君と僕とロックンロールと
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授業終わりを告げるチャイムが鳴る。
時刻は12時ちょうど。
さて今日のランチはどうしようかとぼんやりしていると、スマホのバイブレーションが反応した。
画面に表示されるのは、見慣れた「さすけ」の文字。
それから、丸いアイコンの中の写真は──いつかの夕暮れの海辺で撮られた佐助くんの後ろ姿ではなく、フェスのリストバンドを巻いて突き出された拳の写真に変わっていた。
隅の方にはもう一つ、一回り小さい拳が同じリストバンドを手首につけて差し出されている。
フェスが終わってすぐに変えられたアイコンに、政宗くんあたりからは「匂わせうぜぇ」とだいぶ煙たがられたらしいけど、本人はどこ吹く風といった感じで全く気にせず、アイコンはずっとこのままだ。
あのフェスは本当に楽しかったなーなんて懐かしさに目を細めながら画面をタップしてトーク画面を開く。
飛び込んできた「ゲット」という短い報告と、その直後に送られてきたCDの写真に思わず刮目すると、大慌てで鞄をひっ掴んで教室を飛び出した。
ランチを取ることも忘れて、もうすっかり通い慣れた道を一目散に駆け抜ける。
大学の正門を抜けて、駅へと続く商店街を駆け抜けて。それからさらに5分ほど小走りで行けば、すぐにお目当ての学生アパートへとたどり着いた。
駆けてきた勢いもそのままに玄関のチャイムを押すとすぐにドアが開き、中から佐助くんが姿を現した。
「ずいぶんと早かったんじゃなーい?」
「だって! あれ! 新譜! 今日の!」
「まあまあ、落ち着けって。とりあえず中入って、まずは息整えな」
苦笑いしながら招き入れてくれる彼にすんなり従って、私は佐助くんの部屋へと吸い込まれていく。
1DKの部屋は綺麗に掃除され、壁際にはカラーボックスが並び、その中にはびっしりとCDが連なっていた。
これももう、すっかり見慣れた風景だ。
ローテーブルの前に座って軽く息を整えていると、佐助くんがキッチンから麦茶の入ったグラスを持ってきてくれた。
「いただきます」と頭を下げてグラスに口をつければ、よく冷えた麦茶が喉を潤し、身体の熱がいくばくか発散された。
目を固く瞑って深々を息を吐き出す私に「おっさんじゃないんだから」と苦言を呈しながら、佐助くんがローテーブルにことりと何かを置く。
釣られるようにして視線をそちらへ移せば、それは待ち望んでいた今日発売したばかりの最新アルバムで。
初めてホールケーキを目の当たりにした小さな子どもみたいに、私の口からは勝手に歓喜の声が零れ落ちていた。
「佐助くん、仕事が早い!」
「俺様を誰だと思ってんの? もちろん、初回限定盤だぜ~」
まだ封の開けられていない新品の、出たばかりのアルバム。佐助くんは丁寧にビニールを剥がすと、CDの蓋を開け、歌詞カードを取り出した。
思わず佐助くんに身体を寄せて、その手元を食い入るように覗き込む。
スタイリッシュなデザインでそれぞれの曲の歌詞が並ぶ中、ページをめくると時折バンドメンバーのポートレートが挟み込まれていた。
「ベースの人、やっぱりかっこいい~。この写真の角度特に好きだなー」
「ちょいちょい。彼氏の目の前で他の男褒めないでくれる?」
「えっ、芸能人もダメ?」
「だめ。椿ちゃんには世界一かっこよくてやっさしー彼氏がいるでしょうよ」
「……それ、自分で言う?」
「言わないと分かんないみたいだからさ、あんたってば」
ふと気が付くと佐助くんの腕が私の腰に回されている。
一抹の不安を感じ取った身体が距離を取ろうとするのと同時に、佐助くんは不敵な笑みを浮かべると、逃げようとする私の身体を捕らえ、あっという間に私を床へと押し倒した。
その動きの機敏さたるや、まるで抵抗する暇も与えてもらえなかった。
手にしていた歌詞カードはいつの間にかちゃっかりローテーブルの上に置かれている。
