに現実感のない光景の中、佐助の首筋を一筋の汗が伝い、ぽたりと私のTシャツへ零れ落ちた。
「我慢すんなっつったのは、あんただろ」
越えてはいけないラインなんて、二人とも、とっくの昔に超えてしまっていたのだ。ただその事実に見て見ぬふりをし続けて、お互いに道化を演じ続けていただけだった。
仮面を一度外してしまえば、馬鹿みたいに現実はシンプルで。
ただでさえ暑いのに、なんで大の大人が唇を押しつけ合って互いの熱を交換しなきゃならないのか。どうかしてる。私も、……佐助も。
次に唇が解放されたら言ってやる。
クーラーつけてよ。馬鹿。大好き。