君と僕とロックンロールと
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私は、佐助くんの、何者でもない。
ただの同じ大学の、同じ学科の、たまたま趣味が合っただけの友達。
だから、これは特別な関係なんかじゃない。
佐助くんが私に優しくしてくれるのは、笑いかけてくれるのは、あくまで彼の処世術。
分かってる。分かってたじゃないか。
いつも彼がそうやって同級生たちに接してきたのを、私はずっと、教室の隅から眺めていたじゃないか。
ああなんて、世渡りが上手い人なんだろうって。
あんな笑顔を正面から向けられたら、誰だって勘違いしてしまうだろうなって。
だから、私は近付かなかったのだ。
距離を取って遠くから眺めていれば、彼の笑顔は処世術なのだと分かるけれど。だけどきっと、すぐ目の前で、正面から彼の視界に映り込んでしまったら──自分も、その勘違いした人間の一人になってしまうだろうから。
それが、どうだ。
気がつけばあっという間に距離を縮められ、駄目だと分かっていながら正面から彼と向き合ってしまったために、私は、絶対に持ち合わせてはいけない感情を抱いてしまった。
見て見ぬふりをし続けてきた。勘違いだと言い聞かせてきた。
だけどつい先程。半ば衝動的に、私は──認めてしまったのだ。この感情を。
彼のそばに居たいと。
友達では足りないのだと。
彼の──特別に、なりたいのだと。
ずくりと、胸の奥底が痛みを上げる。
それは、自分の愚かさへの嘲笑にも近かった。
分かってる。私なんかが、彼の特別になれるわけがない。
私みたいな、ルックスも大したことなければ、何か際立って出来ることもない、こんなどこにでもいる人間が、佐助くんの特別になんか──なれるわけが、ないんだ。
こうなることを、一番に避けたかった。
とても素敵な人だと、本当はずっと、思っていたから。
仲良くなってしまえば、単純な自分はこうなってしまうだろうと、すぐに予想はついたから。
そしてそれが叶わないものであることも、最初から分かっていた。
だからずっと、彼という存在から、逃げていたのに。
佐助くん。
ねえ、佐助くん。
私、馬鹿だね。
駄目だって分かってたくせに。
──佐助くんのこと、好きになっちゃったよ。
ピッと反応音がして、車のロックが解除される。
その音に、ぼんやりとしていた意識が現実へと戻った。
鍵の空いた車の運転席に佐助くんが乗り込んでいく。
呆然と車外で立ち尽くしていると、佐助くんは薄暗い室内灯の照らす車内で助手席に置いてあった荷物を適当に後部座席へと移動させ、それから運転席から身を乗り出して、助手席のドアを開けた。
「乗って」
やっと、佐助くんの顔が見えた。
だけどその表情は決して優しくはない。声だって、ぶっきらぼうだ。
じっとこちらを見据える双眸は、私に有無を言わせる気などない。
私はその空気に呑まれるがまま、小さく頷いて、助手席へと体を滑り込ませた。
私たちの通う大学は、今日のライブハウスがある駅前から、電車で3駅離れた地区にある。
最寄り駅から大学まではすぐの距離だけど、私の住む学生アパートは、そこから徒歩で20分ほど掛かる。
駅から大学周辺は商店街もあって賑やかだし、アパートの周辺も同じような学生アパートが何棟か固まって立地しているから、夜遅い時間になっても学生がふらふら出歩いており、これまで夜道を怖いと思ったことはない。
だから、別に送ってもらわなくても大丈夫……だったんだけど。
ライブハウス近くの駐車場から大学方面へと向かう道中、車内はずっと無言だった。
居心地の悪い緊張感が辺りにずっと漂っている。
慰め程度の音量でスピーカーから流れるBGMは、この間佐助くんに貸してもらったアルバムの曲だった。
車は幹線道路を走り、どんどん大学に近付いていく。
どうしてもこの気まずい空気に耐えられなくなり、口を開いたのは私の方だった。
「佐助くんって、車、持ってたんだね。しかも普通車とか……すごいね」
「……長曾我部の旦那が、車好きでさ。中古で状態の良いやつを、破格の値段で見つけてきてくれたんだわ」
「へえ、そうなんだ……」
「………………」
「あ……次の信号、左で……」
「……ん」
短い、事務的な会話ののち、またしても無言が広がる。
信号を左に折れると、住宅街の中を走る細い道に入った。
学生アパートが建ち並ぶ地域まではあともう少しだ。
住宅街のためか、この時間は人が出歩くこともなく、車もほとんど通らない。
私たち以外の車がまるで通らないため、交差点ごとに設置されている信号機もあまり意味を為していなかった。
「椿ちゃんてさ、ガード甘いよね」
「えっ」
突然、運転しながら佐助くんが話しかけてくる。
少しびっくりして佐助くんの方を向いたが、佐助くんは無表情のまま前を見据えていた。
それよりも。ガードが、甘い? 私が?
