君と僕とロックンロールと
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トリの登場を待つ頃降り始めた雨は、小雨ながらも露出した肌に纏わりついて、あまり気分は良くない。
ふと背後を振り返ると、かなりの数のお客さんが列をなしてシャトルバス乗り場へと向かって行くのが見えた。
雨は止みそうにない。おそらくこれから更に強まるだろう。
それでも今ここに、こうしてステージの前に立ち、その瞬間を今か今かと待ち望む私たちにとっては、そんなものは障害にはなり得なかった。
辺りはすっかり夜の帳が降り、眩い照明がステージだけでなく会場全体を照らしている。
すると会場のBGMが変わった。この曲は、知っている。数ヶ月前、佐助くんと一緒に行ったライブでも、開演の合図として流れていた曲だ。これが流れるということはつまり──いよいよ、トリの幕開けだ。
周りの観客たちが一斉に歓声を上げる。
雨に打たれ、少しばかり寒々しい空気の流れていた会場が一気に湧き立ち、辺りは熱気に包まれた。
たった数ヶ月前にライブを見たばかりなのに、それでももう一度彼らの音楽を聞きたいと渇望する自分がいる。もっと、もっと。内から湧き上がる感情を抑えられず、ステージ袖から現れるバンドマンたちに歓声と、歓迎の拍手を送った。
ボーカルが拳を振り上げる。ギターの音、ベースの音、ドラムスの音が一体となり、会場全体にハーモニーを響かせる。
彼らの音。彼らにしか作れない音が耳を、胸を震わせて、全身が彼らの音楽に呑み込まれていく感覚に、私の背筋にぞくりと興奮の波が走った。
1日目のトリということもあり、ここで今日の体力を全て出し切ろうとするかのように、観客たちの盛り上がりは凄まじかった。
小雨にも負けずトリの出番をずっと待っていただけある。ライブが始まれば、会場はその日一番の熱気に包まれた。
私も全力で参加した。拳を何度も振り上げたし、ボーカルが煽ればお腹から声を出してコールアンドレスポンスに応えた。
段々と身体が熱くなり、自分の額を流れるのが汗なのか雨なのかもはや見分けがつかないくらい、夢中だった。
30分なんて、本当にあっという間で。
息を切らしたボーカルが「次で最後の曲になります」と一言漏らせば、会場中からは大きな不満の声が上がった。
それでも、終わりは来てしまう。もっともっと、この興奮の瞬間を何度でも味わっていたいけれど、だけどどこかで、この興奮の熱を綺麗に回収してくれるような最高のエンディングを望んでいる自分もいる。
一瞬の静寂ののち、ボーカルが口にしたその曲のタイトルと、流れ出した特徴的なギターのフレーズは──あの日、パソコン室で佐助くんに声を掛けられた時に聞いていた、まさにあの曲だった。
感動と興奮で、背筋だけでなく腕や足にまでぞわりと粟が立つ。
咄嗟に、横に立つ佐助くんの顔を見上げた。
そこには、同じくこちらを見下ろす佐助くんが居て。
意図せず絡み合った視線に、佐助くんも私も少しだけ目を丸くして、それからどちらともなく、笑い合った。
言葉はもう、必要無かった。鳴り響く音楽の中、互いに視線だけで会話すると、ほぼ同時に視線をステージへと向けた。大好きな音楽が細胞一つ一つに染み込んでいくような心地を覚えながら、私はぼんやりと夢を見るかのように、あの日パソコン室で佐助くんと初めて会話した時のことを思い出していた。
掻き鳴らされる楽器の音が、大きく飛び跳ねたボーカルが着地するとともに、ピタリと揃って止む。
「ありがとう!」と最後に大声でボーカルが叫ぶと、会場からは割れんばかりの喝采が鳴り響いた。
いつの間にか雨は本降りとなって、全身余すところなくびしょ濡れの濡れ鼠になっていたけれど、そのことにすら気がつかないほど、私たちはステージに釘付けだった。
トリのステージが終わり、次々とお客さんたちが踵を返して帰っていく。
会場と、そして身体の内側に残る熱の余韻を追い求めるようにして、私はその場にしばらくの間立ち尽くしていた。
「あーあ、終わっちった」
不意に、横に立つ佐助くんが名残惜しそうに呟いた。視線をそちらへと向けると、佐助くんは額のヘアバンドを外してその場で絞って見せた。大量の滴がヘアバンドから零れ落ち、佐助くんが「うへぇ」と苦々しい声を上げる。
それから濡れた鷲色の髪を掻き上げると「こりゃひでえや」なんて言いながら、苦笑した。
雨に濡れた髪が照明に当てられて艶々と輝き、降り落ちる雨は佐助くんの額に当たり、一筋の滴となって頬に伝い落ちる。
白い光の中、その光景はあまりに眩しくて、思わず息を呑んだ。
「佐助くん、ありがとうね」
気がつけば、そんな言葉が勝手に口から零れ落ちていた。
