bsr短編
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俺の幼馴染は、些か頭が弱い。
いや、訂正しよう。俺の幼馴染は、頭がすこぶる悪い。
何故か。
まずこの女は今年18になるというのに、一週間前に飼い始めたばかりの金魚が死んだといって、鼻水を垂らして号泣している。それも、俺の部屋で。掌に死んだ金魚を乗せながら、わんわんと子どものように泣きじゃくっている。
俺とこいつの家は近いとは言え、200mは離れている。
その距離をこいつは、手に死んだ金魚を乗せて、昼間から号泣しながら俺の家まで歩いてきたのだ。
頼むから勘弁してくれ。俺の家の前で金魚を手にして泣きじゃくるお前と、玄関先で呆然と立ち尽くす俺を、近所中の人間が訝しげに見てくるではないか。
慌てて家に引き摺り込んだが、それもそれでまた近所の噂好きの婦人たちの目が更に鋭くなった気がする。
そもそもその金魚は、先週こいつと夏祭りに行った際に、こいつがどうしても金魚すくいがやりたいと駄々をこねて仕方なくやった結果手に入れたやつで、俺はその時にも、屋台の金魚は死にやすいからやめておけと何度も止めたはずである。
だから言っただろう、と言ってやりたいところだが、あまりにもみっともなく泣き喚くこいつを見ていると、もはやそんな言葉も自然に喉の奥に引っ込んでいく。
というか、金魚が死んで悲しいのは分かるが、何故それを俺の家に持ってくるのだ。俺に見せてどうするというのだ。
そして死んだ魚を素手で持ち歩くんじゃない。
お前の体温で温められてほんのりと生臭い香りが室内に漂い始めたではないか。
「うええええ、ピーちゃん、死んじゃっだああああ」
「……………」
何故金魚にピーちゃんなのだ。
それは小鳥あたりにつける名だろう。この金魚が一体どうやって「ピー」と鳴くのだ。どのあたりが「ピー」なのだ。何故金魚を前にしてその名前が思いつくのだ。お前の頭の中は一体どうなっている。そして何故周りが誰もそれを止めないのか。まさかその役目まで俺がするものだと思われているのではないだろうな。
「ピーちゃん、ピーちゃん、昨日まで、元気だったのに、うええええ」
「……………」
「ゔええぇえええぇ、小太郎ぢゃああぁんピーぢゃああぁん」
「……………」
なんて酷い泣き声を上げるのだこいつは。
保育園の頃聞いていたものと何一つ変わっていないではないか。普通18にもなればもう少しまともな泣き方をするのが人間というものではないのか。
そして俺の名前とピーちゃんを並列させるな。まるで俺まで死んだみたいに聞こえるだろう。勝手に俺まで殺すな。そして金魚と同列に扱うな。
深々と、肺中の酸素を吐き出す勢いで、大きくため息をつく。
俺はただ休日に一人家で読書でもしていようかと思ったのだ。ただそれだけなのだ。なのに何故俺は今、死んだ金魚を掌に乗せた幼馴染が鼻水を垂らしながら泣きじゃくるのを、生臭い香りを嗅ぎながら黙って眺めていねばならぬのだ。
俺の休日を返せ。そしていい加減泣き止め。よくもまあそこまで金魚が死んだ悲しみが持続するものだ。
どうしてお前はそう、いつまで経っても子どものままなのだ。俺とお前は同い年のはずだろう。どうして俺ばかりが成長していかねばならぬのだ。
頼むからお前も早く成長してくれ。金魚が死んだと言って悲しむのは好きにすればいい。悲しいからと言って俺の家に駆け込むのも別に構わぬ。 ただ、もう少し、せめて鼻水を垂らさずにハンカチの一つでも目元に当てながら泣いてくれれば、俺とてもう少し──やりようは、あるというのに。
くちゃくちゃに歪んだ泣き顔をひたすら無言で眺めていたら、ようやく落ち着いてきたのか、すんすんと鼻を啜りながらもようやく俺の目をしっかりと見るようになったので、ティシュを鼻に持っていくと、慣れた様子で鼻をかんだ。
そういえば、昔からこいつが泣いた時はいつもこうして鼻水を拭うのは俺の役目だった気がする。
そうか。俺がこいつを甘やかすからこいつはいつまで経っても成長しないのか。だったらそろそろ、教育方針を変えねばならぬ。
「小太郎ちゃん、う、小太郎ちゃん」
「……………」
「ううぅ、うえ、ピーちゃああ……………⁉︎」
お前は何度泣くつもりだ。
少しは年相応の黙らせ方でもしてみるかと、顎を持ち上げ開きかけた口を塞げば、存外すんなりと大人しくなった。
ようやく、室内に静寂が戻る。
静かだ。こいつと一緒にいるにも関わらずこんなに静かなのは、おそらく初めてだろう。
……すぐ顔の下から生臭い死んだ魚の香りが漂ってくるのだけは、いただけないが。
しばらく静寂を堪能して顔を離せば、半開きの唇のまま、目を見開いて固まってしまった。
やはりその顔は間抜けで、色気も何もあったものではない。
いい加減部屋がこれ以上生臭くなっても困るので、この金魚はうちの庭の隅にでも埋めに行こう。適当に墓を建てて、そしたらまたこいつが墓参りだと言って遊びに来るだろう。庭の花の一つでも摘んでやればいい。
そしたらその時は──笑え。
立てと言ったところで今のこいつの耳には俺の言葉はおそらく届いていないだろうから、両手に金魚を乗せたままの彼女の背後に回って脇の下へと腕を差し入れ、半ば引き摺るように自室を後にした。
引き摺られながら、彼女の唇がもごもごと動く。なんだ。またいつもの「小太郎ちゃん」か。
「ピーちゃん……」
こいつ、まだ言うか。