鳴かぬ蛍が身を焦がす
なまえ
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一つの褥の上で、寝巻き姿の男と女が向かい合わせに正座している。
燭台の明かりが照らす淡い闇の中、私の心臓はさっきから狂ったように鳴り続け、その音があまりにうるさすぎて、すぐ目の前の風魔殿にまで聞こえているのではないかと不安になった。
祝言は終えた。夜は更けた。そしてこれが二人で迎える初めての夜となれば、後に待ち受けるのは──もはや、一つしか残されていない。
緊張と不安と恐怖で、思考はぐちゃぐちゃに乱れたままだ。震えそうになる手を押さえ込むように強く握りしめると、手のひらの中はすでにじっとりと汗が滲んでいた。
その時、固まったままだった風魔殿がおもむろに腰を上げた。
反射的に身体が跳ねる。いよいよかと目を固くつぶる私を、しかし風魔殿はあっさり放置して、そのまま寝所を出て行ってしまった。
背中で障子の閉まる音がして慌てて目を開けた時には、室内はもぬけの殻だった。
「……へ?」
間抜けな声が勝手に口からこぼれ落ちる。
先ほどまでの緊張はなんだったというのか。
訳が分からないし、どうすればいいかも分からない。もしかしたらまた風魔殿が帰ってくるかもしれないと、そのまましばらく褥の上で待ちぼうけしていたが、待てども待てども彼が寝所に帰ってくる気配はなく、気がつけば褥の上に正座したまま眠りに落ちていた。
次に目を覚ましたのは、空が薄ぼんやりと夜明けの色に染まり始めた頃だった。慌てて凭れていた頭を起こすと、凝り固まった首に鈍い痛みが走る。
雀が鳴くよりも、少しだけ早い時間。夜の気配がほんの少し消え始めたこの時分に目を覚ますのは、女中としての癖だ。
結局、風魔殿は帰って来なかった。
何か機嫌を損ねることでもしただろうかと首を傾げるが、答えは出そうにない。
すると庭に面した障子の奥から「失礼いたします」と女の人の声が掛かった。
「なまえさま、お目覚めでございますか」
「え、は、はいっ」
「では、お召し物を替えさせていただきます」
音もなく開いた障子の奥には、いつの間に現れたのか、女中の方が三名控えていた。
それから褥を片付け、私の寝巻きを脱がせると、あっという間に上等な小袖と、金糸の刺繍が鮮やかに施された打掛を着せてくれた。
されるがまま呆然と着付けられた私も、「それでは」と頭を下げて部屋を後にしようとする女中さんの声にはっと我に返り、思わず自分の身に付けている着物に目を落とした。それは私にはあまりにも不相応すぎるほど絢爛豪華なあつらえだった。まるでどこぞの城持ち大名の姫君のような姿だ。つい先日までその城の下っ端女中として働いていた私が身につけるとは、夢にも思っていなかったほどの品々である。一体、上から下まで幾らの値打ちがあるかも分からない。
とてもではないが、そんな恐ろしいものを身につける気概は私にはない。身の丈に合わない不慣れなものを身につけて、万が一汚したりでもしたらと思うと、それだけで背筋がひやりと冷たくなる。
もっと質素な着物は無いかと、障子を今にも閉めようとする女中さんたちを引き止めようとしたものの、「あの!」とようやく喉から声が出たのと障子がぴしゃりと閉められたのはほぼ同時の出来事だった。
慌てて彼女たちの後を追いかけるべく、慣れない打掛の扱いに戸惑いながらも、障子に手を掛ける。
するりとなんの抵抗もなく開いた障子の奥には、女中さんたちの姿はもう影も形も無かった。
代わりに──全身黒々とした装束に身を包んだ男が一人、目の前の濡れ縁に片膝をついて、静かに頭を下げていた。
突然音もなく現れた殿方の姿に、思わず肩が飛び跳ねる。
