君と僕とロックンロールと
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「お、いたいた。おーい、こっちこっち」
夕方17時。
郊外にあるライブハウスの前には、にわかに人だかりが出来ていた。
その人混みの中からこちらに向かって手を振る見慣れた顔を見つけて、思わず駆け寄る。
「佐助くんお待たせー、結構人来てるね」
「みんな物販も狙ってくるからね。なまえちゃんもなんか買う?」
「どうしようかな、何があるかとりあえず見てから考えるね」
「あいよ。ちなみに俺様はタオルとTシャツ、あとリストバンドも買っちった」
「え! もしかして今身につけてるそれ一式、ライブグッズ?」
「そりゃあね。その方が気分も上がるし」
佐助くんは黒地にオシャレなデザインの施されたTシャツを着て、首からはカラフルなマフラータオルを掛けている。
じゃじゃーんと言いながら見せてくれた手首には、黒いリストバンド。
よく見るとどのアイテムにも、バンドのロゴが描かれている。
デザインも可愛いけれど、好きなバンドのロゴが入ったグッズというのがなんとも購買欲を唆る。
よく見たら周りの人もかなり多くの人が佐助くんと同じTシャツとタオルを身につけていて、それが妙な一体感を生んでいた。
なんだろう。運動会で同じ色の鉢巻きをするような感覚だ。パッと見ただけで、全然知らない赤の他人なのに何故か〝仲間〟という意識が芽生えてしまう。
ライブ会場というのは不思議な場所だなあと、初めて経験する空気に、始まる前からワクワクが止まらなかった。
佐助くんに案内されて、物販の列に並ぶ。
不思議なもので、周りがみんな着ていると自分もつい欲しくなってしまい、つい財布の紐が緩んでしまう。
結局私も、Tシャツとタオルを購入してしまった。
「どうする? トイレで着替えてくる?」
「うーん、すぐに着ちゃうのがなんだかもったいなくて……」
「あはは、じゃあ今日使うのはタオルだけにしときな。そろそろ開場するから並ぼっか」
佐助くんに言われた通り、買ったばかりのタオルを首に巻く。
それからスタッフさんの指示に従って待機列に並んだ。
すぐに拡声器を持ったスタッフさんが出てきて、番号順に呼ばれていく。
佐助くんが取ってくれたチケットは200番台。すぐに自分たちの番は回ってきて、ドキドキしながら会場へと足を踏み入れた。
天井の高い、薄暗い空間。
壁には、たくさんの色褪せたサイン。きっとここでライブをしたことのあるバンドマン達が残していったものなのだろう。
洋楽のBGMが流れる室内は、どこか少し霞みがかっている。
ステージの前にはもうすでに何列か人だかりが出来ていた。
次々と入場する人たちもみんな同じようにステージ前から順に詰めていくので、前の人について行くように歩いていると、突然二の腕をぐいと引かれて、列から飛び出してしまった。
私の腕を引いたのは、勿論佐助くんで。何事かと彼の方を見れば、「そっちは危ないから」と言ってフロアの後ろの方へと案内された。
後ろの方──と言っても、実は会場は二段になっていて、ステージ前の広い空間だけでなく、そこから左右に設けられた階段を数段登ったところにも、下のフロアの半分ほどのスペースが用意されている。
上のフロアの一番前には柵が設けられており、早めに入場した人たちが、すでにその柵にもたれ掛かって待機していた。
すると、たまたま一箇所だけ、柵の前に人一人が入れるほどのスペースが空いており、佐助くんは私をそこに立たせると、自身は私のすぐ背後へと立った。
慌てて、佐助くんの方を振り返る。
「さ、佐助くん、いいよ、佐助くんが前に行きなよ」
「いーからいーから! 初ライブ参戦なんだからさ、せっかくならよく見えるところで見てほしいし」
「でも、私だけ悪いよ」
「俺様の方が身長高いんだから、あんたが前に居たってステージはよく見渡せるよ。気にしなさんな」
そう言って佐助くんは私の両肩を掴むと、くるりと強制的に前を向かせた。
さっき二の腕を掴まれた時もそうだったけど、佐助くんは当たり前のように触れてくるから、その度に心臓が飛び跳ねて、とても精神的によろしくない。
そんなことを考えていると、突然頭の上にずっしりとした重みと人肌の温かさを感じ、何事かと頭を上げると、なんと佐助くんが私の頭の上で腕を組んで、そのままもたれ掛かってきていた。
「ちょ、何してるの!?」
「え、いやー、柵にはもたれ掛かれないけど、代わりにあんたにもたれ掛かって休憩させてもらおうかなーと思って」
「お、重、い…! 佐助くん!」
「あはー、なまえちゃんの身長、もたれ掛かるのに丁度いい高さなんだよねえ。それにいい匂いするし」
