君と僕とロックンロールと
name
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「おねーさん! 良かったらコレ、持ってってよ!」
ずい、と勢いよく差し出されたチラシを前に、つい反射的に手が伸びてしまった。
学食の玄関ホール。昼食を終えた私の前に現れた男性は、大きな体格に唐茶色の髪を高く結い上げ、人懐っこそうな笑みを満面に浮かべて、チラシを配っていた。
明るすぎるその笑顔から半ば逃げるようにして、渡されたチラシに目を落とす。
「サマーライブ……?」
「そ! 俺ら、軽音楽部なんだけどさ。夏休みの間に駅前のライブハウスでライブするんだ。会場はそんなに大きくはないけど、絶対楽しませるからさ! 良かったら来てよ!」
「へえ……」
うちの大学にも、そういえば軽音楽部なんてあったなあ。
自分には関係ないものだと思っていたから、すっかり忘れていた。
チラシにはバンド名がずらりと5つほど並んでいる。
会場として書かれているライブハウスは、以前佐助くんと一緒に行ったあのライブハウスとはまた別のところらしい。
それからチラシの一番下には、ボールペンで携帯番号が書かれていた。
「これ、俺の携帯番号な! もし興味があったら、ここに電話してくれればチケットは取り置きしておくからさ。ライブ当日は受付で名前言って、チケット代をその場で払ってくれれば、すぐ入場出来るよ」
「へえ、そんなシステムなんだ。チケット代……1000円? えっ、こんなに安いの?」
「そりゃあまあ、アマチュアバンドのライブだからね。プロとは違うよ。でもライブハウス借りるのも結構お金掛かってさ。バンドごとにチケットの販売ノルマが割り振られてるから、それクリアしないと俺たち大赤字になっちまうのよ」
バツが悪そうに、目の前の彼が唐茶色の髪を大きな手でわしわしと掻く。
その度に彼の背後で結い上げられた髪がゆらゆらと揺れた。
「受付でも、お客さんがどのバンド目当てで来たか聞き取りで調査するんだ。それでお客さんの人気が高いバンドなら、ライブハウスも目を掛けてくれるようになって、ライブする機会も増える。だからさ、もし来てくれるなら、俺たちのバンド見に来たって必ず言って欲しいんだ! あ、これが俺たちのバンド名ね」
大きな指で、男性がチラシに載っているバンド名の1つを指差す。
最終的には大きな身体を曲げて目の前で両手を合わせ、「お願い! 頼むから来て! 損はさせないから!」なんて必死のお願いまでされてしまった。
その一生懸命な様子と、さっきから実に楽しそうにライブハウスのことを色々と教えてくれるその姿から、彼が本当にバンド活動を、そしてライブをやることを心から楽しんでいるんだろうなということが伝わってくる。
「分かった。スケジュール調整してみるね。決まったらここに連絡すればいいんだよね? えっと……〝けーじ〟?」
「そ! それ俺の名前! 正確には慶(よろこぶ)に次って書いて、慶次! 社会学科の2年生だよ。おねーさんは?」
「あれ、同級生なんだね。私も2年生だよ。学科は経済学科。名前はなまえって言います」
「なまえさんね、オッケー、覚えたぜ! じゃあ、連絡待ってるから! よろしく!」
「うん。またね、慶次くん」
慶次くんは大きな掌をブンブンと振って見送ってくれた。なんだか大きなゴールデンレトリバーに懐かれたような気分だ。
さて、私はというと、これからパソコン室に行かないといけない。
理由は一つ。鞄の中に忍ばせたCDを、パソコン室で待っているであろう佐助くんに返すためだ。
結局あれから、最初のバンド以外にも、佐助くんがオススメというバンドのCDを色々と貸してもらうことになった。
今まで聞いたこともなかったバンドのCDをプレイヤーに入れる瞬間はいつもドキドキで、だけど佐助くんのチョイスは毎回完璧で、どのバンドも一周アルバムを聞いたらすぐに気に入ってしまうものばかりだった。
次から次へと違うバンドのCDを出してくる佐助くんの家には、一体いくつCDがあるんだろうか。
試しに「今度佐助くんの家に行ってみたい」と話したら、少し驚いたような顔をして、それから苦笑しながら「……まだだーめ」と言われたのを思い出す。
まだ、ってなんだろう。佐助くんの部屋には何かあるんだろうか。
実は人を上げられないほど部屋が汚いとか? まさか、佐助くんに限ってそれはないだろう。
悶々とそんなことを考えていると、気がつけばパソコン室にたどり着いていた。