年の頃は四十といったところだろうか。前髪を後頭部へと流し、椿油で丁寧に撫でつけてある。人生の辛酸を嘗めつくしたかのような、感情の浮かばないその顔はあまりに無機質で、まるで人形のようだった。
「いかがなさいました」
男が床から目線を上げないまま、やはり無機質に呟く。
「あ、あの、できればもう少し、その……動きやすい恰好がいいのですが……」
「あなたはすでに、我らが長の奥方様でございます。恐れながら、お立場に応じたそれなりの身なりをしていただかねば、下の者どもに示しがつきませぬ」
そうはっきりと言われてしまっては、それ以上強く言い返すことも出来ない。はい、と小さく返事した後は、やや気まずい沈黙が流れた。
「……申し遅れました。私は、なまえさまのお世話役を仰せつかりました、引佐と申します。ほかにご用向きがあれば、今後はなんなりとお申し付けください」
そう言うと、引佐殿は改めて頭を下げた。その場に突っ立ったまま、私もぎこちなく頭を下げ返す。
ご用向きと言われても、そもそも私はまだ、自分がこの屋敷で何をすればよいかも分かっていない。お願いすることは特にないが、かといってこのまま部屋でじっとしているのもなんだか落ち着かない。
「あの、なにかお手伝いすることはありますか?」
「…………」
長い沈黙が流れた。
「必要でしたら、和歌集でもご用意いいたしますか」
ああ、なるほど。これは暗に「何もするな」と言われているのだ。大人しく着飾った姿のまま、この部屋でじっとしていろと。
──まるで、お前の出る幕などないと真っ向から存在を否定されたようだった。
「お恥ずかしながら、あいにく字が読めないもので……」
「……では、絵巻物を用意させましょう」
こちらの返事を聞く前に、一瞬で引佐殿は目の前から姿を消した。あまりの早業にあたりを見回すが、無論その姿は影も形もどこにも見えない。この里では当然のことなのかもしれないが、やはり彼も忍なのだ。
こうなってしまっては、引佐殿の帰りを大人しく待つほかない。私は諦めたように再び障子を閉めた。
しばらくすると、先ほど着付けしてくれた女中さんたちが、今度は朝餉を運んできた。その内容に再びぎょっとする。お膳の上にぴかぴかの白米が山盛りで盛られているだけでなく、小鉢に盛られた大量の料理がぎっしりと並べられているのだ。中には鯛の干物まである。
今まで生きてきて、こんなにも豪華な膳を出されたことなど、ただの一度もない。
私にとってこのお膳は常に仕事で「運ぶもの」であって、決して「食べるもの」ではなかった。
本当に食べていいのかと運んできてくれた女中さんの顔を何度も眺めるが、彼女たちは俯いたまま、人形のように動かない。ただ時折瞬きをする瞼の動きが、無言で「早く食べろ」と圧力をかけてくる。私はいよいよ覚悟を決めて手を合わせ、深々と頭を下げてから、まず白米へと箸をつけた。
こんなに白い米を食べられる日が来るなんて、思っても見なかった。食べたらバチが当たってしまいそうで、箸を持つ手が震える。
女中に許された食事なんて、ほんの少しの白米に大量の稗と、時にはリョウブやヤマウコギの葉を混ぜ込んでかさ増ししたものばかりだった。
もったいなくて、ありがたくて、一口ごとに何度も何度も噛みしめながら、朝餉にしては明らかに多すぎる量の食事を、一粒たりと残すことなく平らげた。
おかげで、お腹が重い。
これもまた、人生で初めての経験だった。
今しがた口にした食べ物が、自分の腹の中に確かに溜まっているのを感じる。こんなにも自分の腹は食べ物を収めることが出来たのかと驚くとともに、食事を終えて冷静になってみると、やはり贅沢すぎるのではないかと不安になった。
こんな貴族のような食事を毎日食べられるほど、自分は尊い存在ではない。身相応の振る舞いをしなければ、いつか必ず痛いしっぺ返しがくる。長い女中生活で学んだことの一つだ。
