君と僕とロックンロールと
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講義室の後ろのドアを開けると、中には同級生たちのざわめきが充満していた。
段差がつけられ少し高くなっている後ろの方の席から全体を見渡して、お目当ての彼を探す。
「なまえちゃん」
不意に聞こえてきた声は意外にもすぐ傍からで、慌ててそちらに目を向けると、最後列から2番目の比較的目立たない席に、お目当ての人である猿飛くんが、机に肘をついてこちらに手招きしていた。
「おはよ、猿飛くん。これ、前借りてたCD、返すね」
「お、サンキュ。どうだった?」
「うん、すっごい良かった! 前借りたやつより、こっちの方が好きかも」
「あぁ、前のやつはちょっとマイナーなやつだったから。なんならもう少し借しとくぜ?」
「んーん、大丈夫。もう何十回って繰り返し聞いたから」
「ん、そっか」
程なくして始業を告げるチャイムが鳴り、講師の先生が一番前の扉から教室に入ってくる。
それに合わせて私も猿飛くんの元を後にしようとしたら、軽く腕を掴まれて「ここでいいじゃん」なんて言われてしまった。
若干戸惑ったが断るのも悪い気がして、そのまま大人しく猿飛くんの隣に腰掛ける。
講義室には沢山の生徒がいるから別段目立つというわけでもないけれど、なんだかむず痒くて、それに何より猿飛くんに掴まれた腕が、自分でもびっくりするくらい熱を帯びているのが恥ずかしかった。
パソコン室での一件からすぐに、猿飛くんは本当にアルバムを持ってきてくれた。
最初こそ気乗りしなかったものの、毎日BGM代わりに聞いているうち段々とそのバンドの音楽が好きになっていき、いつしか家事をしながら口ずさむくらいハマってしまっている自分がいた。
しばらくして猿飛くんにCDを返す時、なんの気無しに猿飛くんが「どうだった?」なんて聞くから、つい熱が入ってここが好きあそこが良いなんて熱弁していたら、猿飛くんは少し驚いたような表情を浮かべたあと、見たことないような少しはにかんだ顔で「そっか」とだけ言って、また新しいアルバムを貸してくれた。
そんなことが、もうかれこれ3回ほど続いている。
あの最初のアルバムのおかげで猿飛くんに対する苦手意識はすぐに消し飛んでしまった。
今では同じバンドのことで盛り上がれる、貴重な友達だ。
といっても、私はまだやっぱり音楽のことはそんなに詳しくはなくて、このバンドのこと以外はさっぱり分からないし、猿飛くんが貸してくれたアルバムの曲しか知らない。
だけど最近、バイト中に有線で流れるロックミュージックに耳を傾けることが多くなった気がする。
なんとなく、ギターの音がかっこいいなとか、ボーカルの声が透き通ってていいなとか、まだそんな感想しか浮かばないけれど。
あとは、これはあまり人には言えないのだけれど、そういう音楽を聞いていると「これは猿飛くんが好きそうかな」と思ってしまうこともある。
そんな時は次の日学校で早速猿飛くんにその曲のことを話してみるのだけれど、すると猿飛くんはこれまた楽しそうに顔を綻ばせて、「多分このバンドの新曲だね」なんて言って、また色んな音楽のことを熱心に教えてくれるから、ああやっぱり猿飛くんの好みのバンドだったかあ、なんて、それを当てられたことにちょっとだけ嬉しくなってしまうのだった。
ふと、真面目に先生の板書をノートに書き取っていると、視界の隅にす、と隣からノートが差し出された。
聞くまでもなくそれは隣の猿飛くんから差し出されたもので。
何事かとそのノートに視線を向けると、隅の方に小さく「ねむい」とだけ書かれていて、思わずくすりと笑みが漏れた。
それから猿飛くんの顔を見れば、眠たそうに目頭を揉みながら苦笑いする猿飛くんがこっちを見ていて。
なんだかその様子が子どもみたいで、思わず、猿飛くんの書いた落書きの下に私もコメントを書き込んだ。
