君と僕とロックンロールと
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一ヶ月後。
私と佐助くんは電車に揺られ、駅から出る臨時バスに揺られ、あっという間に──ロックフェスの会場に、立っていた。
たくさんの人、人、人。
みんながみんな、お気に入りのバンドTシャツを着て、タイムテーブルの紙を眺めながら歩き回っている。
賑わう様子はまさにお祭りで、期待に胸が膨らんだ。
「すごい人の数だね……!」
「まあね。この時期に開催されるフェスってあんま無いし、結構遠征組も多いみたいだぜ」
「遠征、かあ。なんかかっこいいね」
「ま、俺たちも遠征っちゃ遠征だけど。隣の県とは言え、泊まりがけだしな」
そう。今回のフェス参戦は、隣の県まで泊まりがけなのだ。というのも、今回のフェスは2日間に渡って開催されるらしい。1日だけ参戦というのも勿論出来るらしいけど、せっかくの初フェスなんだし、最後まで思いっきり楽しみたい! という私のわがままを、佐助くんはすんなり了承してくれた。
その上、フェスのチケットも、駅近くのビジネスホテルの予約も全部佐助くんがあっという間に手配してくれたのだから、彼の手際の良さには毎回頭が上がらない。
……あ、勿論ホテルは別部屋です。当たり前だけどね。
会場に着くと、佐助くんはまず〝リストバンド引換所〟と看板が掲げられたブースへと足を運んだ。
スマホの電子チケットと引き換えに、腕に細い布を巻かれる。留め具で固定されたそれはリストバンドというより、見た目はミサンガのようだ。
ビビットカラーのカラフルなデザインでフェスの名前が刻まれたリストバンドは、よりお祭り気分を盛り上げてくれる。
ロックフェスでは、このリストバンドが入場チケットの代わりになるらしい。
「これって外せるの?」
「いや、留め具が相当頑丈だから、基本的には一度つけたら外せない。緩むこともないから、ライブで大暴れしたって外れやしないよ」
「えっ、じゃあずっとつけっぱなし?」
「そういうこと。フェスは2日間通しであるからね。今日の夜シャワー浴びるのに外して、そのままどっかいっちまった! ……なーんて事になったら大変だろ? だからフェスが終わるまではつけっぱなしにして、家に帰ったらハサミで切って外すのさ」
「なるほど。たしかに、外して無くす心配をしなくていいのは便利かも」
「そ。素材も乾きやすい素材だから、着けてて違和感感じることもほとんど無いよ」
そう言うと、佐助くんは会場地図を眺めながらどこかへ向かって歩き出した。
「さて、とりあえずまずは場所取りだな」
「場所取り?」
「フェスって、基本的に休憩所とかあんま無いんだわ。だからみんな指定された場所にレジャーシート敷いて、各自の休憩スペース確保すんの。そんで、そこを拠点にして荷物置いてライブ会場行ったり、飯食ったりするわけ」
「なるほど! ベースキャンプだね」
「そういうこと」
会場内の端にある、レジャーシートが多く広げられたエリアに行くと、佐助くんは少し奥まったところにある木の下にレジャーシートを敷いた。
「さぁて、作戦会議といきますか」
そう言って佐助くんは、リストバンド引換所で貰ったロックフェスのタイムテーブル表を取り出して、敷いたばかりのレジャーシートに腰を下ろした。
それからぽんぽんと隣を叩くから、私もすんなりと佐助くんの横に腰を下ろす。
レジャーシートに二人並んで腰掛けながら、A4サイズのタイムテーブルを両側から覗き込んだ。
事前に公式サイトでタイムテーブルは公表されていたので、ある程度見たいバンドの目星は付けてきているが、今一度おさらいだ。
今回参戦するロックフェスでは、野外に設置されたライブステージが3ヶ所存在する。
一つのバンドの持ち時間は30分。そして3つのステージが15分ずつずらして、ライブをスタートさせる。
例えばステージ1でAというバンドが10:00〜10:30までライブしたとすると、ステージ2ではBというバンドが10:15〜10:45までライブを、そしてステージ3ではCというバンドが10:30〜11:00までライブをする……といった具合だ。