「なんの、こと……?」
「……ライブハウスってさ、良い面ばっかじゃ無いんだわ。こういう地元の人間が集まるライブイベントなんかがあると、それを狙って、帰り際の女の子引っ掛けて持ち帰ろうとする男なんかもいるわけよ」
佐助くんの話は、いまいち要領を得ない。
一体なんの話をしているの?
もしかしてそれが、佐助くんが今不機嫌になっている理由なの?
私が、ガードが、甘いから?
いったい、誰に対して?
しばらく疑問符を浮かべながら佐助くんの話に耳を傾けていると、また信号が現れた。
目の前で赤信号になり、交差点で車が止まる。やはり辺りには人影も、車の影もない。
「……ああいうところに行く時は絶対、帰り道は用心しなきゃ駄目だ。じゃないと」
静かな車内で、突然佐助くんがギアをパーキングに入れた。
どうしたの、と聞こうとした私の耳に、カチリと、シートベルトを外す音が届く。
ますます意味が分からなくて、佐助くんの方を向うとした次の瞬間。
シートベルトが外れ体が自由になった佐助くんが体を助手席側へと乗り出し、窓に右手を突くと、私を覆い隠すようにして、眼前へと迫ってきた。
「こういうこと、されるかもしれないんだぜ」
「さっ、さ、さす、佐助くん! 何、ま、前! 信号! 後続車!」
「心配しなくても他に車なんか来てないよ」
「そっ、そういう問題じゃ……!」
「うるさい口だね。塞いじまおうか」
「ふさっ……!? 何、言って……やだ、佐助くん、こわい……! 変だよ、おかしいよ佐助くん!」
「おかしくない。あんたが悪い」
「っ、えぇ……!?」
「ーーあんたが、悪いんだ。あんな簡単に、前田の旦那なんかに流されそうになってさ」
「け、慶次くんは、そんな悪い人じゃ……!」
「なんで言い切れるのさ。それに、前田の旦那だけの問題じゃない。あいつの後ろでタバコ吹かせてた奴らだっている。ジュースみたいに甘い酒を次々飲まされて、そのまま泥酔したところを、宴会の騒ぎに乗じてこっそり持ち帰るーーなんてのは、ああいう場では常套手段だぜ」
「っ……」
「……もう少し、危機感持ってよ」
暗い車内で、佐助くんが眉根に皺を寄せて、苦しそうな表情を浮かべる。
至近距離で逸らされることなく真っ直ぐ見据えられて、緊張で指先一つ動かせない。逃げ場が、ない。
鼻先に、嫌な汗が滲む。心臓がさっきからけたたましく鼓動し続けている。
耳の奥でその鼓動の音が鳴り響いて、その音がうるさくて、思考回路が鈍っていく。
どうしよう。
こんな状況、どうしたらいいのか分からない。だって、ついさっき、やっと私は自分の気持ちに気付いたばかりだというのに。
こわい。
佐助くんが何を考えているのか、分からない。
どうしてこんなことするの。こんなの、だめだよ、佐助くん。こんなことされたら、また、勘違いしてしまうよ、私。
何も言えないまま、こちらを見下ろす佐助くんと向き合っていると、佐助くんは一度目を閉ざし、それから再び目を開けると、視線を合わせずに静かに運転席へと戻っていった。
相変わらず指先一つ動かせないままの私を放置して、佐助くんはシートベルトを締め直すと、再びギアをドライブに入れる。
ゆっくりと、車体が動き出す。
まるで何事もなかったかのように、車は再び私のアパートを目指し始めた。
「あ、つ、次の交差点、右に行って……2つめのアパート、です」
「ん」
本当に、何事もなかったかのように。
ただ少しだけぎこちない私の道案内に従って、佐助くんは車を走らせる。
程なくして、無事に私のアパート前へと辿り着いた。
車が止まる。佐助くんがギアをパーキングに入れる。
それだけで先程のあの緊張感が舞い戻り、私は慌ててシートベルトを外して助手席を出た。
「えっと……送ってくれてありがとう、ね」
「……うん」
「……じゃあ、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
短い挨拶だった。
佐助くんは結局あれっきり、最後まで視線を合わせてはくれなかった。