顔を引きつらせる私を楽しげに眺めながら、佐助くんは自由になった両腕を、私の身体を囲うように床へと降ろした。
「ついでに、男の部屋でそーんな不用心にくっついてくることが何を意味するかも、分かんないみたいだし?」
「あわわわ、そ、そういうつもりじゃ……!」
「そういうつもりがないから、余計にたちが悪いんだよねえ」
私の上に覆いかぶさる佐助くんが、目を細めて笑う。でもその瞳の奥は全然笑ってなくて、背筋に薄ら寒い粟が立った。
顔のすぐ横に佐助くんが肘をつく。
一気に顔同士の距離が縮まって、それから少しだけ傾けた顔がゆっくりと降りてくるから、私はたまらず固く目を閉じた。
ふに、と柔らかな感触が降ってきたのは、唇ではなく額だった。その温かさに思わず目を開く。
わざとらしくリップ音を残して佐助くんの顔が離れると、予想外の出来事に目を丸くする私を見て佐助くんは噴き出すように笑った。
「なーんてな。俺様言ったよね? もうちょっと女の子としての危機感持ちなよって。ほんと相変わらずガード甘いんだから椿ちゃん。もー、こんなに簡単に押し倒されてるんじゃ、俺様彼氏として気が気じゃないよ」
「な、そ、それはっ……別に………さ、佐助くんだから、いいかなって、なるだけで……」
「…………マジで襲っていい?」
「ダメ! です!」
たっぷりの沈黙の後真剣な表情でそんなことを言い出す佐助くんを力任せに押し退けて、私はなんとか彼の下から這い出た。
当の佐助くんは涼しい顔で「ざーんねん」なんて口にしてはいるが、その目は虎視眈々と獲物を狙う目であることを私はよく知っている。
私のガードが甘いんじゃなくて、佐助くんが身体の中にとんだ猛獣を飼っているんじゃないかと言い返したくなったが、そんなことを言えば本当にこの場でこのまま猛獣の餌食になりそうなので、大人しく口を噤むことにした。
「それよりCD! 早く聞こうよっ」
「分かってますって。アルバム出るの1年ぶりだからなー、俺様も何気楽しみにしてたのよ」
佐助くんがパソコンにCDを入れる。それからふと、思いついたようにして取り出したのは、彼がいつも愛用しているイヤホンだった。
「もしよかったら、イヤホン半分ことかしちゃう〜?」
たっぷりとニヤけたその表情は、実に軽い。
思い出すのは、高校の頃、よく付き合いたてのカップルが教室でやっていた光景。
一つのイヤホンを二人で分けて、身体を寄せ合ってポータブルプレイヤーから流れる音楽に耳を傾ける、幸せそうな男女の姿。
高校の時は私も彼らの姿を遠目に眺めながら、そんな甘いシチュエーションに憧れたりもした。
──だけど。
差し出されたイヤホンを、私は静かに片手で制した。
「いや、いいよ。ステレオ音源って左右から流れる音違うし。それだと本来の形で新曲楽しめないから、ちゃんとオーディオから聞こう?」
その答えに、目を丸くしたのは佐助くんだった。
それから耐え切れずに噴き出すと、佐助くんは珍しく声を上げて大笑いした。
「あっははは! ……あんたもいよいよハマってきたねえ、こっち側に」
「え、な、なに? 私変なこと言った?」
「いーや、言ってないよ。むしろ正論。さて、それなら……場所を変えた方がいいな」
「場所を?」
「そ。さすがに室内であんまり爆音で音楽流すわけにもいかないし。つーことで、俺様の車で新曲聞きながら海までドライブ! なんてどうよ? 長曾我部の旦那に頼んでウーファー積んでもらったし、音質は俺様の保証付き! 海までは1時間ちょいで、アルバム一周する頃にちょうど着くだろうしさ」
「っ……それ、いい! いいね! 行こう!」
佐助くんは満足げに首肯すると、パソコンに入れたばかりのCDをもう一度取り出し、丁寧にケースに片付けた。
私も残りの麦茶を急いで飲み干すと、鞄を手繰り寄せる。
「椿ちゃん」
ふと、何気なく佐助くんが私を呼んだ。
自然と顔が彼の方を向く。
するとすぐ目の前に、床に手をついた佐助くんが身を乗り出してこちらへと迫っていて。