立ち尽くす私たちの左右を、お客さんたちが小走りで帰っていく。
佐助くんは黙って、私の次の言葉を待っていた。
「佐助くんがこのバンドを……ううん、それだけじゃない。もっともっとたくさんの音楽を、私に教えてくれたおかげで……私の世界は、ものすごく広がった。音楽でこんなに胸がドキドキできるんだって、初めて知ったの。まだ胸の興奮が収まらないよ。ずっと心臓がドキドキしてる。音楽って……すごいね。こんなにすごいものなんだね」
胸の高鳴りを抑えることが出来ず、込み上げる興奮に身体がソワソワする。それはまるで一種の麻薬のようだとすら思った。
「それから……ごめんなさい」
その言葉の意味を理解できない佐助くんが、訝しげな表情を浮かべる。
私は勇気を出して、佐助くんの顔を見上げた。
「実をいうとね、最初にパソコン室で佐助くんに声をかけられた時、私ほんとは……このバンドのこと、全然知らなかったの。動画サイトでたまたま見つけた動画を試しに聞いてただけだった。CD持ってるなんて嘘ついて……ごめん」
せっかく勇気を出したのに、結局最後の方は耐えきれなくなり、いつの間にか目線が下を向いてしまう。
頭の上で、佐助くんが小さくため息を吐く音が聞こえた。
「……知ってたよ」
「えっ……?」
予想外の返答に、思わず顔を上げる。
佐助くんは意地悪そうな顔で笑って、私を見下ろしていた。
「あんたがこういう音楽にまーったく興味がないことくらい、はなから分かってたさ。実際話しかけた時のあんたの狼狽えっぷりときたら、すんごかったぜ?」
知っていた? 佐助くんは最初から全部、知っていたの?
じゃあ、なんで。
真顔で固まる私をよそに、まるで私の心の声が全て聞こえているかのように、佐助くんは私の表情をまじまじと見つめると、静かに目を細めた。
「……あんた、1年の頃からずーっと、俺様のこと避けてたろ?」
心臓が、大きく飛び跳ねる。
まさか。そんな。バレていた、なんて。
だとしたら、まさか、まさかその先もバレているんじゃ──
目を見開いて青ざめる私を見て佐助くんは口角を静かに吊り上げると、まるでその通りだと言わんばかりに、全然笑ってない瞳で、笑った。
「そのくせ、事あるごとに俺様のことを眺めてた。そうだろ?」
心音が一気に加速する。
バレていた。何もかも。
何度も彼の姿を視界に捉えてはいたが、だけどただの一度も彼と視線が合ったことなんて無かったから。だから絶対にバレていないと、そう確信していたのに。
言い訳なんて思いつかない。
取り繕う言葉がまるで浮かばない。
沈黙は、肯定だ。
分かっているのに、私はまるで蛇に睨まれた蛙のように、じっとこちらの顔を覗き込む佐助くんから視線を逸らすことも出来ず、その場で固まるしかなかった。
「俺様も最初は気にしないようにしてたんだけどさ。あまりにしょっちゅうあんたからの視線を感じるもんだから、いい加減、言いたいことがあるんならハッキリ面と向かって言えよって思っちゃって。だから……あんたが来ないならこっちからおちょくってやろうかと思って。それで、あんたに近付いた」
「っ、え、」
「そしたら、あんたが見てたのがまさかあのMVだと思わなくってさ。……つい、嬉しくなっちまった」
佐助くんは一瞬静かに目を伏せると、そっと表情を緩ませた。
先ほどの獲物を捕らえるような視線は私から逸らされ、穏やかに細められた目は誰もいなくなったステージへと向けられる。
私はその表情に少しだけ安堵するとともに、どこか遠くを見つめる佐助くんの横顔から目を離せなくなっていた。
「今のあんたなら分かるだろうけど、あのバンド、あの頃はまだ世間ではマイナーでさ。ここ最近になって右肩上がりで人気出てきて、こうしてフェス初日のトリも任されるようになったけど……当時は誰も知らなかった。だから、まさかよりにもよって全っ然バンドとか興味なさそうなあんたがあのMVを、偶然でも興味を持って聞いてくれてたってのが……嬉しかったんだ」
佐助くんの視線が、こちらへと向けられる。
とても穏やかで、大事なものを見守るような目。
それが今、自分に向けられているという事実に、心臓の鼓動が先ほどとは違う意味で加速していく。
なんだか落ち着かなくなり、今度は私が視線を逸らして、佐助くんと同じようにステージを眺めた。
そこは、つい先ほどまでバンドマンたちが全身全霊で音楽を奏でていた場所。
偶然。本当に偶然、あの日、私があのバンドのMVを聞いていて、そしてそこにたまたま佐助くんが通りかかったから。
それら二つが重なり合わなければ、私はきっと何の感想も抱かないまま、動画サイトを閉じていただろう。
あのバンドのことも対して記憶に残らず、そして佐助くんとも話す機会が無いまま、卒業していたかもしれない。