助手席のドアを閉めて車から離れる。
佐助くんはやはりこちらを一瞥もしないまま、車を発進させて、帰っていった。
佐助くんの車が角を曲がって消えていくまで、私はその場に立ち尽くして見送っていた。
それから車が見えなくなり、ようやく一人になったことを実感すると、一気に腹の底から色々なことがこみ上げ、居てもたってもいられず、転がり込むようにして帰宅した。
夕飯は、とてもじゃないが食べる気にはなれなかった。
シャワーを浴びている間も、髪を乾かす間も、心ここにあらずと言った状態で、ただひたすら、何度も、何度も、先程の出来事が頭の中でリフレインし続けていた。
眼前に迫った佐助くんの顔。眉間に皺を寄せた、見たことないくらい、辛そうな表情。低く、苛立ちを孕んだ、囁くような声。覆い被さるようにして私の退路を塞ぐ腕。逆光の中、確かに私を捉えて離さない、双眸。
頭の中と心の奥がぐちゃぐちゃにかき乱されて、正気を保っていられなくなる。
腰を据えても落ち着かなくて、私は早々にベッドへと潜り込んで電気を消した。
今の私は混乱している。だから、寝てしまおう。
寝て、起きて、もう一度スッキリとした頭で、何があったのか、どうしてああなってしまったのか、ちゃんと考えよう。
そう自分に言い聞かせて目を閉じる。
だけど、いつまでも心臓の鼓動が落ち着かない。
アドレナリンが全身を駆け巡って、頭がいつまでも冴え渡っている。
それが恐怖からなのか、あるいは別の感情によるものなのか、私には区別がつかなかった。
あのまま、もしも。佐助くんが、顔を寄せてきたとしたら──
頭の中に浮かぶ自意識過剰な妄想を打ち破るようにして必死に頭を振った。
そんなこと、あるわけがないと自分に言い聞かせる。
だけど、じゃあ、なんで。
なんであんなことしたの、佐助くん。
それがもしもただの戯れなのだとしたら。
──あまりにも、残酷すぎるじゃないか。
やっぱり、混乱している。思考が定まらなくて、考えれば考えるほど、ぐちゃぐちゃに乱れていく。
部屋の電気を消したのは、間違いだったかもしれない。
暗い夜闇の中シーツにくるまって、溢れ出すさまざまな感情に押しつぶされそうになり、私は一人音もなく、泣いた。
* * *
椿をアパートに届けた後、発進させた車の中で、佐助はバックミラーへと視線を移す。
アパートの前、降ろしたその場から一向に動こうとしない椿が、一人ぽつんと街灯に照らされながら、遠ざかっていく自分の車を眺めていた。
いくらアパートの目の前とは言え、もう夜はとうに更けている。早く部屋に入ってくれ、とバックミラーの中、次第に小さくなっていく椿の姿を眺めながら、佐助は眉間に皺を寄せた。
角を曲がり、完全にアパートも、椿の姿も見えなくなると、佐助は緊張の糸が切れたように一つ大きく息をついた。
住宅街の中をしばらく走らせ、その途中、交差点に差し掛かったところで、信号に捕まった。
相変わらず夜の住宅街には他に車の気配は無い。意味を成さない信号をそれでも律儀に守り、佐助はただただ、夜闇に煌々と照る赤い信号の光を眺めていた。
「…………あ〜〜〜〜〜〜〜」
突然、佐助が低く唸るような声を喉の奥から絞り出したかと思うと、次の瞬間、ハンドル目掛けて躊躇なく頭を押し付けた。
ごん、と鈍い音を立てて、佐助の額がハンドル上部に直撃する。
力いっぱい叩きつけた衝撃が、じわじわと佐助の額に広がっていく。
「…………何してんだよ、俺様……」
何度も繰り返し反復する額の痛みを感じながら、佐助は自分の頭を覆うようにして、ハンドルの上で腕を組んだ。
信号が、青に変わる。
車は動かない。
明るいラブソングを奏でるロックミュージックがスピーカーから無遠慮に流れ、耐えるようにして、佐助は組んだ自分の腕を力いっぱい握りしめた。
他に車も、人影もない、夜更けの交差点。
青信号を前にして、ブレーキを踏み込んだまま動かない車が、一つ。
そのうち信号は黄色に変わり、そして再び──赤色に、変わった。