スリッパに履き替えて、室内を見回す。
ふわふわと毛量の多い鷲色の髪は、すぐに目についた。
レポートを書いているらしい佐助くんの耳には大きなヘッドフォンが装着されている。
そのせいか私が近付いても佐助くんはパソコンのモニターから目を離そうとしない。
いつになく真剣なその横顔に、ああ、やっぱり佐助くんってかっこいいんだなあと、今更なことをぼんやりと思う。
背後から静かに肩を叩けば、佐助くんは少しだけ驚いたようにこちらを振り返って、それからすぐに目を細めて笑った。
さっきまでの真剣な表情からの急なギャップに、心臓が変に飛び跳ねてしまう。
ヘッドフォンを外した佐助くんは、空いている隣のパソコンの椅子を引っ張ると、「まあ座りなよ」と促してくれた。
「気付かなくてごめん。ちょいと集中してたもんで」
「ううん、いいよ。こっちこそレポートで忙しいのにごめんね。それ、期末考査用のやつ?」
「そ。テストが無い代わりに課題図書読んでレポート5000字。これならテストの方がまーだ楽だったかもな」
「テストももういよいよ来週からだもんね。私も帰ったら勉強しなくちゃ……」
「でもまあ、それが終われば晴れて夏休み突入! ってね」
「そうだね。あ、佐助くん。CDありがとう。今回もまた当たりだったよ!」
「そりゃどーも。そしたら次はこっちのアルバム聞いてみなよ。ちょっと暑苦しいけど、これからの季節にはピッタリだと思うぜ」
「ありがとう! でも、夏休み入っちゃうから、2ヶ月間ずっと借りっぱなしになるけど……いいの?」
「いーよいーよ。俺様はもうパソコンに取り込んであるし。好きなだけ聞いてくれていいから」
「そう? いつもありがとう。あ、あとさ、佐助くん、うちの大学の軽音楽部のこと、知ってる?」
軽音楽部のことを口にした途端、佐助くんの眉がピクリと反応した。
この顔は、やっぱり知ってるらしい。これだけ色んなバンドが好きなんだから、そりゃあ知ってるよね。
「もしかして佐助くんも軽音楽部とか……?」
「いいや、俺様はどこのサークルにも入ってないよ。ただ、まあ、ちょいと知ってるだけ」
「あ、じゃあこのバンドのことも知ってる?」
佐助くんの前に先程慶次くんから貰ったチラシを差し出せば、さらに佐助くんの眉がピクリと反応した。
いや、反応したというよりは、今度はあからさまに片眉を上げて、怪訝そうな顔でチラシを覗き込んでいる。口角だけが上がった口元の笑顔は張りつけたみたいで、ちょっと怖かった。
「……それ、どうしたの?」
「え、あ、えっと、学食の前で軽音楽部の子が配ってて……夏休み中に駅前のライブハウスでサマーライブやるから、是非来て欲しいって」
「行くの?」
「うん、そのつもり。自分の同級生がバンドやってるって、なんだかすごいなあと思って。それに慶次くんにものすごい勢いでお願いされちゃったし」
「慶次、くん?」
佐助くんの声が、1トーン低くなった気がした。
その変化に慌てて佐助くんの顔を見れば、さっきまで口元に張りついついた笑みは完全にどこかに消え失せ、無表情の佐助くんの目が、私をまっすぐに射抜いていた。
その突然の変化に、思わず狼狽えてしまった。
「えっと、慶次くんっていうのは、チラシ配ってた子の名前ね」
「知ってるよ。なんで下の名前呼びなの?」
「え……あ、そういえば私、慶次くんの苗字、聞いてないや……」
「……ふぅん」
「あ、ほら、ここ、チラシのここに〝けーじ〟って書いてあるでしょ?それで、これ俺の名前なんだって、慶次くん、が……」
なんだろう。さっきから慶次くんの名前を口にする度に、佐助くんの眉間にどんどん皺が寄っている気がする。佐助くんって、もしかし慶次くんと仲が悪いのかな。……なんて、こんな怖い顔した佐助くんには、とてもじゃないが聞けそうにない。
それ以上何も言えず、佐助くんの視線もなんだかチクチクするし、耐えきれずチラシに視線を下ろして黙っていると、頭上で小さくため息の音が聞こえた。
「ごめん。大人げない真似した」
「う、うん?」
「とりあえず、あんたが来たいって言うなら、チケットは俺様の方で取っとくから。その番号には電話しないようにね」
「え、え? なんで佐助くんがチケット取るの?」
「……そのライブハウス、俺様のバイト先なのよ」
「ええ!? そうなの!?」
思わず声を上げると、佐助くんはやっと少し表情を柔らかくして、苦笑いしてみせた。
いつも通りの佐助くんの表情に、私もほっと胸を撫で下ろす。