それに何より、自分が女中として今まで食べてきた食事を思い返すと、この屋敷には大勢の女中さんたちがいるというのに、自分だけがこんな豪勢な食事というのは、どうしても収まりが悪かった。
明日からはもっと、食事の内容を質素にしてもらおう。
どうせ何の役にも立たずこの部屋で座っているだけなら、女中さんたちの方がずっと働いている。彼女たちと同じ食事をいただくことすら、申し訳ないくらいなのだ。
しかし、やはり「何もしない」というのはどうにも落ち着かない。あれだけ良いものを食べさせていただいたのなら、その分仕事で返さねばと、つい体が動こうとしてしまう。
かと言ってここに私の仕事があるわけでもない。仕方なく部屋の隅々まで視線を巡らせては、また同じところを眺めて、ということを繰り返している。
女中としての癖というべきか、性というべきか。
つい気になってしまうのだ。
疼く心のままに立ち上がると、部屋の隅にある違い棚の表面を指でなぞった。
案の定、なぞったところに指の後がつく。その指先は積もった埃で白く汚れていた。自分の女中としての目は腐ってはいないと実感する。
自室として、庭に面した日当たりのよい離れを宛がってもらったのだが、どうにも掃除の手は足りていないらしい。これが小田原の城であれば、この部屋を掃除した女中は間違いなくその日のうちにお暇を貰うだろう。
だがここは人里離れた風魔の長屋敷だ。そこまでの完璧な仕事は誰にも求められないし、求めること自体がお門違いである。……あるのだが、どうしても長年培った腕が疼いて仕方ない。
あともう少しだけ手を掛ければ、もっと綺麗にできるのに。誰か箒とはたき、それから水桶と浄巾を持ってきてはくれないだろうか。
この様子だと、おそらく長押の上にもしっかり埃が溜まっていることだろう。まずはたきで上から埃を丁寧に落として、それから違い棚と床の間を浄巾で拭いて、後は障子を明け放して床中を箒で掃けば──
「なまえさま」
「は、はい!」
視線で掃除の段取りを黙々と思案していたところに、突然気配もなく障子の向こうから声がかかった。思わず全身が大きく跳ね上がる。返事する声が変に上擦って、恥ずかしかった。
「ご所望のものをお持ちしました」
「え、は、はいっ」
慌てて円座に座りなおし、居住まいを正す。こちらの動きが障子の裏からすべて見えているかのように、支度が整ったと同時に障子が静かに開いた。
朝方どこかに出掛けて行ったばかりの引佐殿が、もう帰って来た。それも、大量の絵巻物を携えて。
濡れ縁に積まれたその数の多さに、思わずぎょっとして表情が強張る。引佐殿は相変わらず無表情のままだ。
「こ、こんなにたくさん……!?」
「長からの言いつけですので」
「言いつけ……?」
絵巻物の山に釘付けになる私をよそに、引佐殿はどこまでも淡々と告げた。
「奥方様が望むものはすべて用意せよと」
思わず、目を丸くした。
引佐殿は相変わらず片膝をついて床に視線を下したままだ。
風魔様が、そんなことを言うなんて。
胸の奥の方に、感じたことのない息苦しさがこみ上げる。それはなぜかどうにも、息苦しいはずなのに悪い気持ちがまるでしない。
まだ彼のことはよく知り得ないが、昨日の一件で、てっきり心証を損ねてしまったとばかり思っていた。それなのに。
望むものはすべて、などと。
嫁いできたばかりの見ず知らずの女にそこまで言ってくれることが、純粋に嬉しかった。
「あの、風魔様は今どちらに?」
「昨晩から任務に出ております」
昨晩ということは、昨日寝室を出ていった後、そのまま任務に出掛けて行ったということか。なるほど、どうりで待てども待てども帰って来ないわけである。
「お戻りはいつ頃になるでしょうか」
「……おそらく、日の入りにはお戻りになられるかと」
