君と僕とロックンロールと
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次々と地元のアマチュアバンドたちが演奏を披露していく。
ガールズバンドや、激しめのメタル調のバンド。元気いっぱいのハイテンポ曲ばかりのバンドもあれば、重厚なロックサウンドに乗せたバラードを歌うバンドなど、出演者の音楽性は様々だ。
ひとバンドあたりの持ち時間は30分と非常に短いけれど、そのたった30分という時間の中に各バンドがありったけの想いと曲を詰め込んで、最後の1秒まで必死に歌を、音を、届けようとする姿は、見ている人の胸に強く響く。
夢中になって聞いているうちに、あっという間に最後のバンドとなってしまった。
トリを飾るのは、慶次くんたちのバンドだ。
ふと辺りを見回すと、ライブがスタートした時よりも明らかにお客さんが増えたような気がする。しかも、そのほとんどが女性客ばかりだ。これはもしかして、いや、もしかしなくても間違いなく、後から来たほぼ全員が慶次くんのバンドを見に来たに違いない。
「慶次くんのバンドって、女の人に人気なんだね」
「あー、まあね。独眼竜のやつは、もっと野郎のファンを増やしたいみたいだけど」
「独眼竜……?」
「ああ、ボーカルのあだ名さ。本名は伊達政宗。うちの大学の外国語学科2年。んでギターが前田慶次。こいつはご存知の通り。ドラムスが真田幸村。スポーツ科学科の同じく2年で、この人は俺様の昔からのちょいとしたお知り合い。っとまあ、この3人が同じ軽音楽部で、あともう一人、ベースの長曾我部元親だけは別の工業大学に通ってる」
さすが、このライブハウスで働いているだけあって、佐助くんは詳しい。
大入りとなったお客さんの波は、バーカウンターのすぐ目の前まで差し迫っていた。トリを任されるだけあって、慶次くんたちのバンドはすごい人気だ。
転換が終わり、もう間も無く幕を開けるトリのライブを、観客みんなが今か今かと待ち望んでいた。
佐助くんに作ってもらったシャーリーテンプルはとっくに飲み干してしまい、今は空になったドリンクカップの中で、溶けきらない氷だけがカラカラと音を立てている。
すると突然隣から腕が伸びてきて、私の手の中に握られていたドリンクカップをひょいと取り上げてしまった。
手を離れていくドリンクカップを慌てて目線で追うと、いつの間にかバーカウンターを出た佐助くんが真横に立っていて、カウンターの奥へとカップを片付けてくれた。
「ドリンクチケットある? そろそろ喉渇いてきたろうから、ミネラルウォーターでも飲みな」
そう言って片手に持っていたペットボトルをひょいとこちらへと投げてくる。
慌ててキャッチして、代わりにドリンクチケットを手渡す。
ありがとう、と言おうとしたところで、トリの出番を告げるようにして室内の照明が落ちた。
店内BGMはよりハイテンポな曲調に変わり、音量もどんどん上がっていく。
私の声もBGMと、湧き上がる歓声にかき消されていく。
バーカウンターから漏れる微かな明かりが佐助くんの横顔を照らして、それから佐助くんは、静かに前を指差した。
ああ、うん、そうだね。今は──彼らの音楽を聞こう。
佐助くんのジェスチャーに頷いて、私も目線をステージへと移す。
すぐにステージ袖からバンドメンバーが登場し、会場は再び、割れんばかりの歓声に包まれた。
慶次くんたちのバンドは、なんというか、圧巻だった。
テクニックとか詳しいことは私には分からないけれど、素人の私から見ても、慶次くんたちのバンドは頭ひとつ分飛び抜けて──洗練されていた。
ライブ中の観客を煽るような仕草や、コールアンドレスポンス、各楽器陣のソロパートの魅せ方、それから頭にこびりついて離れないフレーズたち。
このバンドが人気なのも、十分に頷けた。
ライブも終盤にかかった頃、不意に肩を叩かれた。
横を向くと、佐助くんが何か話しかけてきているが、さすがに爆音が響き渡る中では、その声はまるで耳に入ってこない。
咄嗟に、耳を押し出すようにして佐助くんの方へと身体を寄せた。すると直後、耳元に感じる、人肌の温度。
「ライブ終わったら、少し待っててくれる? 家まで送るよ」