〝だめだよ〜〟
〝あの先生、いつも眠くね?〟
〝わかる。笑〟
〝じゃあ二人で寝ようぜ。共犯〜〟
〝だめだよ猿飛くん〟
〝下の名前で呼んで〟
えっ。
思わず、口から零れ落ちそうになった言葉をすんでのところで喉奥に引っ込める。
突然、話の流れが変わった。柔らかくて、少し女性っぽい猿飛くんの文字。その文字が、名前を呼んでと、言っている。
ペンを持ったままその先を綴ることが出来ず固まる私に、猿飛くんは机に突っ伏して、顔だけをこちらへと向けた。
さっきまで見えなかった猿飛くんの顔が視界の隅に映り込んで、思わず、視線がそちらを向いてしまう。
視線が合うと猿飛くんは相変わらず眠たそうな目をとろんとさせながら、柔らかく笑った。
その光景はなんだかすごく妖艶で、思わず胸がドキリと鳴る。
それから、声を出さずに唇だけで確かに、「さ す け」と、そう言った。
その仕草に、だんだんと顔に熱が集まってくるのを感じて、それを見られるのも恥ずかしくて、髪の毛で顔を隠すようにそっと俯いた。
ノートの端っこに書かれた猿飛くんの文字だけが、視界に入る。
ここに、書くべきなのだろうか。──佐助くん、と。
頭の中で呼んでみただけなのに、なんだかとても気恥ずかしくて、とてもじゃないが握ったペンは動きそうにない。
どうしようかと一人俯いて悶々としていると、不意に授業の終わりを告げるチャイムが教室に鳴り響いた。
はっと顔を上げれば、一斉に教室内が慌ただしくなり、辺りは次の授業へと急ぐ人たちでざわついている。
「あ〜〜、やっと終わった〜」
隣で机に突っ伏していた猿飛くんも、ぐんと背筋を伸ばして首をひと回しした。
それから、何事もなかったかのようにノートも筆記用具もさっさと鞄に片付けてしまう。
さっきまで一人で悶々としていたことがなんだか恥ずかしくなり、私も慌ててノート類を鞄へと押し込んだ。
「あ、そういえばさ」
「は、はい!」
「あは、どうした? なんでそんな緊張してんの?」
「え、いや、な、なんでも……」
「まあいいけど。あのバンド、全国ツアーで今度うちの県にも来るらしいよ」
「えっ!? うそ! ほんとに!?」
猿飛くんから聞かされたビッグニュースに、さっきまでのドギマギした気持ちは一瞬でどこかに消し飛んでしまった。
思わず目を輝かせて猿飛くんの方を見れば、苦笑いしながらスマホの画面を見せてくれた。
まじまじと覗き込めば、そこには確かに、2ヶ月後にうちの県でライブをやるという情報が載っている。
正直、音楽ライブなんて、今まで行ったことはない。
どんなところなのかよく分からないけれど、だけどいつも聞いていたあのメロディを、生で奏でる音を聞くことが出来て、そしてその姿を見られるのなら、是非──
「い、行きたい!」
「そう言うと思ってたぜ。あんたの都合さえいいなら、チケット取っとくけど?」
「ほんと!?」
「ほーんと。ちょいとそっち方面でツテがあってね」
そう言って猿飛くんがウインクした。うわあ、こんなにウインクが似合う男の人、タレントさん以外で初めて見た。
「じゃ、その日はちゃんと予定空けといてな」
「うん! ありがとう猿飛くん!」
「猿飛、くん?」
強調するように、猿飛くんが私の言葉を繰り返す。
にっこりと、とても人の良い笑みを浮かべてはいるが、そこからひしひしと無言の圧力というものを感じる。
正面から浴びせられるそのプレッシャーに耐えられず、思わず私の笑顔も引き攣った。
何度か視線を左右に泳がせてみたが、猿飛くんは微動だにせずじっと私を見据えている。
「さっ……………………佐助、くん」
「うん、なまえちゃん」
周りの喧騒に掻き消されるんじゃないかと思うくらい小さな声で名前を呼んでみたのだけれど、悲しいかな彼の耳にはしっかりと届いていたらしく、逆に強調するようにはっきりと名前を呼ばれて、ますます気恥ずかしくなってしまった。