すべてのバンドを30分全部見ることは出来ないが、ステージ1〜3はライブ中でも自由に行き来できるため、たとえばA、B、Cそれぞれ15分ずつ楽しんだり、あるいはBのバンドを諦めて、10:00〜10:30までAのバンドを見た後、10:30〜11:00までCのバンドを見たり、楽しみ方は色々ありそうだ。
ライブ自体は10:00の開演から20:00の終演まで休み無く続けられるため、どこかで上手く時間を作って休憩も取らなきゃいけない。
あれも見たいこれも見たいという気持ちを抑えて、取捨選択が必要なのだ。
タイムテーブルを指差しながら、事前に考えてきた計画の擦り合わせを行う。
ロックフェスは2日間続くということもあり、1日目は体力温存のため比較的ゆるいスケジュールを組んだ。
しかし、その中でもどうしても外せない予定が一つだけある。
ステージ1の1日目のトリを飾るバンド。
それは、私が佐助くんと仲良くなるきっかけにもなった、あの日パソコン室でMVを眺めていたバンドだった。
絶対に外せないという気持ちは、佐助くんも同じで。
私が無言で強く指差したそのバンド名に、佐助くんはこちらを見てくすくすと笑うと、同じく無言で力強く首肯した。
「わあ、すごい! たくさん屋台が出てる!」
「近くにコンビニとか無いからねー。昼になると行列えげつないんだよなあ、毎回」
「あ、あれ! けずりいちごだって! 美味しいそう!」
「こーら、もうすぐファーストステージ始まるんだから、今は食べてる時間ないだろ? 早く行くよ」
「はーい」
美味しそうな匂いを漂わせる屋台の列に後ろ髪を引かれながらも、ファーストステージの会場へと足を運ぶ。
既にたくさんのお客さんが押しかけており、ステージの前の方はとてもじゃないが行けそうになかったので、私たちは大人しく後ろの方から眺めることにした。
程なくして、重厚感のあるズン、とした音が辺りに響き渡ったかと思うと、スピーカーからカウントダウンの声が流れ始めた。
ステージの左右に設置されたモニターには、でかでかとカウントダウンの数字が映し出される。
会場全体が一つになり、何千人というお客さんが口を揃えて、スピーカーから流れる声を掻き消すくらいの勢いでカウントダウンをし始める。
5、4、3。
会場のボルテージは上がっていく。次第に大きくなる声に、もはやスピーカーの声は完全に掻き消された。
2、1、………0。
会場中から湧き上がる甲高い歓声の声の中、ロックフェスのタイトルが高々と宣言され、ステージからは真っ白なスモークが吹き出す。
そして一気にアップテンポなBGMがスピーカーから流れ出すと、待ちに待ったと言わんばかりにステージ袖からバンドマンたちが駆け足でステージへと踊り出した。
割れんばかりの歓声、肩にかけられる楽器、ドラムスが天高く二本のスティックを振りかざして──2日間に渡るロックフェスティバルは、今ここに、開幕したのだった。
ロックフェスの始まりを今か今かと待っていた観客の勢いは凄まじい。
まだ朝の10時ということもあり、体力満タンの観客たちは鳴り響く音楽をもっと寄越せと言わんばかりに次々とステージ前で押し合い、揉みくちゃになりながらも、後方から次々と押し寄せる熱気を互いにぶつけ合うことを楽しんでいた。
「すごい、一曲目から激しいね……! あのみんなで揉みくちゃになって押し合うやつ、確か最初のライブハウスの時にも見た……えっと、モッシュ、だっけ?」
「お、よく覚えたねえ。その通り。まー、音楽聞きに来てるのはもちろんだけど、あのモッシュが楽しみってやつも案外多いんだわ」
「うわ、なになに、なんか突然丸く広がり出したよ!?」
「あー……サークルやるんだろうね」
「サークル?」
「うん。ああやって丸い空間作って、多分この後、あの中ぐるぐる回りだすよ」
「ま、回る? 回るの?」
「うん、ほら」
「みんなぐるぐる回りながら周りの人たちとハイタッチしてる……! な、なにあれ……!」
「んー、なにあれ、って言われると俺様も答えに困るなあ。ちなみにあれ、せっまいライブハウスの中でもやるとこはやるんだよなあ……」
「さ、佐助くん! なんか横の開けたところで今度はすごい激しいダンス踊ってる集団が……!」