「いや、ほかにもバイトは掛け持ちしてるんだけどさ。ライブがある時しかシフト入んないし、結構他のバイトと調整しやすいから、気に入ってんだわ」
「へえ、すごいね! ライブハウスでバイトって、なんかかっこいい! この前のぴーえー? だっけ、ああいう仕事するの?」
「あー、たまーにね。俺様はどっちかというとバーカウンター担当が多いけど」
「バーカウンター? ライブハウスでお酒を出すの?」
「ああ、そういうタイプのところはまだ見たこと無いっけ。まあ、来たら分かるよ」
「へえー、楽しみだなあ」
「今度ライブするこのメンツも、みんなうちの常連でさ。しょっちゅう顔合わせてる馴染みのメンバーだよ」
「そっか、だから彼のこと知ってたんだね」
さすがにもう〝慶次くん〟と口に出すのは恐ろしくてやめておいた。また佐助くんがむくれた顔にでもなったら大変だ。
「あ、このライブ当日も佐助くんはいるの?」
「ああ、うん、確かシフト入れてたはず」
「じゃあ、バイト中の佐助くんに会いに行くね!」
「……俺様に?」
突然、豆鉄砲でも食らったみたいに佐助くんがキョトンとした顔でこちらを見てくる。
なんだかその顔が少し子どもっぽく見えて、くすりと笑みが漏れた。
「うん。あ、でも仕事中だから迷惑か。じゃあこっそり佐助くんのこと探すね」
「いや……そんなこと言わないで、会いに来てよ。俺様、店であんたが来るの、ずっと待ってるからさ」
そう言って、佐助くんはとても穏やかに笑った。
今まで見た中で多分一番、穏やかな笑顔。
それは私にはあまりにも眩しく見えて、私はその佐助くんの笑顔が、自分の瞳にはっきりと焼きつくのを感じていた。
ああ、今日の佐助くんは百面相だなあ。
佐助くんと言えば、誰に何を話しかけられてもいつも同じ笑顔で、人当たりが良い、なんて言ってしまえば簡単だけど、逆に言えば人当たりが良すぎる──そんな顔しか、見たことがなかった。
だけどここ最近は、随分と表情が豊かになった気がする。なんて言ったらいいんだろう、その、言い方が悪いかもしれないけれど、人間らしい顔をするようになったというか。
だからさっきみたいに不貞腐れたような顔をされても、実はそこまで嫌な気分にはならなかったり、する。
むしろどちらかというと、嬉しいのだ。
佐助くんと一緒にいると、次から次へと初めて見る表情が出てきて、ああこんな顔もするんだとか、毎回そうした新しい発見を見れるのが、嬉しい。
それはまるで、いや、ううん、私の思い上がりなんだろうけれど、だけどもしかして──私だけが見ることの出来る特別な姿なのかな、なんて。少しだけ、自惚れてしまうのだ。
分かってる。そんなわけがないってことは。佐助くんみたいな人が、私なんかに、私だけに、そんな特別な姿なんて見せるわけない。
これは、そう。ほんの少しだけ、他の人より佐助くんと趣味を共有出来たから。〝知り合い〟から、〝友人〟くらいには、きっとなれたと思うから。だから少し特別な気分になっているだけなのだ。
私が見ているこの表情だって、佐助くんにとっては別に当たり前のものでしかなくて。
きっと、佐助くんにはもっともっと大切な人がいるんだ。そうじゃなきゃおかしい。私なんかが、佐助くんを、まるで独占しているみたい、なんて。絶対に、ありえないんだ。
ふと、そこまで考えて、何故か胸の奥がじくりと痛む感覚を覚えた。
突然のことで、一瞬思考が止まる。
今のは、なんだろう。
なんで胸が、痛むんだろう。こんなの、これじゃあ、まるで──
「なまえちゃん?」
「ふぁい!? な、なに!?」
「なにって、そっちこそぼーっとしてどうしたのさ?」
「え、あ、いや、なんでも……ないよ」
「大丈夫か? 今日も暑いし、ちゃんと水分摂んないとダメだぜ?」
「は、はーい。じゃあ、私もう行くね。お、お邪魔しました」
佐助くんに新しく借りたCDを慌てて鞄に仕舞うと、私は逃げるようにしてパソコン室を後にした。
心臓が、ドキドキしている。
でもそれは、今まで何度か佐助くんといる時に感じた鼓動とは、どこか違っていた。
嬉しいような、むず痒いような、そんな胸の高鳴りではなく。
どちらかとえいば、ギリギリと締めつけ、細い針を一本一本突き刺していくような。
なんだろう、これ。一体、なんなんだろう。
小走りでパソコン室から去りながら、胸の鼓動を抑えるように、鞄を強く胸元で抱き締める。
だけど抱きしめた鞄の中に、固いCDケースの感触を見つけてしまって。
佐助くんから借りたCDが、鼓動する心臓に押し当てられているのだと気付くと同時に、もう一度、胸の更に奥の方が、ずくりと痛む音がした。