第二話 未体験の知識
二人が城に戻ると、騒ぎが起きていた。
城の門前に沢山の人々が集まり、一様に困ったような表情を浮かべてお互いに首を傾げている。
状況は見えないが、とにかく何かがあったようだ。
「ああ、シルヴィーさん。戻られたのですね」
何事かと二人が人々に近付こうとした時、後ろから聞き覚えのある声で呼び止められた。
振り向くと、そこにはサルゴンの母…スイセンが歩み寄って来ていた。
「こちら、乾きましたよ」
スイセンは少し眉を下げつつも微笑み、シルヴィーに手の物を差し出した。
すっかり乾いた服だ。汚れも綺麗に落とされ、ふわりと優しい草の匂いが鼻をくすぐる。
シルヴィーは礼を言おうと口を開くが、その前にスイセンが言葉を被せた。
「お迎えに来ていますよ。御家族の方が」
耳を澄ますと父の声が聞こえてくる事にようやく気付いた。何かをしきりに叫んでいる。
なるほど──だからこの場にいる人々は困って首を傾げていたのか。
シルヴィーは後ろを振り返り、サルゴンを見上げた。
──お礼を言わなければ。
そう思ったが、何故だろうか…声も言葉も出ない。紡ごうとする喉がじわりと痛み、息を吸う肺が軋む。無意識に目の奥が熱くなり、眉が強ばる。
「サルゴン様」
絞り出せたのは彼の名前だった。
しかし続く言葉が無く、口をパクパクと動かして息しか吐けない。
「──サルゴン様っ」
「シルヴィー」
再び名前を呼んだ時、サルゴンはシルヴィーの口に手を添え、止めた。
「行き。お父さん、待ってっぺ」
その笑顔と声色は優しく、穏やかだ。
けれども、シルヴィーは頷く事は出来なかった。
体が動かない。目だけが揺れ、耳の奥にヒステリックな声が木霊する。
「シルヴィー!!」
足元に実感が湧かず、現実味が遠ざかる。
──こんな場所にいたのか!恥をかかせるな!
「サルゴン様…」
──城へは後日行ける事になった。
───私が頭を下げたのだぞ、親不孝者が。
「私は」
──何をしている?!帰るぞ!!
「逃げてもすぐに、連れ戻される雛なんですね」
喉がカラカラで、奥深くがズキズキと痛い。
痛みを除けたくて手をサルゴンへ伸ばそうとするが動けず、揺れる視線だけ彼へと向けられた。
サルゴンは優しく、静かに、微笑んだ。
「またな、シルヴィー『ちゃん』」
シルヴィーの体は一瞬強ばり、力が抜けてしまった。そのせいで後生大事に抱えていた百科事典を落とした。
しかし、その事に気を取ることはなく、シルヴィーは目を見開き目の前の彼を見つめる事しか出来なかった。
「シルヴィー!!!!」
父に耳元で怒鳴られ、乱暴に腕を掴まれると引き摺られるように馬車に乗せられた。
シルヴィーが体勢を整える間もなく馬車は走り始め、あっという間に農城は見えなくなってしまった。
──掴まれた腕がズキズキと痛む。
しかし、それよりも
「帰り…たくない」
胸が悲鳴をあげていた。
雛はきっと、自分の足で世界を歩いてみたかったんだと思う。
しかし雛は家畜としての使命がある。人間の為に働かなくちゃいけない。
だから雛は連れ戻された。
帰りたくなくても。空を飛びたくても。
だって雛は、
「飛べないのだから──」
馬車の外は雨が降り始めた。