突然のことにびっくりして身体が硬直するのと同時に、佐助くんは小さく笑みを漏らすと、そのまま薄い唇を私の唇へと重ねた。
少しかさついているけれど、弾力のある柔らかな感触。心臓が急にドキドキし始めて、緊張で肩が小さく震える。
何度重ね合わせても、未だにこれには慣れそうもない。
佐助くんの顔が急激に近付いてくる緊張感も、そしてその緊張が極限に達した直後、閉ざされた視界の中で唇に柔らかく触れる、温かな感触も。
全部全部、私の脳みそをくらくらとさせて正常な思考回路を奪っていく、麻薬のようなものだと思う。
そうして、そんな慣れない行為と、彼から躊躇いなく与えられる愛情に、いつの間にか溺れていく自分がいるのだ。
しばらくの静寂ののち、触れ合っていた唇は静かに離れていった。
「……突然、どうしたの?」
「んー? いや、さっきはふざけて額にしたけどさ。……椿ちゃんの顔見てたら、やっぱりちゃんとキスしたくなって」
「そ、それは……される側からすると、とても心臓に悪いデス……」
「悪いけど、これからもしたいと思ったらいつでもするからね、俺様。……やっと、それが許される関係になれたんだからさ」
こつんと、佐助くんの額が私の額に合わせられる。
額からはじんわりと佐助くんの体温が伝わってきて、胸の中も、それから頬も、次第にぽかぽかと熱くなる。
それからもう一度、足りないとでも言うように、再び佐助くんの唇が私の口を塞いだ。
今度はさっきよりも深く、唇を割り、食らいつくように求められる。
次第にしっとりと濡れていく唇が、啄まれてちゅ、と淡い音を立てた。
「ん、佐助、くん」
「……もうちょっとだけ」
「ん、ぅ、日が暮れちゃうってば……!」
「まだ足んない」
「ちょっ、と、もう……!」
「どうせ車に乗ったらしばらく出来ないんだからさ、出掛ける前にたっぷり食べさせてよ」
「だ、め……んっ…か、帰ってきたら、好きなだけすればいいから……!」
「…………言質取ったぜ?」
「あ」
自分の軽率な発言を後悔するより先に、腕を引かれて立たされる。
先ほどよりも目に見えて楽しそうに車へと向かう佐助くんに、完全に罠に嵌められたことに気付いた私は、もはや苦笑するしかなかった。
佐助くんが運転席に乗り込んで、私は助手席へ。
あんなに居心地の悪かった助手席は、今では私のリザーブシートだ。
「あ、椿ちゃんさ」
「うん?」
シートベルトを締めながら、佐助くんが運転席と助手席の間にあるサイドボックスからCDを取り出す。
それは──あの日、夜の公園で私が佐助くんに手渡したCDだった。
「この間貸してくれたCD、結構ハマってさあ。よかったらほかのアルバムも貸してくんない?」
思わず、笑みが零れた。
「勿論!」と力強く首肯すれば、佐助くんは少し首を傾げながら笑った。
私の音楽が、佐助くんに一つ、色を添えた。
その事がこんなにも嬉しくて仕方がない。
自分の好きなものを大切な人にも「好き」と思ってもらえることがこんなに幸せなことだなんて、知らなかった。
佐助くんは、音楽を通して私にたくさんのことを教えてくれた。
胸が高鳴るような興奮も。ギリギリと締め付けられるような、恋の苦さも。全身が音楽に包まれる高揚感も。隣で一緒に誰かが音楽を聞いてくれる喜びも。
これからもずっと、二人の間には音楽が流れ続けるのだろう。そのたびに私たちは笑いあって肩を寄せ合い、一つの音楽に耳を傾け合うのだ。
それはきっと──この世に音楽が存在し続ける限り、終わることはない。
佐助くんが車のエンジンを掛ける。
それから、今日のメインイベントである新譜を取り出すと、オーディオへと滑り込ませた。
オーディオにCDが取り込まれる、一瞬の静寂。
「さーて、行きますか!」
ギアをドライブに入れ、車がゆっくりと動き始めると、スピーカーからはロックミュージックがけたたましく流れ出した。
まだまだ残暑の熱は続きそうだ。
終