第二話 未体験の知識

潮風が髪を揺らす。海は穏やかに波打ち、砂浜に残る足跡を消してくれる。
シルヴィーは遠くに見える船に目を細めた。
「あれは…近海漁業ですか?」
「んだ。今の時間なら…あの船は貝を採ってんだでな」
「手作業なんですね」
波の合間の海面に人が顔を出したり、潜ったりを繰り返している様子が見える。
「私、貝類は比較的好きなんですけど…その一つ一つあんな風に採られていたんですね」
シルヴィーが納得しながら足を運ぶと、急に腕を掴まれた。
「!?」
「そこ、足取られっぺ」
──確かに、丁度足の大きさ位の穴が足元にある。砂地は踏ん張りが利かず足を取られやすいので、そのまま進んでいたら確実に転んでいただろう。
しかし、シルヴィーは礼も謝罪も忘れて肩を跳ねさせた。
「はっ…離して下さい!」
「あ、ごめん」
サルゴンが慌てて手を離すと、シルヴィーはそっぽを向いてしまった。百科事典を抱きしめ、少々震えている。
その様子を見て、サルゴンは困ったように苦笑を浮かべた。


シルヴィーはサルゴンから背を向けて、身を震わせていた。怒っているわけでも泣いているわけでもない。ただただ、必死に平静を取り戻そうとしていたのだ。

考えがまとまらない。胸の高鳴りも止まらない。顔が熱る。

腕を捕まれただけなのに、何故自分はこんなに動揺しているのか。
優しく掴まれた腕の感触。穏やかな声色。精悍な横顔。潮風に混ざる若草のような香り。
脳裏にその瞬間のシーンが繰り返され、胸の高鳴りは早まる。
まるで、
「(!!──違う違う違う!!私には、許嫁のフェルナンド様がいる!!)」
一瞬過ぎった感情を振り払い、両親の言葉を反芻した。

<お前の使命はフェルナンド様の妻になる事> <次の王子を生む事>

「(そう──…私には、使命がある)」
ヴィーナス領の繁栄の為。両親の願いの為。知国の未来の為。やらねばならない使命がある。

──誰の為?

「全ての人の為に…」

胸の奥がズキリと痛む。しかし何度も繰り返し、その答えを脳裏に浮かべる。芽生えた感情を塗り潰す為に。強くなる痛みを確認するように。

いつしか、胸の高鳴りは消えていた。
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