佐助くんの顔をまともに見ることも出来ず俯いていると、ぷ、と噴き出す音が聞こえて、慌てて顔を上げると、佐助くんは顔を横に背けて口元を押さえながら、肩を震わせてくつくつ笑っていた。
「あんた、なんつーか、ほんと初心だねえ」
「う、うぶ……!?」
「あー、おもしろ。んじゃあ、お互い下の名前で呼ぶようになったことだし……いい加減さ、連絡先交換しねえ?」
「え? あ、そういえば猿飛く……さ、佐助くんの連絡先、知らないね」
ついいつもの癖で「猿飛くん」と呼ぼうとしたら、全然笑ってない目で微笑まれたものだから、すぐに訂正する羽目になった。
なんでこんなに名前に拘るんだろう、佐助くん。
とりあえずちゃんと下の名前で呼ぶと、今度は満足げに笑ってくれたから、佐助くんはよっぽど自分の名前が好きらしい。
「こんなにしょっちゅう大学では話するのに、あんたってばいつまで経っても連絡先教えてくれないからさあ。一緒にライブ行くんなら、お互いの連絡先くらい知っとかないと、色々打ち合わせとか出来ないだろ?」
「そ、そうだね。ごめん、なんかほぼ毎日顔合わせてるから、失念してたよ」
「だろうねぇ。ってなわけで、はい、これ俺様のQRコード」
慣れた手つきで差し出されたスマホの画面に、あまり使ったことのない友達登録機能にオロオロしつつもスマホを翳すと、すぐに友達登録が完了したお知らせが画面上に浮かんだ。
丸いアイコンの中、どこかの海辺だろうか。真っ赤な夕陽をバックに、鷲色の髪を風に靡かせる男性の後ろ姿が見える。佐助くんだ。
すごいなあ。こんな小さい画像で、おまけに後ろ姿なのに、佐助くんはそれでも絵になる。
そんな芸能人みたいな写真とは裏腹に、すぐ真下に表示された名前はひらがなで「さすけ」と書かれていて、そのギャップにちょっと笑ってしまった。
「あんたのアイコン、なにこれ、猫?」
「うん。うちのアパートの近所によく居る野良猫。ぶさかわいいでしょ?」
「可愛いかあ、これ? すっげーふてぶてしい顔してねえ?」
「そこが可愛いんじゃん」
「これじゃ猫と会話してるみたいじゃんか。あ、なんなら俺様があんたの写真撮ってやろうか?」
「え、やだよ恥ずかしい! 自分の顔アイコンにするほど自信ないよ私」
「そんなことないって。俺様はあんたの顔が見れる出方が嬉しいけど?」
「佐助くんだって後ろ姿じゃん」
「あは。それもそうか」
さらりとこっちの心臓を跳ねさせるようなことを言ってくるもんだから、つい悪態で返してしまった。
佐助くんはやられた、といった感じでこめかみの辺りを指で掻きながら、肩をすぼめて見せる。
「にしても、あんたやるねえ」
「え?」
「俺様の方から連絡先交換しようなんて切り出したの女の子、あんたが初めてだよ。俺様自信無くしちゃうわー、ほんと」
「えっ」
「じゃ、あんたとのライブデート、楽しみにしてるから」
「えっ、え? デ、え??」
「んじゃなー、ほら早く移動しないと次の授業遅れるぜー」
「ちょ、あの、佐助くん…!」
呼び止める間もなく、佐助くんはひらひらと軽く手を振ると、颯爽と教室を出て行ってしまった。
今、今なんて言った? デート? 誰と、誰が??
私は佐助くんと、バンドのライブに行くだけだ。
気になるバンドが地元でライブをするというから、同じバンドが好きな佐助くんと、ただ一緒に見に行くだけだ。
一緒……に…………
頭の中で反芻するその言葉の意味が段々と分かってくると、首の下から熱が込み上げ、顔中がぽかぽかした。
違う、そうじゃない、そんなんじゃない。
少しだけ浮かれてしまった自分の頬を張り倒す勢いで何度も否定してみせるが、すぐにさっきの佐助くんの言葉が横から割り込んできて、正常な思考回路を阻害する。
──あんたとのライブデート、楽しみにしてる。
そんなこと簡単に言うのは、卑怯だぞ、佐助くん。
甘いマスクの男はつよい。いろんな意味で。
ざわつく教室の中一人立ち尽くして、私はそのことを嫌というほど痛感していた。