夜更けから日をまたいで、次の日の入りまでとは。忍の仕事とはやはり、お城女中とは比べ物にならないほど忙しいらしい。ふと障子の外に目をやれば、辺りはようやく日が天頂に達した頃合いである。
日の入りまで、まだうんと時間がある。それなのに、今は赤々と燃える夕陽が早く見たくてたまらない。
長い長い絵巻物を少しずつ広げては、描かれた物語に目を滑らせていく。
貴族の人々の生活が描かれた絵巻は、物語こそよく分からないけれど、どの絵も煌びやかで美しく、眺めているだけでも楽しかった。
それから、地獄の世界を描いたもの、愛しい人を追い求めるあまり蛇となった女の話、兎と蛙の相撲など。文字の読めない私でも、絵師によって生き生きと描かれた絵を目で追うだけで、十分に物語の内容は理解出来た。
絵巻物を手にした頃にはまだまだ先のことと感じられた日の入りも、あたりが暗くなってきてふと顔を上げた頃にはすっかり日は傾き、東の空には夜の帳がゆっくりと広がりつつあった。
すると、空を眺める視界の隅に、何かが映り込んだ。
違和感に引きずられるままそちらへと視線を向けると、いつの間に帰ったのか、風魔様が音もなく庭に佇んでいた。
「あっ……お、おかえりなさいませ!」
「………………」
慌てて濡れ縁へと駆け寄り、頭を下げる。
忍装束に兜を被った風魔様は、そんな私を無言のまま見下ろしていた。
顔を上げ、背後に山のように積まれた巻物たちに手を向ける。
「あの、この絵巻物はですね、引佐殿が集めてくださったのです。私が字が読めぬからと……」
「…………」
「引佐殿から聞きました。風魔様が、私の望むものはなんでも与えよと、そう申してくださったのですね。まさかこんなに集めていただけるとは思わなくて……嫁いできたばかりなのに、大変な無駄遣いをしてしまいました。申し訳ございません」
もう一度頭を下げる。
やはり風魔様は無言で、表情一つ変えずこちらを見下ろしている。
「それに、この着物も。こんなに良い反物に袖を通したのは、生まれてはじめてでございます。本当に何から何まで、風魔様のお気遣いになんと感謝を申し上げてよいやら……」
「…………」
「……ええと」
「…………」
「あの……」
「…………」
「風魔様……?」
「…………」
無言。無表情。そして硬直。
風魔様は私の目の前で腕を組んだまま、ぴくりとも動かない。ただ視線だけが、私の背よりも遥かに高いところからまっすぐに私を射抜いている。
これでは、会話になっていない。まるで人形にでも語りかけているような気分だ。
もしかして、やっぱりあの絵巻物の量はさすがに多すぎたのだろうか。嫁いで二日にも関わらずあまりの無駄遣いっぷりに、声も出ないほど呆れておられるのだろうか。
沈黙が長引けば長引くほど、不安がどんどんと胸の奥で膨らんでいく。
「ふ……!」
もう一度「風魔様」と呼ぼうとしたその唇を、ひんやりとした感触が塞いだ。
硬い防具に覆われた人差し指が、私の唇へ押し当てられている。
驚きのあまり目を見開いたまま固まる私をしばらく眺めると、風魔様の指は静かに離れていった。
唇は解放されたが、言葉が出てこない。
先程まで微動だにしなかった風魔様の突然の行動と、それの意味するところが、よく分からない。
黙れということなのだろうか。
興奮しすぎて、一人でべらべらと口数多く喋っていたのが気に食わなかったのだろうか。
それともほかに何か──
唇を塞がれる直前に自分が口にしようとしていた言葉を思い浮かべ、はたと気がついた。
そうだ。そういえば私ももうすでに「風魔」なのだった。
「ええと……旦那さ」
再び、冷たい感触が開きかけた唇を遮った。
これも違うらしい。
困り果てて、押し当てられた指をじっと見つめながら、頭をあっちこっちに働かせる。
「……こたろう、さま?」
指の下で伺うように唇を動かすと、指先がぴくりと反応した。そして静かに──唇から離れていく。