耳に直接、佐助くんの声が、吐息が、かかる。
それだけで、背筋にぞくりと粟が立った。
「い、いや、それは悪いからいいよ…!」
「あ、ごめっ、オーダーだわ。じゃ、またライブ後にな!」
「え、ちょっ、佐助くん…!」
呼び止める私の声も虚しく、佐助くんはお酒を飲みに来たお客さんの対応のため、慌てた様子でカウンターの中へと戻っていった。
ボーカルの政宗くんが、ステージ上から「次の曲がlastだ!」と叫んでる。ああ、もう、終わってしまう。
最高潮にボルテージの上がった会場の熱気と、ステージから鳴り響く爆音の渦の中、私は一人、いつまでも鳴り止まない自分の心臓の鼓動だけを、ずっと聞いていた。
ライブが終わると、ステージを存分に楽しんだお客さんたちが一気にバーカウンターに押し寄せ、次から次へと入るオーダーを恐るべき速さでこなしていく佐助くんには、とてもじゃないが話し掛けられそうになかった。
結局、佐助くんの「送っていく」というお誘いを断ることも出来ないまま、かと言ってこのままライブハウスの中に残っていてもいまいち落ち着かず、仕方なしに、外で佐助くんを待つことにした。
佐助くんが出てきたら、ちゃんと「一人で帰れるよ」とお断りしなきゃ。行きは一人で来れたんだし。佐助くんだって疲れてるだろうしね。
ライブハウスの正面端にはスタンド式の灰皿が設けられており、ライブ終わりのお客さんたちが多くたむろして、辺りには紫煙が漂っている。
煙たいのはあまり得意ではないので反対側の端のほうに移動して、スマホを弄りながら時間が経つのを待った。
そのうち、一人、また一人とお客さんは帰って行き、40分もすると、ライブハウス前には私だけが残された。
入場する時にはまだ西日が差していたが、今ではすっかり真っ暗になってしまった。
ビル影なこともあり、ライブハウス前の路地はより一層暗い。
少し離れたところに立つ電柱に取り付けられた外灯が、心許ない灯りでアスファルトを照らしている。
ライブハウスの看板のネオンサインがサイケデリックな色を放ち、スマホを弄る私の服や指を極彩色に染めていた。
するとしばらくしてライブハウスの入り口が開き、中から数人の男性陣が談笑しながら出てきた。
そのうちの何人かと、一瞬目が合う。
あれは──確か今日のライブに出ていた、社会人バンドの人たちだ。
男性陣は私をチラリと認識したものの、すぐに喫煙所へと向かっていった。そして何人かがゾロゾロと入り口から出てくると、最後に、高く結い上げられた唐茶色の髪が、見えた。
あ、と口にする前に、その髪の持ち主がこちらへと視線を向ける。
それからパッと花開くようにして満面の笑みを浮かべると、大きな身体をブンブンと振ってこちらへと駆け寄ってきた。
「慶次くん、お疲れ様!」
「椿さん! 見に来てくれてありがとう!」
「ギター弾く慶次くんすっごくかっこよかったよ〜」
「そうかい? いやあ、照れるねえ! あんたも後ろの方で一生懸命拳振ったりして、ノッてくれてたね」
「え、私がステージから分かったの?」
「もちろん! フロアのお客さんの顔は隅から隅まで見てるさ!」
「すごいね、あんなにお客さんいっぱいいたのに……!」
「俺たちのライブをわざわざ見に来てくれた人たちだからね、ちゃんとこの目に焼きつけておきたいのさ!」
慶次くんはそう言って、太陽みたいに明るい笑顔を向けてくれた。
この薄暗い路地まで、慶次くんのおかげで明るくなったような気がするほどだ。
うん、やっぱりライブのことを話す慶次くんの顔は、すごく生き生きしている。楽しくて仕方ないって顔。遊びに夢中になる子どもみたいな無邪気さは、彼の大きすぎる体格にはギャップがありすぎて、だけどそれが慶次くんの魅力なんだと思った。
「そうだ。椿さん、この後時間あるかい? 今日出演したバンドみんなでこの後、中で軽い打ち上げするんだけどさ、良かったら少し参加していかないかい?」
「えっ、でも私、バンドのメンバーでもないし……」
「大丈夫! そこらへんはゆるいから、誰がいたってみんな気にしないさ。飲み会は人が多いほど盛り上がるってもんだよ!」
「い、いや、でも私佐助くんと……!」
「うん? 佐助のやつがどうかしたのかい?」
佐助くんと。その続きは、なんだ?
