bsr短編
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私には、生まれる前から決まっ?ていた許嫁が居るのだという。
そんな話を聞かされたのは5歳の頃。
お前の夫になるお方はもう決まっているんだよ、と祖父から告げられて、物事をよく分かっていなかった私は、そういうものなのかと特に抵抗もなくすんりと受け入れた。
それから、幾年か経ち。
さてそろそろ周りの同い年の子たちはやれ縁談が決まったとか今度お見合いに行くだとか急に慌ただしくなる中、私といえば、5歳の頃に許嫁の話を聞かされたきり、それからただの一度も件の許嫁様とやらに会ったことすらないまま、気がつけば16の歳を迎えていた。
それが今日、ついに私は許嫁様と、顔を合わせるらしい。
代々続く憑物祓いの家系に一人娘として生まれた私は、生まれた家の特殊さもあり、基本的には一般人との婚姻は許されない。
血筋を絶やさぬために。かつ、憑物祓いの力が衰えないために。憑物祓いは、別の憑物祓いの家としか結婚しない。
だから生まれる前から許嫁がいる事も、この業界では別段珍しいことでもなかった。
流石に、将来夫婦になる相手と生まれてこの方一度も会ったことがないというのは、あまり聞かないが。
この日のために仕立てて貰った真新しい振袖を身につけ、祖父と父に連れられて訪れたのは、町外れの石畳の坂を登り切ったところにある、竹林に覆われた奇妙な屋敷だった。
掃除の行き届いた屋敷の中は綺麗で、ちらりと見えた庭も、しっかりと人の手が加えられている。
なのに、屋敷のどこにも、何故か人の住んでいる気配というものがまるでしなかった。
どうぞこちらへ、とつり目の女中さんに連れられて奥の座敷へと通される。
てっきり祖父と父も同じ部屋に通されるのかと思っていたら、廊下の奥から違う女中さんが現れて、二人は違う部屋へと案内されていった。
現れた二人目の女中さんもやはりつり目で、最初の女中さんと瓜二つの顔をしていたものだから、思わずぎょっとしてしまったが、きっと双子か何かなのだろう。
お茶を淹れたところで私を案内してくれた女中さんも下がってしまい、中央に大きな座卓が置かれた部屋に、私一人だけがぽつんと取り残される。
入ってきた廊下側とは反対の面はそのまま中庭に繋がっており、障子の開け放たれた縁側には木漏れ日が差し込んでいた。
暫くは大人しく座ってその綺麗に整えられた庭を眺めていたが、何故か、待てども待てども誰も来やしない。
あまりに暇すぎて、不躾かとは思いながらも縁側にそろそろと移動してみれば、ご丁寧に沓脱石の上には女物の草履が用意されているではないか。
もう一度、念のため廊下の方に意識を向けてみるが、やはり誰かが部屋にやってくるような気配はない。
客人をここまで待たせているのだから、少しくらいいいよね、と自分に言い聞かせて、私は静かに草履へと足を滑り込ませた。
そのまま敷石に沿って中庭を歩いてみれば、すぐ目の前の池には立派な錦鯉が泳ぎ、さらにその奥ではししおどしが定期的に軽快な音を立てている。
ししおどしに流れ込む水の音だけが絶え間なく辺りに響き、それから、庭に植えられた木々で囀る鳥の声と、屋敷をぐるりと囲む竹林が風で揺れる騒めきの音が重なり合う。
それでいて人の気配がしないここは、まるで現世から隔離されているようだと、竹林を眺めながらなんとなくそんなことを考えていた。
すると、視界の隅に人影が映り込み、咄嗟に私の視線はそちらの方へと向いた。
庭の周りをぐるりと囲む竹垣が途切れ、屋敷の裏へと続く小道に、男が一人、立っていた。
竹林の影が、男に掛かる。
ややくすんだ笹色の着物に、燃えるような赤い首巻きをして、肩に羽織を掛けたその男の顔は──朱色の紋様が描かれた奇妙な仮面で、隠されていた。
僅かに見える口元は薄く弧を描いて、人当たりの良い笑みを浮かべている。
「こんにちは、お嬢さん」
その不思議な姿に目を奪われ続ける私に向かって、男がゆっくりと近付いてくる。
口元に浮かべた笑みは全く崩れる気配がない。
それがまるで作り物のようで、現実味のないその表情に、少しだけ寒気がした。
男がさらに歩みを進める。
ふと男の手元を見れば、何故か傘が握られていた。
今日はこんなにもお天気なのに? と不思議に思っていると、ポツリと、何かが頭に落ちてくる感覚がして、思わず視線を空へと向ける。
目の前にはやはり、綺麗に晴れ渡った青空が広がっている。
にも関わらず、その青空からは、無数の雨粒が降っていた。
思わず目を見開いて固まる私に、幾重もの細やかな雨が降り注ぐ。
何度見ても、辺りに雨雲なんて見当たらない。
にわかには信じがたい光景に、一つの単語が頭をよぎる。
それを口にしようと唇を開いたところで、視界の隅から真っ赤な番傘が広げられ、私の視界を覆い尽くした。
突如遮られた視界に、見上げていた視線を前へと下ろす。
気がつけば、あの奇妙な格好をした男がすぐ目の前にいて、相変わらず貼り付けたような笑みを浮かべながら、私に向かって傘を差し出していた。
「狐の婿入りにございます」
どこか芝居掛かった口調で、男が得意げにそう告げる。
「嫁入り、じゃなくて?」
人の懐にするりと入り込んでくるかのように、いとも簡単に近付いてきたその男に、つい、私も言葉を返してしまった。
「いいや」
間違いを正したつもりだったのに、男はそれをはっきりと否定した。
相変わらず笑みを浮かべてはいるが、仮面に空いた双眸は暗く、すぐ目の前にいるのに、その奥にあるはずの瞳は見えなかった。
すると男の顔の横で突然、金色のふわふわしたものが揺れた。
思わず私の視線もそれを追いかける。
どこかで見たことのあるような形をしたそれは、男の背後で再びゆらりと揺れる。
金色の、毛並みの綺麗な、そう、あれは──
導き出された結論に、思考が完全に、停止した。
「婿入り、だよ」
その声にハッと我に返り、もう一度目の前の男の顔を見つめる。
そんな、まさか。
──あり得ない。
驚きを通り越してどんどんと青ざめていく私を見て、男が口元に浮かべた笑みを少しだけ深くする。
相変わらず空は晴れ渡っている。
日差しの中、降り落ちる雨粒が番傘に当たって、ぱらぱらと細かな音を立てた。
澄まし顔の男の背後では、相変わらず金色の──狐の尾が、楽しげに揺れている。
目の前の現実を受け入れられず、小さく首を横に振ることしか出来ない私に、男が静かに呟いた。
「はじめまして。──俺様の、花嫁さま」