「ちょっ、頭の匂い嗅がないで!?」
わちゃわちゃと抵抗してはいるものの、私の心臓はさっきからとんでもない速度で鼓動し続けている。
頭の上だけじゃなくて、背中全体に佐助くんがぴったりともたれ掛かってくるから、触れ合ったところがどこもかしこも熱い。
その熱が顔にどんどん集まってきて、今にも湯気が出そうな勢いだ。
恥ずかしい。だけど、嫌な感じはしない。
それがなんでなのかは、考えないことにした。考えてしまったら、もう後戻り出来ないような気がしたからだ。
きっと今佐助くんと私の体勢は、はたから見たらものすごく恥ずかしいはずだ。だけど薄暗いライブハウスの中、人混みに紛れた私たちの姿を気に留める人はいない。
だから。今だけはいいかな、なんて。
いとも簡単に佐助くんの行動を許してしまう自分の狡猾さも、何もかも全部、この人混みの中に紛れてしまえばいいと思った。
「そ、そういえば、さ」
「んー?」
「なんでさっき、下のフロアは危ないって言ったの?」
「あー、それはまあ、ライブが始まれば嫌でも分かると思うよ」
「そう? ……あ、ねえ、あれは? 何するところなの?」
「うん? ああ、PA?」
「ぴーえー?」
上のフロアのちょうど真ん中には、柵で仕切られた空間があり、その中にはたくさんのボタンがついた高そうな機械やパソコンが所狭しと敷き詰められており、その中で数人のスタッフさんが真剣な表情でステージを眺めていた。
「あそこでステージの音響とか照明とかの調整するんだよ」
「えっ、こんな、お客さんのすぐ真横でするものなの?」
「お客さんにどう聞こえるか、どう見えるかを調整しなきゃいけないからねえ。同じフロアに立ってみないと、ちゃんと調整出来てるか判断出来ないしな」
「そっか……なんだか舞台裏を見てる気分だね」
「PAさんの手元の動き見てるのも結構楽しいよ。まあ今日は初めてのライブだから、そんな余裕はさすがに無いか」
「う、うん、多分……」
ドギマギする気分を紛らわせようと何気ない会話を振ってみたものの、頭のすぐ上から佐助くんの優しい声が響いて、ますます緊張が高まってしまうだけだった。
結局、自分で話題を振ったくせにそれ以上会話を続けることも出来ず、佐助くんの重さを頭と背中で感じながらひたすら押し黙っていると、ステージ上がにわかに慌ただしくなった。
薄暗いステージの上で、楽器を手にして何やらセッティングを始めている。
もうライブが始まるのかと一瞬ワクワクしたけど、どうやら今ステージに立っている人たちはバンドメンバーでなく、スタッフさんらしい。
それぞれの楽器を鳴らして、音の確認をしているようだった。
会場に、ギター、ベース、ドラムスの音が鳴り響く。
初めて生で聞くそれらの音はすごく迫力があって、それぞれの楽器の音を聞いているだけでも楽しい。
これらの音が目の前で合わさって一つの音楽になるのかと思うと、これから始まるライブがますます楽しみになった。
スタッフの人がマイクの前に立つ。
佐助くんがさっき言ってたPAのスタッフさんが手元で何か操作すると、マイクのスイッチが入った。
「ツェー、ツェー、ツェッ、アー、ッフ、アー、ツェッ」
「…………佐助くん」
「あれはね、マイクがハウリングしないか、あと破裂音とか、空気の抜ける音がこもらないかとか、色んな音域の音を出してチェックしてんの」
「えっ、なんで私の言いたいことが分かったの?」
「初めてライブに来るやつはみんなそれ必ず聞くんだよ」
くすくすと楽しそうに笑う佐助くんの喉の動きが、振動として頭のてっぺんから伝わってくる。
なんだか触れてはならないものに触れているようで、妙な背徳感に包まれる。
ぴったりとくっついた背中越しに、この暴れまわる心臓の鼓動が佐助くんにまで伝わってしまうんじゃないかと、それが恐ろしかった。
フロアには次から次へとお客さんが入ってくる。小さなライブハウスはあっという間に満員のお客さんで埋め尽くされた。
その全員が、ステージの方を向いて〝その時〟を今か今かと待ち望んでいた。
ちらりと腕時計を見れば、開演まであと数分を切っていた。
会場全体がどこかソワソワとして、それぞれの期待感と高揚感が周囲に伝播し、それはフロア全体を包んでいく。
周りは知らない人ばかりだし、互いに挨拶を交わしているわけでもない。それでも確かに、今私は、ここにいる全員と心が一つになっていることを感じていた。
不思議な一体感だった。まだライブが始まってもいないのに、どんどん気分が高揚していく。
そして次の瞬間。会場に流れていたBGMが止むと同時に、会場の照明が完全に落ち、真っ暗闇の中、堰を切ったかのようにフロア中から歓声が一斉に湧き上がった。
──始まる。
先ほどまで流れていたものとは違うBGMがけたたましく鳴り響く。