佐助くんと……一緒に、帰る? あれ?
ここにこの時間まで残ってたのは、あくまで佐助くんに「一人で帰るから心配しないで」と、ただ一言それを伝えるために、残ってたんじゃないのか?
でも、今私の口から零れ落ちたこの台詞は。
じゃあ、私は。
──佐助くんと一緒がいい。
まるで、もう一人の自分がすぐ背中にぴったりとくっついて、耳に口を押し当てて囁くように。
鼓膜を震わせる幻聴が聞こえたような気がした。
「うーん、よく分かんねえけど、佐助も中にいると思うし、とりあえず中入ってあいつにも聞いてみようか」
呆然と立ち尽くす私に小首を傾げながら、慶次くんが私の背中に腕を回す。
大きな掌と、逞しい腕が私の背中を優しく押す。
待って。なに? 佐助くんに、なんだって? やだ、むりだ。今、私、佐助くんに、顔向け出来ない。佐助くんの顔をまともに見れる気がしない。だって、だって、さっきの言葉は。あんなの、まるで。あれじゃあまるで。
私、佐助くんのことが──
その時だった。
隣を歩く慶次くんが大きな声で「いてぇ!」と叫んだ。
背中に回されていた慶次くんの腕が上へと振り上げられる。
そして支えを失った私の体は背後から強い力で肩を引かれて、後ろにいた誰かの胸に受け止められた。
それから、慶次くんのものとはまた違う、しなやかな筋肉のついた右腕が肩口から首に回されて、まるで大事なものを仕舞い込むみたいに、私の左肩を掴んだ。
突然のことについていけず、ただただ目を丸くして後ろの誰かの胸にもたれ掛かるしかない私の頭上で、低い、感情の消えた声色が静かに響いた。
「何してんの」
その声に、背筋にぞわりと粟が立つ。
それは、いつもの聞き慣れた声。だけど今まで聞いたこともないくらい低い、確実に怒りを孕んだ声。
背中が密着していて、その声の主を振り返ることすら出来ない。
ただ、びっくりしたようにこちらを見る慶次くんの表情がみるみるうちに引き攣り、青ざめていく様子を見ているだけでも、私の背後にいる彼が今どんなに恐ろしい顔をしているのかは想像がついた。
慶次くんの背後で、灰皿の周りにたむろしていたバンドマンたちもチラチラとこちらを覗き込んでくる。
さすがに今の状況は恥ずかしすぎるから、肩を抱く腕の中から逃げ出そうと身を捩ったところで、パッと体が開放された。それからすぐに大きな手が私の腕を掴むと、抵抗する間も無く、私の体は強く引かれて強制的に前へと歩き出す。
腕を引かれるその先へと顔を向ける。
前を向き、私の腕を掴んだままぐんぐんと歩いていく、鷲色の髪を靡かせた後ろ姿。
「さっ、佐助くん!」
「………………」
「あっ、け、慶次くん! じゃあ、今日はありがとうね!」
「お、おー……こちら、こそ……」
引きずられるがまま、背を振り返って慶次くんに別れの挨拶をすると、慶次くんはライブハウスの前で突っ立ったまま、呆然とした顔でこちらにひらひらと手を振っていた。
もう一度前を向く。佐助くんは無言で、ぐんぐん先へと進んでいき、こちらを振り返ることはなかった。いつも優しい佐助くんが、まるで知らない人みたいで。
佐助くん。佐助くん。
こっちを向いて。
いつもみたいに、笑ってよ。
さっきまであんなに会うのを躊躇っていたくせに。
今こうして珍しく怒りを露わにするその姿を見せつけられて、そんな願いを掛ける自分はあまりに身勝手だなと、一人、下唇を小さく噛んだ。