彼らに興味を持ったきっかけは、確かに不純だったかもしれない。だけどそのおかげで彼らの音楽に触れることが出来て、その結果、私の世界にはたくさんの新しい色が広がった。
今でも耳の奥で彼らの音楽がリフレインしている。
その感覚が心地良くて目を細めた。
「最初はほんとに、興味なんて無かったんだけどなあ」
「……今は?」
「え?」
「……今は、どう?」
真剣なその声に、思わず佐助くんの方を向く。
眉根を顰めて、どこか辛そうな、苦しそうな、少しだけ泣きそうな顔をした佐助くんが、雨に打たれながら私を見下ろしていた。
その視線はまっすぐ私の瞳を捉えて離さない。
こんなに余裕のない佐助くんの表情を、私は見たことがなかった。
──今は。
きっと佐助くんは、私の口から出る答えを、もうとっくに知っているはずだ。
だけどそれでも、すべてを口にしなくても、佐助くんの目が強く訴えかけていた。
〝その言葉が欲しい〟と。
たとえそれが、音楽に向けられるものだとしても。
佐助くん、それはね、とっても卑怯だぞ。
だから、意味は二つ込めて、言うから。
ちゃんと、受け止めてね。
正面から彼と向き合うように、身体を佐助くんの方へと向ける。
それから、その両頬へと手を伸ばした。
雨に濡れてしっとりとした肌に、掌が吸い寄せられる。
佐助くんは一瞬ぴくりと肩を震わせて、それでも素直に私の掌を受け入れてくれた。
「大好き」
佐助くんの目が丸く見開かれる。
どうやらちゃんと、意味は二つ、伝わったらしい。
佐助くんはもう一度泣きそうな表情を浮かべて私の掌を上から握り返すと、ぐっと耐えるように唇に力を入れ、それからとっても情けない顔で、笑った。
「……俺様も」
すると佐助くんの顔が滑り落ちるように降りてきて。
まるで最初から決められたシナリオのように、ごく自然に、キスをした。
雨に打たれた互いの唇はしっとりと濡れている。押し当てられた柔らかな感触も、すぐ傍で感じる彼の体温も、何もかもが愛しくて。
ここが外だということも忘れて、ただひたすら、彼の唇に全てを委ねた。
数秒ののち、するりと唇が離れていく。
名残惜しくて薄目を開けると、佐助くんは困ったように笑って、額を重ね合わせた。
「もう、そんな物欲しそうな顔しないでよ。何回でもしたくなるじゃん」
「何回でも、していいよ?」
「っ、だーめ。お互い風邪引いちまうから、さ、帰ろうぜ」
穏やかに笑う佐助くんの雫に濡れた唇がつやつやとしていて、先ほどまでそこに自分の唇が触れていたのかと思うと、恥ずかしさで冷たくなった頬がどんどん熱くなるのを感じる。
佐助くんはそんな私の顔を見てもう一度穏やかに微笑むと、自然な手つきで私の右手に指を絡ませた。
それから緩やかに佐助くんが腕を引いて、歩き出す。
まるで恋人みたいだ、と熱で浮かれた頭でぼんやりと考える。ああ、そっか。もう恋人、なんだ。その事実に突き当たると、ますます恥ずかしさやら嬉しさやら色んな感情が一気に溢れ出てきて、頬が緩んでしまいそうだったので必死に俯いて誤魔化した。
「……あ」
「んー?」
「いや、ファーストキスの味は雨の味だったなあ、って思って」
次の瞬間、佐助くんがものすごい勢いで振り向いた。
その目は丸々と見開かれて私を凝視すると、それから程なくして徐々に頬のあたりが赤く染まり出す。
いつもの澄まし顔は崩れて、眉はなんだか情けなく八の字に下がってるし、口元は笑ってるのか引き攣ってるのかよく分からない形でヒクヒクしてるし、だけど、そんなかっこいいとは全然かけ離れた佐助くんの顔が、どうしようもなく大好きだなあと思ってしまって。ついに耐え切れず、笑ってしまった。
「っ、なに笑って……! つーか、あんたってば、よくそんな小っ恥ずかしいこと言えるよな!?」
「あはは……! だって、なんで佐助くんの方が照れてるの? キスしてきたのそっちじゃん!」
「っ〜〜! あ〜も〜〜、言わなくていいから! ……つーか、ファーストキスって……マジか……いやなんとなくそうなんじゃないかって予感はしてたけど……マジかよ……」
佐助くんは拗ねたようにそっぽを向くと、一人でぶつぶつ呟きながら私の腕を引いてぐんぐん歩き出した。
だけどその耳は真っ赤に染まっているし、おまけに繋いだ掌はすごく熱くて。
その何もかもが眩しくて愛しくて、繋いだ掌にそっと力を込めた。
水浸しになったスニーカーは、走りこむほどにぐじゅぐじゅと水分を含んで重たい。
Tシャツもズボンも水分を含んで肌に纏わりつく。
だけどそれらの一つも、気にならなかった。
煌々と照るライトの白い光の中、止まない雨に打たれながら、私の腕を掴む佐助くんの掌の熱い体温だけを、ずっとずっと感じていた。