フロアからはバンドメンバーの登場を待ち望む手拍子が自然と響き出した。
そして割れんばかりの歓声の渦の中、ステージ袖からバンドメンバーが登場すると、けたたましい楽器の音が鳴り響く中、ステージが煌々と照らし出され、私にとって人生初となるライブ参戦の幕が、開けた。
それからは、本当に一瞬だった。
ドラムスのカウントののち、聞いたことのあるギターのフレーズが流れ始めると、会場はますます盛り上がった。
ステージに降り注ぐライトが、それを見守る観衆の黒々としたシルエットを映し出す。
フロアのほとんどの人が拳を高く上に振り上げ、硬く握られた拳、ひらひらとメンバーに振られる掌、中には小指と人差し指で不思議なピースサインみたいなものを作って掲げている人もいた。
それらのさまざまな形をした腕が、黒いシルエットとなってさざ波のようにフロアで揺れている。
気がつけば私も見よう見まねで拳を高く掲げていた。
周りに合わせて拳を突き出したり、掌を左右に振ったり。
ライブというのは、ただバンドが演奏するのを見るだけだと思っていたけれど、実際はステージとフロア全員が一体となって、一つの音楽を作り上げる時間なのだと、私はこの時初めて知ったのだった。
佐助くんがアルバムを貸してくれたおかげで、ほとんどの曲が聞いたことのあるものばかりだった。
あの曲だ。ああ、今度はあの曲だ。そうやって、次から次へと演奏される音楽に全身が包まれる。
小さなライブハウスの中に音という音が充満して、耳だけでなく、五感──いや、細胞一つ一つで音楽を味わっているかのような気分だった。
ドラムスの音がお腹に響く。
甲高いギターの音がビリビリと肌に突き刺さる。
うねるようなベースの音が胸を震わせる。
楽しい。楽しすぎて、時間なんて一瞬で忘れてしまった。
とにかく今は、この音楽に包まれて、それ以外に何もないこの空間を全身で堪能しようと、そう思った。
* * *
「すっっごかったねー!」
本当にあっという間にライブは終わってしまい、興奮の余韻を引きずりながらライブハウスから出ると、辺りはいつの間にかすっかり夜の帳が落ちていた。
「佐助くんの言ったとおり、下のフロアは危険だったね!突然揉みくちゃになってぶつかり合ってたもんね」
「だろ? 結構激しいんだわ、あのバンドのライブ」
「うん! でも見てて楽しかった!」
「……なまえちゃん、さっきから声のボリューム機能バカになってない?」
「あ、やっぱり? なんかね、ずっと耳の奥がキーンって耳鳴りしてるの! だからあんまり小さい声で話されるとちょっと聞き取れないかも」
「っ、マジ!? 大丈夫!?」
想像以上に佐助くんが慌てた様子でこちらを覗き込んでくるから、何か問題だったろうかと首を傾げる。
佐助くんは私の顔をじっと凝視した後、少し困ったようにため息を漏らした。
「あー……そっか、初めてだもんなライブ。耳が慣れてないからか。ごめん、そこまで考えてなかった。気分は? 吐き気がするとか、ない?」
「うん、体調は問題ないよ! 耳鳴りも遠くの方で少しキーンって鳴ってるだけ」
「……そっか。多分明日の朝には治ってると思うけど、もし明日の昼になっても治らないようなら、一応病院行きな」
「はーい。でもライブはすっごく楽しかった! こんなに楽しいなんて、知らなかった! また絶対行きたい!」
「あはは、そんなに気に入ってもらえたなら良かった」
「チケット取ってくれてありがとうね、佐助くん」
「どういたしまして。こちらこそ、付き合ってくれてありがとさん」
「うん、また一緒に行こうね!」
ピタリと、隣を歩く佐助くんの足が止まった。
数歩先でそれに気付いて後ろを振り返る。
佐助くんは──不思議な顔をしてた。
なんて名前をつけたらいいのか分からないような、顔。
困ったような、嬉しいような、戸惑ってるような、ちょっと笑ってるような。
なんで突然止まったのか、なんでそんな不思議な顔をするのか、さっぱり分からなくて私もただ呆然とその場に突っ立って佐助くんのその表情をまじまじと見つめていた。
それから佐助くんは、くすぐったそうに、笑った。
「耳鳴り、まだしてるー?」
「え、うん、してるけど」
「そっか」
「佐助くん?」
「…………好きだよ」
「え? なに? ちっちゃくて聞こえないよ」
「なーんでもございませんよー! さー、腹減った! ライブの後はやっぱりラーメンに限るね! どうよ、俺様の行きつけのラーメン屋、一緒に行くかい?」
「いいね! そういえばお腹すいた!」
思い出したかのように、胃が空腹を訴え始める。
佐助くんはさっき、なんて言ったんだろう。
そんな疑問はすぐに空腹に掻き消されて、どこかにいってしまった。