「あはは……ツーステップね。あれも好きな人は好きだから。ほら、あの人とか見てみなよ。もー、かなりキレッキレ。相当やり込んでるね」
「す、すごい……なんか、あれだね」
「んー?」
「フェスって……自由だね!」
「そ。ライブハウスで見るのとはまた違うっしょ? こうやってゆっくり突っ立って見ててもいいし、なんならもう少し後ろで座って眺めててもいい。踊ろうが飛び跳ねようが、どういう形で音楽を楽しもうが自由なのがフェスのいいところなんだよあ」
ただし、人に怪我させたり喧嘩したり、周りが嫌な思いをするようなことは絶対にしない。それが、ステージで全力で演奏するバンドマンと、それを全力で受け止める観客との間で交わされる、暗黙の、そして絶対のルール。
佐助くんは神妙な面持ちで、最後にそう言い足した。
同じ空間に立ち、同じ音楽を聞いていても、その受け取り方、楽しみ方は様々で、そして誰もそれに口を出さない。一人一人が、自分の心の奥底から溢れ出す〝楽しい〟とか〝好き〟という感情を、一切のしがらみもなく爆発させ、その熱気がバンドマンの立つステージへと波のように差し迫る。
それはまるで、全身全霊を掛けて演奏するバンドマンと、観客との、壮大な魂の綱引きのようだった。
ここでは、誰がどんな形で音楽を楽しんでも、誰もそれを咎めない。拳を振り上げてもいい。自分のリズムで身体を揺らしてもいい。踊ったっていい。
男の人も、女の人も、おじさんも、お姉さんも、小さな子どもや親子連れ、綺麗な白髪で堂々とライブTシャツを着こなすおじいさんだって、誰しもが、思い思いの形で、自由にライブを、音楽を、楽しめる場所。
──魂の解放の場。
そんな言葉がふと頭に浮かぶ。
野外だというのに周囲から立ち昇る熱気に興奮の汗をかきながら、私もみんなと同じように次第に高揚していく心の昂りをじんわりと感じていた。
一曲目が終わる。会場内の熱は収まる気配がない。むしろ、ようやく身体が温まった、さあこれからだろうと、会場全体が熱の篭った視線をステージへと投げ掛ける。
バンドマンたちはその視線を一身に浴びて不敵に笑みを浮かべると、間を挟まずしてすぐさま2曲目へと突入した。
2曲目もまた、会場の熱を更に上げるべくアップテンポな曲だ。
ステージの前列はさらに盛り上がり、モッシュの塊は揉みくちゃになりながら蠢いている。
ぞわぞわと、背筋から這い上がるような興奮と好奇心が私の身体を包み込んだ。
「……佐助くん」
「んー、どうした?」
「……私、モッシュに参加してみたい」
「んー、………んん!? はぁ!? 何言ってんの椿ちゃん!?」
「行ってきます!」
「ちょちょちょ! っ、ああ〜、もう! うそだろー!?」
横で目を見開いて慌てる佐助くんに指先までピンと伸びた敬礼を一つして、私は這い上がる興奮に身を任せて、勢いよくモッシュの塊へと突っ込んだ。
同じように興奮の波に耐えきれなくなった人たちが次々と後ろから押し寄せてくる。すぐに私の身体も人と人との間に揉まれて、おしくらまんじゅう状態になった。もはや誰と身体がぶつかっているかなんて分からない。
だけどふと気付くと、背後にぴったりとくっついた誰かが、器用に両腕の中に私を囲いこんで、左右から押し寄せる人波をその二本の腕で巧みに押し退けていることに気がついた。おかげで私の身体は大勢の人に囲まれ、押し寄せられながらも、なんとか潰れずにその場に立っている。
もしかしてと自分の直感に従って背後を振り向けば、案の定、難しい顔をした佐助くんが私の背中にくっついて、私の身体を支えてくれていた。
爆音の中、おそらく今彼に私の声は届かないだろう。口の動きだけで「ありがとう」と伝えると、佐助くんは顰めていた眉を八の字にして、諦めたようにため息をついた。
そこから先は、鮮明には覚えていない。
ただ会場内に爆音で響き渡る音楽にひたすら身を任せて、汗まみれになりながら〝楽しい〟という感情を爆発させるその爽快さに、私は暫し酔いしれた。
ファーストステージが終わる。「2日間楽しんで行けよ!」と汗だくになったボーカルが最後まで会場を沸き立てる。
私はへろへろになりながら、会場の後ろの方で膝に手をついて息を整えていた。