どうやら、これが正しい答えだったらしい。
再び腕を組んだ姿のまま動かなくなった風魔様──否、小太郎様を見上げる。その口元が心なしか満足げに見えるのは、私の勝手な思い上がりだろうか。
改めて、私の嫁いだ相手というのはなんとも――不思議なお方だ。
言いたいことがあるならば口で直接物申せばよいのに。もしかして口がきけぬのか、はてまた極端に無口なだけなのか。今の私には知る由もない。
ただ、言葉のないあのやりとりは、まるで目隠しをしながら互いの心を手探りで探し当てているかのようで。不思議と、嫌な気持ちは微塵も湧いてこないのだった。
「小太郎様」
もう一度、唯一呼ぶことを許されたその名を呼ぶ。
それから兜の奥にあるであろう瞳を真っすぐに見つめ、深々と頭を下げた。
「……お気遣いの数々、改めて、誠に嬉しゅうございました」
「…………」
「それから──不躾ながらいくつか、お願いがございます」
再び顔を上げる。小太郎様は先ほどと同じ姿勢のまま、じっと私を見下ろしていた。
いつしか日はさらに西へと傾き、辺りは一面明るい茜色に染め上げられている。
私の次の言葉を待つ小太郎様に、小さく笑みがこぼれた。
* * *
たすき掛けした紐を肩口でしっかり結び上げると、気持ちも引き締まったような心地がした。よし、と気合いの言葉も自然と飛び出す。動きやすい、質素な着物。前掛け。腰布。邪魔にならぬよう括られた袖口から覗く腕は、遮るものもなく自在に四方八方に動かせる。
「さて、やりますか」
意気揚々と掴んだはたきを翳しながら、埃を吸い込まぬよう口布をしっかりと当て、長押を目指していざ踏み台へと上がった。
「……何をしておられるのです」
「あぁ、引佐殿」
背後から気配もなく響いた低い、それでいて困惑を隠しきれていないその声に、手を止めて振り向く。
案の定、開け放った濡れ縁に引佐殿が信じられないものを見るような目をして佇んでいた。
「お部屋の掃除をしております」
「見れば分かります。……それはあなたの仕事ではない」
「ご安心ください。あの方からお許しは得ています」
ぴくりと、引佐殿の眉が聞き捨てならないといった具合に吊り上げられた。
「……長が?」
「はい。昨晩、これからのことについて色々とあの方にお許しを乞うたのです。ありがたいことに、どれもすぐ首肯してくださいました」
「……掃除をする許しを得たと言うのですか」
「はい。自分の使う部屋だけでも自分の手でやらせてほしいと」
「……ほかに一体何をおっしゃられたのです」
「あとは、毎度のお食事をもっと質素にしてもらうことと……それから、手習いをさせて欲しいとお願いしました」
「手習い……?」
引佐殿の表情が一層怪訝なものになった。
「ほら、読み書きさえできれば、もうあんなにたくさんの絵巻物を引佐殿にご用意いただく必要もないでしょう?」
「……」
「もちろん、それだけではありませんけど。読み書きができねば、この先なにかと里の皆様にご苦労をおかけすることになるでしょう。風魔一党の長に嫁いだのですから、そういうことも、ちゃんとできるようになりたいんです」
「……」
「──望むものをすべて用意していただけるというのなら、物ではなく、少しでも何かお役に立てることを、私は望みます」
引佐殿が、もうこれ以上聞きたくないと言わんばかりに、深々とため息をついた。
「長が良いと申したのであれば、我らが口を出すことではございません」
「では……」
「……どうぞ、お好きになさればよい」
踵を返して、引佐殿が廊下を去っていく。
勝手に小太郎様に許可をいただいてしまって、申し訳ないことをしたなという気持ちが半分。
ここでの自分の「やるべきこと」を手に入れられた喜びが半分。
後者は自分が思っていたよりも大きかったらしい。はたきを持つ手が、気がつくと小さく勝利の握り拳を作っていた。