「まったく……突然モッシュの塊に突っ込んでくとか、正気かよ!?」
「え、えへへ、ごめん、なんか……会場の熱に当てられちゃったというか……どんなものかちょっと気になって……」
「……で、初めて参加してみたご感想は?」
「面白かった! もうちょっと体力つけないと、毎回はしんどいけどね」
「……そりゃ結構なことで」
佐助くんは信じられないといった表情でじっとりと目を細めてこちらを覗き込んでくる。
以前一緒に地元のライブに行った時もそうだったけど、佐助くんはどちらかというと後ろの方からゆっくりと、冷静に、ライブを眺めているのが好きなんだろう。
それでも無謀にも突っ込んでいった私のために、わざわざ自分までモッシュに揉まれてくれたのだ。
よれよれになった佐助くんの髪やTシャツを見て、少しだけ申し訳なくなった。
「ごめんね、佐助くんまで付き合わせる羽目になっちゃって」
「まーね。まあ、楽しかったんなら良かったよ」
くしゃりと、大きな掌が私のよれよれの髪を撫でた。
それから乱れた前髪を整えるように、優しい指先が私の髪束をなぞる。
最後に額に流れた汗の滴を指で拭われて、佐助くんの綺麗な指先を私の汗が穢してしまうような背徳感に、ぞくりと背筋が粟立った。
それからは、あっという間で。
次のステージ、今度はまた次のステージと、広い会場の中をあっちへこっちへ歩き回り、14時になって遅めの昼食を取る頃にもなると、さすがに疲労が蓄積されてきているのが自分でも分かった。
しばらく昼寝して今のうちに体力を回復しておいた方がいいという佐助くんからのアドバイスを素直に受け入れて、私はしばらくの間、レジャーシートに寝っ転がって仮眠を取ることにした。
遠くから、ロックバンドの演奏が聞こえて来る。
木陰の下、プロの生演奏をBGMに寝れるのはなんとも贅沢なものだなと目を瞑ってぼんやりしながら、眠りに落ちていくのにはそう時間は掛からなかった。
* * *
どれくらい寝ただろう。
前触れなく首筋に当てがわれたひんやりとした冷気に驚き、私は半ば飛び起きるようにして上体を起こした。
「お、起きた起きた。どうよ、よく寝れた?」
「あ、佐助くん……おはよ。えっと、今何時……?」
「はい、おはよ。今は16時過ぎだよ。あんたが見たがってた次のバンドの登場は16:30。そんでこれが眠気覚ましのよく冷えたスポドリ」
手渡されたひんやりと冷たいペットボトルが、おそらく先ほど首筋に感じた冷気の正体なのだろう。
短くお礼を言ってありがたく口に含めば、澄んだ冷たさが口腔内と喉を潤し、寝起きでぼんやりとしていた頭も見事に覚醒した。
「ここで一つ悪いニュースがある」
ため息混じりに呟かれた不穏な一言に、視線が自ずと佐助くんの方へと向けられる。
佐助くんは難しい顔をしてスマホの画面をじっと覗き込んでいた。
「天気予報では今日は一日晴れの予報だったんだけど……ここに来て、急速に雨雲が発達してきてる。しばらくは保つだろうが、おそらく……トリのバンドが始まる頃にはここを直撃する」
「え……」
「よほどの大嵐じゃなけりゃ雨天中止は無いはずだ。だけど雨の予報のことはとっくに会場内では噂になってるし、何よりまだ1日目だ。本降りになる前に、早めに切り上げて帰る組も結構いるみたいだぜ。……どうする?」
佐助くんが視線をスマホから私へと移す。
私は少し視線を伏せて逡巡し、それからもう一度顔を上げた。
「……見よう、最後まで」
「……あいよ、了解」
「佐助くんは……いいの?」
「んー……実を言うと、今回は俺様も最後まで見たいと思ってた」
「今回、は?」
「いつもならさっさと切り上げて帰るところだけど……今回は、あんたがいる。あのバンドを、あんたと聞きたい」
「……奇遇だね。私も、同じこと考えてた」
なんだか照れ臭くなって笑って誤魔化せば、佐助くんも同じように笑った。
それじゃあそろそろ次のステージ見に行きますか、と佐助くんが立ち上がり、自然な流れで手を差し伸べる。
嬉しさで胸の奥が小さく反応して、おずおずとその手を取る。
歩き出した際にふと見上げた空はいつの間にか曇天へと様変わりし、鉛色の重たい雲はゆっくりと雨の気配をあたりに漂わせ始めていた。